第35話「ホウライ伝説 知らしめられる建国 21」※タヌキ無双」
そうだよ。と、白くて小さな蟲が鳴く。
ゴモラが愛した、その声で。
「う、ぁ……」
ゴモラは打ち震えている。
たった今、死力を賭して斃そうとした王蟲兵、最低でもそれと同等。
いや、100%に近い確率で上位互換である最も古き王蟲兵、『鎧王蟲・ダンヴィンゲン』が目の前に居るから、ではない。
その肩に座している、真っ白い髪の少女。
年齢は15歳ほど、大人と呼ぶにはまだ幼い顔立ち。
人間のように見えるが、絶対にそうではないと言い切れる『何か』から投げかけられる声が、堪らなく愛おしく。
そして、堪らなく恐ろしいのだ。
「シアンと間違えるなんて……。お前は、誰?ダンヴィンゲンに座るなんて、タダごとじゃない」
『鎧王蟲・ダンヴィンゲン』
『団子蟲』『瓶蟲』『竜蝨』
それは、陸・海・空を統べた、昆蟲を超えし者の極致。
ありとあらゆる環境に即座に適応して君臨する、あまねく生物の憧れ。
どんな障害であっても抵抗を許さない『世界最強の物理力』を持つ、世界最強の王。
そんな、抗いようのない蟲の王を、あろうことか椅子代わりに使う。
ゴモラは、それが出来る事にまったく疑問を抱かなかった。
「那由他様の眷族なのに、私の事を知らないんだ」
「那由他……さま?蟲なのに敬称を付けるんだね」
「お世話になったから」
心を掻き乱されるほどに愛くるしい、声。
まったく敵意が含まれていない、万人を聞き惚れさせるほどに美しい音の羅列。
愛烙譲渡は愛を謳った音楽の様に、ゴモラの心を歓喜で満たす。
「質問を変える。愛烙譲渡の使い方を貴女に教えたのは那由他様……?」
お世話になったと聞いた時点で、ゴモラの中に二つの選択肢が浮かんだ。
① その言葉自体が嘘。
② 那由他はこの少女は隠していた。
どちらの可能性も高く、そして、どちらであっても面倒な事この上ない。
なんなら答えずにそのまま立ち去ってくれていいと、ゴモラは思っている。
「そう、なのかな?村に居る時に教えて貰っていたんだけど、覚醒自体は……」
だが、その少女は会話を続けようとする。
幼い顔立ちに思案を混ぜつつ、肯定とも否定とも取れる曖昧な返事をしようとして――。
「「んっ!?」」
驚愕を含んだ二つの声、その原因が姿を現す。
ボゴン。っと隆起した土暮れ、そこから伸びた屈強な腕がゴモラの足を掴んだ。
そして、咄嗟に強化した防御魔法ごと一瞬で握り潰される。
苦痛に歪む顔。
だが、それを塗り潰す程の驚愕がゴモラを襲っている。
「カナ、ケラテン……ッ!?!?」
大地を割りながら出てきたのは、黒褐色の甲冑。
ゴモラでは傷つける手段がない相性最悪の敵の出現に、思わず思考が放棄される。
『削王蟲・カナケラテン』
『金蚉』『螻蛄』『天道虫』
それは、切削、潜航を得意とする昆虫類の進化の果て。
屈強な外殻を何重にも纏う、『世界最強の重力』を持つ、世界最重の王。
「姫を煩わせるな。タヌキ。」
掴んで振り払うという簡素な動作ですら、世界で最も重き肉体が行ったのなら。
大地に叩きつけられたゴモラは骨を軋ませ、意識を点滅させる。
だが、そんな悠長な事を言っている場合では無い。
「……っっ!!なん、で……」
目に止まってしまったのは、黄色と黒の警告色。
ソドムとムーが最も忌み嫌う、かつて、世界の三分の二を喰らいし者。
『針王蟲・ホウブンゼン』
『蜂』『蚊』『蝉』
それは、音と空気を支配する昆虫類の進化の果て。
発せられる警告と同時に来る絶望、『世界最強の応力』を持つ、世界最深の王。
「ホウブンゼン……ッ!? それに、」
『縛王蟲・チトウヨウ』
『蜘蛛』『蟷螂』『蠅』
それは、命を糧とする行動に喜びを覚える昆虫類の進化の果て。
決して逃げることが叶わない、『世界最強の粘度』を持つ、世界最遅の王。
『光王蟲・ケイガギ』
『蛍』『蛾』『蟻』
それは、熱と光を追い求める昆虫類の進化の果て。
触れるどころか直視すら困難な、『世界最強の熱力』を持つ、世界最輝の王。
「チトウヨウ、ケイガギ……まで。はは、いくらなんでも、こんな……」
たった一匹ですら、容易に世界を滅ぼせる蟲の王の羅列。
