第26話「ホウライ伝説 知らしめられる建国 ⑫」
「……激甚の雷霆・ホーライって、『ホーライちゃん』だったんだ」
白くて小さな、蟲が鳴く。
愛烙譲渡を宿した、その声で。
「我らが姫よ。煩わしくお思いなら、私が始末を」
森の中に居る少女が、空に蠢く竜濁を見上げている。
その瞳に浮かぶのは驚きと安堵、そして、ほんの少しの後悔だ。
そして、それを機敏に感じ取った”兵”は何でもない事の様に、そう口にした。
激しい戦闘を繰り広げているホウライと月希光を覆う黒塊竜を見ながら。
「ううん。そういうのじゃないよ」
「そうでしたか、失礼を。ですが……」
「分かってる。あの竜が持っているのは、私の力の源流。とても強力な、あまねく生物の希望『命の権能』」
「私ならばどうとでも。姫がお望みとあらば」
その巨体は傅いてなお、少女の目線よりも大きい。
だからこそ、少女が向ける視線は必ず愛おしい上目遣い。
「余計なことしないで」
「はっ……」
「何もしないで、ダンヴィンゲン。ホーライちゃんの邪魔しちゃダメ」
少女は上に手を伸ばし、足りない分だけ背伸びする。
指が届いた場所は、ダンヴィンゲンと呼ばれた蟲の額。
そこをパチン。っと指で弾いて、とても厳しい叱責をする。
「つ、痛恨……っ。世界最硬を与えられている私にこれ程の、ダメージを……」
「そういうのもいいから。それにね、本当に助けなんていらないよ。だって、ホウライちゃんは最強なんだから」
白くて小さな、蟲が鳴く。
愛烙譲渡を宿した、その声で。
**********
「《天空を統べし雷人王》、十典範に連なる魔法か」
激しく荒ぶ雷光を直視し、黒塊竜は目を細めた。
それは、世界の創造主たる神が行使した力の亜種、より破壊力が研ぎ澄まされているソレを両腕に纏い、ホウライが炎の剣を踏みしめる。
「いいや、ただの雷爺の拳じゃよ」
黒塊竜へ至る、全長60mの活路。
その中盤へ迫るホウライ。
彼の拳が届くまで、あと1秒。
ホウライは最期の一歩を強く踏み込み、鍛え抜いた筋肉を駆動させる。
それは、音速を超えた流星の如き一撃。
「《雷霆掌》」
硬く握りこんだ拳が穿つは、黒く輝く鱗。
竜の心臓がある位置に寸分違わず着弾している以上、その破壊は敗北に直結している。
だがそれは、破壊できればの話だ。
「ぬぅ、硬いのぉ」
「であろうよ。爪すら持たぬ拳に貫けるものではないのだ」
黒塊竜が持つ武装鱗の名は『暗黒等級鱗』。
その硬度は、世界に存在する物質の中で最も硬いダークマターに近しい。
黒土竜という種族は、喰った鉱石を鱗に蓄える。
そして、長き生命の営みの中で様々な色が混じり合った黒土竜は、生まれた瞬間から黒い鱗を持つように進化したのだ。
だが、黒塊竜は、生まれ持っての”黒”で満足しなかった。
生きとし生きる限り、いや、死してなお蘇り、見知らぬ物質を喰い続ける。
それは鉱石のみならず、土、木、岩、砂利、草、砂漠、大海、嵐雲、氷河、……人間が英知の果てに生み出した神製金属までをも喰らい、己が肉体の糧としてきたのだ。
だからこそ、黒塊竜は現存する竜族の中でもっとも硬い鱗を持つ。
覚醒神殺しに匹敵する硬度を得た肉体は、近代史数百年の間、傷付いていない。
「子供の頃を思い出すわい。悪ガキだった儂は硬い虫を叩いてしまってのぅ。その時も随分と痛い思いをしたもんじゃ」
「痛痒か。昔過ぎて思い出せぬな」
まるで意に返さぬほど堂々と、服に付いた汚れを払うように。
そうして叩き落とされたホウライは器用に体勢を立て直し、再び迫ってきた核炎剣へ手刀を向ける。
それは先程の繰り返し。
