172 救世主の試練(2)
「こ、こんなのあり得ねえ! 絶対魔法を使ったろ!? ずるっこだあ!」
と、筋力担当のトレーナーがわめく。
うーん、気持ちはわからないでもない。だって、リンゴだもんな……見た目美人のメイドさんだもんな。
でも、リンゴはオートマトンなんだよね。
「あらあら~、みっともない真似はおよしなさいな。あなたもわかってるんでしょう、魔力の反応なんてなかったわ~。ただ……彼女自身の内側から魔力があふれているようだけど」
やってきたのは魔法担当トレーナー。
くねくねとしてる。出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいるという、エリーゼが先ほどから視線で殺人でもできそうな雰囲気を醸し出すほどジェラシーなボディを持った女性だ。
でも……顔が。
なんというか、すごく、馬に似てるんです。
み、見た目をあれこれ言うのは失礼だよね! うん!
「だ、だけどよお……」
「あなたの言う筋力で負けたのとは少々違うけど、物理的な力において彼女は十分に及第点でしょ?」
「うむむむむ……あー! わかったよ! 俺の負けだ、負け!」
筋力トレーナーは叫ぶと、「筋トレの続きやるわ」と言って去っていった。まだ筋肉つけるんですかね……。
「それにしてもすごい力だったわねえ。1週間は筋トレだと思っていたから、お姉さんびっくりしちゃったわ~」
魔法担当トレーナーはそう言ってじろじろとリンゴを見たけれど、
「知識担当は準備に時間がかかってるから、魔法を先にやりましょっか?」
「魔法対決とかなら……僕らはあんまり得意じゃないんですが」
「さっきも言ったとおり、魔力の使い方よ~。憑魔が使えればオーケー」
憑魔。
勇者オライエとの戦いのときに苦戦させられたやつだ。
確かヴィリエはこう言っていた。
――憑魔状態ですね。魔力を体表に漂わせることで身体能力を底上げできます。オライエはとても得意でした。
僕らの中じゃ、モラはできたけどオライエほど見事な感じじゃなかったかっけ。
オライエはほんとにすごかった。なにより刃物を弾くほどの魔力なのに、薄皮一枚って感じだったもんな。
僕は魔法がそもそも使えないし、リンゴもそう。エリーゼがずっと努力してたけど、結局できなかったのがこの憑魔だ。
「確かに僕らは憑魔が使えない……憑魔が使えるようになったら」
「戦力アップね」
仕方なし、という感じでエリーゼが同意する。その視線はトレーナーのボディから離れない。そんなにですか。そんなに悔しいですか。
「教えてください。どうやって憑魔を覚えるんでしょうか? その前に、僕みたいな魔法が使えない人間でも大丈夫なんでしょうか?」
「だぁいじょうぶよ~」
にっこりと笑った――トレーナーの表情は、邪悪だった。
「ひ、ひ、ひええええええ!?」
「ほら~、目をつぶらないの。ぎりぎりまでちゃ~んと見るのよ」
「こ、これは想像以上に無理です!!」
僕、椰子の木にくくりつけられていた。顔も固定されて、目も村人に押さえつけられて無理に開かれていた。
その、1ミリ先に。
針。
「う、う、うぐぐぐぐぐ……」
針が目の前に迫ってきて、ぎりぎりのところで止められる。ほんっっっとにぎりぎり。ちょっとミスったら目に刺さるよってくらいの距離。っていうかトレーナーの手が震えたら刺さるじゃんこれ!
「目をそらさないのよ~。この針を魔力で押しのけて~」
「できませんよ! 大体僕、魔法が使えないんですから!」
「でも魔法弾丸は撃てるんでしょ~? 魔力がゼロじゃあないんだから、できるわよ~」
「できませえん! 集中できないもん!」
「はぁ……」
すっ、と針が下ろされる。
よ、よかった……身体中からぶわっと汗が噴き出る。
「あなたの仲間はちゃ~んと取り組んでるわよ」
「……えっ?」
僕が見ると、イスに座ったエリーゼは、ぐるぐる巻きに拘束されることもなく目を見開いていた。正面に据えられた針を見つめていた。
リンゴなんて両目に針だ。
ふたりともすごく……集中している。
「女は強いわよね~。それに比べて男ときたら」
「…………」
「臆病ね~。置いてかれちゃってもこれはしょうがないわね」
「……やってください」
「あら」
「両目に、お願いします」
「あらあら。覚悟が決まった? そういう顔、素敵よ~」
僕の正面にトレーナーがやってくる。
僕は両目を見開く。正直、目のやり場に困るボディが目の前にやってきたわけだけれど、そんなことよりあまり好みのお顔ではいらっしゃらないので大丈夫。そんなことより針が怖い。
憑魔、習得してやる。
「……で、できなかった」
その日の夜、僕の目はだいぶ疲れていた。途中1回、軽く目に刺さったからね……すぐに回復魔法が飛んできて治ったけど。そのせいで恐怖は倍増だよ。ていうかこれ、魔法のトレーニングじゃなくて精神のトレーニングなんじゃないの?
