158 ブリザードピークの倉庫街
北へ向かうにつれて空の雲が厚く垂れ込めていき、僕らの会話もだんだん少なくなっていった。長距離移動用の連結乗合馬車には案外と乗客が多く、みんなもこもことした外套を着込んでいる。
かくいう僕らも防寒具はばっちりだ。
僕はレザージャンパーと手袋、それにイヤーマフのついた帽子を買った。
「はー、腰が痛くなっちゃうわ」
横に座ってるエリーゼは、膝まであるふわふわのコートを着込んでいる。気温が下がってきて頬だけが赤い。なんだか急に幼く見える。
「ご主人様、寒くはありませんか?」
オートマトンであるリンゴは特に防寒具を必要としていないのだけど、メイド服のまま酷寒を歩いていたらさすがに気味が悪いので薄手のロングコートを羽織っている。
「…………」
膝を組んで外をじっと見つめているモラは、ぴっちりとしたレザージャケットにレザーパンツだ。魔物の革を使っているようで断熱機能が高いらしい。
やっぱりモラの様子がおかしい。
グレイトフォールで聞いたアラゾアとの出会い。あの内容はそこまで考え込むようなものじゃなかったはずだ。ひょっとしたら感傷に浸ってるだけとか? うーん、でもモラはそういうタイプじゃないような気がするんだよな。
ま、でもなにか重要なことなら話してくれるでしょ。
——まずブリザードピークに着いたら、「統一世界未来予知機構」の人間に会ってくれ。
僕はリーゼンバッハから聞いた依頼の内容を思い返す。
ブリザードピークの気運が乱れている! と言われても、僕が気運をどうにかできるわけじゃない。
まずは「どこがどうおかしいのか」とか「考えられる原因はなにか」とか、そのあたりのことを聞いて欲しいということだ。
「統一世界未来予知機構」は、名前だけ見るとうさんくさいんだけども、魔術師が集まって結成している団体で、実は世界中のあちこちに支部があるらしい。とはいえ、異端の魔法ではあるけど。
——原因がはっきりしているならその調査、原因の除去。原因がわからないなら原因の調査だな。君に頼みたいのは。
アノロが言っていた。「混沌の魔王の復活は近い」と。であれば些細な情報——うさんくさい団体の言う「気運が乱れている」なんていう情報も無視したくない、というのがリーゼンバッハの考えなんだろう。うーむ。まさに英雄気質。やっぱり混沌の魔王を倒すのはリーゼンバッハみたいな人なんだよ。うん。
「……にしても、遠いな」
垂れ込める厚い雲から、ちらちらと白いものが降り始めた。
一年の半分は雪が降る極北の町。
近づくにつれて「極北」という言葉の意味を僕は知ることになる。
グレイトフォールが暑かったのがウソみたいだ。
ブリザードピークに着いたのはその日の昼過ぎ。
雪こそ止んでいたもののあたりは小麦粉でもまいたみたいに白かった。
「まずは宿を探さないとね」
言葉とともに漏れる息が白い。しっかり防寒具用意してよかった。
「……こっちだ。俺っちの顔が利く宿がある」
「あれ、そうなの? そっか、モラはここに来たことがあるんだもんね」
モラに導かれるままに歩いて行く。
建物は、大きな石を積み上げて壁にしたものが多かった。石と石の隙間には茶色い土が塗り込まれている。
屋根は傾いていて雪が積もりにくいようになっていた。
必ずどの家にも煙突がついている。お昼時には遅かったけれど、あちこちの煙突から煙が立ち上っていた。
石畳の道を歩いて行く。がっつり防寒具に身を固めた住民たちが行き交う。馬も、毛足の長いふさふさした馬ばかりで、どれもこれもずんぐりむっくりしている。
「ここだィ」
たどり着いたのは「雪山亭」というシンプルな名前の宿だった。2階建てで、奥行きがあるように見える。客室数は多そうだな。
分厚い木戸を開いて入る——と、ぶわっと蒸し暑い空気が流れてきた。
昼だというのに中には多くのランプが点っており、明るい。
1階のロビーは広々としていて、食堂を兼ねているのか食事をとっている人々の姿があった。
「あっつぅ!」
早速エリーゼが外套を脱ぎ始める。僕も脱ごう。
「おお、これはこれは。モラ様よくぞおいでになりました」
カウンターの向こうから、ビア樽みたいなでっぷりした人物が現れた。
ヒゲがもじゃもじゃで口が見えないよ。
「4人なんだが、何部屋ある?」
「2人部屋を2つでしたらご用意できますが」
「それで構わねェが——」
モラが僕らを振り返った瞬間、
「え?」
左腕をリンゴに、右腕をエリーゼに取られた。
「ご主人様のお世話をするのはメイドの務めですわ」
「ノロットと同室なんて、これはもうあたししかいないわよね!」
やれやれ、遊びに来てるンじゃねェンだぞ……とモラがため息を吐いた。
結局2部屋借りるには借りたけど、僕が1人で1部屋を使うことになった。ま、まあ、リンゴは寝ないからベッドは要らないしね……。
僕らは早速町へと出た。向かうべきは「統一世界未来予知機構」ブリザードピーク支部。
「聞いた住所だとここなんだけど……」
