27 黄金の煉獄門 第1階層(7)
リンゴの手が伸びて死者をつかむと遠くに放り投げていく。
静かな戦場だ。
声を上げているのは生者しかいない。
生者は、僕ら6人しかいないんだから――リンゴもちゃんと含むとして。
「だあああああッ! 放せ、クソッ!! 痛ァッ!?」
死者5人につかまれたタラクトさんが吠える。
死者とはいっても力は強い。
見た目がガリガリになってても強い。
魔法によって補強されているんだろう。生きていたころと同程度か、それより弱い程度の力はあるんだ。
5人につかまれると動けなくなる。
タラクトさんが引き倒される。
そこへ、棍棒をふりかぶった死者が現れる。
「あ――」
タラクトさんの目に絶望の色がよぎる。
タラクトさんの横顔に棍棒が振り下ろされる――。
ボキンッ。
そんな、イヤな音だった。
僕が撃ったパチンコが死者の腕をへし折ったのは。
握られていた棍棒は、軌道が逸れてへろへろと地面に降りる。
「リーダー、すまねえ!」
「しっかりしてください! 距離を取って! 近づけなければこちらのほうが動きが速いんですから!」
「そ、そうだった」
その隙にリンゴがタラクトさんのそばへ向かう。
リンゴほどの力があれば何人につかまれようと引きはがしてぶん投げられるけど、僕やタラクトさんは一般人だ。絶対無理だ。
「さすがご主人様! あの距離でも命中させるとは! すばらしいですわ!」
「そういうの今言わなくていいからね!」
「わたくしのハートも一撃でした!」
「聞いてないって言ったよね!?」
「ご主人様の武器はパチンコ……ハッ。もしや、パチンコは隠語……パチ●コ……●チ●コ……きゃーっ!」
「お願いだからそういうの止めてほんとマジで今はシリアスな感じのアレだからほんとマジ」
アホなことを言いながらも、タラクトさんにまとわりついていた死者をリンゴがぶん投げる。
「あ、ありがとう、助かった」
「お礼はノロット様に」
タラクトさんの窮地を救ったというのに道ばたの石ころを拾った程度の感情しか目に浮かべていないリンゴ。
「ひぇっ……」
タラクトさんが怯える。僕から見ても怖いです。
「ゼルズッ」
ラクサさんの鋭い声が聞こえる。
一番死者の層が分厚い場所だ。
僕はそちらに走って行こうとして――足下がぬるりと滑る。
上体が泳ぐ。つかめるなにかを探して左手が伸びる――つかんだ。
「あ、危なかった……」
転ぶところだっ
つかんだのはミイラの頭だった。
「ヒョアアアア!」
雄叫びみたいな声が出た。僕から。
つかんだところは髪の毛もほとんど残っていないカサカサの頭だ。そのままもげる。転がる。折れた首のところは枯れ木みたい。
死者は、転げていった頭を探して歩いていく。
「うぷっ……」
吐き気が込み上げてきた。
死者の動きじゃない。
僕が踏んで滑ったのは、血だった。
ミイラ化まではしていない、腐乱死体の内臓が転がっていたんだ。
見た目はともかく。
ニオイが……や、やばい、これは。
「※■◎◎△▼※ぇえええっ」
僕は盛大に戻してしまった。
今まで死体にそう近づいていなかったからここまで強烈だとは思わなかった。
死のニオイ。
僕の肉体の毛先に至るまで、すべての部位が拒否をしたくなるようなニオイ。
拒否は、「吐き気」という形で現れる。
いろんなニオイを嗅いできて耐性がついてきてたけど、これはダメだ。こればっかりはダメだ。
「ノロット様!」
リンゴが走ってくる。
「だい、大丈夫……リンゴは助けに行ってあげて……」
「しかし」
「ここは死者の数が少ないから。なんとか走って逃げつつ戦うから……」
「しかし……」
「お願い。行って。なんなら聖水を使ってもいい」
僕はリンゴの装備を見る。背中に背負った水瓶には聖水が詰まっている。すぐに使えるように大きな水筒にも水を小分けにしている。
水筒を上手く使えば、道を開いて、ゼルズさんたちを助けられるかもしれない。
とはいえ僕なんかは手持ちの水筒を口に突っ込んですすいでるところだけど……。
「情けなくてごめん」
「そんなことはまったくありません。ご主人様は立派です」
「リンゴ……情けないついでにもうひとつ…………なるべく早く戻ってきて……」
思いがけず本音が出てしまった。
情けない。情けなさ過ぎる。
でもリンゴは逆に喜色満面の笑みを浮かべた。
「――承知しました! すぐに片づけて参ります」
リンゴが死者の群れをにらみつける。
彼女が走り出した瞬間――びゅうっ、と風が起きて僕の前髪を揺らした。
「だあああああああああ!!」
メイド服の裾を翻してリンゴが回転する。
放たれた回転跳び蹴りは一撃で死者の上半身を木っ端微塵にした。
すぐそばにいた死者の首根っこをつかんで前方にぶん投げると数体の死者を薙ぎ倒す。
リンゴは倒れた死者を踏みつけて進む。
水の重量を考えれば彼女は相当に重いはずだ。
死者を踏み抜いていく。
死者がリンゴに群がる。
リンゴは一体が持っていた槍に目を留める。
鋭い突きがリンゴに襲いかかる。
彼女は軽く身をひねってかわす。槍は、リンゴの背後にいた死者の腹に突き刺さる。半ば腐り落ちていた死者は白骨を晒して折りたたまれるように地面に倒れる。
リンゴは槍を手にすると手元に引っ張る。
槍の持ち主である死者は前のめりになる前に腕が根元からちぎれた。
「どきなさい」
