第61話「ホウライ伝説 終世 一日目⑤」
「それから……、その場所の公演が終わるまでの三日間、ヴィクトリアねーねが手伝ってくれて。といっても、歌劇団じゃなくて我儘三昧アサイシスちゃん5歳の子守りなんだけどね」
「ほう?自ら死地に飛び込む様なものじゃな」
「すっっ!?」
「実際、ヴィクトリアねーねに任せてみたら……、泣くわ、漏らすわ、溢すわ、挙句の果てには大きいカブトムシ獲りに連れてけーって喚いてさー。あんなにくたびれた顔のヴィクトリアねーね始めて見たかも?」
「ふむ。儂は身に覚えがあるぞ。どっちものぉ」
「すっ、すっ……、すみませんでしたっすー!」
「ちなみに、ヴィクトリアねーねが帰る時にもガチ泣きしてました!い”、か”、な”、い”、て”ーーって」
「まぶたの裏に浮かぶようじゃわい。こ奴と深い森の夜にキャンプをした時など……」
「いやもうホント、勘弁して欲しいっすよーっっ!!」
愉しげに語る老爺と母、その間に挟まれたアサイシスは人生最大の危機に陥っている。
まだ、格上の竜の群れに出くわした時の方がマシだと、逃げ場のない精神攻撃が急所のアサイシスが割って入る。
だが、仲裁役のラルバが居ない以上、ホウライの悪ノリが止まる訳がない。
「ほっほっほ、思いがけず面白い話が聞けたわい。にしても、アサイシス。お前はヴィクトリアと既知が無いと言っておったはずだがのう?」
「覚えてる訳ねーすよ。5歳っすよ5歳!!」
「カブトムシ、買ってやろうか?ん?」
「今は耄碌爺の首の方が欲しいっすねッ!!」
よし殴ろう。
アサイシスがそう決めた瞬間、ホウライに手首を掴まれた。
そして、びくともしない膂力に眉を潜め――たフリをして、蹴りを入れてやろうと画策。
それを実行するべくホウライに視線を向けると……、そこにあったのは泣き顔だった。
「すっ!?まだ蹴ってないっすよ!?!?」
「そんな事をしようとしておったのか」
「やば!?って、お師匠どうしたっすか!?悪鬼羅刹ド畜生の目にも涙って奴っすか!?」
「誰が鬼だ。っと言いたい所だがのぅ、まぁ、悪鬼とは、まさしくその通りよ」
ホウライはエリウィスの話に聞き入っていた。
語り部が上手いというのもある。
だが、絶対に聞く事がないと思っていた幼馴染たちの未来を粗雑に扱える訳がない。
エリウィスの半生と共にあった、喜怒哀楽。
楽しみも、怒りも、理不尽も、愛も、それらを一つたりとも逃さないように、ホウライはじっくりと噛みしめるように味わった。
奉納祭で自分が起こした行動、過ち、後悔、慟哭。
何一つとして結果を残せなかった筈の過去に意味があったこと、過程はどうであれ、今この瞬間は笑えているということ。
それを理解したホウライの目には自然と涙が浮かんで、落ちる。
「……そうか、そうか。お前やヴィクトリアは人生を楽しめておったか」
「ホーライにーにーは違うの?」
「儂は悪鬼じゃった。……村の生き残りは儂だけだから、もう、儂を咎める奴などいないからと一人よがりに生きた」
「一人……?」
「その結果、幸せになるべき多くの人を巻きこんで不幸にしてしまった。アサイシスを拾った時に懐かしさを感じても、それを確かめようとしなかった」
「それは……、私がアサイシスに隠すように言って」
「最初から諦めてたんだ。世界最高の知識に『過去は絵に描いた料理と同じ。眺めて想像して、結局、手に入らんのなら虚しいだけ』と言われ、納得していたから」
ホウライは言葉を選ばなかった。
世界最高の知識……、始原の皇種・那由他には多大な感謝を抱いている。
奉納祭を終えたホウライを助け、治療を施し、生きる為の糧を与えた存在こそ、那由他。
そもそも、奉納祭を生き残れたのも、村を訪れた那由他から魔法と世絶の神の因子の使い方を教わっていたから。
それが無ければ、獅子の皇に成す術なく殺されていたことをホウライは理解している。
恨み事など言える立場ではない。
諦めろという言葉だって、ホウライを励ます助言だったと分かっている。
それでも、ホウライは苦言を溢した。
……許されると、思ったから。
「村の生き残りを探すことも、ヴィクトリアの仇を取ろうともがくこともできた。けど、俺はそれをやらなかった」
「お師匠……」
「不貞腐れていたんだ。ガキみてぇにさ。こんな老爺を餓鬼と呼ばずになんとする?」
全ては過ぎたこと。
感情を吐露しても意味がない、だからずっと、ホウライは本心を見ないように生きてきた。
感情のままに泣きたかった。
愛する人を失ったと、声を張って叫び散らしたかった。
