86 五大樹遺跡(6)
おそらくこの通路の先に、モラの身体がある。
僕は、疲れた身体にムチ打って走り出そうとした。
パチ、パチ、パチ……。
控えめな拍手が背後から聞こえた。
「やっぱりねぇ……おかしいと思ったのよ。モラ様の『翡翠回廊』を攻略した冒険者が、私のいる町に来るなんて、偶然の一言じゃ済まされない」
振り返ったそこに——小部屋に、立っていた。
魔女が。
光沢のあるドレスは身体にフィットするタイプのもので、角度によって様々な色に輝いて見えた。
ネックレスには大粒のダイヤモンドがいくつもくっついている。
顔を——ちゃんと見た。
悩ましげな瞳の下には泣きぼくろ。
紅を差した唇はなまめかしい。
きめ細やかな初雪のごとき白い肌。
プラチナブロンドの髪は艶めいていて、彼女の背で揺れていた。
とんでもない美人だった。
こんな非常事態じゃなければ、僕は彼女をずっと見ていたいと思うだろう。そして願わくば言葉のひとつも交わしたいと思うだろう。
だけど今は非常事態だ。
リンゴとエリーゼは今も戦っているはずだし、僕は——アラゾアをだませたと思っていたのに、彼女は疑ったままだった。
アラゾアは疑り深かったんだ。僕が考えていたよりもはるかに。それくらいできなければ、悪魔を手玉に取って何百年も生きるなんてことできやしない。
「悪魔の気配を感じて来てみれば……。案の定、ここに来たってわけね……まさか悪魔の防衛も抜けてくるとは思わなかったけど」
正確にはまだ悪魔はいるはずだけど、それを丁寧に教えるつもりもなかった。
「さあ、教えてちょうだい。どうしてあなたは私をつけ回すの? どうせ、魅了の魔法も効かなかったんでしょう」
「…………」
な、なんて魅力的な声なんだ……。
ずっと聞いていたいくらい。
僕の背中につけられた魅了避けの刻印が、熱い。
ふつうにしゃべるだけで魅了できるのか、この魔女。ずるすぎる。
「だんまりってわけ? それなら実力行使しても——」
「ちょ、ちょっと待って。僕は——『翡翠回廊』の最奥で、僕より先に誰かが来たのに気づいたんだ。僕より先に誰かが踏破していた。だから、その人物が最重要の秘宝を持ち去ったんじゃないかと……」
「ウソをつきなさい!!」
怒鳴られた。
怒鳴り声も素敵だ。もっと怒鳴って欲しい——じゃなかった。危ない危ない。心まで持ってかれる。
「私の痕跡なんてあるわけないでしょう。あそこに入ったのはほんの短い時間。しかも私の本名を知っているのは悪魔だけ」
用意周到なアラゾアのことだ。
念入りに自分の痕跡を消している。
悪魔から逃げるためにね。
でも……だ。アラゾアだって完璧じゃない。
その証拠に、ニオイが残っていた。僕みたいな「才能」を持つ人間の対応までは考えられていない。
じゃあ、どうする。なんて言えばいい? どうやってしのいだらいい?
