第52話「ホウライ伝説 神愛なるもの⑩」
「ぬぅぅんッ!!」
それは、一見して『ただの殴打』と評すべきもの。
事実、迎え討った拳もまた、ただの殴打と評すべき挙動でしかなかった。
――世界が追い付いていない。
蟲量大数、と、神。
二柱の絶対君臨者による攻撃は、そのエネルギーが大気を伝達するよりも速く、結果が取り出されてしまうのだから。
「はっはぁ!いいね!!」
「ふぅむ。確かに」
無数に続く、乾いた炸裂音。
戯れに繰り返される攻撃は、ただの訓練のように軽快で、軽率に、世界を抉る。
「お前と殴り合うこの瞬間が、神は楽しくて愉しくて、堪らない!!」
「同感だ。那由他以外に我が輩と互角に戦うものなぞ、終ぞ現れないと思っていたぞ!!」
蟲量大数が称賛を贈っている相手は、神ではない。
神が使っている器となった人間――、ラルバを褒めているのだ。
蟲量大数を『無量大数』にしたのは神だ。
極論を言ってしまえば、神は蟲量大数と同じ存在を簡単に生み出せる。
当然、それらを使って蟲量大数や那由他を圧殺する事も、そもそも、歯牙に掛けずに世界を閉じることすら可能なのも、蟲量大数と那由他は理解しているのだ。
だから始原の皇種たちは、自発的に大きな物語を起こさないようにしている。
那由他が世界統治をタヌキ帝王に任せているのも、王蟲兵誕生に蟲量大数が関わっていないのも、作為的なもの。
自分達の役割を神へ捧げる最後の物語として確立することで、同じ土俵で戦うように仕向けているのだ。
「神よ、貴様の感情は理解できる。同等の存在が居ないというのはつまらんものだ」
「だろ!」
「我が輩は”種を切り開く者”だった。己を、種を、進化させ続ける事に最上の喜びを感じる。だが、頂点には目指すべき導など存在せん」
「知ってるさ!!だからこそボクは人間を作った。姿だけでも同じ生物が居れば、何かが変わるかもしれないと願って!!」
計り知れない攻防。
蟲量大数と神が戦い初めてから、『10秒間』という途方もない時代が経っている。
そうしてようやく、世界が全能と神に追い付いた。
一手目に繰り出した両者の拳が衝突した位置、そこに白亜の渦が発生。
それは、全てが破壊され尽くした、白なる虚無。
「蟲量大数とは良く言ったもんじゃの。まったく、これでは土台となる世界が壊れてしまいかねん」
傍観していた那由他が、面倒くさそうに指を弾く。
刹那の瞬きの間に用意されたのは、複数の銀色に輝く剣。
加速度的に増えて行く白なる虚無を刺し貫かんと、一斉に矛先を変え――。
「それも神の狙いだぜ、那由他」
同じく指を鳴らした神が、剣をガラクタへと変えた。
材料が魔法物質であろうとも、それが造物である以上は神の意のままに支配できる。
「儂は蟲ほど戦闘狂では無い。じゃが、この腹に収まる程度の食事すら消えてしまうのならば、牙を剥かねばならんじゃの」
「その口で良くほざいたね、タヌキ!!」
「世界を齧れ《星噛=イロード》」
カチン。と那由他の歯が鳴った。
そうして口の中に広がったのは、白なる虚無の中で凝縮されていた『世界味』。
蟲量大数と神の攻防によって発生した白なる虚無は、両者の拳の間に有った物質・空間が極小レベルまで圧縮された事による現象だ。
何も存在しない虚無は、世界にとって異常。
それを埋める為に大量の物質が流れ込み、やがて、圧縮された物質と衝突することになる。
引力と斥力、相反するエネルギーは周囲の空間を巻きこみ、すべての分子結合を解いて、原子へと帰化。
一瞬にして半径10kmを消し飛ばすエネルギー破、それを朱色の球体『星噛=イロード』が残さず全部、噛み砕いて嚥下して。
1000を超えるそれを、那由他は味わい尽くす。
パチパチと弾ける飴玉でも舐めるように、ころり。と舌の上で転がした。
「これは中々の味じゃの!」
「……蟲量大数、神らの攻撃、喰われてんだけど?」