蟲量大数に対する怒りを、激怒を、拳に乗せて、血が噴き出すほど己を殴りたかった。
世界を旅して手に入れた見聞を、他の誰かに伝えたかった。
勝った時の喜びを、負けた時の悔しさも、我慢なんてしなければ良かった。
教え子に抱いた親しみを、愛として受け止めれば良かった。
一人の女として、愛すれば良かった。
溢れだした感情は止め処なく、ホウライの涙と共に流れ続ける。
延々と、永遠に、彼の命の全てが流れ終えるまで。
「みっともない所を見せたな。……忘れろ。アサイシス」
「ウチ限定っすかッ!?」
「そうだ。エリウィスには情けない所を何度も見られておる。一回くらい増えた所でのう?」
「かなりインパクトあるっすよ。その般若みたいな顔」
「ほほほ、お前は般若を鬼の面だと思っておる様じゃが……、般若とは智慧、物事の真理に気付くという意味じゃ」
「っす!?」
「悟った。いや、悟らせて貰ったんじゃな。……ありがとう、アサイシス、エリウィス、儂はお前達に救われた」
手の甲で涙をぬぐい、そのまま深々と頭を下げる。
礼儀やマナーという無粋な所作など微塵も考慮していない、そんな心からの感謝を二人に向け、ホウライは抱いた感情を吐露したのだ。
「い、いやその、別にいっすよ!?お礼なんて!!」
「そうか。では儂も忘れるとするかのう」
「ちょっと淡泊過ぎないっすか!?」
「はて、何の話をしておったかのぅ?老人じゃからのぉ、忘れるのは得意でのぅ」
「こんの耄碌じじぃーッ!!」
「では馬鹿弟子にチャンスをやろう。……もうひとつ許せ、アサイシス。儂は世界を滅ぼしに行く」
最後に一口、茶を嗜んで。
そうしてホウライは口を開いた。
……愛を宿したその声で。
「儂はもう、世界なんてどうでも良くなった。ただ、俺からヴィクトリアを奪った蟲量大数を許すことは出来ん」
「やりたきゃやればいいんすよ。ウチだって、冥王竜は生かしちゃおけねーす!」
「世界が終るまであと七日。本来ならば一丸となって神に立ち向かわなければならん。が、今から儂がしようとしている事は奴の邪魔でしかなく、世界の破滅と同意義だ」
「それが?蟲量大数の後で、お師匠が神を倒せばいいだけっすよ」
「言ってくれるわ。が、しなければなるまいよ。ラルバの想いも汲んでやらねばな。なにせ儂は、ホーライじゃからのう」
立ち上がったホウライの腰には、二本の剣が差し込まれている。
第一の神殺し、『神話開闢・アダムス』
第十の神殺し、『犯神懐疑・レーヴァテイン』
始まりと終わりを携え、今、ホウライは己が人生を歩み始めた。
後世に『初代英雄』と呼ばれる覇道、その第一歩を。
「それでだ、アサイシス。お前はどうしたい?儂と一緒に来てもよいが」
問い掛けたホウライには、その答えの見当がついている。
僅かに迷った後の、否定。
そんな予想通りの答えをアサイシスは返した。
「……自分はここに残りたいっす」
「ほう?ラルバの仇を取りたそうな顔をしているがのう?」
「当然っす。でも、自分は……親孝行もしたいんすよ」
迷った、されど、しっかりとした拒絶。
アサイシスの目に宿った光もホウライに劣るものでは無い。
「だいぶ後悔したんすよね。あの森で、もうちょっと家族を大切にすれば良かったって」
「状況は分かってるっす。ブルファム以外の人類生存圏は壊滅的で、人間どころか、殆どの生物が死に絶えてる」
「ウチじゃ何にも結果を残せない、それでも、人類の方じゃ強い方だから、お師匠と一緒に行くべきっす」
「此処にいても死ぬだけ。誰も守れない」
「でも、ウチ、気が付いちゃったんすよ。世界が残り僅かなら、その時間は家族と一緒に過ごしたいって」
「我儘なのは分かってるっす!!けど……!」
「それで良いのだ。アサイシス」
「どうして咎められようか。俺もまた、お前と同じことをしようとしているのに」
「これからヴィクトリアに会いに行く。そして、恋敵を斃し、許しを乞い、惚れた女を口説き落とす」
「ヴィクトリアを手に入れた後はラルバだ。神怨を斃し、あの世でラルバを口説き落としてやろうと思っておる」
「死にぞこなった老爺の願い、邪魔してくれるな」
ごしごしとアサイシスの頭を撫で付け、ホウライは弟子に別れを告げた。
二人とも分かっているのだ。
これが最期の会話になるのだと。
「……、ウチ、お師匠のことも少なからず家族だって思ってるっす」
「この期に及んで言うことがそれか。まったく、ヴィクトリアに怒られるネタがまたひとつ増えてしまったわい」
「すっす、どんな風に怒られたのか、後で教えて欲しいっす。約束っすよ、ホーライお師匠!」