何かを狙うホウライはもう一度それを辿ろうとして……、先手を打たれた。
「何ゆえ、核炎剣に触れられるのか知らぬが」
「!」
「これは己で作りだした武器なるぞ。使い方など、定めておらぬわ」
黒塊竜は冷静だった。
小虫が飛び乗った剣を手放し、即座に別の魔法陣を掌に構築。
それは、超超恒温たる核炎剣を貫く、絶対零度氷塊。
発生していた引力は反転し、空間を崩壊させるほどの斥力と成って――、有爆する。
「《蒼醒星爆破》」
半径20mはあろうかという、極大の放出エネルギー。
雲を滅し、空を裂き、遥か遠くの山を消し飛ばす。
「……ほう。やるな、人間」
「ほっほっほ。こりゃあ参った、冷や汗が蒸発してしまったわい」
事もなさげに嗤うホウライ、その身は傷一つない質実剛健だ。
99万の人間の命を奪った一撃を遥かに超える攻撃でさえ、ホウライにとっては些事でしか無い。
「今のを生き残れる奴は、惑星竜の中でも稀だ。無論、スケールを世界にしても同じこと」
「儂が見ているのは頂点じゃからな。それ以外の稀がどれだけ居ようがどうでも良いわ」
「くあっはっは、面白い。それが自惚れではないのなら、我らなど、赤子の手を捻る様に殺せるだろうよ」
「”二番目”の下僕程度に手こずっていては話にならんからのぅ」
バチチ……、とホウライの腕が軋む。
腕に宿した雷光の中で、炎と氷が弾けているのだ。
暗香不動によって魔法を融合させた肉体は、非常に不安定な状態となっている。
物質と魔法の狭間、そのどちらでもないが故に、片方の物質を更に取り込んで収束しようとする力が働いているからだ。
「その腕は付与、いや、簒奪か?やはり、貴様が下手人か」
「なに?」
「我らが竜の奥義を盗みし大罪人よ、その力で何を望んでいる?」
「先程も言ったがのぅ……、頂点じゃよ。今更、意味など無いかもしれんが」
「くはは、真に滑稽ぞ。蟲量大数様によりにも寄って、その力を向けるとはな」
「儂は弱く、その差は無限に等しい。なら、相手から奪えばよかろう」
「その真理も、何も知らぬ小僧が語れば浅墓でしかない。《回帰月飾》」
ピシリ。っと黒塊竜が全身を軋ませた。
全身に纏う武装鱗の内部へ魔力を通し、その特性を己が望む性能へと描き替えてゆく。
「我ら黒土竜は、喰った鉱石を鱗に蓄える。鉄を食えば鉄の、金を食えば金の、水晶を食えば水晶の特性を鱗に宿す事が出来るのだ」
「高く売れそうじゃのぅ」
「それは通常、コントロールなどできん。が、魔力経路が細密であり、眷皇種として命の権能を賜っている我は任意で身体を作り替える事が出来る」
漆黒に青いクリスタルが輝く身体に、赤い文様が奔った。
それは、高い熱誘導性を誇る『グラデーションダイヤ』の輝き。
「炎熱系の魔力は伝導が遅い。技を発するときの遅延は致命的な隙だろう?」
「そうじゃな」
「今、我の身体に新たな魔力経路を構築した。どうやら、貴様を殺し切るには手数が必要な様だからな」
再び、黒塊竜の手に二本の核熱剣が宿る。
だが、今度の剣の形状は刺突剣じみた、全長100m。
研ぎ澄まされた殺意を振りかぶりながら、黒塊竜は更に天へ翼を翻す。
「《真炎空路》」
ドラゴンが持つ魔法紋は、その種族によって千差万別だ。
黒土竜ならば、鱗の表面。
炎熱竜ならば、口内の牙。
水禍竜ならば、手足の爪……と、それぞれの種族特性を最も効率よく発揮できる場所に備わっている。
だが、翼に魔法紋を宿す種族は居ない。
なぜなら……、翼には、その竜の個性に合わせた魔法紋を宿すからだ。
「空気に干渉するか。アサイシスを置いて来て正解じゃったわい」
