171 救世主の試練(1)
「お!? 珍しいなあ、お客さんかよ」
浜辺の僕らに声がかかった。そちらを見て、ぎょっとする。黒々と日に焼けた少年がてくてく海沿いを歩いてくる。ただの、少年――10歳くらいの少年だったら、よかった。だけれど異常だった。百歩譲って腰蓑しかつけていないのは、こんな場所では交易もないのだろうと理解できる。
ビチッ、ビチビチッ。
問題は――彼が引きずっていたもの。
2メートルは優に超える巨大な魚。
浜辺に血の跡が付いている。
単純に解釈するなら、少年が殺したんだろう、その手に持った銛で。
「あ、あの、君は……?」
「うん。おいらはマスケスっていうんだよ。お兄ちゃんは?」
「え!? えっと、ノロット」
「エリーゼよ」
「リンゴと申します」
「へえー! 美人ふたりもつれて、お兄ちゃんすごいね!」
少年の純真な褒め言葉でエリーゼが途端に機嫌を良くする。
「見る目があるわね!」
「えーと……それで、これは、村なのかな?」
エリーゼを無視してたずねた。
僕らの視界の先には、いくつかの建物がある。簡易的な木材で組み立てられ、椰子の葉などでふいただけの屋根。
確かにこの島は気温が高く、南国気候だ。マスケスも真っ黒だし。
「そうだよ。村っていうのかな? 32人で住んでる」
結構多いな。……ん、村? まさかサラマ――。
「ログアーニ・セバルテン・ニルフェル村だよ」
あ、サラマド村じゃないですよね。うん、知ってた。神の試練で真っ黒な人たちになんて会わなかったし、うん。
「お兄ちゃんたち、船で来たんじゃないの? 漂流した……ってわけじゃないみたいだし」
「とりあえず帰ってもらってる。1日に1回、来てもらうことにしてるんだ」
試練に何日かかるかわからなかったからね。
すると――マスケスの表情が不意に変わった。
「……へえ?」
それは、強者が弱者を見下すような表情だった。
「お兄ちゃんたち、試練を受けに来たんだ?」
試練。
救世主の試練。
間違いなくマスケスは、試練について知っている。
緊張する僕らに、マスケスは言った。
「ついてきてよ。村長に会わせるから。――僕が生きているうちに“救世主”が来るなんてことはないと思ってたのに……ツイてるなあ」
マスケスがなんらかの方法で伝達したのかどうかはわからなかったけれど、僕らが集落に入っていくと、村人たちはこちらをじっと注目していた。
みんな日に焼けている。
少年や少女たちはほとんどが腰蓑だけ。大人も面積の少ない布きれしか身につけていないから、正直女性には目のやりどころに困る。
「ワシがこの村の長であるリスティスじゃ」
僕らの前には村長を名乗る女性がいた。
堂々とした物腰といい、言葉使いといい、確かに村長らしい……けれども。
見た目。
10歳くらいだから。
髪をお下げにした小さい女の子だから。
「お前さんたちがここに来たということは6つの試練を突破したということ……相違ないな?」
「あ、はい」
こちらの動揺をよそに、リスティスと名乗った少女は話を続ける。
「では、『救世主の試練』について説明を始める――」
「あの! そのぅ……ここの人たちは、なにかサラマド村と関係があるんでしょうか?」
「サラマド村? ないぞ」
ないんかい。
「あ、ないんですか」
「ワシらはな、始祖たちに見いだされた者どもの末裔じゃ」
「……始祖?」
「勇者オライエを筆頭にする6人の偉人じゃよ」
リスティスが言うところによると、サラマド村の6人は、混沌の魔王を討伐後、6つの試練を作る傍らでこの村へ入村する人間を集めていた……のだそうだ。
救世主の試練を実施するために。
「でもそれって変じゃない? 救世主の試練の元になってる試練は6人の師匠がひとりでやってたんでしょ?」
とエリーゼが聞くと、
「その試練を実施すべき人員が必要だということじゃ。そもそもの試練は始祖たちの『お師匠』がひとりでなさっていたこと。ワシらがひとりで執り行うのは無理じゃ。ゆえにこうして集落を形成し、試練を行える人間を養成している」
「ちょ、ちょっと待ってください。『救世主の試練』は人を相手に行うんですか?」
「そうじゃよ。――これ以上は時間の無駄であろう。ついて参れ」
リスティスが立ち上がり、僕らは屋外に出る。
物陰からこちらを伺っていたらしい人々がさっと身を隠す。なんか警戒されてる……僕らのほうが警戒したいところなんだけど。
「では5人を紹介しようかの」
リスティスが言うと、集落の中央の広場に5人が現れた。あ――その中にはマスケスもいる。
「なるほど、読めてきたわ! この5人と戦って勝ったらクリアなのね!」
「…………」
偉そうにエリーゼが言いつつ、リンゴも淡々と戦闘準備を始める。
「ほっほっほ。……違うわい。これだから野蛮な冒険者は」
リスティスが顔をしかめた。
「お前さんたちにしてもらうのは――トレーニングじゃ」
え?
