159 足取りを追って
「どうしてモラはいなくなっちゃったのかしら?」
モラが僕らの前から姿を消して2日。宿の部屋でエリーゼが不満げに腕組みをする。
「モラ様の最後の消息は警備員詰所です。その後――当時すでに暗かったこともあって往来に人影はなく、目撃者もいません」
「町から出たっていう線はないのよね?」
「ないでしょう。わたくしたちは翌朝から停留所にも行きましたがそれらしい人影はありませんでした。また、乗合馬車以外で町を出る手段はない……そうですよね、ご主人様」
「うん。個人で馬を借りることは難しいみたいだし」
聞いたところ、ブリザードピークで移動の手段である馬は非常に高価なもので、おいそれとよそものが借り入れることはできないようだ。
「警備員たちの事情聴取は問題なかった、ってことよね」
「そうですね。わたくしたちと証言内容にズレもなかったようです。だからこそわたくしたちはすぐに解放された」
「となると、帰り道、何者かに襲われたっていう可能性だけど……」
「モラ様に限ってそれは」
「だよねー。そうなると推理は行き詰まるわ」
エリーゼとリンゴがあれこれ推論を戦わせている。
でも僕は、このふたりにまだ話していないことが2つある。
「あのさ……モラと話してから、って思ってたんだけど……そういうわけにはいかないみたいだから、ふたりにも話しておくね」
「なに? 重要なこと?」
「うん」
僕がうなずくと、探偵のまねごとをしていたエリーゼは表情を引き締めた。なんだかんだいってモラのことをさほど心配していないから、楽しんでさえいる。モラは強いからね。
ただそうも言ってられなくなってきた。
「1つ目は、モラの過去のことなんだ」
僕はモラとアラゾアがここで出会ったという話をした。
簡単にね。
大人の会話はあんまり含めないでね。
「へー。だから、モラにとってこの町は慣れた町ってことなのね」
「うん。それともうひとつあるんだけど……」
リンゴが怪訝な顔をしていたけど、僕はとりあえず自分の話を優先させた。
「……ニオイ、なんだ」
あの倉庫。「統一世界未来予知機構」の倉庫。
5人もの死体が転がっていた、あの部屋。
「僕は、むせかえる血の中で、かすかにニオイを感じたんだ」
さわやかな果物の香り。
「白桃の香り……アラゾアのつけていた香水のニオイを」
室内の空気が凍りつく。
リンゴは深く考え込むようにし、エリーゼは考えながら口に出すスタイルだから、
「同じ香水があっただけじゃないの?」
「確率としてはゼロじゃないと思う。だけど、僕はあの香水を他のどの場所で嗅いだこともない。この町はモラとアラゾアにとっていわくのある町だ。アラゾアのものと考えてもおかしくはない」
「どうしてアラゾアが? アラゾアって死んだんでしょ?」
「うん……」
それは、確かだ。
モラの記憶を僕は見たから。モラがアラゾアにとどめを刺すところを。
「生前にこの町を訪れていたということはないの?」
「あるかもしれないけど、香水のニオイがずっと残ってることはないと思う。実は――」
昨日、僕はひとりでこっそりとあの倉庫に向かった。
厳重に警備されていたけど、ロジャーを見つけて「現場を見ればなにか思いつくかも」と無理を言って中に入れてもらった。
そうしたら、もうニオイはなかった。
「ノロット……あなたまで勝手な行動をしたら」
「ごめん。でも確認したかったんだよ。ニオイはもう消えていた。そう長くは保たないんだ。つまりアラゾアの香水を持つ者か、アラゾア本人が――アラゾアの死体が、5人を殺す現場に“あった”んだ」
そこで、考え込んでいたリンゴが口を開いた。
「ご主人様。わたくし、ここに来て疑問に思っていたことがあるのですが、聞いてもよろしいでしょうか?」
「なに? もちろん、聞いてよ」
「ひょっとしたらご主人様はとうに知っていることかと思いまして聞かなかったのですが――モラ様はいったいいつ、このブリザードピークに来たのでしょう?」
「え? そりゃ、アラゾアと知り合ったとき――」
僕は、そのとき、自分がバカだと思い知った。
「700年前……そんなわけ、ないんだ」
「そのとおりです」
「え? なになに、どういうこと?」
「モラはここの主人となじみのように見えただろ? でも、モラがいつここの町に来たのかが問題なんだ」
「あーっ! そっか! アラゾアと会ったのは700年も前だもんね!? え、じゃぁいつなの?」
モラが人間の姿を取り戻してから僕らと離れて行動した期間は短い――つまり。