翼を通し世界へ映し出された魔法陣。
それは、黒塊竜を常勝無敗へと押し上げる切り札。
黒塊竜が羽ばたく度に、波状の波動が押し寄せる。
全方向360度、ホウライを包む空気が黒塊竜が望む『理想』へ置き替えられたのだ。
「これくらいで良かろう。さぁ、やろうか。人間」
核熱剣を叩き付け、黒塊竜が突撃する。
爆砕音すら吸い寄せ焼き尽くす、真なる炎を身体に携えて。
「オォォォォオォォォォオッ!!」
作り換えられた空気は、炎を燃焼させるために最も優れた状態と成っている。
酸素や窒素、水素などの成分が極端に組み替えられたこの空域では、生物の生存など絶望的。
一呼吸で意識を失うどころでは無く、変更された大気圧によって、まともに動く事すらままならない。
そして、そうなると知っている黒塊竜は、その特性を利用する。
高い熱伝導性を有する紅い紋様から噴き出す炎を推進力にして、通常以上の膂力を引き出しているのだ。
「ふ、む。速――」
「こんなものか、人間、ならば死ね!」
二度のフェイントを交えながら、天高くから核熱剣を振り下ろす。
その中に含ませたのは、超超恒温に耐える結晶繊維。
熱エネルギーだけではなく、物理的な破壊力すらも高めた一撃。
それは木材で羽虫を叩き潰すがごとく――。
「終いはお前じゃよ。土竜」
時を数え終えた悪鬼が、冷めた目で貫手を放つ。
剣VS掌。
白刃取りされた核炎剣はもう、ピクリとも動かなくて。
「なんっ……」
「せっかくの不定形を掴めるようにしてどうする。まったくもって悪手じゃわい」
雷光を迸らせる腕、その動きに狂いは無い。
だがそれはおかしい筈だと、黒塊竜が口を開く。
「なぜ、だ……?どうして動ける……?」
「儂が纏う魔法十典範を忘れたか?空気ごときで弱体化する訳がなかろう」
『《天空を統べし雷人王》』
バッファの魔法十典範から派生させたこの魔法は、肉体へ直接的に作用する。
その対象が術者ならば、その生物に定められた性能限界を破壊。
生物として必要不可欠な呼吸や新陳代謝すら無視し、魔力が続く限り肉体を強化し続ける。
そして、効果はそれだけではない。
「なんだこれ、は?剣ど、ころか指すr、う、ごぉごごお、か――。」
「口もじゃろう?そろそろ痺れが廻る頃じゃからな」
ホウライは知っていた。
匂いで性能を計れなくとも、黒塊竜の鱗が魔法十典範の破壊力を弾き返す性能であると、気が付いていたのだ。
だからこそ、腕に纏わせた雷光は遅行性。
表面からゆっくりと浸透する雷光が破壊するのは、肉体を動かす命令系統たる『生体電流回路』。
「お前ほどの高位竜を普通に殺しても、直ぐに復活するのがオチ。それも、儂に適応進化した状態でな」
「……く」
「竜は肉体エネルギーを用いて転生する。じゃがな、殺す前に身体の大部分を削ぎ落してしまえば死ぬしか無かろう《万雷切刻》」
キィィィン……と甲高い音を発したホウライの右腕。
腕という原形を留め居ないソレが振るう軌跡は、巨大な鎌のように弧を描く。
「がぁッ」
「竜は好かんな。どうしても、いじめみたいになってしまう」
四肢、尾、翼、角を切り落とされ、生命維持に関係ない臓器も全て切除。
そうして出来あがった残骸へ、ホウライは別れを告げた。
「じゃあな。万が一生まれ変われても、穴ん中で大人しくしていろ」
「で、きぬ、約束だ、な、なぜなら――」
「そうか」
裂き込んだホウライの貫手が触れたのは、黒塊竜の心臓。
そしてその脈動へ、天空を統べし雷人王を絡めて、握り潰す。
それは、万が一など起こりようがない、確実な死だ。