「ノロットはもともと魔法が使えないからしょうがないんじゃない?」
「ご主人様、努力されるお姿が立派です」
「うう……ふたりはいいよね……」
実は、エリーゼもリンゴも早々に憑魔状態ができるようになっていた。
特にエリーゼは早かった。元々練習していたこともあり、魔力の使い方のコツをつかんだらすぐにできるようになったのだ。
リンゴは恐怖心が薄いので、こちらも集中して習得できた。習得はエリーゼより遅かったけど、精度はすでにリンゴのほうが高い。近接攻撃で憑魔状態とか……リンゴの戦闘力の上昇っぷりが半端ない。
「明日中になんとかできるようにならなきゃ……」
「ご主人様、そこまで焦らなくとも。わたくしも明日いっぱいを使って精度を向上させるつもりですし、ご主人様はそもそも遠距離で戦うわけですから、憑魔は必須ではありません」
「ま、逆に覚えたほうがいい気もするけどね、ノロットは。敵が突っ込んできたときに防御力になるんだから」
「わかってる。明日中には……明日中にはなんとかするから……」
「そ、そこまで自分を追い込まなくてもいいのよ?」
リンゴの言うこともエリーゼの言うこともわかる。わかってる。
だけど僕は覚えたいと思った。
だって……覚えたら、モラに自慢できるじゃないか!
「がんばろ、明日!」
「なんか……ノロットのがんばる熱意の方向性がちょっと間違ってる気がする」
僕らは、用意されたハンモックで寝た。
ハンモックは初体験だったけど、虫除けの結界もあったし、夜も暖かだったのでぐっすり眠れた。
「お~! できてるわよ~!」
「はあ、はぁっ、はぁ……」
「初歩中の初歩だけど、これも立派な憑魔だから~」
翌夕方。
僕はようやく――ほんっとーにようやく! 憑魔の初歩ができるようになっていた。
目に針が刺さること数度。涙がぽろぽろこぼれて鼻水が垂れるのもしょっちゅう。この試練、なんか今まででいちばんきつい気がする……。
憑魔は、体内にある魔力を放出するというか、まさに涙や鼻水が出る感じで自然にあふれさせるような感じなんだよな。そう気づいて試してみたら、できた、という感じ。意図的に出そうとしてもなかなか成功しなくて苦労したよ。だって目の前に針があるからさ! そっちに集中しちゃうじゃん!
「あ、そっか~。放出系の魔法使えないんだもんね? だったら勝手にあふれるような想像のほうがよかったかも」
だそうです。
できるようになってから言われましても。
……と、ともあれ、僕は初歩中の初歩ながら憑魔が使えるようになった。これを毎日少しずつ練習して精度を高めていくみたい。
今のレベルだと、葉っぱがくっついてる程度の強度しかない上に、魔力が霧散してしまうので僕の魔力量じゃすぐに枯渇する。
「うぅん……魔力の消費量が割りに合わないわね」
「これならば直接攻撃しても変わらないと思いますが」
一方エリーゼは、憑魔状態で空気の層を身体に這わせ、水中に濡れずに入ることに成功。
リンゴは強度を高めまくって、手を触れずに岩を破壊することに成功していた。
なにこの人たち。天才なの? リンゴに至っては直接攻撃しても変わらないってなに。
「ん~。あっちの小さい女の子は、ずっと魔法の練習してたみたいね~。誰かに師事してればもっといろんな魔法が使えてたかもね~」
トレーナー様のありがたいお言葉。
エリーゼはヴィリエの紋章が働いていることも大きいらしい。
リンゴはオートマトンながら人間に近い構造をしていて、込められている魔力量が大きいこともいいほうに作用してるみたい。
モラの魔力か……。ふたりとも! うらやましくなんかないんだからね!
