62 青海溝 最奥(前)
「ふう……」
王海竜が去っていったデカイ穴を見て、僕はため息をついた。
ほんとうに竜を撃退したのか。
僕らが。
実感がなかった。竜は――魔物専門冒険者ですら超一流の場合に限って、その一生を終える前に一度倒せるかどうかというほどの希少性を持っているのに。
「やるじゃないか」
ネコミミローグさんが僕の肩にポンと手を載せてくれる。
「なんとか、まあ……ぎりぎりでした」
「俺たちは出る幕じゃなかったから、応援だけしていたよ」
「はは……」
ローグは確かに、こういう戦闘じゃどうしようもないよな――と思っていると、
「プライア様!」
魔力を使い果たしてプライアが倒れる。
「ひっく、えぐ……」
真っ先に命を落としたジェドのそばで魔法使いが泣く。
完全勝利ではなかった。
冒険は危険と隣り合わせだ。
プライアは蘇生の魔法を使える状態じゃないだろう。となればジェドは、もう戻らない。いや、今から使ったところで蘇生はできないかもしれない。王海竜の凍結魔法で肉体は痛んでしまった。
遺跡の途中で冒険者が命を落とした場合、遺体を持ち帰れることはほとんどない。
遺髪を切り、簡単に運べる遺品を選ぶ。
その程度だ。
装備品だってパーティーメンバーで使い回しができるもの以外は置いていかなければならない。遺跡の踏破が終わった帰りなら無理してでも持っていけるだろうけど。
プライアが目覚めたのはそれから2時間後のことだ。
彼女は魔法使いに、蘇生魔法が使えなかったことを詫びる。泣き疲れたのか、納得できたのか、魔法使いはただうつむいていた。
埋葬もできないが死体を放置するとアンデッドモンスターになる可能性があるので魂を浄化する必要がある。
簡単な魔法だ。魔力がわずかでもあれば、詠唱するだけで誰でも使用できる。
紙片にして5枚程度。読み上げると1分くらいかかる。
僕らは全員でジェドを送り出す呪文を読み上げた。
冒険者パーティーのならいだから。
『――生きとし生けるものの定命、死出の旅につく者よ、我らの声を聞いて安らかにその旅をゆけ――』
僕は考える。
「黄金の煉獄門」にいた、タラクトさんたちのパーティーメンバーはその後どうなっただろうか。タラクトさんたちは無事に、メンバーを浄化できたんだろうか。
いつか僕も、遺跡の中でのたれ死ぬかもしれない。
王海竜と戦った興奮状態はとっくに冷めて、揺り戻しの恐怖、そして倦怠感が僕を包んでいる。
『――魂は不変にして永遠、我らの友よ、さらば――』
詠唱の途中から、金色の光が、粒となってジェドから立ち上っていた。
詠唱が終わると光が止んだ。
僕らは大空洞を出発して最奥を目指した。
王海竜のいなくなった跡には竜の鱗が落ちていたのでそれらは回収済みだ。
現在のメンバーで分けると、ひとりあたり10枚弱。
竜の鱗は先ほど戦ったように魔法を弾き、金属を通さないから非常に高値で売却できる。自分で使ってもいいかもね。
今の時刻は夕方の5時だ。このまま歩けば今日中に「63番ルート」の最奥にたどり着ける。
この先に巨大な空間もなければ小規模の部屋もないから、ただひたすら僕らは歩いた。
いくつか枝分かれするルートがあったけれど無視だ。
モラのことを聞かれるかと思ったけど、特になにも言われなかった。
とりあえず最奥にたどり着きたいって気持ちだろうか。
「……おかしいですね。変なニオイがします」
僕が言うとプライアが反応した。
「変、とは……」
「乾燥したニオイです」
ここは海底のさらに下に位置している。
湿りすぎて服がカビてくるんじゃないかと心配してたくらいなのに。
僕の疑問はすぐに解けた。
「なんだ、こりゃあ……」
「少なくとも、今までこんな場所はなかった」
先頭を行くローグふたりが絶句する。
続いた僕らも驚いた。そして警戒心が一気にふくれあがる。
洞窟じゃ、なくなったんだ。
いや、なに言ってるのって感じだよね? ここが「海底のさらに下」だってさっき自分で納得したくらいなのにね?
でもさ――そのまま言葉通りの意味なんだ。
足下は完璧に整地され、石畳になった。
壁も漆喰が塗り込まれている。
天井も低く、僕がジャンプすれば届きそうなほど。
「!」
天井に、等間隔に空いていた窪みから、急に光が降り注いだ。
蛍光石かもしれない。柔らかいけれど冷たさを感じる光。
ずうっと奥まで道は――道、というより「廊下」? は続いている。
「マップでも確かに真っ直ぐ一本の道が伸びていますね」
「ゲオルグさんが手を抜いてマップを描いたのかと思ったんですけど、違いますねこれ。実際に真っ直ぐの通路だったんですね……」
「どうしますか、ノロットさん」
「行くしかないでしょう。これだけ見通しがよければモンスターがいてもわかりますし」
「なにかニオイます?」
「いえ……あ、いや」
「?」
「……いえ、今のところは」
僕はそのとき、ほんのかすかに妙なニオイを嗅ぎ取ったのだけれどそれは言わないでおいた。
確信が持てるようになったら言えばいい。
廊下を進んでいく。
ローグのふたりはトラップがないかどうか猛烈に警戒している――けれど、ゲオルグさんが一度通っているはずだから、ここにトラップはないだろうという予感もあった。
そして実際、トラップはなかった。
僕らは「63番ルート」の最奥に着いたのだ。
鉄の扉。
上に、「63」という数字が書かれている。
ここが最奥「設計室」のはずだ。
全員、違和感を覚えている。
海底炭鉱の最奥にある、整備された通路。
人間が通ると明るくなる――なんていう、贅をこらした邸宅にしか設置できない魔法照明。
それに設計を行うはずの“設計室”が、“なぜこんな場所にあるのか”という疑問。
「開けるぞ」
ローグがドアの調査を終えると、中からなにかが飛び出してくることを警戒してロンが前に立つ。
鉄扉は開かれた。
 




