184 絆の魔法の最後
「——様、ノロット様ッ!!」
ゆらりとにじむ視界に、赤色の髪が見えた。
あれ……僕は今なにをしていたんだっけ——。
「つっ!?」
腹部に走る激痛で目が覚めた。
「ノロット!? なにこれ、血!?」
駈け寄ってきたエリーゼが僕に治癒魔法をかける。ひりひりするような感触と、温かさがお腹に感じられる。傷口がふさがっていくみたいだ。
「ノロット、大丈夫? 出血は抑えられるけど、一瞬で完璧に治せるわけじゃないから——」
「う、うん、かなり楽になったよ。ありがとう」
僕はずきずきする痛みをこらえて身体を起こす。
「そうだ、モラは——」
視線を巡らせると、すぐそばにモラが横たえられていた。
囲むように、オライエ、ヴィリエ、ロノア、ルシア、フォルリアードがいる。
『よく、師匠——いや、混沌の魔王を倒したね。簡単じゃなかったろう?』
オライエが言う。
「これで、良かったんですよね?」
『…………』
「モラは、目を覚ましますよね!?」
『……今はなんとも言えない』
「そんな、どうして!? あなたがなんとかしろって言ったんじゃないですか!!」
『すまねえ、うちのバカ姉貴のせいだ』
頭をかきむしるロノア。
『混沌の魔王の欠片を、このモラって女に結びつけようとしてやがる……最悪だ。姉貴の紋様が違うヤツにくっついていたらこんなことにはならなかったんだが……』
「どういうことですか、どうしたらいいんですか——っつ」
立ち上がった僕は痛みに膝をつく。
「ノロット、落ち着いて」
「落ち着けないよ!! これじゃあなんのために僕らが——」
『まだ手はあります』
言ったのはヴィリエだ。
『私たちが今もこうして活動できるのは絆の魔法が今も有効だから。これを断ち切ります。そうして私たち5人でアノロを封じ込め、混沌の魔王の結晶を破壊する』
「サラマド村の……7人の絆を、なかったことにするってことですか」
『……はい。すべては私たちのワガママでした。師匠に生き延びてもらおうとしたことは。師匠がそう望んだように、やはりもっと早い段階で——いえ、過去を悔やんでも仕方ありませんね。今ここで、混沌の魔王の欠片を破壊することが私たちのけじめの付け方でしょう』
すると、
『そのとおりだ』
『俺は反対なんてできねえ。元はと言えばバカ姉貴のせいなんだ……師匠にべた惚れだったからな……』
『こ、この世界に留まり過ぎたよ。もう、終わらせよう』
オライエが、ロノアが、ルシアが同意する。
『……ヴィリエの言った方法が最後の手段。だけど、最悪のケースも考えられるよ』
フォルリアードがぽつりと、感情をうかがえない声色で言った。
「なんですか……その最悪は」
『アノロを排除することはできるだろう。その時点でぼくらは消滅する。ただ……混沌の魔王の欠片を破壊できるかもしれないし、できないかもしれない』
「……できなかった場合が最悪、ってことですか」
『その場合、ほどなくしてこの女性は混沌の魔王の魔力障壁によって最高レベルの防御状態となるはずだ。混沌の魔王が再生し、復活するまで……ね』
「復活するまで?」
『ああ。それには10年かかるかもしれないし、1000年かもしれない。でも、混沌の魔王は確実に復活する』
確実に、という言葉に力がこもっていた。
『ぼくらの気配が消えてから、この女性が目を覚まさなかったら——決断してほしい。もう、彼女は混沌の魔王によって操られるだけの存在になっているはずだから』
『そろそろやろう。急いだ方がいい』
『ああ、そうだな……オライエ』
5人は、モラを囲んで手をつなぐ。
白い光の粒が散って彼らの存在が希薄になっていく。
『——いいかい、決断するんだよ』
フォルリアードは最後にもう一度、言った。
その視線は——僕ではなくリンゴに向けられていた。
光が、消えた。
5人の姿とともに。
だけれどまだ気配を感じていた。5人……いや、6人だ。アノロも近くにいるように感じられる。
周囲では悪魔との戦闘も終結していた。人間の勝利だ。ただし兵士や冒険者の被害も大きくて、治療のために衛生兵が走り回っている。
……僕らの周りだけ、静かだった。
大木の下、ランタンが2つ置かれてあって、夜の闇を切り取っている。
事情を知ったタレイドさんが、気を利かせてくれたのかもしれない。
モラのそばには僕とエリーゼとリンゴの3人しかいなかった。
(なんでだよ……)
なんで、ここまで苦しめられなきゃいけないんだ。
ヴィリエは「私たちのワガママ」だと言った。
そのとおりだ。
彼女たちは、アノロが混沌の魔王の欠片を持ち帰った——封印が不十分だったことを知っていた。にもかかわらず咎めなかった。あるいは最初の時点できっちり討伐することもできたのに、最後の最後まで望みをつなごうとして、失敗した。
……気持ちは、理解できなくもない。
でもそのせいでモラが犠牲になるのだとしたら、許せない。
(……決断)
フォルリアードは「決断」という言葉にこだわっていた。
リンゴに自分の紋様を与えた時にも、
——オートマトンだろう。わかっている。だけれど、ぼくの力ならば問題ない……人間性に左右されない、罪を罪として冷静に捉える断罪の力だから。
と言った。
断罪の力。
彼が言いたいのは、もしもモラが目を覚まさなかったら——彼らが混沌の魔王の欠片、その破壊に失敗したのなら……モラを殺せということだ。
手遅れになる前に。
(自分たちができなかったのにそういうことを言うのかよ……!)
断罪じゃない。モラの罪じゃない、それは。確かにモラだって聖人君子じゃないんだから、罪だっていっぱい犯した。でも、混沌の魔王のことは、モラには関係ない。
あいつらは自分たちのことを全部僕らに押しつけて、消えたんだ。
ああ、そうだ。
思い出したことがある。
「救世主の試練」——そこで行われた精神のトレーニング。
あれは単に様々な出来事を想定して、意見を戦わせただけだった。
大体僕ら3人の意見は割れたけど、1つだけ一致したものがあった。
「トロッコ」の話だ。
暴走しているトロッコ。トロッコには作業員が乗っている。トロッコは多くの作業員が休憩しているところへ向かっている。トロッコが衝突すれば多くの人間が死ぬが、トロッコの勢いが軽減されて乗っている作業員は助けられる。
他の作業員を助けるために線路の分岐点を変えることができる。変えた場合、トロッコは崖に落ちて乗っている作業員は死ぬ——どちらを助けるべきか? という問題だ。
僕らの一致した答え。
それは、
——分岐点でトロッコを崖に落とす。
というものだった。
自分の手でトロッコに乗った作業員を殺すことになっても、多くの作業員を救うべきだ……。
「ノロット様!」
リンゴが声を上げる。
「うん——気配が、消えた」
6人の気配が消えた。
アノロの封じ込めはうまくいったみたいだ——そして、絆の魔法は、サラマド村の7人の物語はここで終わることになった。
「……これ」
ごくり、とエリーゼがつばを呑んだ。
モラが目を開けない。