「それじゃ~、今日は終わりにし……」
「待ってください。知識のトレーニングを始められませんか?」
夕方だからと終了しかけたところを、僕は呼び止めた。
「大丈夫? 身体、疲れてるでしょ~?」
身体というか精神というか。
なんせ3回、目に針を刺されましたからね! うち2回は手元がくるったって言ってましたよね、トレーナー!
「大丈夫です」
僕は強くお願いして、知識のトレーナーのいるところへ案内された。
僕やエリーゼよりも頭ひとつ小さく、前髪が目元を隠している少女だった。
「バカに教える知識はないから。自信がなければ帰って」
体つきは小さいのに、言葉は苛烈だった。
屋根のついた小屋、点けられたランプ。
僕らの前には3つの机と、書物が置かれてあった。
「まずこの本を読破して」
げっ、とエリーゼが声を上げる。エリーゼさん、乙女が台無しですよ。
知識のトレーナーが示したのは分厚い本だった。
かなり古びた紙を使っていて、写本のようだ。
紙自体がそこそこ厚みがあるので……500ページくらいかな?
「えーと……この本を読み終わったらどうなるんですか?」
「試験する」
「これは必要な知識、なんですよね?」
「もちろん」
早く読め、という目で少女が見てくる。エリーゼなんか見るからにげんなりしている。
僕はぱらぱらとページをめくってみる。ヴィリエ語だから、ふつうに読める。
「……あのー」
「まだなにかあるの」
苛立ちを隠そうともせずに少女が言う。
怖いな、このトレーナー。
「筋力の試験のときにもそうだったんですけど、僕らの中で誰かひとり、知識を持っていればクリアってことになりますよね?」
憑魔については僕も習得したほうがいいと思ったし、トレーナーも全員できなきゃダメ、という雰囲気だったのでがんばったけども。
「……だったらなに?」
「試験、受けさせてください。すぐに」
え? という顔をするエリーゼ。いや、エリーゼはいいから。
「とりあえず問題を確認しようっていうんなら、止めたほうがいい。一度失敗したら、5日間は再試験しないから」
その5日間で問題を作り直すんですね、わかります。
それはさておき、
「構いませんよ」
「ちょっとノロット!」
「ご主人様、1日くらい勉強なさったほうが……」
「大丈夫」
僕は胸を張ってトレーナーを見る。
……うん、いらついてらっしゃる。
今日いちばん苛つく顔をしてらっしゃる。
「そんなら受けさせてやるよ」
小屋の中には、僕以外誰もいない。
目の前には机と、羽ペン、インク壺。そして試験用紙。
「ふう……」
息を吐いて、立ち上がる。
試験はもう終わった。紙を持って外へ出る。すっかり暗い。そう言えばご飯まだだったな、お腹空いた。
「あれ? ノロット、もう出てきたの?」
「まだ20分ほどしか経っておりませんが……確か試験時間は1時間だったかと」
「ん。終わったからね」
僕らが話していると、
「へえ」
ランプを手にしたトレーナーが、夜道をやってきた。
「それじゃ確認してやる」
僕の手から答案用紙を奪うと、小屋へと入っていった。
「ノロット……」
「あ、うん、エリーゼ。すごく心配そうな顔するよね? そんなに不安?」
「そりゃ不安でしょ。あたし、これでも試験とか大嫌いなんだから」
知ってた。
「ご主人様……試験の範囲も知らずに受けるというのは、さすがに」
「試験範囲は知ってたよ」
「……は?」
「僕の知ってる内容だったんだ――確かにこれは、冒険に必要な知識だったよ」
「どういうことだ!?」
小屋から飛びだしてきたトレーナー。
「お、お、お前、どこかで正答を盗んだな? そうに違いない!」
「全問正解だったでしょ? あんな問題じゃ簡単過ぎますよ」
「簡単なわけがあるか!」
「簡単ですよ。だって僕は――毎晩あの本を読んでいたんだもの」
そう。
知識のトレーニングで支給された本は、まさかの「いち冒険家としての生き様」だったんだ。書きっぷりとかところどころ違ったけど、版が違うのかもしれない。
冒険者としての初歩から応用まで実体験交えて書かれた本だもん。知識としては重要だよね。
「毎晩、読んでいた……? バカな、あの本はフォルリアードの子孫が書いた本で、貴重なものなのだ」
「えっと、ふつうに町に流通してますよ?」
僕が言うとトレーナーは口をぽかんと開けた。
ていうか「いち冒険家」はフォルリアードの子孫だったのかよ。僕だってびっくりだよ。
僕が持っている本を見せると、トレーナーは食い入るように読み始めた。僕らが遅めの食事をしたころに本を持ってやってくる。
「……ノロット」
「なんですか?」
「……お前、読み込んでいるな」
本のあちこちはへたってきて補強してある。指摘されると恥ずかしい。