六匹もの滅亡の大災厄。
正真正銘の絶体絶命。
カツボウゼイが言っていた『群れ』とは……、それぞれが持つ配下の群棲のことでは無い。
王蟲兵同士の群れという、有史以降、決して存在する事が無かった空前絶後だ。
こんなの、勝てる訳がない。
そんなゴモラの呟きですら、それらを統べる姫には届かない。
「……なにしてるの。カナケラテン」
「姫に仇成す輩に、罰を」
「そんなの頼んでないよ。ねぇ、ケイガギ。あなたも何をしようとしてるの?」
「いやだってさー、ヴィク様にむかつく態度取るとかさー、殺されて当然じゃない?」
へらへらと笑うケイガギの伸長は150cmほどと低く、人間の子供を想像とさせる。
だが、秘めた狡猾さと残忍さは比べるまでも無い。
「いいじゃん、殺しちゃえば。たかがタヌキ一匹。自爆する馬鹿がまた出るかもだし?」
「そういうのいいから」
「ヴィク様の手を煩わせたりしないって。さくっと……」
「 《余計なこと、しないで》 」
生物が最も恐れる恐怖とは……、『喪失』。
所持していた幸せ、向けられていた愛。
それらの喪失は、何物にも耐えがたき恐怖だ。
僅かに、けれど、確かな怒りと不快感が込められた少女の言葉。
それを向けられた王蟲兵は深々と頭を下げ、心の底からの陳謝を奏上する。
「ごめんなさい、ゴモラ。これ以上、貴女に危害を加えるつもりは無い」
「言いたい事は山ほどある。けど……、とりあえず信じる」
この状況では、少女の言葉に同意するしか生き残る術は無い。
けれど、ゴモラが信じると言った理由は違う。
ゴモラにとって、愛烙譲渡は何よりも勝る信頼。
彼女が人類の守護者をしている理由、そのものだ。
「ソドムのと違い、この悪喰=イーターは真理究明に特化していない。だから、貴女の正体も朧げにしか分からない」
「うん」
「愛烙譲渡を持つ元人間というのは分かる。でも、不可思議竜の『命の権能』まで持っているのはどうして?」
『混蟲姫・ヴィクトリア』
それは『人間』と『昆虫』の成れの果て。
願いを失い、命を捧げ、与えられし『世界最強の生命力』によって生まれた、世界最愛の姫。
「この力はヴィクティム様に貰ったの」
「ヴィクティム……?」
「貴女達が蟲量大数と呼んでいる御方で、私の全てを捧げた主様だよ」
真っ直ぐに向けられた言葉にも、当然のように愛が含まれている。
だが、それは世絶の神の因子によるものではないと、ゴモラは思った。
憧れ、信頼、尊敬、恋慕。
複雑に混じり合った感情を隠そうと、少女は僅かな恥じらいを見せたのだ。
「本題に入っても良い?実は、貴女達にお願いがあるんだ」
「私に?」
「ソドムとゴモラ、人類を守る双子のタヌキ。貴女達には邪魔をしないで欲しいの」
訳が分からない。
だが、ガラティンの殺害と無関係ではないだろう。
肯定とも否定とも取れる頷きを返し、ゴモラはヴィクトリアへ話を促す。
「これはまだ懸念でしか無いけれど……、このままだと、世界が滅ぶ可能性が高い」
「……っ!!それは、神による終世が行われるということ?」
神の降臨、終世の発動。
唐突に行われることも、段階を踏んで発生することもある。
そして、今回は後者の条件を十二分に満たしてしまっている。
その結論は既に、ゴモラとソドムも出していた。
「仮にそうなるとして、貴女が何をするというの?それが分からないと話にならない」
「神よりも先に、世界を滅ぼす」
「ッ!!そんなこと――」
出来る訳がないとも、させる訳が無いとも、ゴモラは言えなかった。
たった二匹のタヌキでは、六体の大災厄に抗う術など無いのだから。
「まだ決まった訳じゃないよ。全てはホーライちゃん次第」
「……?」
「でも、そうなってしまったら一刻の猶予も無い。すごく短い戦闘時間すら惜しくなる」
「……くっ」
「もしも貴女達が後の障害になるというのなら、ここで憂いを断つことになる。けれど、私はそれを望んでいない」
驚くゴモラに向けて、頬笑んだヴィクトリアが手を差し出す。
それは、明らかな友好の意思。
「どうか、私達に協力して欲しい。……こっちにおいで、ゴモラ」
白くて偉大な蟲が鳴く。
愛烙譲渡を宿したその声で。




