176 大国会議・彼女の示唆
サパー王国、第2王位継承者。
その肩書きはだてじゃない。
レンブルク王子は僕らのことを調べ上げていたし、サラマド村について情報を持っていることもためらいなく言ってきた。
すべては交換条件にするためだろう。
エリーゼを手に入れる、という。
「あ、う、それは……」
「……僕が言えば、君たちをサラマド村に案内することくらい、父上も承諾してくれる。というか、もう言質は取ってきた」
「…………」
エリーゼが黙りこくる。
「エリーゼ、どうしたんだよ!? イヤなことならはっきりイヤと言えばいいじゃないか!」
「ちょっと黙って、ノロット」
「黙らないよ。なにを迷ってるの? エリーゼが自分の人生を棒に振る必要なんてないよ」
僕があまりに言いすぎたせいだろう、ボディーガードのふたりが前に出てきた。
「おいガキ。お前、誰を目の前にしてどんな口利いてるのかわかってるのか」
すごい威圧だ。
宝石グレードの冒険者でもなかなかいないほど。
さすがに王家のボディーガードというわけだ。戦闘に強くない僕なんかじゃ歯が立たないし、びびってしまう——以前の僕だったら。
「誰にどんな口を利こうが、それは僕の自由だ」
「!?」
にらみ返すときに、思わず憑魔を発動してしまう。
ボディーガードがたじろぐ。
「——ノロット」
エリーゼが僕を見た。
「————」
その真剣な表情に、僕は思わず何も言えなくなってしまう。
「ノロットにとって……あたしは、なに?」
「そ、それはもちろん大切な——」
「ただの冒険仲間?」
有無を言わせぬ問い。
「それとも……」
その後を、エリーゼは言えないでいた。
僕にとってエリーゼがどんな存在か?
それは——やっぱり、冒険仲間……なんだろうか。
エリーゼは僕のことを追っていた。ずっと。それは、たぶん、「好き」という感情からだ。
僕はその感情に応えなかった。
エリーゼが嫌いなわけじゃない。好きだ。でも異性として好きなのかというと……。
「……エリーゼは僕にとって」
僕にとって、なんだ?
やっぱり冒険仲間?
どきりとするようなことがなかったと言ったらウソになる。
でも年上だし。
それに最初の出会いが強烈すぎたし。
——違う、そんなのは言い訳だ。エリーゼに向かい合わないための。
「あたしは……なに?」
「…………」
答えられなかった。
きちんとした答えを用意できなかった。
エリーゼの唇がきゅっと結ばれる。
「王子、その話、お受けします」
「!? エリーゼ!?」
「……よかった。では明日、正式に申し入れる」
王子はボディーガードを引き連れて去って行った。
周囲がざわつく。僕らのやりとりを聞いている者たちがいたようだ。
でもそんなことより、
「エリーゼ、君は」
「あたしね」
僕を遮って、エリーゼは、
「このままでいいのかな、って思うときはあったの。何度か」
「このままで、いいのか……?」
「気持ちに応えてくれない男の人をずっと追い続けるだけでいいのか、ってこと」
そう言われると、返す言葉もなかった。
「ノロット……今のあたしたちの目的は?」
「それは、モラを取り戻すことだよ」
「そうよね。ノロットにとってはね」
「? どういうこと?」
「ここにいる人たちはなんのために話し合っているのか……ノロットと違うってことに気づいてない?」
「え……」
僕と違う?