「えっと……まあ。面白くて、僕にとってバイブルなんで」
するとトレーナーの表情がぱぁっと明るくなった。
「そうか! これはあたしにとってもバイブルなんだ! なんせ都合10冊以上は書き写したからな!」
「あれってトレーナーが書き写したんですか?」
「『聖ローデリの空中城』のくだりは何度読んでもワクワクする!」
「わかります! 冒険家が仲間と離ればなれになって……」
「引き返せるのに前へ進むのだよな!」
「そうそう!」
僕とトレーナーは俄然意気投合した。
盛り上がっていると、リンゴが口を挟んだ。
「ご主人様、そろそろお休みになりませんと、明日にさわります」
「はーいそこまで。はいふたり離れてー」
エリーゼに言われて、ハッと気づく。僕とトレーナーは手を取らんばかりに近づいていた。
トレーナーも気がついたみたいで飛びのいた。
「す、すみませんトレーナー」
「か、構わん。あたしも興奮してしまってすまなかったな……」
「いえいえ、僕もうれしくなっちゃって。ご迷惑をおかけしました、トレーナー」
こんなふうにこの本について話したのって、リンキン少年冒険団のナナと以来か。この本有名なんだけど、いまだに文字を読めない冒険者も多いんだよね。
「……ルーハ、だ」
「え?」
「あたしの名前、ルーハ。年は16」
「えっ、僕と同い年だ」
「そうなのか!? 奇遇――」
「はいそこまでー」
「ご主人様」
またエリーゼとリンゴに間に入られ、ルーハは渋々といった感じで去っていく。
帰りがけに、ちらりと振り返って僕に小さく手を振った。僕も振り返すと、彼女は頰を緩めてぱたぱたと夜道を駈けていった。危ないなあ、転ばないといいけど。
「……油断も隙もあったもんじゃない」
「ご主人様、さすがと言うべきか……」
エリーゼとリンゴがなんか言っていたけど、僕にはよく聞こえなかった。
翌日、精神強化のトレーナーがやってきた。ひょろりと背の高い青年だ。
「さて、それじゃあぼくは精神を鍛える役割……なんだけど、いやあ、驚きだね。ここに至るまで2日しかかかってないじゃないか。もともとぼくらのプランは各試験ごと、最短で1週間、通常は1カ月くらいで考えられていたんだから」
そんなに長い予定だったのか。
もしまともに受けていたら危なかったな……。
でも、本来なら混沌の魔王が復活してないときにやる試練なわけだし、そのくらいゆったりしててちょうどよかったのかも。
「では、精神について話をしたいと思う。これから話す内容をよく聞いて」
どんなことをやることになるのか、僕がごくりとつばを呑むと、
「『あるところに富豪がいました』」
「え?」
「あ、話は最後まで聞いて」
「は、はい……」
なんで昔話?
と思っていると——、
「『富豪はひとりの妻と3人の子どもを持つ、大変幸せな人生を送っていました。しかし富豪は過去に関係を持った女性が忘れられません。それは初恋の人。そんなある日、富豪に届いた1通の手紙。“どうしても困っている。あなたしか頼れない”という初恋の人からの連絡。自分が助けられるのならばと思った富豪でしたが——生活には当然余裕がありましたから——よく見ると、初恋の彼女がいるのは現在戦争中の敵国。行けば、帰れるかどうかわからないし、スパイだとして告発されるかもしれない。それでも彼は向かいました』」
おお……行ったんだ。すごい行動力だな。
それで続きは? と思っていると、
「『残された妻と3人の子ども。妻は富豪の行動を知り、怒ります。そして王家に夫を告発しました』」
うわー、こうなったか。
「『3人の子どものうち、長男は“父がいなくなれば家業を継げる”と喜び、母の味方となりました。2人目の子どもはまとまった金を持って家を出ました。3人目の子どもは、これまで裕福な暮らしをさせてくれた父への仕打ちとしてはあまりにもひどいと、母を告発しました。実は、母は浮気をしていたのです』」
なんかどろどろだな。
「『さて敵国に行った富豪は、初恋の相手に会うことができました。しかし、それは罠でした。富豪の財力を狙った強盗団の仕業で、初恋の相手もうまく騙されていたのです。富豪の家へと金銭を要求した強盗団でしたが、富豪の家は、告発された富豪と妻のために、取りつぶしとなっていたのです。強盗団はどうでもよくなって富豪を解放すると言います。富豪は祖国に帰らず、初恋の人と暮らすと言います。初恋の相手は、金を持っていない相手に興味はないと言いました。強盗団のリーダーは、それを聞いて怒りました。ここまで愛してくれた相手にそれはないだろうと。そして初恋の相手を殺してしまいました』」
「…………」
「…………」
「…………」
僕らが視線を交わしていると、青年は、
「話はこれで終わりです」
え、終わり?
