第47話「ホウライ伝説 神愛なるもの⑤」
「混、蟲姫……?」
冷めきった声で語られたそれは、ヴィクトリアの正体を表す言葉だった。
外見は愛しい思い出と寸分違わず。
されど、その言葉が正しいという事は、ホウライにも分かってしまっている。
「今の私はもう人間じゃない。その証拠に、こうして擬態しているもの。もっとも愛着があった頃のヴィクトリアに」
『擬態』
それは昆虫に備わった生存本能。
効率よく餌を得る為、外敵から身を守る為、役割は違えど、それは生きる為に行う工夫だ。
ヴィクトリアは言う。
この姿も、生きる為にしているに過ぎないのだと。
「……なんだよそれ。納得できるかよ」
「分かってるでしょ。年老いたホーライちゃん」
「そんな事はどうでも良いんだッ!どうしてお前が蟲なんぞにならなくちゃならないッ!!蟲量大数が何かしたんだろッ!?」
「違うよ。ヴィクティム様のせいじゃない」
「違うもんかッ!!アイツはお前を食おうとしてたッ!!その時に喰い殺すのを止めて、そんなもんを植え付けやがったんだッ!!気に入ったお前が、ずっとずっと苦しむようにッ!!」
「違う」
「何がだよッ!?実際、お前の背中には――」
「黙って。ヴィクティム様を馬鹿にしないで」
「――ッ!!」
ヴィクトリアは、意図的に”愛”を消していた。
そうしないと悟られてしまうと思ったから。
だけど、隠すべき感情が怒りに変わってしまったのなら?
掻き立てられる感情のままに、白くて小さな蟲が鳴く。
憎愛を含んだ、その声で。
「確かに私を蟲にしたのはヴィクティム様。でも、それは私の為にした事で、それに私は感謝している。侮辱しないで」
「感謝だなんて……、だってそんな、お前、虫嫌いだったじゃねぇか」
「貴方のせいでしょ」
「俺、の……?」
「こうなったのは貴方のせいだよ。嘘付きホウライちゃん」
『ホウライ』
それはホウライの本名でありながら、ヴィクトリアにだけは呼ばれたくない名前だった。
『ホウライってホラ吹きみたい。だから私は、ホーライちゃんって呼ぶね』
それは、村一番の悪ガキだったホウライを改心させた言葉。
その日以降、ホウライは自分本位な嘘を吐かないように生きてきたのだ。
そして今、己へ自問自答する。
いつからだろう、ホーライと名乗りながら、平然と嘘を吐くようになったのは、と。
「奉納祭の夜、ホウライちゃんは私の所に来てくれなかった」
「それは……」
「いいよ、仕方がないって分かってる。強い生物いっぱいいたもんね」
「いた、けどさ……、それでも俺は」
「でも、ヴィクティム様は私の側に居てくれた。最も強い生物ですかって聞いたら、そうだって答えてくれた。だから、私はヴィクティム様に奉納したの。身も心も、貴方にあげる筈だったもの、すべて」
身震いするような愛を声に乗せ、ヴィクトリアが呟いた。
『帰ってくるって言ったのに』と。
「約束を破って嘘をついたのは、ホウライちゃんの方だよ」
「そう、だけど、さ……」
「もう遅いよ、今更、何を言ったって。蟲になった私は、もう貴方と住む世界が違うんだから」
「そうかもしれないけど、だけど……、そうだ、この皇の力が有れば」
ホウライは糸で縛られた身体に魔力を通し、胸の奥に宿った力を無理やりこじ開けようとする。
きっとそれが、ヴィクトリアの為になるのだと信じて。
「やめてッ!!」
「えっ……。」
「どうして、私が嫌がる事ばかりするの?」
「ち、違う!俺は」
「……もういいよ。それに時間も無いの。本当にこんな事をしている場合じゃない。チトウヨウ」
仰せのままに。
そういって傅くチトウヨウは、変わらずに向けられた愛に安堵している。
「ダンヴィンゲンとソドムの攻撃が神に当たらないの。世界最遅でサポートしてきて」
「御意」
そして、続いた声に弾かれたように、空へ昇っていく。
与えられた役割を全うし、この汚名を雪ぐのだ。
「ヴィ、ヴィクトリア……?」
「このままだと世界は七日で終わる。私も、ホウライちゃんも、みんなみんな、消えて無くなるんだよ」
「それも、俺のせいだって言うのかよ」
「ある意味ではそう。皇になった貴方を神に殺されてしまえば、その時点で人間種は絶滅する。だから、逃げて」
「……いやだ」
「逃げて」
「いやだ」
「逃げて」
「いやなんだよ。もう、逃げるのは。確かにお前の言うとおりだ。俺はお前を助けられなかった。それは弁明できない事実だ」
意を決したように、ホウライが口を開く。
