4 窃盗犯、ノロット
「さて、それじゃリンゴ——服なんだけど、ちょっと派手すぎるから明日なにか買いに行こう」
「あ、左様でございますね。これではノロット様より目立ってしまいます。ではこのドレスはトウミツ様に返しましょう」
「……ん?」
大事なことに気がついた。
「リンゴは、トウミツさんのところから出てきたんだよね?」
「はい」
「断りは入れてきた?」
にっこりと、花が開くような笑顔をリンゴは浮かべた。
「もちろん。……してません」
「ぬあー!」
それってアレじゃん! ここにリンゴがいることがバレたら、僕が盗んだみたいじゃん!
「おィ、ノロット。外見てみ」
いつの間にか窓のところにいたモラ。
見下ろすと、深夜だと言うのに、松明をかざして男たちがなにかを捜索している。
五人くらいの一団がこのホテルに入ってくる。
最後のひとりがこちらを見上げた。
「――あ」
トウミツさんのお屋敷にいた、使用人の、あの人だった。
目が合った。
「うわああ! めっちゃ走って入ってきたよ!」
「ノロット様に会いたくて仕方ないのでしょうか?」
「んなわけあるか! リンゴを探しにきたんだよ! やばいやばいやばい、どうしよ! 僕が泥棒になっちゃう!」
とか言っているうちに、廊下が騒がしくなってきた。こんな夜分に困るという支配人の声と、ここの客人が重大な罪を犯した可能性があると言う使用人の声が聞こえてくる。
やがて、この部屋の前で、足音は止まった。
「困ります! いくらトウミツ様がお困りであっても、当ホテルでこのような――」
「犯罪者を匿うというのですか、このホテルは」
「なんの確証もなしにそのようなことを!」
「証拠はないが疑惑はある!」
廊下でやいのやいのと言っているそこへ、扉は音もなく開いた。
言い合う支配人と使用人、そのふたりを取り巻く人々は動きを止めた。
「――なんの騒ぎですか。こんな夜更けに」
「こ、これはノロ……お客様」
僕の名前は秘密にするよう言ってあったので、支配人はぎりぎりのところで言い直した。
イヤほんとギリギリだったね! 気をつけてよ!
「ああ、あなたはトウミツさんのところの使用人ですね」
僕は動揺を上手く隠して(舞台俳優並みの演技だ)使用人のほうへと顔を向けた。
僕からすると見上げるほどの上背だ。
お昼には、どこか冷たい感じがした目に、今は怒りが宿っている。
正直怖いんですが……。
「トウミツ様のお屋敷から“さる格式ある家の令嬢”が無断で外出されましてね。今我々は彼女を探しています」
令嬢と来たか。
オートマトンと言っても誰も信じないだろうし、妥当なウソだね。
「おたずねしますが、彼女はこの部屋に来ていませんか?」
「来ていませんね」
「それは確かですか?」
「確かですね」
「…………」
疑惑の視線を向けてくる。
ううむ。
まぁ、魔法宝石を持ち込んだのは僕だ。魔法宝石を利用して(なんかこう従属の魔法みたいなのを仕込んで、とか)オートマトンを盗み出したと思われてもおかしくはないんだよね。
「では聞きますが――」
「ちょっと待ってください」
やられっぱなしじゃないぞ、こっちだって。
「深夜にこのような騒ぎを起こす無礼を、僕は寛大な心で理解を示そうとしました。冷静になってください。あなたのしていること……なんの証拠もなくずかずかと由緒あるホテルに乗り込んでくる行為は、トウミツさんの顔に泥を塗ることでもあるのでは?」
すると支配人が、我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「このまま帰るのであれば僕は事を荒立てたりはしません」
「――チッ」
苦々しく舌打ちをする使用人。小声で「運良く大金つかんだだけのくせに」と言われた気がしたけれど、僕は寛大な心で理解を示し、聞かなかったことにした。死ねバカ。
軽く支配人と視線を交わすと彼の目に感謝がにじんでいた。うんうん、僕もうれしいよ。あなたは僕を守ろうとしてくれたしね。
「あのー、ちょっと前にこの部屋に女の人が入っていくの、見ましたけど」
とそこへ、爆弾が落ちた。とある女性従業員の這う幻である。
「ど、どういうことだね!?」
支配人が驚いてたずねると、
「えっと、すごくキレイな女の人がこの方のお部屋に入っていって……」
「…………」
支配人。さっきまでの感謝ににじんだ目はどこへ? 僕、そういう人を疑うような目は嫌いだなー。嫌いだなー。
「やっぱりここに来ている――」
使用人が動き出す――その前に僕は口を開いた。
な、な、なにか、なにか言わなくちゃ!