僕らは今まで「やるべきこと」を課されて「突破する」形の試練ばかりを受けて来たので、最後も当然そうなのだろうと思っていた。
けど、ここは違った。
「俺は筋力だ! 筋力はすべてを凌駕するぞ!」
「……バカは嫌いよ。あたしは知識を教えるの」
「私は魔力ね~。魔法の使い方を教えてあげるわ。憑魔が使えないと話にならないし」
「ぼくは精神を鍛えてあげるよ」
「俺も筋力……がよかったんだけど、俺が教えるのは魚の捕り方だ」
5人がそれぞれ違う内容で鍛えてくれるのだそうだ。
最後のマスケスのは……魚? これ必要か?
「疑問がありますという顔をしておるな?」
「えーっと……まあ。でも、試練はあるがままを受けなきゃいけないんでしょうから、疑問については封印します。ただ、僕らはこの後にサラマド村を探して移動しなければなりません。その時間はあるのかな、っていう……」
「ほっほっほ。さてな? それはお前さんたちのがんばり次第じゃろう」
「…………」
「やるもやらぬもお前さんたちの自由。じゃがな、ワシらの言うことを聞かない限り、混沌の魔王を倒す力を得られぬぞ?」
「……やります」
「ほっほっほ。素直なのはいいことじゃ」
それから僕らの、集落でのトレーニング暮らしが始まることとなった。
混沌の魔王が言った日にち――次の満月まで、あと18日。
広場には僕らと、筋力トレーナーがいる。
他の村民たちはふだんの生活に戻る者、見学をしている者と様々だ。
「まずは筋力だ! 今日のトレーニングは……」
「少々お待ちください。あなたの想定する筋力量を超えていれば、トレーニングをする必要はないのではないですか?」
リンゴが割って入った。
「がははは! そうだな、だが聞きたい。この中で誰が俺より筋力があるというんだ?」
腰蓑だけつけた、むきむきの男がトレーナーだ。
すごい筋肉。
馬の後ろ足みたいな両腕なんだけど。
「僭越ながら、わたくしと力比べをしていただけますか」
「おいおい、冗談は止してくれよ。あんたみたいなひょろっちい女と力比べなんて……」
「なるほど。勝つ自信がないということですね? でしたらわたくしたちのほうが筋力で勝っているということでこのトレーニングはナシでよろしいでしょう」
うわ、リンゴが煽る。
「リンゴ、そんなふうに言わなくても……」
「ご主人様。わたくしたちは急ぐ必要があります。多少の摩擦は気にしていられませんわ」
多少じゃない気がするけど……。
ぴくぴくとトレーナーの頰が動く。
「あのなあ、言っておくが、補助魔法は一切禁止の純粋筋力の話だぜ?」
「無論ですわ」
「はー……まったく。そんな細腕のどこに自信があるのかはわからねえが……ともかく、俺が勝ったらおとなしくトレーニングを受けろ。な?」
「構いませんわ」
やれやれ、とばかりにトレーナーが両手の手のひらをリンゴに向ける。
そこにリンゴが両手を重ねる。
見学している村民たちから小さく悲鳴が上がる。
よほどすごい人なんだろう、このトレーナー。
「相手を押し込んだほうの勝ちだ」
「承知しました」
「それじゃあ、合図だ――3、2、1」
ゼロ、という言葉とほぼ同時だった。
トレーナーは仰向けにぶっ倒れて地面にめり込んでいた。
「……次は知識のトレーニングでしたでしょうか?」
リンゴは淡々と、僕らを振り返った。