一音一音を吟味して、それが決して、ホラ吹きにならないように。
「だけどさ、今ここで逃げちまったら、もう二度と俺はホーライって名乗れなくなっちまう」
「だからさ、お前が何をしようとしているのか、どうしたいのか。それを教えてくれよ」
「今度こそ俺は、本物のホーライになりたいんだ」
パチリ。っとホウライの体に染み込んでいた糸が音を立てた。
そして、一気に燃え上がらせ、心に蔓延る迷いと共に荼毘に伏す。
「ヴィクトリア。今更、愛や恋を謳う資格がないってのは分かっている。それでも俺は、ホーライでありたいんだ」
「……ホウライちゃん」
「蟲でも竜でも良いのなら、俺だって良い筈だッ!!どんなことだってする、俺を選べ、ヴィクトリアッ!!」
自由を取り戻した体で、人間の肉体の殆どを捨てた身体で、ホウライが奮い立つ。
数え切れないほどの間違いを犯した。
左手に握っている様な都合のいいレーヴァテインも無い。
それでもホウライは、前に進みたかったのだ。
「……ホウライちゃん。それは無理だよ。だって、世界最強はヴィクティム様なんだから」
だが、返されたのは否定だった。
確かな感情を含んだ、当たり前という様な声で。
「大した実力もないホラ吹きに何が出来るの?」
「居るだけで邪魔だって、どうして分からないの?」
繰り返される否定が、ホウライの心を打ち抜く。
それは奇しくも、ホウライが欲しかった言葉だった。
あぁ、またいつか、ヴィクトリアに怒って貰いたいと、恋い焦がれて、生きながらえて。
「助けにも来なかった癖に、どうしてそんな困る事ばかり言うの?」
「……ぁぁ」
「私の為って言うのなら、神に殺される前にどこかに行って、さっさと死んでよ」
「……俺は」
「私に皇の資格を奪わせないで。手を汚させないでよ」
「また、間違っちまったのかよ……」
ゆらりと、ホウライの視界が揺らいだ。
瞬く間に涙で埋め尽くされ、ヴィクトリアの姿が滲んでいく。
「……大嫌い。貴方なんか、全然ホーライなんかじゃない」
ぼやけた視界の奥で、何かが蠢いた。
そして、白くて大きな蟲が鳴く。
渇愛を宿した、その声で。
「どっか行ってって言ってるでしょッ!!《最大超過成長・加速度ッ!!》」
振るわれたのは、神経速の拒絶。
真正面から叩きつけられた衝撃をまともに食らったホウライは何も成せぬまま、大地へ堕ちる。
そうして残されたのは、蟲と……、神。
「さっきまであんなに愛を囁いておきながら、死んだらすぐ次の女にいくとは節操のない奴だ!見損なったよ、ホウライ!!」
「……神」
「なーんてね。ラルバはとても優しい子だ。きっと、キミ達の未来を祝福してくれるよ。キミがしようとしているようにね」
ヴィクトリアは濡れた目元を袖で拭って、口元を結んだ。
それは先程とは違う、真の意味で愛を宿さぬ意思の表れ。
勝利の布石は神を睨む。
憎悪が宿った、その声で。
「あーらら、泣いちゃってるじゃん。かわいそ」
「どうしてここに居るの?みんなまだ戦っているのに」
ヴィクトリアが此処に来れたのは、ダンヴィンゲンやソドムを始めとする連合軍が神を足止めしているからだ。
だが、上の戦いは終わっておらず、その目的を果たせていない。
これは、全滅という最悪のシナリオ、人類絶滅という困難な展開、それに続く第三のバットエンド。
「あれこそまさに神像だとも。神像平均ってホント便利!」
「禁忌を簡単に破る。だから貴方は神なんだね」
「そうかもね?蟲量大数や那由他の前で迂闊に分身を出すのは、その時点で敗北が決定しかねない禁忌だけれど、ま、お前ら程度なら大丈夫っしょ」
へらへらと笑う神へ、ヴィクトリアは唾棄をする。
抱いた感情を隠しもせずに、滅ぼすべき害敵だと改めて認識したのだ。
「それで、こっちに何しに来たの?」
「決まってるじゃん。愛憎うずまく悲恋を茶化しに来たのさ」
冗談がツボに嵌ったかのように、神は声に出して笑っている。
それはまるで、舞台で繰り広げられる喜劇を見ているかのようで。
「……お前さえ、いなければ」
「くあっはっはっは……、うん?」
「お前さえいなければ、こんな想いをしなくて済んだのにッ!!」
ギリリと奥歯を噛みしめ、ヴィクトリアは隠していた尾を出した。
振るう力は、蟲量大数から与えられた、世界最強。
神経速での衝突×6回。
それはホウライへ向けたのとは何もかもが違う、本気の殺意。
「ま、そうだろね。所でさ」
「神はお前を生かしておく理由がないんだけど。そこんとこ、分かってる?」