「世界平和のためよ」
「それは——そうだよ。同じことだろ? 混沌の魔王を倒すんだから」
「違うわ。ノロットの目的はモラを取り戻すこと。混沌の魔王を倒してもモラが死んでいたら、意味がないでしょ?」
「当たり前じゃないか! モラは僕にとって——」
「冒険に連れ出してくれた恩人」
「そうだよ」
「それだけ?」
「……どういう意味?」
「あたし、モラが混沌の魔王に連れて行かれたあとのノロットを見てね……あんなに怒ってるノロットを見てね、思ったの。あたしが連れて行かれたとして、ノロットはここまで怒ってくれるのかな、って」
「それはもちろん——」
「たぶん、思わないよ。ノロットにとってモラは特別なの。その思いはたぶん——」
言いかけて、エリーゼは首を横に振る。
「ううん、いいや。失恋した相手になにか言ってもね……。あ、でも、あたしは不幸せになるわけじゃないんだよ? 世界のために自分を犠牲に、なんて思ってないからね? まあ、混沌の魔王を野放しにして世界を壊されたりしたら、そりゃああたしの人生だってめちゃくちゃになっちゃうから、それならあたしにできることはやりたいっていう気持ちもあるけども——だってさ、玉の輿だよ? 伯爵家から王家になんて、鼻持ちならない兄弟にだって自慢できるわ。むしろアゴで使ってやるくらいよ。お金だってうなるほど手に入るし、権力だって握れるし。だから、さ——話を受けたの」
「エリーゼ」
「これで混沌の魔王を倒したら、お祝いだね。討伐祝い、モラの復帰祝い、あたしの結婚祝い」
「エリーゼ!」
「さて——それじゃ今日はもう寝ようかな。明日話が決まったら、すぐにサラマド村に移動だしね。——おやすみ」
「エリーゼ——」
僕が止める間もなく、エリーゼはサロンから出て行った。
小走りに。
「……エリーゼ」
お祝い、ってなんだよ……。
そんな言葉を使うヤツが、どうして悲しそうな顔してんだよ……。
「リンゴ——エリーゼはどうしちゃったんだろう」
僕は、同じ旅の仲間であるリンゴに問うた。
すると、
「ご主人様、申し訳ありません。今回ばかりは……わたくしは、あの女に同情してしまいました。僭越ながら申し上げます。これは、ご主人様にしか解決できません。どうぞご決断なさってください」
そうしてリンゴは去っていった。
僕にしか——解決できない。
でもエリーゼは自分でそう決めたんじゃないか。僕は、エリーゼの選択なら尊重しようと思ったし、彼女だってそれはわかっていたはずだ。
(エリーゼは……本当はこの旅がイヤだったんだろうか? でも実家に帰るわけにもいかないし、イヤイヤ僕についてきた……?)
僕は迎賓館のテラスにいた。
辺りは暗く、人気はない。ひっそりと虫が鳴いている。
(でも——あんなに笑ったり怒ったりしてたのに。それに、なんだよ、僕にとってモラは特別だ、って……エリーゼは違うみたいな言い方で……それじゃまるで僕がモラのことを)
銀髪のすらりとした、美しい女性。
でもそれは僕の知っているモラじゃなくて。
どちらかと言えばいまだに僕はモラを金色のカエルだと思っていて。
(あああ、もうわかんないよ! どうすればいいんだよ)
そのとき、がさっ、と庭園から音がした。
僕がびくりとすると、
「ふあああ〜〜〜〜よく寝ました……」
立ち上がったのは帽子からイヌミミがぴょこんと飛び出ている、
「……シンディさん?」
「お? おお? おおお? その声はノロットさんじゃありませんか! いや〜〜奇遇ですねえ」
「…………」
「なぜ疑惑の目を向けるのですか!?」
「いや、今日の会議の控え室にいましたよね? ここでなにやってるんですか。絶対シンディさんは呼ばれてないでしょ」
「しれっと侵入するスキルを覚えたんですよー。こんな特ダネが眠っていそうな会合に参加しない手はないでしょう? ちなみにベテラン編集部員たちも来てますよ! 王都で情報収集していますけど」
「…………」
「いやーびっくりしました。警備員に見つかって1時間くらい追われましたし。で、最終的にはここに逃げ込んで隠れたら……気づいたら寝てましたよ! 捕まってたらやばかったですねー。あ、ノロットさんのパーティーメンバーってことにしてくれません?」