「アラゾアはこの周辺で死んだんだ」
アラゾアはブリザードピークで死んだ。
ブリザードピークの気運がおかしい。
「統一世界未来予知機構」のメンバーが惨殺された。
この3つに関連があるのかはわからないけど、調べないわけにはいかない。というのもおそらくモラは「関連がある」と考えているからだ。
そうでなきゃ僕らになにも話さず調査を進めたことの理由がわからない。モラが独断で動くのはアラゾアのことに限ってのみだ。
今のところ、モラがなんらかの事件に巻き込まれたという可能性は無視してる。モラの強さを考えればね。
「まずはどうするの?」
「うん、モラがここに来たときの足取りを振り返ろう」
僕らはまず宿の主人に話を聞いた。
予想通り、モラがこの町に来ていたことの裏付けが取れた。ただ、主人はモラの行動を把握していたわけではないので、断片的な情報しか得られなかった。
「廃坑になっているヒョージュ銅山の場所を聞いておられましたな。それに、宝石細工場」
「宝石を細工していたんですか? この町で?」
「今でもやっていますよ。ブリザードピークの名産です」
主人が見せてくれたのはペンダントトップだ。
ガラス製なんだろうか? それにしてはものすごく透明度が高く、光の反射もすごい。多面体にカットされているけど余計な傷ひとつついていない。
エリーゼが欲しそうな顔をしていたけど僕は気づかないふりをした。
「ご主人様、どちらも行ってみますか?」
「そうだね。他に手がかりもないし――その前に一度、冒険者協会に行っておこう。銅山についての情報は得ておきたい」
銅山は遺跡になっているわけではないけど、希少な鉱石やモンスターを狙う冒険者が向かうことも考えられる。なんらかの情報が協会にはあるだろう。
町を歩いて行くと、光の粉のような雪がちらついていた。雲が薄くて太陽光がしっかり入ってきてるからね。明るくて、目が痛くなりそうだ。
冒険者協会は3階建てのどっしりとした、迫力ある建物だった。
扉から中に入ると、もう1枚扉がある。このスペースで雪を落としてから中に入れということらしい。
「……ん?」
協会に入ると、中の空気が尋常でないことに気がついた。
ロビーにたむろしている冒険者たちは同じ方向を見ていた。
それは紫紺の制服に身を固めた10人ほどの集団。
マントなのかローブなのかわからないものを肩からかけており、頭にはヴェールのついた四角い帽子をかぶっている。手にした錫杖は魔法宝石が埋め込まれていて彼ら全員が魔法使いであることを示している。
「情報を渡せないということはどういうことだ」
その魔法使い集団の先頭にいる女性が、カウンターの向こうにいる協会職員に詰め寄っていた。
彼女は他の魔法使いと同じ制服を着ているものの、手にした錫杖は金色で、また帽子をかぶっていない。
「これは規則です。冒険者協会は独立性を保つために軍への協力は最小限にするべきです」
「バカな。我々は軍ではない」
「ジェノヴァ大学の法撃特科戦隊は軍に類する戦力であるというのが冒険者協会の見解です」
「我々がやろうとしていることは軍による戦闘行動か? 違うだろう。自警に関わることだ。サルメントリアでも我々は自警団と同等の働きをする」
「申し訳ありませんが、なんとおっしゃっても規則を曲げるわけには参りません」
「……後悔するなよ」
先頭の女性は身を翻すとこっちへ――外へと続く扉へと歩いて行く。
その顔がはっきりと見える。
紫色の髪の毛は短く、ところどころ跳ねている。しかし目元は涼やかで美人だと言って間違いないだろう。
若い。30歳は絶対に行ってない。にもかかわらず、軍? を率いているんだろうか。
「…………」
ちら、と彼女が僕を見る。そのまま集団を引き連れて去っていく。
集団がいなくなると、冒険者たちはわいわいと話し始めた。ざわつきが協会内に戻ってくる。
「ノロット、なんだったんだろーね、今の」
「うーん。サルメントリアって言ってたよね」
サルメントリア。
魔法都市、サルメントリア。
ジェノヴァ大学って言ってたよな……それって確か、「魔神ルシアの研究室」があるとされる場所だ。
詳しく調べてはいないんだけど、ちょっと聞きかじった程度の知識では、魔法都市サルメントリアの中でもジェノヴァ大学は最大の魔法大学だ。でもって、冒険者協会と仲が悪い。
サルメントリアからブリザードピークまではかなり距離があるはずだけど……なにしに来たんだろう?