くそ、こういうときに話を聞きたいモラに、今聞くことができない。
モラは今、僕のマントの中で息を潜めている。
モラの存在を知ればアラゾアはなにがあってもモラを奪おうとするだろう。いまだに「モラ様」とか言ってるんだよ? モラをどうする気かはわからないけど。
いや、モラだって抵抗する。
僕になにかがあればすぐさま魔法を撃ってくれるんだろうけど――。
それは、ダメだ。
モラの身体を取り返すことが最優先。
モラを危険に晒すことは、最優先からいちばん遠ざかることだ。
ここは、僕がひとりでなんとかしなくちゃいけない。
「やっぱりだんまりなのね? わかったわ。それなら——」
「……資料が残っていた」
「はあ?」
「ムクドリ共和国には、資料が残っていたんだ。700年以上も前のものだけど」
「あるわけがないわ。魔剣士であるモラ様の名前が出てきたのは『翡翠回廊』ができてからだと調べがついてるのよ。どうして『翡翠回廊』の位置が知れ、モラ様の名前が知れ渡ったのかは知らないけど」
それは、カエルになったモラが冒険者に言ったからだよ。
「取引記録だ」
「翡翠の取引記録は抹消したわ。モラ様がそう言っていたもの」
マジかよ。モラまで用心深いんだな。
「……石材だよ。翡翠回廊を構成している石材。その取引記録が、ムクドリじゃない別の地方にいくらか残っていた」
もちろん、ウソだ。
だけれどアラゾアにはそれがウソだと見抜く手段はない。
このウソは通用したみたいだ。
「で? そこに私の名前があったというわけ?」
「いや、なかった」
「はあ?」
「当然あなたたちが直接購入したりはしないだろう。だけど、購入代理人の名前はある。そんな名前は10を超えていた。1つずつしらみつぶしに当たった結果、1つの名前に行き当たった。サパー連邦ロンバルク領にいたという名士だった。彼の日記が、きわめて保存状態のいいまま残っていたんだ。僕はそれを当たった……すると、彼も又聞きだったけれど、魔剣士と魔女の組み合わせについての記述があった」
「…………」
「魔剣士の名前はなかった。でも、魔女の名前は、アラゾアと記されていた」
我ながら危うい綱渡りだ。
もうなにからなにまで全部ウソだからね。
でも、ウソをつく人間というのには共通点があるらしい。
ウソがヘタな人間は目をそらす。
ウソがうまい人間は、相手の目をしっかり見て話すらしい。信じて欲しいと無意識にアピールするために。
そこまでわかった上で、僕は記憶をたぐり寄せるようなふりをして話す。
もう、めちゃくちゃ頭使った。
こんなに短時間でこんなに頭使ったのなんて、今までないくらい。
「調査の方法を変える。資料を掘りまくる。僕にできる事前準備はそういうことだったんだ。そうでもしなきゃ『翡翠回廊』を踏破なんてできなかったよ」
「…………」
「石材の取引、魔剣士とセットでいた魔女の存在、アラゾアという名前——ダメ元で『魔女の羅針盤』を使ってみる価値はある……そうじゃないか?」
「それは——」
信じろ、信じろ、信じろ。
せめて敵だと認識されなければいい。
モラを隠し通し、できればさっきの悪魔を引っ込めさせれば僕の勝利だ。
「……おかしいわ」
ちょっとした沈黙ののち、アラゾアが言った。
「え?」
「700年も前の魔女が今、生きているはずがない。どうしてあなたは私が生きていると知ったの?」
今度はヤバイほどの警戒心をにじませている。
「だ、ダメ元だと言っただろ。僕だって……生きてるなんて思わなかった。信じられなかった」
目の前のあんたが、700歳超えのおばあさんだなんて今でも信じらんないよ。
「同名違人かもしれない。ただ、確認してみる価値はある……と、それだけの軽い気持ちだった。どうやら、本物だった……ということか?」
「ええ……」
ちら、とアラゾアは僕が開いた隠し通路を見る。
あーっ、もう! 僕がそこを開ける前に来てくれよ! ほんとタイミング悪いな! モラの身体移そうとか思うなよ……思ってくれるなよ。
「モラ様の残した秘宝が欲しいのね?」
「……まあ」
「なら、それを上げればあなたはどこかへ消える?」
ん……?
アラゾアが妥協案を出してきた?
どうしてだ。アラゾアのほうが圧倒的に有利なはずなのに。
そうか!
アラゾアは僕を「相当腕の立つ冒険者」だと考えてるんだ。いや、そうであってもおかしくないと警戒している。
で、アラゾア自身の戦闘能力は低いんだ。
魅了と召喚が得意なわけだし。
僕と戦うにしても、魅了が効かないなら——いや、ほんとうは効くんだけど勘違いしてる——召喚魔法を使うしかない。
でも、それを使わない。
なぜか?