「ふゥむ。ここいらは倉庫しかねェんだがなァ」
モラが唸る。
僕らの目の前には石造りの倉庫。
錆びついた鉄の扉はぴったりと閉じられている。
通りには倉庫が並んでいる。冬の間の食事を貯め込んだりしているらしい。食事は長い冬の生命線だから警備兵が目を光らせて一定時間ごと巡回していた。
丸くて長い、ちょっと変わった毛皮の帽子をかぶっているからすぐにわかる。
「ご主人様、こちらに看板が」
周囲を確認していたリンゴが見つけたのは、倉庫の側面にある人ひとりぶんが通れる程度の鉄扉だった。扉の横には錆びついた看板が出ている。「統一世界未来予知機構」——ここだ。
「すみませーん」
鉄扉についたノッカーをガンガンと叩く。通りがかった警備兵が怪訝な顔でこちらを見ていたけど、僕らは特にやましいこともないので無視していると、向こうも通り過ぎていった。
うーん。ドアノブを回してもカギがかかってるな。留守か?
「いないのかしら? ノロット、あたしにやらせてみて。——すみませーん!」
ガンガンズガンズガンズガンとエリーゼがノッカーを壊すほどの勢いで叩いているけど、相変わらずなしのつぶてだ。
「なにをしている」
とそこへ警備兵がもう一度やってきた。
応援を呼んだのかもしれない。3人1組だ。
「ここの人に用事があって来たんですけど」
「……旅人か?」
「まあ冒険者ですね。さっきブリザードピークに着いて……」
「私たちはこの地区を毎日巡回しているが、ここから人間が出てきたことはない。扉も常に閉められている」
「えぇ……?」
でもリーゼンバッハはここから情報を得たんだよな。
なんか変だ。
「ま、この組織の連中はちィッとばかし変わったことをやってるからな。他人の目を気にしていたのかもしれねェぜ? 必要最低限以外は外に出ねェ、あるいは隠し通路がどっかにあるとかよォ」
「隠し通路だと?」
「だが、不用心なことだ。カギが開いてらァ」
え?
でもモラの言うとおり、扉は外側に、かすかに軋みながら開いた。
僕がモラを見るとモラは肩をすくめてみせる。……こいつ、ピッキングでこじ開けたな?
「誰かいるのか」
暗い倉庫内に向かって警備兵が声をかけるけれど、声は闇に吸われて消えた。
「ロジャー、ここは巡回名簿にあったか」
「いんや。住民不明で処理されてるはずだぜ」
「中に誰かいるなら確認しておいたほうがいい」
警備兵たちが3人で話し合っている。
「君たちは、ここにいるように。ロジャーもだ。私たちが確認してくる」
「あァ、構わねェよ。俺っちたちァ中の人間に用があるンだ。建物に用があるわけじゃァねェ。ただ、誰かいたら俺っちたちが来てることを伝えてくんなィ」
「あ、あぁ……」
モラの言葉使いにちょっと驚きながら警備兵がふたり、入っていった。
ロジャーと呼ばれた警備兵はここに残っている。僕らの見張りみたいだ。
僕の視線に気づいたのか、気まずそうにロジャーが答える。
「あー、気を悪くしないでくれよ? 最近倉庫荒らしが多くてな……特に食料が狙われているものだから警備が強化されているんだ」
「大変ですね。犯人の目星はついてるんですか?」
「いんや、それがまだなんだ」
「……妙ですね。こういう町ならすぐに足がつきそうなものですが」
「わかるかい? いつもならそうなんだが、今回はまったくだ」
「食い詰め者でなければ、組織的な強盗団でもないということでしょうか」
「ああ。むしろ動物じゃないかと思われてる」
「……動物?」
「荒らしかたがほんとうにひどくてな。散らかっているんだよ。食い散らかされたような感じだ」
「ふむ……」
僕がロジャーと話していると、エリーゼが僕の服の袖をくいくいと引いた。
「ね、ねえ、ノロット。なんでこの町ならすぐに犯人が見つかるの?」
「ああ。それは——」
僕は答える。
この町は孤島のようなものだ。移動手段は限られているし、特にこれから冬になると外からの情報もシャットアウトされていく。
そうなると犯罪を起こした者も町の中に閉じ込められる。ふだんと違う振る舞いをしている者がいれば目立つし、流れの犯罪者ならなおさらだ。
あるいは組織的な強盗で、食材を横流ししているのならこれも簡単に摘発できる。なにせ、町にやってくる馬車の数は限られている。
「へー……ノロットって、たまに思うけど頭いいよね」
「たまに、ってなに、たまに、って」
「さすがです、ご主人様」
ま、まあ、リンゴの褒め方はストレート過ぎるけども、エリーゼも素直に褒めてくれていいのに。
「動物ならノロットの出番じゃねェか?」
とモラがいきなりそんなことを言った。
「え? なんで?」
「そりゃァお前ェ、鼻が利くだろォ? 現場のニオイを嗅げァなにが荒らしたのかわかるってェ寸法よ」
「あー」
確かに。
「どういうことだ? 鼻が利く、っていうのは、ニオイに敏感なのか? それとも動物に詳しいのか?」
「あー、それはですね……」
と僕が説明しようとしたときだった。
——うわああああああああ!?