「今のは?」
カウンターに向かって話しかけると、さっきの応対をしていた男性――30代半ばだろうか? その職員がやれやれとため息を吐く。
「たまにあるんだよ。ジェノヴァ大学の連中が冒険者協会に情報提供しろって言ってくることが」
「提供……しないんですか?」
「しないね。あいつら、自分たちはまったく情報を出さないくせに我々には出せって言うんだぜ? 協会から依頼を受けて、大学関係のトラブルを解決しようとした冒険者ですら攻撃したりするから。死んでもあいつらに情報をやったりはしないよ」
「あ、はは……」
すごい嫌われようだな。仲が悪いって本当だったんだ。
「それで? 冒険者にしては若いようだけどなんの用だい?」
「あ、はい。ちょっと調べ物があって。資料庫を見たいんですが」
「うちは厳重でね。資料庫には入れられないんだ。言ってくれれば関係する資料を我々が運んでくる。そこの閲覧机でのみ利用可能。それでもいいかい?」
「はい、問題ありません」
「じゃあなんの資料が欲しいか教えてくれ」
職員がメモを取り出した。
「えーと、廃坑になったヒョージュ銅山というのがあると聞いたんですが、そこの地図や関係するモンスターなどの情報を教えていただきたいんですが……どうしました?」
メモを取ろうとした職員が怪訝な顔をしている。
「……一体、ヒョージュ銅山になにがあるんだい?」
「そんなに僕、変な質問しましたか?」
「そりゃまあ……変と言えば変だな。さっきのジェノヴァ大学から来た連中も同じことを聞いたんだから」
職員の警戒心が高まっていくのを感じる。
あの人たちもヒョージュ銅山を……?