転生に使用するエネルギーの大部分を削ぎ落とし、それをコントロールする心臓の生体電流すら破壊。
例え高位竜であっても、避けようのない死が待っている。
「さて、次は……」
後は、余ったエネルギーを暗香不動で吸収でもしておくか。
そんな事を思いつつ、『本番』へ視線を向けようとしたホウライは――、眼下にて蠢く無数の『月希光を覆う黒塊竜』を見て戦慄した。
「……なんじゃ、これは」
「「「「「”我ら”が希望だ、激怒する」」」」」
「「「「「人類を絶てと、激怒する」」」」」
一刻前まで眼下に広がっていたのは、人間側が行使する蹂躙だった。
さほど時間がかからず竜軍は全滅する、そう思っていたのはホウライだけでは無い。
だが今はもう、そんな考えを改める事すらできない。
残っていた一万のブルファム軍、その大多数は六十万の月希光を覆う黒塊竜によって握り潰されていて。
「貴様らに希望など無いのだ、人間よ。なぜなら希望とは、我が師の事を差すのだから」
意気揚々と飛んできた黒塊竜が言う。
生まれ変わった姿で……、これこそが真なる竜の権能なのだ、と。
「解脱天命・遷移転体。不可思議竜様の実子であらせられる我が師にとって、命を書き替える事など造作も無い」
「なんじゃと……」
「例えばこのように、堰き止めていた命を月希光を覆う黒塊竜へ転生させるとかな」
竜は残った身体をエネルギーに変換して、転生する。
故に、肉体が完全に消滅すると転生できない。
だが、解脱天命の真価は『魂の転生』。
死する瞬間に願った姿への進化、そこにエネルギーの有無は関係がない。
故に、エネルギーを外部から調達してしまえば、転生は成立する。
それも、膨大なエネルギーさえあれば、死した個体を大きく超える転生すらも可能となるのだ。
「なぜなら、『死こそが竜の誉れ。転命こそが竜の希望』。この場に天王竜が居る限り、我らに負けは無いのだ」
次元を裂いて現れたのは、ホウライの目の前に居るのとは別個体の黒塊竜だ。
だが、存在感が明らかに違う。
その佇まいは威風堂々。
それが贋作の中に紛れた唯一の本物であると、ホウライの鼻が鳴る。
「あの天王竜の仕業か。そして儂らが触れた逆鱗とは、ラルバの神の因子が竜の奥義と酷似しておるから……ッ!」
「貴様がどうやって不可思議竜様から権能を奪ったのか。それ自体はどうでもいい。されど、汚名を着せられて黙っているほど、我らは温厚では無いぞ」
転生した黒塊竜、その数六十万匹。
たったの一匹も損耗が無い。
そして、ブルファム軍で残っているのは……、
「……なぁ、そっちのお前。アサイシスはどうした?」
小ぶりに見える黒塊竜へ、ホウライが語りかける。
湧き立つ激情によって、普段使っている老爺の仮面すら脱げ掛けていて。
「アサイシスっすっすか?もちろん殺したっす。……ぞ」
ホウライの足元はもう、見渡す限りの炎で埋め尽くされている。
だから、その答えは分かっていた。
希望を戴く天王竜が行使していたのは、命を堰き止める魔法陣。
死した六十万の竜軍の命を一つ残らず回収し、そして、竜軍の中で最も強き『月希光を覆う黒塊竜の肉体』となって転生。
そして、残されたブルファム軍で最強たるアサイシスであっても――。
「あの女は確かに強かった。だが、多勢に無勢とはまさにこの事。いくら神殺しと言えど、何体もの伯父上に囲まれては一溜まりも無い」
「そうかよ」
「最期は我自ら引導を渡してやったぞ。周囲の森ごと焼き払ってやったわ!」
ホウライの鼻に届く、焼けた死の匂い。
それはもう混じり合っていて、誰の残り香なのか分からない。