「かかか買ったんです! 買春です!」
口を突いて出たのは、そんな言葉だった。
しーん。
人はいっぱいいるのに、めっちゃ静まり返った。
「買った……?」
お前の家は留守の間に火事で燃え尽きたよ、とでも言われたみたいな顔で支配人が聞いてくる。
「お、女を買ったんですよ……」
まだ信じ切れていないのか支配人が重ねて聞いてくる。
「しかし、お客様……」
「お金ならあるんです!」
はい、ゲス。
ゲス発言。
こんな言葉を聞いたらもうそいつとは口を利きたくなくなるレベルのゲス。
「僕はっ、性欲が高まるとなにしでかすかわかんないんですよ! だから買ったんです! わかりますか!? わからないですか! じゃあ黙っててください!」
もう後戻りはできない。
言った。言ってやった。言い切った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
人間は残酷になれる。それは簡単なことだ。自分自身を安全圏に置いて、ただ軽蔑の視線を向ければいいのだから――うおおおおいいいいいいドン引きしすぎじゃないですかこれ!?
「で、では……僕はこれで。部屋に戻りますから」
大理石よりも硬い沈黙に包まれた廊下から、僕はいち早く脱出した。
「ぶっひゃひゃひゃひゃ! あはははは! ひーひーひー!」
一部始終を聞いたモラが笑い転げてた。今日は疲れることの連続だ。今はとにかく寝たい。その一心だよ――。
「……リンゴ、なにしてるの」
そこは僕のベッド。リンゴはすでにそこにいた。シーツで身体を覆っているけれども、見ればわかる。下は裸だ。
「その、ご主人様が、そんなに性欲が昂ぶっていらっしゃるとは思いませんでした。わたくしでよければ存分に可愛がって――いえ、性欲のはけ口としてご利用くださいませ!」
もっと疲れる展開が待っていた。
予定とはだいぶ違ってきていた。これはよくない兆候だと思う。本来は「目立たず」「速やかに」「『黄金の煉獄門』を踏破する」ことが目的だった。
「“冒険者ノロットはストームゲートに来ると言っていた。でも、来なかった”」という形になるのが理想だったんだ。
「難しいお話ですね……」
朝。
眠い目をこすりながらいろいろと説明をする僕とは逆で、リンゴはまったく眠そうな様子を見せない。
昨晩あれだけ「抱いてください」「黙れ」「抱いてくださいませ!」「黙れ!」というやりとりを繰り返したというのに。オートマトンだからなの?
「オートマトンは眠る必要がないのです」
「あ、そう……」
聞きたくなかったなー、その言葉。毎晩戦争するのなんて僕はイヤだよ。
僕らの前には朝食が置かれてあった。部屋まで運んでもらったものだ。
なみなみとコップに注がれた山羊のミルク。果実のミックスジュース。バターたっぷり焼きたてのパンは山のように積まれている。根菜とベーコンを煮込んだものに、香辛料がかなりきつめに振られているスープ。香辛料まみれの羊肉は強火で焼かれたもの。
朝から豪勢だ。豪勢なお食事、僕だーいすき!
「難しいけど、順を追って聞けば理解できる話だよ。僕がトレジャーハンターだということはわかったよね?」
「はい。ひとつ訂正いたしますが、『とても優秀なトレジャーハンター』でございますね?」
ね? じゃないって。無駄に話の腰を折らないでよ。
まあ合ってるけどね! 正確には「未来のとても優秀なトレジャーハンター」だけどね!