僕だってどういうことかわからないのに、説明できるはずもない。
「まずは冒険者認定証を出してくれ。君の素性を確認する」
ざっ、という足音が聞こえた。
僕らの周囲を取り囲む職員――武装した職員を見るのは初めてだ。事務作業をする職員以外に、荒事を担当する協会職員もいる。彼らは元冒険者で、かつて高ランクだった者たちだ。特に冒険の途中で仲間を失うなどして、新たにパーティーを組む気になれない者がなるとか聞いたことがある。
なんだなんだと冒険者たちが騒ぎ出す。
彼らからすればハプニング続きで楽しいのだろう。だけど、彼らを楽しませるためにここに来たんじゃない。
「……ほんと今回はいろいろタイミングが悪いな」
僕はため息をついて、なにかあったら先制攻撃しようとしているリンゴとエリーゼを手で押さえる。
「お互い話を聞く必要がありそうです。いいですね?」
僕が冒険者認定証を――ダイヤモンドの埋め込まれた認定証を差し出すと、協会職員が凍りついた。
認定証と僕を何度も往復するように見て、
「あなたが、あの……タレイド氏からの通達でお名前だけはうかがっていました。まさかブリザードピークにいらっしゃるとは。どうぞこちらへ、奥に応接室がございます」
急に丁重になった職員。どよめく冒険者たち。
うーん、認定証を失効するかも、みたいな話になったときには「まあそれならそれでいいや」って感じだったけど、やっぱりグレードが高いっていうのは便利だよね。
通された応接室は広々としていた。今まで見たどこよりも広いかもしれない。
壁には周囲で獲れたのであろう、動物の毛皮が貼ってある。ふかふかもこもこで温かそうだ。飾っておくだけなんてもったいない。
「お待たせしました」
さっきの男性職員が沸騰したヤカンと、ティーポットを持ってやってくる。
無骨な手つきにリンゴがそわそわしている。
お茶が入る。このあたりの乳牛か羊からかわからないけど、動物の乳で煮出したお茶だ。独特の臭みがあるけど身体がぽかぽかあったまる。
「ダイヤモンドグレード冒険者のノロット様と会えるとは光栄です」
「あ、あのー、ふつうに接してください。ふつうの冒険者なので」
「そうはいかないでしょう」
「それじゃ、せめて“様”は止めてください……」
「そうですか? わかりました。では改めまして、私がブリザードピーク冒険者協会副会長のセルゲイと申します」
副会長だったのか。副会長がカウンター業務とかお茶入れたりするの……?
「いや、お恥ずかしい。ブリザードピークの協会は人手が足りませんで。なので私も駆り出されているんですよ」
「あ、そうなんですか」
「グレイトフォールは職員が多いでしょう?」
「前会長の失職で、不正に手を染めていた職員も合わせて辞めさせたから大変だってタレイドさんは言ってましたけど……」
「ああ、なるほど。それはそれは」
「それより、本題に入っていいですか?」
雑談をしている時間はあんまりないのだ。
こうしている間にもモラはどんどん遠くへ行ってしまう気がする。
「ヒョージュ銅山ですよね。資料は――ちょうど来ましたね」
ノックがあって女性職員が資料を運んでくる。そのままセルゲイさんに渡すと彼女はいそいそと出て行く。忙しそうだ。
「こちらが地図で、こちらが……15年前かな? そのときの調査資料です。なにもないですよ。銅も採れない。モンスターもいない」
「モンスター、いないんですね」
「あのあたりは永久凍土に近いですからね。モンスターだってものを食わなきゃ生きていけない。生き物がいないんですよ。銅が採れないというのも、深い部分は凍りついていて掘れないということが理由です。埋蔵量はあるんですが」
「なるほど……」
「このヒョージュ銅山になにがあるんですか?」
それこそ、僕の疑問なんだけどね。
「わからないのよ」
僕の代わりにエリーゼが言うと、セルゲイさんはきょとんとした。
「わからない……とは?」
「なにがあるかわからないから、調べに行く、って感じですかね。……僕らのパーティーメンバーがそこに向かった可能性があるので」
「はあ」
「ジェノヴァ大学の人たちはなんて?」
「あいつらは『情報を出せ』だけですね。なんの事情説明もないですから」
そっちから探るのは無理か。うーん、情報が圧倒的に足りないんだよな。
「あ、でも……なんでしたっけ、世界が未来予知がなんとかっていう事件を知らないのか、とかなんとか言っていたような」
「統一世界未来予知機構!」
「ああ、そうそう」
ジェノヴァ大学がそれを知っている?
「統一世界未来予知機構」とモラの失踪がつながってきたってこと?