「アイツの悪食は今に始まった事では無い。気にするだけ無駄だ」
蟲量大数へと生まれ変わった直後、蟲が抱いた感情は二つだった。
一つは全能感。
そしてもう一つは、ヴィ~~ア~~と鳴きながら涎を垂らしてガン見してくるタヌキへ向けた、恐れ混じりの困惑だった。
「我が輩と貴様が発揮する性能は互角。対消滅を繰り返すばかりでは、進展がないな」
「余波も喰われてるしねー。だけどさ、7日というタイムリミットを考慮するなら、キミらの負けじゃないのかなー?」
神が指定した期日は7日。
その超過も敗北判定の一つだ。
だからこそ、蟲量大数と那由他には余裕がある。
期日を定めた遊びをたった1日で終わらしてしまう、そんなつまらない結末を神は望まないと知っているから。
「ふぅむ、確かに進展がないのならば、我が輩たちの負けだろう」
「だよねー?」
「だが、逆に聞きたい。なぜ、我が輩たちが貴様を超えられないなどと思っているのだ?」
「な――っ!」
ヴゥン……。と残像を残すほどの急制動。
大きく振りかぶった拳を神へ叩き付け、10mの距離を取る。
そうして翅を羽ばたかせた蟲量大数は、そこそこのスピードで空を駆けた。
超光速程度……、光よりも速いが、神経速よりも遅いという絶妙な速度で。
「なっ!」
「我が輩は、搦め手を狡いなどとは思わん」
空を殴ってしまった神の拳の真横を、蟲量大数の拳が過ぎ去っていく。
そして思いきり、神の顔面へ突き刺さった。
蟲様大数が発揮した速度は、世界最強の加速度では無く、されど、一瞬の遅れも許されないという領域。
正確な速度を認識する時間は無く、故に、神は世界最強の加速力で対応するしかない。
蟲量大数は自身の能力を意図的に落とすことで、神の想定を超えた。
存在するべき位置に蟲量大数の拳は無く……、遅れてやって来た攻撃が、晒してしまった無防備を容赦なく破壊する。
「ごぱっ……!!」
「《物理力+応力+加速力=無限累乗》」
拳が頭蓋を穿つ感触を鑑みた蟲量大数は、これでは足りないと判断した。
即座に戦略を切り替え、押さえていた世界最強を解放する。
「やっb……ッッ!」
「《TNT・Gt》」
「《魔法創神典・”神座に侍る者ッッッ!!》」
亀裂が走った頭蓋の隙間を埋め尽くしたのは、36万5000もの魔法陣。
ソドムのエクスカリバーですら勝利しきれなかった神の防御、それを蟲量大数の拳が砕き終え――、
「……痛ってぇなぁ、おい」
深手を負った神の挙動を、三名の最上位者は驚愕を宿した瞳で見据えた。
圧壊した顔の下から、パラパラと頭蓋が零れ落ちる。
だが、その奥にあった暗黒の脳髄には傷一つ存在していない。
「ふはは!見たか、那由他。我が輩の本気の攻撃を耐えきってしまったぞ」
「厄介じゃのー。防御魔法もそうじゃが」
「あぁ、あの黒い物質がやたらと堅い」
「肉体部位によって付与している性能を変えておる。あれには世界最強の重量も含まれておるじゃの」
手応えから察した答えを、那由他が肯定する。
ふぅむと頷いた蟲量大数、その複眼に映っているのは、痛みを発する自身の拳。
「それだけでは無い」
「……じゃの」
「頭蓋に刃が仕込んであったぞ。ふはは、これの何処が人間なのだろうな?」
キラリと光る拳に指を突っ込み、内部に埋まっていた刀身を引き抜く。
医療目的の自傷であれど、痛みは必ず発生する。
それが予告もなしに行われた那由他は、鋭い視線を蟲量大数に向けた。
「いたっ。抜くなら先に言え。吃驚するじゃの!」
「我が輩が受けたダメージを那由他と不可思議竜も負った。だが」
「儂が自分の傷を治しても……、お前らのは治らんか。黒煌の効果は、神の序列に従って適応されているようじゃの」
出血した拳を舐めて治療した那由他は、忌々しそうに神へ視線を向けた。
それに返されたのは、イタズラが成功したかのような満面の笑み。
「で、こっちも即座に回復するかの。まったく、神の癖に消耗戦を仕掛けるとはの」
