28 相棒の目覚め
僕らは走った。走った。走った。とはいえ僕は走ってない。僕はリンゴの左腕で抱えられ、リンゴは右腕でゼルズさんを抱えていた。
気がつけば第2階層へと続く階段を降りていた。そうして最初の部屋にたどり着いていた。
小部屋、と言いたくなる部屋だった。第1階層の広さに比べればね。
一辺が20メートルほどの正方形に近い部屋で、床も壁もしっかりある。驚くべきことには天井もすぐそこにある。3メートルくらいの高さで、圧迫感はない。
「ゼルズ……」
横たえられたゼルズさんの周りにレノさん、ラクサさん、タラクトさんが集まっている。
床に置かれたランタンがゼルズさんの身体を照らし出す。
出血がひどい。
額にふつふつと脂汗が浮かんでいて、顔は土気色になっている。
このままだと命に関わることはみんなわかっている。
「……傷口を見せてください」
僕も気持ち悪くて死にそうで命に関わりそうだったけどそんなこと言ってる場合じゃないことはもちろんわかっていた。
「な、なんで……」
「早く」
レノさんがためらっていたけど、僕は言った。
代わりにリンゴが動いてゼルズさんの防具を外し、上着を開く。
お腹が血まみれだった。
腕や足にも傷はあったけどそこまで深くはない。
お腹が一番まずい。傷は深くて、内臓まで損傷がありそうだ。
「……死者に傷つけられても、呪いなどはかかりません。つまり、傷さえ治せれば大丈夫ということです」
「それができたら苦労しねえよ……治癒魔法の使い手はリオンだった……」
レノさんが口にしたリオンという名前にタラクトさんが反応する。
タラクトさんの恋人……だった人。
そう。
これくらい深い傷になってしまうと治療は魔法に頼るしかない。
「だから魔法を使います」
みんなが「え?」という顔をする。
僕はバックパックを下ろして、中から小ぶりのビンを取り出す。中にはどろりとした薬草を煎じ詰めた液体が入っている。
次に出したのは、両手を広げた程度の紙。文字がびっしりと書かれているけど僕にはまったく読めない。古代ルシア語だから。
これで準備はオーケーだ。
「お前、それまさか……マジックスクロール……」
「ええ」
「そんなものどうし――魔剣士モラか! そうか、モラが作ってくれて」
「違います。買っておいたものです」
「買ったぁ!?」
モラは治癒魔法がそんなに得意じゃない。
できないわけじゃないけど、これほど状況が深刻だと無理だ。
状態異常の治療――マヒとか石化なら治癒できる。
それは、モラが相手をマヒさせたり石化させたりする魔法が得意だからなんだ。
状態異常と、傷の治癒は原理がまったく違う。
さらにスクロールに魔法を刻み込んで誰でも使えるようにしておくのは、難度がぐっとあがるらしい。
スクロールから魔力が消えても使えなくなるので、使用の期限も限られている。
「お前、そんな、スクロールなんて……数万ゲムじゃ効かないだろ……」
そのとおりだ。治癒のスクロールはこの1枚しか持っていない。
「はい」
「はいじゃなくて!?」
「いいから。とにかく治療が先です」
僕が言うとレノさんは黙り込んだ。
まずは水筒の水を傷口にかける。
「うぐっ……」
ゼルズさんがうめく。痛いのだろう。
でもこれくらい我慢してもらわなければならない。
次に薬草をビンから出して振りかける。
「――っうがあああ!?」
激痛に、びくんとゼルズさんが反応する。
「押さえて!!」
僕が言うとタラクトさんとラクサさんがゼルズさんを押さえつけた。
スクロールを開いて、傷口に押しつける。
「ぐぬっ……」
「しっかりしろ、ゼルズ。気持ちをしっかり持て……!」
すごい力なんだろう、押さえているタラクトさんも必死だ。
急ごう。
でも、焦るな。焦らない。
ええと、このスクロールを起動する詠唱は。
『――女神ヴィリエよ、この者に恵みの力をもたらしたまえ。生命の光をもたらしたまえ。この者の生きる前途に希望をもたらしたまえ。女神ヴィリエに、この魔力を捧げる――』
あっつ。
熱い。
めっちゃ手が熱い。
スクロールに押しつけた右手が焼けるほどに熱い。
手の下から光があふれる。
光が満ちていく。
慈愛に満ちた奇跡、っていうのはたぶんこういうもののことを言うんだろう。
スクロールの熱さは止んで、今は身体を芯から温めるような光が室内を満たしていく。
目を開けていられない。
目を閉じると眠ってしまいそうなほど心地よい。
光が止んでいくまで、僕はそうしていた。
目を開ける。暗い部屋に戻っていた。
おそるおそる手を離してみると、スクロールに書かれていた文字はすべて消えていた。
「……すう……」
ゼルズさんが寝息を立てていた。
「やった……のか?」
「油断はできません。これ、治癒魔法でも中級ですから。傷は完全にふさがっていないと思います。でも薬草ごと包帯を巻いておけば、ふさがるはずです」
「は、はは……」
レノさんが脱力する。
「よかった……よかったよ……ゼルズ、お前まで死んでたら……ああ、ああ……」
へたり込んで、汚れと、汗でどろどろの顔に、涙があふれてさらにどろどろになっていた。
ゼルズさんの治療が終わってから散々タラクトさんとラクサさんから感謝され、レノさんは土下座までしてきた。