あっははははは。
はあ。
リンゴがにこにこしている。やりづらいです。
「ストームゲートに来る前、700年もの間、踏破されなかった遺跡を僕は踏破してきた……とは言っても、造った本人が手引きしてくれたからね」
窓際が気に入ったのか。果実を盛った小皿を傍らに置いて、モラは外を眺めている。時折舌を伸ばして果実を口にしてはしょりしょり食べている。
「モラが現役だったころに造ったんだよ」
そう。「魔剣士モラの翡翠回廊」は、トラップとモンスター満載の高難度ダンジョンだった。モラがいなければ僕に踏破は不可能だったよ。
とはいえ、モラが造ったころから700年も経ってる。あちこちガタがきていて、モラの手引きがあっても簡単には踏破できなかったんだけど――それはさておき。
「え……モラ様は700歳でいらっしゃるのですか?」
「そういうことになるね。カエルの年齢は見た目じゃわかりづらいけど」
「そ、そうは見えませんが……」
「600年を過ぎたころから金色に光り出したとか言ってるけど、どこまでほんとかはわからないし興味もない。それで――翡翠回廊を踏破した僕らの前に現れたのは善人ばかりじゃなかったんだ。僕がお宝を持ってると踏んで、襲ってきた連中もいた。その中で一番厄介だったのが、『昏骸旅団』……そんな名前の盗賊団はほんとうにしつこかった」
僕が身震いして見せるとリンゴの表情も引き締まる。
「僕はムクドリ共和国を出るときに『次はストームゲートの黄金の煉獄門を踏破する』と宣言したんだ。ふつうに考えれば昏骸旅団も追ってくるよね? でも盗賊だって考える。『ノロットがわざわざ宣言したということはストームゲートに行かないのでは?』」
「あ、なるほど――裏をかいたのですね! 行くと宣言し、違うところに行くと見せかけ――ほんとうに来てしまう! すばらしい、妙案でございます」
「だからさ、『実際にはストームゲートに来なかった』というのが重要なんだ。そうしたら昏骸旅団は違うところを探すだろ? あるいはあきらめてくれるかもしれない」
「くくッ。ああいう手合いは『あきらめる』ってェ言葉から一番遠いとこにいるぜ」
振り返ったモラが笑う。
「さァさ、朝飯食っちまいなァ。トウミツの手下はホテルの周囲をうろついてらァ」
「げっ」
窓から見下ろすと、地上にはこの部屋を見上げている人影が2、3いる。わざと見せつけてるんだろうか。そんな気がする。うーわー、感じ悪いー。感じ悪すぎー。
「とりあえず、俺っちたちがやらにゃならねェことはふたっつだ。ひとっつ目は、リンゴの服だ。だがこれァなんとかなるだろォな」
モラはパジャマとその辺のレースを組み合わせてしのげばいいと言った。パジャマは目立つが、ドレスよりはマシだ。ホテルを出たらまず服を買いに行こう。
「ふたっつ目は――これが“こと”だが。どうやって、連中にバレずに外に出るかってこった。だが俺っちにもアイディアくれェある。700年生きてるってのは伊達じゃァねェのよ」
「ふぅん……モラのアイディアねぇ」
「ときにノロット」
「ん?」
「ひとっ走り支配人のところに行ってくんねェ。あいつに頼み事があらァ――」
彼らは僕らを監視しているのだろう。昨晩から、ずっと。
だったら――驚くはずだ。
朝食も終わってチェックアウトの時間帯。ふつうならホテルからちらほらと観光であったり旅立ちであったり、宿泊客が外に出てくる頃合い。
それよりも前に来たのは――馬車。
大量の馬車がホテルのエントランス付近にやってきたんだ。
このホテルは格式とか由緒とか言うだけあって、エントランス前には馬車を停めておけるスペースが広めに取られてる。
だけれどそんなものお構いなしに馬車がやってくる。
見る間に馬車馬車馬車馬車馬車馬車で埋め尽くされる。
「わあ、すごいねえ、すごいねえ。お馬車に乗っていいの?」
両手をそれぞれ握られて満面の笑顔の少女が、両親に聞く。
「ああ。ホテルがサービスしてくれたんだ。観光にも、ホエールシップまででも、どこにでも連れてってくれる」
家族が馬車へと乗り込んでいく――そんな光景が、そこここに広がっていた。
馬車と馬車の隙間から、あわてふためく追っ手たちが見えた。
くくく。あわてろあわてろ。
持ってきた服の中で、もっとも軽装に切り替えた僕。荷物の大半はホテルに預けてきた。必要最低限のものと、お金、それにモラをポケットに突っ込んで出てきた。隣には、パジャマの周囲をレースでうまく隠すような形にしたリンゴ。
うーん、目立つ。
でも、馬車がこんだけあれば隠れられるね。
僕らもまた馬車に乗り込む。なるべく馬車と馬車が重なって死角になるようなところへ。頭から、白いふわっとした布をフードのようにかぶってきたので顔も隠せる。
こうして僕らを載せた馬車は出発した。のぞき窓から外を見ると、馬車に取り付いて中をのぞこうとし、警備員ともめている追っ手が見えた。
「ぷはぁ~。うまくいったようだなァ」
僕のポケットがもぞもぞしたかと思うと、中からモラが出てきた。
「うん。結構お金使ったけどね」
ホテルの支配人は、「ありったけの馬車を集めて欲しい」なんていう僕の頼みを嫌がるかと思ったけれど、案に反して協力的だった。……どうやら、僕にさっさと出て行って欲しかったようだ。荷物を預かっておいてと言ったらめっちゃ渋られたからね……。
傷つきますけど。
この馬車はホテルからのサービス、という形にしたほうが僕らは目立たないのでそこも重ねてお願いしておいた。
「よし」
僕は馬車の御者に声をかける。
「この都市一番の繁華街にある、冒険者向けの衣料品を売っているお店へ連れて行ってください。僕らが降りたらしばらく街中を流して、そのまま帰ってください」
これでトウミツさんの手下たちは“まける”。
ストームゲートの自治都市の人口は公称10万人。この中で僕らを見つけるなんて、森に落ちた針を見つけるのと同じくらい難しいはずだ。