88 魔剣士 vs グレーターデーモン
『オオオオォォォ』
グレーターデーモンは即座に動いた。
女は魔法使いだ。
であれば魔法を発動される前に仕留めるしかない――その考え方は、対魔法使い戦においてきわめて一般的であり、定石だ。
だから、だろう。
『ッフグッ』
斜めに振り下ろしたグレーターデーモンの一撃を紙一重の体重移動でかわし、か細いと見えた女の拳がグレーターデーモンの腹に突き刺さっても――まだこの悪魔には、なにが起きたのかわからなかった。
顔面に「?」を貼り付けたまま、グレーターデーモンはその場に立ち止まる。
下を見ると、大量の血が腹からあふれている――女の手が、ごっそりと腹を削り取っていた。
『オオオオ!!』
女はすぐ背後にいる。
痛覚を遮断し、グレーターデーモンは蛇の尻尾を使う。
3匹いる。
どれか1匹でも女に噛みつければいい。かすり傷でもいい。わずかに血液中に潜り込めば巨人ですら前後不覚に陥る強烈な神経毒だ。
「尻尾はもうねェよ。図体がでけェとそんなこともわかンねェのか」
『!?』
血にまみれが女の手が、3匹の蛇の最後の1匹を放り投げるところだった。
いつちぎられたのか。それすらもわからない。
『――――』
このとき初めて悪魔は恐怖した。
予兆はあった。
2000年ぶりに感じた悪寒。だがそれを無視して戦った。悪魔にとって主君の命令は絶対だからだ。
踏んではならない虎の尾だと、今さらながらに思い知った。
本来、悪魔は利己的な生き物。
主君に忠義は尽くすが、自分の命を犠牲にすることはできない。
銀髪の女が、血に濡れた手をこちらに向けた瞬間――悪魔は無数の黒い塊に変わった。
無数のコウモリだ。
コウモリは一斉に飛び立つ。
女の手から放たれた炎の塊が数十頭焼くが、それらは黒い霧に変わって消えた。
「…………」
美しい顔が不快げにゆがめられる。
女も知っているのだ。
この中に本体は1頭だけ。広域攻撃魔法を使っても半分を焼けるかどうか。
本体が逃げ切れば悪魔は生き延びる。
『ククク……貴様がいくら強くとも、悪魔の寿命は永久だ。貴様が窮地に陥ったとき、貴様が老いさらばえたとき、我は現れよう』
どこからともなく悪魔の声が響いてくる。
『この恐怖の対価は高くついたぞ!! 確実に貴様の命をもらう!! 貴様の魂をもてあそんでくれるわ!! 悪魔の恨みは深――ふごあっ!?』
コウモリの1頭が、地面に落ちてきた。
腹にめり込んでいるのは、パチンコの弾丸だった。
■ ■ ■
僕は走っていた。
もう、限界。と25回くらいは思っていた。でも走った。リンゴのことが、エリーゼのことが気になっていた。ふたりにもし、もしものことがあったら――。
「ダメ、だ、ダメだ、そんなこと、あるわけない!」
僕が第4のホールにたどり着いたとき、黒い霧が広がっていた。
頭からスッと血の気が引く。
倒れたままのエリーゼとリンゴ。
それにモラが――モラの腕が血まみれだった。
マントにも血がべったりついている。
モラの顔がゆがんでいる。
悪魔のせいだ。
「んのやろおおおおお!!」
僕は即座に弾丸をパチンコにつがえる。
無数のコウモリ。だけれど本体は1頭だけ。それは――すぐにわかった。
ニオイがするのが、1頭だけだったから。
聖銀製のパチンコから放たれた弾丸は、対悪魔武器として高い威力を持つ。
弾丸を腹にまともに食らったコウモリは、弾丸に押されるまま20メートルくらい吹っ飛んで、地面に墜落した。
びくん、びくん、と動いている。
「……ったく、ノロットォ。お前ェの鼻も規格外だなァ……」
モラが呆れたように笑った。
あれ……モラ、ケガは? 痛くないの?
エリーゼは治癒済みで、モラが圧勝ペースだったということをすぐに説明されて、僕はどこかに隠れたい気持ちでいっぱいになった。恥ずかしすぎる。仇討ちくらいのつもりだったのに……。
コウモリが落っこちるや、モラの魔法が放たれて灰も残らなかった。同時に、雲霞のごとく湧いていたコウモリの大群も消えた。
「エリーゼはしばらくそっとしておいたほうがいいだろォな。リンゴ、お前ェさんも動けねェだろォ?」
「……もう少し、時間がかかるようです」
魔力さえ供給されればさ壊れた腕や脚は治せるらしい。すごい機能だ。そして肝心の魔力も、復活したモラによってじゅうぶん供給された。
エリーゼはホールの真ん中で眠っている。かなり無理をさせてしまったらしい――そんな彼女を、モラはエリーゼのマントでさっと隠してしまったが。
「モラ様……それが本来のお姿なのですね。やはり、お美しい」
「ケッ、おだてたってなんも出ねェよ。どォやら俺っちといちばん付き合いの長ェ野郎は俺っちを男だと思ってたよォだが」
「それはモラの言葉遣いが問題なんだろ……」
「美形で鳴らした魔剣士様をつかまえて、むさ苦しいマッチョを想像されてたのかと思うと悔しくてなァ」
「しょうがないじゃん!? モラだって訂正しなかったし!」
「めんどくさかったからな」
「なにそれ……」
僕は悪くない。だよね?
「…………」
「ん、リンゴ。どうかした?」
「――あ、いえ……なんでもありません」
どこか寂しそうな顔をしたリンゴだったけれど、すぐに元の無表情に戻った。
リンゴにしては珍しい顔だった。リンゴって、無表情か、切れてるか、変態ヅラの3種類で90%以上回してるからね。
「リンゴォ、お前ェさんはエリーゼが起きるのを待って、後からついてこォ。この奥に転移魔法陣がある。それにのれァ王宮に出る。宿で集合としよォや」
「え? ちょっと待って。モラは先行してどうするの?」
「俺っちはアラゾアと蹴りをつけなくちゃなるめェよ」
「そっか……因縁の対決が、ついに終わるんだね」
「なに他人事みてェなこと言ってやァがる。お前ェも来るんだよ」
「へ?」
「鼻が利くお前ェなら、すぐにアラゾアのところに行けるだろ?」
ニッ、と笑うやモラは僕の腕をつかんで歩き出す。
「あ、ちょ、ちょちょっ、ちょっとモラ!? 戦うのは無理だからね!?」
「頼りにしてるぜ、相棒?」
「そんなぁ!」
「――俺っちの裸をガン見したんだから、そんくれェ働け」
「…………はい」
それを出されると負けるに決まってるじゃないか……。