槍を手に入れたリンゴは――それはどう見ても「構えた」ではなく「ただ持って突っ立っていた」って感じだった――両手で槍を振り回した。
ぼき、ぐしゃ、ぽきん、と死者が次々に倒れていく。
草刈りしてるんじゃないんだぞと言いたくなるほど見事に倒れていく。
槍の耐久力が先に限界を迎えた。
折れた槍を放り捨て、リンゴは死者を踏みつけて進む。
「…………」
ぽかん、と口を開けていたタラクトさんは、我に返るとリンゴの後をついていった。
その先にゼルズさんと、レノさんがいた。
「ああ、なんでだよ。どうしてだよ。どうして……」
レノさんのむせび泣くような声。
「ゼルズ、しっかりしろ。気を強く持て」
ラクサさんの声が聞こえてくる。
でも、僕の位置からはなにが起きてるのか見えない。
他の死者が邪魔なんだ。
そこへリンゴが死者を蹴散らしていき、タラクトさんがレノさんたちに合流する。
「ゼルズ――ゼルズッ! ひでえ、この傷はヤバイぞ!! なにやってんだよ、おい!」
「しょうがねえんだよ。俺たちが、リオンたちを攻撃できるわけねえだろ」
「襲ってくるのはわかってたろうが!?」
「だけどよお……それでもよお…………」
「そっち持て、レノ! ゼルズを連れ出すんだ!」
「でもよお……俺たちはまたカーライルたちを見捨てることになるじゃねえかよお……」
「ラクサ! お前は手伝ってくれるな!?」
「……ああ。だけどどうするんだ。ゼルズを抱えて逃げるのは難しいぞ」
「くっ……」
声だけ聞こえてくる。
ゼルズさんが致命傷を負ったことは間違いない。
リンゴが周囲の死者を蹴散らしているけど、それとて現状維持みたいなものだ。
「ああ、止めてくれ、止めてくれ! 倒さないでくれ! それは、そいつはカーライルだ!」
「しっかりしろよレノ! リンゴさんが倒さなきゃ俺たちがやられるんだぞ!?」
「じゃあ聞くがよタラクト!! お前はリオンをやれるのか!?」
「――――」
「そこにいる。そこにいるぞ。リオンは。早く斬れよ。そのショートソードで……!」
なんとかしなきゃ。
なんとかしなきゃ自滅だ。
でもなにができる?
一時的にでも死者の動きを止めて、ゼルズさんの身体を避難させる方法――そんな都合のいい方法があるのか?
死者。大量。聖水。リンゴ。ショートソード。パチンコ。ダガー。クロスボウ。なにが使える? なにを使えばいい?
「!」
僕のそばにも死者がやってくる。僕はパチンコを撃つ前に、まだ手にしていた水筒を振った。
聖水がぶちまけられ、死者にかかる。
じゅうう……。
白い蒸気を噴出して死者がひるむ。
有効だ。やっぱり聖水は効果がある。
向こう見ずに突っ込んでくる死者を止めるには聖水しかない。
聖水を効率よく死者にかけるにはどうしたらいい?
「あ……」
閃いた。
これなら、この方法なら上手くいくかもしれない。
かもしれない、じゃない
上手くいかせてみせる。
これしかない。
「タラクトさん! ラクサさん! ゼルズさんをしっかり持ってください! いつでも逃げられるように!! レノさん! タラクトさんたちについて逃げる準備をしてください!」
僕は叫んだ。
「いや、でも、リーダー! かなり重いんだよ、ゼルズは!」
「こんだけ囲まれててどうやって逃げるってんだよお!?」
「なんとかします!」
なんとかする。
そうとしか言えない。
「リンゴ!」
僕は手持ちの水筒を戻してパチンコに持ち替える。
「頼みがある!! 君にしかできないことだから!!」
「!」
君にしかできない、という言葉でリンゴがこちらを見る。
めっちゃ喜んでる。
頬を染めるくらいに。
「背負った水瓶を上空にぶん投げてくれ!! できるか!?」
あの重量。
ふつうならふたりがかりで持ち上げるようなサイズの水瓶。
アレを投げられるかどうか――それが一番の問題。
「そんなことでしたらすぐにでも!」
と思ってたらリンゴは水瓶をおろすや両手でつかむと、ブンッ、と上空に投げた。
10メートルくらい上がっていく。
うおおおおおお……軽々とまあ……。
じゃなかった。
感心してる場合じゃない――僕はパチンコを握る。
装備したのは特殊弾。
闇のように黒い石は、人差し指と親指で丸を作ったくらいの大きさ。
彫り込まれている古代ルシア文字。
『命じる。爆炎弾丸よ、起動せよ』
短文詠唱。
刻まれた文字からオレンジ色の光が放出される。
弾丸を手にする僕の指先が熱くなる。
狙いは水瓶。
引き絞るパチンコ。
当たれ。絶対に。当たれ。
「行っけええええええええ!!」
放たれたフレイムバレットは、オレンジ色の軌跡を描いて飛来する。
ちょうど上がりきって落ち始めようとする水瓶に吸い込まれた。
瞬間。
オレンジ色の爆炎が広間をつかの間照らし出す。
水瓶は見事爆散した。
瓶の欠片。
聖水。
降り注ぐ水滴は雨のように死者の頭上から降り注ぐ。
じゅわあああああああ――。
熱せられた鉄板に水を落としたように、死者たちを聖水が焼く。
声なき悲鳴が響き渡る。
水蒸気が霧のように広がる。
「逃げ……て、早く!!」
僕はそれだけ言うのが精一杯だった。
だって――だって!
ニオイが!
水気とともに一気にニオイが!
広まって僕のところにも来
「※△◎※※■◇◎▼えええええ――」
涙と吐き気で倒れそうな僕は、こちらへ走ってくるリンゴの姿を目にした。