秘密通路だ。
この先にあるはずの、モラの身体。ここに行かせたくないんだ。
戦いになれば絶対に影響が出る。僕が通路に逃げ込む可能性もある。
アラゾアは瞬間移動の魔法が使えないに違いない。使えるのなら、とっくに通路を塞ぐようにして立つはずだ。
ここに現れたのも、だとすると転移魔法陣を使ったはずだ。王宮内にあるはずの。
それがわかったとして——どうする?
今、リンゴたちが戦っているはずだ。それを放っておくのか?
さっきの悪魔を退けてくれとお願いする? いや、アラゾアは僕が倒したと勘違いしている可能性もある。だから強硬手段を採りたくないのかも。
くそっ。リンゴ、エリーゼ、もうちょっとだけ時間を……。
「わかった。それでいい」
僕は、アラゾアの提案を受け入れるふりをした。
「そう。それならその転移魔法陣にのって」
「……転移先は?」
「“まだ”王宮内よ……どうせこの遺跡が、私の創ったものだってわかってるんでしょ? モラ様の様式を真似たのに、こんなに簡単にクリアされるなんて……」
まあ、そのモラ様がこっちにいるし。
「信用できないなら私が先に入る。ついてきなさい」
そうしてアラゾアは転移魔法陣にのると——すぅ、と消えた。
僕はアラゾアの後に続く——続こうとした。
すると、マントの中から声が聞こえた。
「お、おィ、ノロット! なにアラゾアの誘いに乗ってンでェ! このまま俺っちの身体を——」
「待って、モラ。アラゾアは僕が行かなかったらすぐにまたここに戻ってくるつもりなんだよ。つまり、ここに飛べる転移魔法陣は、この転移魔法陣の飛び先のすぐそばにあるはずだ」
「をん? な、なァるほど……」
僕がそれに気づいていないふりをする。
そしてアラゾアに中座させられれば、またここに戻ってこられる。
アラゾアを追い払うための言葉をいくつも僕は練りながら転移魔法陣にのった——。
のだけど。
事態は、僕の思いも寄らない方向へと転がっていく。
「な、なんで……」
飛んだ先は、暗い、小さな部屋だった。
木材で造られた一室は、パラディーゾ王宮の一室を思わせる。
目の前にいたのは驚愕に顔をゆがめるアラゾア。
僕に驚いたのか——と思ったけど、違う。
僕だって気がついた。
あたりに立ちこめる、異様な気配。
そして、ドンッ……と足下が揺れた。次いで、ぐらぐらぐらと揺れが続く。
「な、なにが起きてるん——」
「あああ、どうしてよ!?」
動揺したアラゾアが木窓を開く。
その先に見えた光景に、僕も絶句した。
木々の切れ間から見える夜空——そこに浮かんでいる巨大な目。
悪魔……それも、さっきの悪魔とは比べものにならないほどの威圧感。
「あなた! ここにいなさい! しばらくしたら秘宝を持たせて使いの者を寄越すから。いい? 出歩こうだなんて思わないことよ。パラディーゾの王宮内なんだから、あなたが出歩いたことがバレれば、衛兵に取り囲まれてすぐに連行される」
「わ、わかりました」
アラゾアはきつい口調でまくしたてると、僕を置いて部屋を飛びだしていく。
「……行ったかァ?」
「うん。予想外の展開だった」
でも——この非常事態は、僕らにとって有利だ。
僕がなにかを言うまでもなくアラゾアが勝手にどこかに行ってくれたからね。
僕はアラゾアのニオイをたどる。そしてすぐに隠し扉を見つける。
その先にあったのは転移魔法陣だ。
もちろん、迷うことなく足を踏み入れた。
僕は、つい先ほどいた小部屋に戻った。僕が開いた秘密通路もそのままだ。
「走れェ、ノロット!」
「わかってる!」
今は、1秒だって惜しい。
そして僕はついに到達する——アラゾアの隠し部屋に。
いや、隠し「部屋」じゃないな。
この広さ……「第5のホール」と言っていいかもしれない。
そこには無数の棺桶が並んでいたんだ。