「それはなんなんですか?」
「えーとですね……」
僕だってあまりよく知らないけど、ざっくりとした内容をセルゲイさんに伝えた。
「この町で乱れた気運……ってのはなんなんですか?」
「さあ……」
「ちょっと前に空がやけに赤く染まったことがあったんですけど、なにか関係してますかね?」
「空が?」
「ええ……まるで血を流したように赤くて。さすがに子どもたちは――ああ、私にも2人子どもがいるんですけど、家から出るなと言っておきました」
「空が真っ赤に染まった……雲が、ってわけじゃないんですよね? 時間帯は?」
「言われてみれば雲が、かもしれません。時間帯は夕方でしたよ。だからそこまで大騒ぎにはならなかったんですが。――言われてみるとヒョージュ銅山の方角だったかもしれないな……」
パズルのピースがひとつずつはまっていくような感覚。
だけど肝心な絵が見えない。
「この地図、写させてもらっていいですか?」
「構いませんよ。ではその間、ロビーにいます。人手が足りないもので……」
セルゲイさんは恐縮しながら出て行った。
これ以上の情報を得ることは難しそうだった。
地図を写してから外に出ると、ちょうどお昼時だった。
僕らは食堂のひとつに入って食事を取る。繁盛しているみたいでテーブルはほとんど埋まっていた。
カリッと油で揚げたパンに、濃いスープ。パンをスープにつけて食べるもよし、砂糖をまぶして食べるもよし。ボリュームがあって美味しい。
「調査は終わり?」
「それしかないだろうね。この町で僕らにできることはほとんど終わったし」
「ご主人様、宝石細工場はどうしましょうか」
「ヒョージュ銅山に向かう前に、寄ってみよう。道筋としてはちょうど――」
そのとき僕は、失敗に気がついた。
食事のニオイが立ちこめていたせいで――いや、ご飯に集中しすぎて気づかなかったんだ。
彼女のニオイに。
「面白そうな話をしているではないか」
僕らのテーブルの横に立った、ジェノヴァ大学の魔法使い集団を率いていた女性。
「この席を失礼する」
と言うや、勝手に僕らのテーブルの残り1席に座った。
周囲を確認すると、彼女以外に目立った動きをしている人影はない。
単独で行動しているのか?
「そう警戒するな。私は怪しい者ではない。ジスト=メーア、ジェノヴァ大学から来た」
「……ノロットです」
「エリーゼよ」
「リンゴと申します」
僕が名乗るとリンゴたちも続いた。
向こうがどこまで情報を持っているのかわからない以上、穏便にしておきたい。
「冒険者だな? 協会で見かけた」
「ええ、まあ」
「それで? 協会からなんと言われた」
「……え?」
「とぼけることはない。なにも依頼を横取りしようとも思っていない。冒険者協会からヒョージュ銅山の調査を依頼されたんだろう?」
あ……そういうふうに勘違いしたのか。
それならこっちも話を合わせたほうがいい。裏を取られることもない――協会はジェノヴァ大学が大嫌いみたいだし。
「まあ、そうですね。異常が起きていないのか、調査をしてくれと」
「それは中止してくれ」
「は?」
「正確には我々が肩代わりする。我々が調査を行い、内容を教えてやる。それをもってお前たちは調査完了とすればいい。もちろん、事前にお前たちの持っている情報を全部出してもらうがな」
「いや、それは、その……」
「悪い条件ではあるまい」
「ていうか、あなたを信用できません」
「そうか?」
するとジストは革袋を取り出すとテーブルに置いた。
銀貨がぎっしりと入っている。
額で言うと、おそらくヒョージュ銅山の調査依頼が実際にあったとして、その3倍程度の金額にはなるだろう。
「これをやる。どうだ?」
どうしよう。
ちらりとエリーゼを見る。「どうすんのよ」という顔をしているエリーゼ。うう、どうしよう。うまいこと話に乗って向こうの情報を引き出すつもりが向こうのペースに呑まれてる。
するとリンゴが僕の耳元で囁いた――わざと向こうに聞こえるように。
「銅山内部に、宝物があるのではないでしょうか?」