シンディ、ひとりだけ危険な任務を負わされてるな……。
「イヤですよ。ただでさえ問題ばっかりなのに」
「世界の危機ですもんねえ」
全然危機感を感じられないんですがそれは。
「ま、そうですね……」
「おや? ノロットさんは他になにか心配事があるんですか?」
「別に……っていうかペンと手帳を出さないでください。なにも話しませんよ」
「大丈夫です。ちょーっとメモするだけ。私、話すときにメモしないと死んでしまう病気にかかってるんで」
「そんな病気はないです」
「ほらほら! 私に話したらなにか解決の糸口が見つかるかもしれませんよ! これでも記者として世界を旅してますからね!」
旅というか、尾行というか、ストーカーというか。
僕もついて回られたしな。
……でも、僕の知らないことをシンディは知っているかもしれない。彼女はこれでも女性だし。
「実は——」
僕は名前や実際のところをぼかしながら、「友人からの相談事」という体でシンディに意見を聞いてみた。
「ふむふむ。それでノロットさんはエリーゼさんの結婚に動揺しているわけですね?」
「んなっ!? 友だち! 友だちの話ですよ!」
「わかってますって。そうやって話したほうが私が考えやすいってだけですからお気になさらず。……ていうか根無し草の冒険者に恋愛相談する人なんているわけないでしょうに……」
「え、なんて?」
「いえいえ、なんでもありませんよー。ノロットさんはエリーゼさんのことをどう思ってるんですか?」
「だ、だからこれは……」
「だからこれは仮の話ですって」
「仮……う、うん、まあ、仮の話として……仮だよ? 僕はよくわからない……かな」
と言うと、
「あー……」
途端に軽蔑したような目を向けてきたシンディ。
「な、なんですか」
「そういうのですよ。そういうの。煮え切らないやつ。いちばん困るんですよねー。女からすると引くも進むもできないじゃないですか。駆け引きにすらならない。『どっちでもいい』とか『よくわからない』とか、男でしょ? オスでしょ? ノロットさん性欲ないんですか?」
「何の話!? それにこれは仮の話で、僕のことじゃ——」
「わかってますって。仮にね、ノロットさんは今エリーゼさんがいなくなったらどう思うんです?」
「それは……これからの戦いで戦力低下がヤバイな、とか」
「あー……」
「だからその目、ね! 止めて!」
「それってエリーゼさんを道具扱いですよね? エリーゼさんだって考えるし、感情があるんですよ」
「わかってるよ」
「わかってないです。どうして先に寂しいとか悲しいという感情が来ないんですか? 想像力がないんですか」
「それは……」
僕は腕組みして考える。エリーゼのいない旅。それを想像するには僕の冒険者歴は短すぎたし、エリーゼといっしょにいた時間はその中でも長すぎた。。
「想像できないですよ……エリーゼがいなくなったら、なんて」
いつの間にか、だ。
いつの間にかエリーゼは僕にとって大きな存在になっていた。
「そのノロットさんの思いを、エリーゼさんに伝えたことはありますか? あるいはリンゴさんにも? 一度でも?」
「…………」
「そばにいるからわかってくれるだろうなんて、ママじゃないんだから。迷う前に話せ、ですよ。ただひとつ言えることは、このままエリーゼさんがいなくなったら、ノロットさんは後悔するってことです」
「……うん」
そうだね。僕はきっと、後悔する。
「ま、私が言えるのはこれくらいってことで。……こんな話じゃあ記事にもなりませんから、まだ警備員も多いだろうしその辺の茂みで仮眠取ります」
シンディは歩いて行った。
「……エリーゼがいなくなったら、か」
僕は今まで向き合ってこなかった。エリーゼ、リンゴがなにを考えているのかを。モラにもだ。
彼女たちがなにを考え、どう思っているのか——。
「ありがとう、シンディ」
シンディの消えた茂みから、ひらひらと手だけが突き出て振られた。
すっきりした。
迷いはない。
でも、ちゃんと考えるにはもう少し時間が必要だ。今日明日に結論が出ることじゃない。
だからそれまでは。
いっしょにいてもらう。
たとえそれがただの僕のワガママだとしても。