倉庫の中から、警備兵の絶叫が聞こえてきた。
「チッ!」
真っ先にモラが倉庫に飛び込んだ。次は僕だ。エリーゼとリンゴが続いて、
「え? あ、ちょ、ちょっと待ちなさい君たち!?」
ロジャーが追いかけてきた。
暗い。
入口からの光だけが光源だ。
だだっ広い倉庫で、壁際に古びた棚があるくらいで他にはなにもない。
一年を通じて気温が低いせいだろう。ニオイはほとんどない。だけど——ここに似つかわしくないニオイを僕の鼻は嗅ぎ取っていた。
「こっち!」
血なまぐさいんだ。
僕は腰に吊った道具袋から蛍光石を取り出す。ぼんやり周囲が見えるようになる——と、倉庫の奥まったところに、木製のフタが外されているのが見つかった。
それは、地下への入口だった。
さっきの警備兵たちはここを降りていったっぽい。ニオイはここから来ている。
階段はらせん状になっていた。警備兵が持っていたらしきカンテラの明かりが下方から伝わってくる。
同時に、ニオイが——僕の鼻に襲いかかってくる。
「なんだ、このニオイは」
モラも気づくほどだ。
僕らは急いで階段を降りた。降りた先には扉があり、それは開かれていた。
扉の先には部屋——地下室。
地下室の中心には警備兵がふたり。
そして、
「うわ……」
壁にまで飛び散った、血。
床は血まみれだ。
5人ぶんの遺体が転がっていた。
胸を裂かれ、腕をちぎられ、首が転がっている。
生存者がいないことは確実だった。
「統一世界未来予知機構」ブリザードピーク支部の5人が惨殺された事件は、早い冬を前にした静かな町に衝撃をもたらした。
事件のあった倉庫は警備隊によって封鎖され、僕らは警備隊詰所に連れて行かれて事情聴取を受ける。といっても僕らがこの町に来たのは今日だったから、あたりが暗くなるころには解放された。
「…………」
僕はひとり、考えていた。
事情聴取には正直に答えた。
だけど、ひとつだけ答えなかった——話さなかったことがある。
聞かれなかったから答えなかった、っていう感じではあるんだけど。
このことについてはモラに話を聞かなきゃいけないと思っていた。
「君らも災難だったな。ただのメッセンジャーとして来たってことだろ?」
警備隊詰所の入口でロジャーが話しかけてきた。
別々に事情を聞かれていたから、僕は今ひとりだった。みんなと合流して宿に帰ろうと思っていた。
「そうですね。仕事としては簡単な部類だったはずなんですけど、こんなことになるなんて……」
「運が悪かったってことだな。ここには長くいるのかい?」
「えーと……どうかな。まだ決めてません」
「冬が本格化すると町から出るのも厳しいからな。1カ月経つ前には決めたほうがいいぞ」
「ありがとうございます。——あの、殺人犯は誰なんでしょうか」
「さーな。調査はこれからだし……でも、あれは」
ロジャーはぶるっと身体を震わせた。
「まるで動物、いや、悪魔の仕業だよな」
「……それまでの食料荒らしと同じ犯人ですかね」
「ふつうに考えればそうだろうが……あの団体はなんなんだ? 今まで人間は襲われなかったぞ」
「さっきも散々聞かれましたよ」
僕は同じ答えを繰り返した。世界の気運を監視している団体で、詳細はよくわからない。
「そうか——そうだったな。それじゃ、気をつけて帰れよ。お仲間が来たみたいだ」
ちょうどエリーゼとリンゴがこちらへやってくるところだった。
「あれ? モラはまだ?」
「ん? もうひとりの連れは先に帰っていったぞ」
ロジャーが言った。
モラが先に帰った?
もやっとしたイヤな感覚が胸を満たす。
僕らは急いで宿に帰った。
宿にモラはいなかった。
翌日も。その次の日も、モラは現れなかった。