必ずスクロールの代金は支払うとか、命に替えてもリーダーを守るとか、そういうことをあれこれ言われた。
うれしいけどね。
でもさ、そこまで感謝されちゃうとなんか変な感じになる。
タラクトさんたちにとってはゼルズさんがものすごく大事な仲間なんだろうなってことがよくわかったし、一方で、やっぱり僕なんかはヨソ者だからまだまだ溶け込めてなかったのかな、みたいな微妙な気持ちにもなったし。
ともかく。
僕らに必要なのは休息だったから、それぞれ散らばってゆっくり休んでいたところだった。
「くぁ~~」
モラが目覚めた。
一時的じゃなく、完全に、ちゃんと目が覚めたみたいだ。
「モラ、冬眠しちゃったのかと思ったよ」
「バカ言うなィ。何年カエルやってると思ってンだ。冬眠どころか雪山だって自由に飛び回る金色のカエルたァ俺っちのことでェ」
元気になってる。よかった。使い切った魔力は戻ったみたいだ。
「そンで――こっちはこっちでいろいろあったみてェだなァ」
僕はモラに、モラが寝ている間に起きたことを話した。
「生命の燭台」が機能して模写ができたこと。
ゼルズさんとレノさんがかつての仲間を取り戻そうとしたこと。
模写を続けたこと。
模写が終わってから彼らを助けるために行動したこと。
聖水の大半を失って第2階層まで逃げ込んだこと。
ゼルズさんに治癒魔法スクロールを使ったこと。
僕は結構夢中になって話していたらしい。
近くではラクサさんたちが聞くともなしに聞いている。
割と客観的に話したつもりだから、特に訂正とかツッコミも入らなかった。
まあ、リンゴだけは、
「ノロット様の英断でしたわ」
とか、
「ご主人様の姿にはほれぼれしましたわ」
とか、もう、あのね、話の腰を折らないでね?
「………………」
一通り話が終わると、モラがじっと僕を見ていた。
「な、なに?」
モラはカエルだ。金色だけどカエル。
で、まあ、毎日顔を合わせてきたから僕だってモラの感情は多少読めるようになっていた。
カエルって、めっちゃわかりづらいんだけどね。感情とか。
「………………」
でも今のモラは――ほんとうに読めなかった。
「なァ、ノロット」
「ん?」
「ちっとふたりきりで話せねェか?」
僕はモラとともに通路を戻った。
曲がり角をひとつ過ぎた。ちょうど、さっきの小部屋と第1階層への階段までの中間点だ。
「座れ」
と言われて、僕は通路に座る。背中を壁にもたせるように。
モラは僕の正面にいた。
まあ、この通路は両腕を広げれば指先が届いちゃう程度の狭いところだから、ほんとすぐそこにモラがカエル座りしているってだけなんだけど。
「それで、どうしたの?」
「………………」
モラは相変わらず僕を見ている。
「もしかして、怒ってる? 僕が聖水使っちゃったこととか……」
「……逆だァ」
「逆?」
「ノロット。よくがんばったな」
モラが言った。
それは不意打ちみたいなものだった。
「よォくがんばった。お前ェのやったことは全部正しい。ひとりでよくがんばったァ。偉かったなァ……」
「……急に、なんだよ。いきなりそんなこと――」
あれ?
変だ……僕の膝が濡れてる。
水滴が落ちて、ぽたぽた、って濡れてる。
頬に手を触れると、濡れていた。
「僕は、ただリーダーだから……み、みんながバラバラになっちゃわないように、って……」
「わァッてる。俺っちもいねェのにひとりでよくやった。お前ェがリーダーでよかった」
「ただ、僕は……その……な、なんだ、これ」
涙が止まらない。
ぎりぎりまで張り詰めていた糸が切れて、感情が流れ出て止まらないんだ。
堤防が決壊して、もうどうにも水が止まらない感じで――。
「いいンだ。泣け」
ぴょーんとジャンプしたモラが、僕の肩に乗る。
ぴたん。
頬に柔らかいなにかがくっついたと思ったら離れた――モラの舌だった。
「泣いていィ。今は泣いていいぞ」
「……ひどいよ、モラ、僕が、ぼ、僕が頼りたいときに、寝てるんだもん……モラがいなかったから、僕、ひ、ひとりで……」
言葉が上手く出てこなかった。
代わりに涙ばかりが出てきて困った。
「すまなかったなァ……ノロット。お前に全部任せちまった。お前ェはまだ、15だもんなァ……」
モラに相談できないっていう不安。
初めてちゃんとした遺跡に入るという緊張。
「生命の燭台」だってぶっつけ本番みたいなところがあった。
模写をすることに反対された。先を急がなくてほんとうにいいのか、って僕だって葛藤してた。
ゼルズさんの言葉も……正直、きつかった。
水瓶を破壊するっていう思いつきだってギャンブルだった。ゼルズさんが死にかけてなければやらなかった。
そのゼルズさんを治癒するのだって、スクロールの使い方を間違えれば――あるいはスクロール自体の魔力が切れていれば、できなかった。死なせていた。
僕がリーダーじゃなければ、寝ているモラを守らなきゃって思ってなければ、へこたれてた。
正しい答えなんてない。
だからそのときそのときで決断しなきゃいけない。
それが冒険なんだ。
……わかってた。
でも実際にやるのは、全然違った。
心が痛くて。
身体もきつくて。
志も簡単に折れそうになる。
だから。
「うわああん、ああ、あああ、あああん――――」
僕は泣いた。
金色のカエルは黙って肩に載っていてくれた。
 