「今の話の中で、あなたは誰に共感しますか? また、誰をいちばん憎みますか?」
そういう質問?
これって正解とかがあるの?
「うーん、僕は……富豪に共感するかな。それでいちばん悪いのは強盗団のリーダーだと思う」
「そうなの!? あたしは富豪の妻に共感するけどなー。だって、裏切られたらムカつくでしょ」
「わたくしは3人目の子どもです。恩を仇で返すのはよろしくありません」
「でもさ、リンゴ。それを言うなら3人目は母親から受けた恩を仇で返しているとも言えるよね?」
「ああ、確かに——」
と言いかけて、リンゴが、
「……これのどこに精神を鍛える要素が?」
「今時点では気にしなくていいですよ。議論を続けましょう」
トレーナーは僕らに、会話を続けるよう促した。
そんなふうにしてあらかた話が終わると次の小話、次の小話……と続くのだけれど、僕ら3人のうち、完璧に答えが一致することはなかった。
「さて、次の話が最後です」
すでに日は暮れようとしていた。
「『あなたはトロッコの線路を管理しています。そこへ、ひとりの人間を載せ、ブレーキの故障したトロッコが突っ込んできました。目の前には方向切り替え用のレバーがあります。もし切り替えれば、トロッコは崖の下に放り出され作業員は死にます。切り替えなかった場合、トロッコは線路の先、休憩をしている10人以上の作業員のところへと落ちます。その場合、トロッコは頑丈なので乗っている作業員は助かりますが、他の作業員は全員死ぬものとします。さて、あなたは切り替え用のレバーを操作しますか?』」
今まで聞いた中で、いちばん悩ましい。
「あのー……身を挺して止めることはできないんですか? トロッコを」
「できません。切り替えレバーから線路までは距離があるので、あなたが走っても間に合いません」
「じゃあ、声を上げたらいいのよ。逃げろ、って他の作業員に」
「現場は大きな音が鳴っている洞窟なので、声を上げても聞こえません」
「では魔法はどうでしょうか? トロッコに魔法を当てるのです。転んで大ケガをするでしょうが、死ぬことはないでしょう」
「トロッコは事故防止のため魔法を防ぐ結界が張られており、魔法は意味をなしません」
僕らの「回答」を、トレーナーはひとつずつつぶしていった。
「あなたができるのは、切り替え用のレバーを操作するか、しないか……これだけです」
うう〜ん……。
レバーを切り替えれば多くの人が助かる。でも今乗っている作業員は死ぬ。死ぬ、というより僕が殺すことになる……。
僕が悩んでいるのと同様に、エリーゼも悩んでいるようだった。
リンゴは平然としていた。
「さて、それでは答えを聞きましょう。どうしますか?」
僕らの答えは、一致していた。
「あんなんでよかったのかな? 精神のトレーニングは終わり、だなんて……」
「あっけない気もしますが、しかしながら憑魔のトレーニングの次に時間がかかっているのですよ、ご主人様」
「そう言えばそうか。丸一日だもんね」
翌朝、僕らは最後のトレーニングを前にしていた。
話すだけで終わった精神のトレーニング。答えの出ない話し合いを延々しただけ。精神が鍛えられた、というより……僕らの考え方ってかなり違うんだなと実感した1日だった。
でも最後の答えだけは一致した。
——レバーを操作する。
これが僕らの答えだったんだ。
「おはよー。もうおいらのところまで来たんだ。早いねー」
広場へとやってきたマスケス。日に焼けて真っ黒の少年だ。
「これから最後のトレーニングをやるぜ」