「挑発には乗らないよ。いくら神が全知全能でも、お前らを完全に理解するのには時間を要する。焦りは禁物さ」
「……随分と気合を入れているようじゃの?」
「だからこそ、お前らの配下を焚きつけて試した。分かってんだよ、蟲量大数、那由他。お前が強いって事は」
神は言った。
どれだけの年月、お前らを殺す手段を考えてきたと思っているんだ?と。
「例え、ラルバが失敗しなくても、神は終世をしただろう」
「なに?」
「造物主と神像平均。この二つの世絶の神の因子が揃う肉体を、神はずっと待ち焦がれていたんだ。《神像平均》」
神は自分自身の頬に指を差し込み、そのまま頭蓋へ触れた。
そこに付着しているのは、蟲量大数の血液。
「――!マジ、かのッ!!」
「あぁ、本気だよ」
交差したのは、神の拳と那由他の蹴り。
真っ直ぐに突きぬかれた神の拳を妨害するように、那由他が蹴りを見舞ったのだ。
そんな攻防の結果、蟲量大数と那由他は右腕に深い傷を負った。
肩から二の腕の大半が吹き飛び、ぷらぷらと手首が揺れている。
「手札を切る順番が逆だっただけさ。お前が緩急をつけた戦い方をしてくる事も、ボクは読んでいた」
「我が輩の権能を上書きしたようだな。まったく反応できんかったが、他の生物とはこれほどに弱いものなのだな」
蟲量大数は深手を負った右腕の体細胞を活性化させ、その上を繭で覆った。
包帯を巻いた様な姿は一瞬、直ぐに削げ落ちたそれの下から出てきたのは、健常な腕。
それでも、以前との差は歴然すぎた。
蟲量大数は拳を握りしめ、数億分の一になった膂力を確かめている。
「下がれ、蟲量大数」
「ふぅむ」
「お前からパワーを取ったらバカしか残らん。儂が前に立つくらいにはピンチという事じゃ」
全てを理解した那由他は一瞬の間も無く、星噛=イロードから剣を引き抜いた。
その剣の名は『神壊戦刃グラム』。
「《神壊戦刃・グラム=”さぁ、晩餐を始めよう”》」
揺らぐ右手に手を添えて、那由他は食へ祈りを捧げる。
生きとし生きた全ての命に感謝して、その全てを味わおう。
金に輝く合掌椀――、万食礼讃は終えた。
これより始まるは、那由他なる食事。
「あれ?それ本物じゃん」
「嫌な予感がしての。不安定機構深部からパクっておいたじゃの」
「複製品ではボクに害を成し得ない。それを瞬時に見抜くとは、流石は全知のタヌキだね!」
**********
「みんなの腕が……!」
回収した王蟲兵を癒し終えたヴィクトリアは、その時が来てしまう事を恐れていた。
だが、同時に吹き飛んだ王蟲兵達の右腕を見て、覚悟を決める。
此処までの展開は、那由他の読み通り。
蟲量大数が手傷を負う。
幾つかあった想定の中でも最悪のシナリオ、だがそれ故に、対応策も念入りに準備されている。
「姫よ。我らに力を与えたまえ」
一斉に傅く王蟲兵、その最先端たるダンヴィンゲンが願いを奏上した。
これは、姫に仕える騎士なりの想いやり。
優しいヴィクトリアの苦悩が僅かにでも和らぐようにと、王蟲兵たちは言葉に出して望んだのだ。
世界の破滅を。
「……結局、こうなっちゃうんだね」
白くて小さな蟲が鳴く。
愛を宿した、その声で。
「ごめんね、ホーライちゃん」
ヴィクトリアに与えられた最も重要な仕事。
それは、神の終世を待たずして、この世界を滅ぼすことだった。
神が目を付けた能力が『平均値』だった場合、即座に世界を滅ぼさなければならない。
那由他がそう言って、蟲量大数が肯定した。
後になって竜も賛同し、それこそが最適解だと誰もが頷いた。
「私が全部、食べちゃうね……」
ヴィクトリアの手に握られているのは、血を溢したかのような真紅の悪喰=イーター。
借りものであるそれを握りしめ、涙ぐんだ少女は世界へ終わりを告げる。
「みんな……、世界を滅ぼしてッ!《最大超過成体ッ!!》」
白くて小さな蟲が鳴く。
生命を愛した、その声で。