ぴくり、とジストの眉が動く。
「あー。はい、はい。なるほど、そういうことですか。なにか価値のあるものが銅山内にはあるということですね。だから大金を投じても先に行きたいと」
「バカな! そんなものはない!」
怒るジスト。知ってる。さっき副会長に聞いたもん。銅山はカラッポだって。
「どうでしょうねえ? これほどの金額をぽんと出せるんだから、疑わしいですよ」
「大体、調査依頼の途中で発見したものは協会に提出する規定があるだろう」
「そうですね。そういう規定はありますね」
よく調べてるな、この人。
まあそんな規定は有名無実化してて、たいていの冒険者は発見したお宝を私物化しちゃうんだけど。
「……チッ、ガキのくせにしたたかなヤツだ。お前の考えるようなものはあの銅山にはない。危険だから近寄るなと言っているのだ。わからないのか? 私が必要としているのはお前が持っているだろう坑内図だ。なんなら、他のヤツに話を持っていってもいいんだぞ!」
その割りに席を立たないのは、ヒョージュ銅山に関する情報がほとんどないからだろうと僕は推測した。
大嫌いな冒険者協会にまで押しかけたのだ。協会にしか銅山に関する情報はない。
まあ、その協会にもほとんど情報がなかったんだけど。
「ちょっと算術ができるなら、目の前にある銀貨と、さらに依頼達成による報酬とでそこそこの金になることはわかるだろう。それで満足しろと言っている」
ふつうなら納得するよね。
まあ、ここで納得しちゃうといろいろ面倒になるのでしないんだけど。
「ヒョージュ銅山に、ほんとうはなにがあるか知ってるんでしょう? それを教えてくださいよ。知らないで比べることはできないでしょう?」
さあさあ、そちらの情報をまずは吐いてくださいよ?
ジストが忌々しげににらんでくる。
小悪党っぽく応対すると相手から憎しみを買う。勉強になりました。
「……凶悪な魔法使いが潜んでいる可能性が高い」
「えっ?」
その答えは、僕の想定外だった。
「魔法使い――いや、魔女の名は、アラゾアという。聞いたことはないか? 数百年を生き、国を破壊した生ける伝説であるアラゾアという名を」
あり得ない――あり得ない。
アラゾアはモラが殺したからだ。確実に、彼女の命を奪ったからだ。
「証拠は? 魔女がいるっていう証拠」
聞き返した僕の声はかすれていた。平静を装うので精一杯だった。
「証拠か……過去に観測されたアラゾアと同じ魔力が、ブリザードピークで観測された。これを我々の知人は『気運の乱れ』と言ったがな」
あ……「統一世界未来予知機構」だ。
そうか。
ジェノヴァ大学と機構はつながっていたんだ。亜人の冒険者であるリーゼンバッハと同じく、ジェノヴァ大学もブリザードピークの異常を放置しなかった。そしてジストをここに遣わした。
結果が、機構メンバーの惨殺。
僕が嗅ぎ取ったアラゾアのニオイは――ほんとうに本物のアラゾアのものだったってこと?
あー。なるほど。そうだ。
モラも同じようにアラゾアの魔力を感じ取ったんじゃ?
そして、僕らを置いて姿を消した――殺したはずのアラゾアを追って。
「どうした。顔色が悪いぞ。我々に依頼を渡す気になったか? 情報とともにな」
「なにが知りたいんですか」
「協会から得た情報すべてだ。銅山内の坑内図もあるだろう? それを寄越せ」
「…………」
「なんだ、悪い情報ではあるまい。そんなに怯えたお前が、依頼を遂行できるわけもない」
「……検討する時間が必要ですね。明日の同じ時間に、ここで会いましょう」
チッ、と舌打ちするとジストは立ち上がった。
「わかった。それでいい」
きびすを返すと去っていった。
僕が「魔女」の名に怯えたと勘違いしてくれたのはよかった。
ふう、と息を吐いて背もたれに身体を預ける。
「大丈夫、ノロット?」
「ん。とりあえず宿に戻ろう――僕らは」
1日ぶんの時間は稼いだ。
今日中に町を出発する必要がある。
なんだかイヤな予感がする。モラをひとりにしたら、危ない。




