157 亜人の冒険者
「私はこれから『女神ヴィリエの海底神殿』に向かう。君は確か、すでに突破済みなのだったな」
僕らは人のいない一角に引っ込んだ。
建物の陰、立ち話をするにはちょうどいい場所があった。
「リーゼンバッハさんは……神の試練を続けているんですか」
「ああ。邪神アノロとの約束だからな」
「約束ですか」
僕には、一方的に混沌の魔王復活の阻止を依頼されたような気がしたけど。
「私はアノロにちょっとした便宜を図ってもらってね。……肺を病んだ仲間を救ってもらったんだ」
「そうなんですか?」
「なにせアノロは——ああ、新鮮な感覚だ。初めて会った君と神の試練について話せるなんて。そう思うだろう、君も? ——アノロの話だったな。彼女は私のパーティーメンバーが肺を病んでいることをすぐに見抜き、治療薬の作り方を教えてくれたんだ。私は彼女に借りがあるというわけだ」
「それで……混沌の魔王を」
「年寄りにはしんどいがな」
はっはっは、と乾いた笑いを漏らしている。
亜人種の年齢は僕にはわからないけど、まだまだ現役の冒険者に見える。
「リーゼンバッハさんはひとりで来たんですか?」
「いいや、パーティーを組んでいるよ。今日はもろもろ調査や買い出しのために自由行動だ。そうだ。なにかアドバイスはあるかね?『女神ヴィリエの海底神殿』を突破した君から」
「いや……詳しくは話せませんし」
「そう言えばそうだったな」
「でも『63番ルート』は苦労しました。モンスターが強くて……特に王海竜には気をつけてください」
「王海竜が出るか。だが心配は無用だ。すでに王海竜なら過去に2度ほど戦い、退けている。問題はない」
「ええっ!? すごい!」
驚き感動するのと同じくらい、僕は安堵していた。
あの王海竜を2回退け、さらに問題がないとまで言い切るんだもの。
これはもう、混沌の魔王はリーゼンバッハさんがなんとかしちゃうんじゃない?
「しかし、驚いたよ。神の試練の場所がすべて公開されるとは……もしかしてあれは、君の仕業か?」
「えっと……」
「言いたくなければ言わぬでもよい。私には思いつかなかった方法だ。アノロは強い冒険者を求めていたが、こうまで思い切った手段を思いつかなかったんだろう。かく言う私もそうだ。ただ、私の場合は冒険者はある程度選別されるべきだと考えたせいもあるが」
「選別……って」
「言い方が悪かったな。混沌の魔王と戦うのなら強い冒険者が必要だ。それはもうとてつもない強さだ。情報を無条件に拡散すると、弱い冒険者も巻き込まれてしまう」
「それは——」
考えないことはなかった。
僕が神の試練の場所を伝えてしまったがゆえに、無謀にも命を捨ててしまう冒険者も出てくるんじゃないかって。
心のどこかでは、考えていたんだ。
こうして真正面から指摘されると、さすがに心がぐらつく。
「ご主人様は間違ったことをしていません」
リンゴが割って入ると、リーゼンバッハは苦笑した。
「すまない。これもまた語弊が生じたか。彼女が言うとおり、ノロットのしたことは間違いではない。間違いだと言うなら、あらゆる遺跡の場所はすべて秘匿されなければならないし、冒険者協会だって必要なくなってしまう」
「……ええ。僕も同じことを考えていました。これは『危険の程度』の問題なんだ、って」
危険じゃない場所なんて世界にはない。
であればどこに行くかを決めるのも自分だ。
「ノロット。私は、自分が特別だと思いたいだけかもしれない。神の試練に挑んでいるのは自分だけだ、ここまで来たのは自分だけだ……と。冒険者ならみな思うことだ。だから神の試練の場所を公開するという動きにはならなかった。何人もの冒険者がアノロからすべての神の試練について聞いているのに」
「そう……かもしれません」
遺跡を踏破したときに感じられる全能感。
自分が特別な存在である、そんなふうに思う瞬間。
それはつまるところ「生きている」という実感なのかもしれない。一度冒険者になると、もう冒険者としてしか生きられない——。
「ノロット、君はどこまで神の試練を進めた?『女神ヴィリエの海底神殿』が終わったということは、あとは『魔神ルシアの研究室』だけか? あるいはもうそれも終わり——」
「ま、待ってください。僕らはそんなに進んでいないんです。順番もメチャクチャで、まだ3つだけです、踏破したのは」
「そうなのか? では次は『聖者フォルリアードの祭壇』に行くのかね」
「いえ、それも違います。僕は……もう神の試練はもうあきらめようかと思っているんです」
薄い、トカゲの目が大きく見開かれる。
小さくて長い息がリーゼンバッハの口から漏れた。
「そうか……だから、君は場所の公開を……いや、それもまた君の人生だ。とやかくは言うまい。しかし、惜しいな。君ほどの能力を持つ冒険者が……いや、これもまた言っても詮無いことか」
「…………」
「そうだ、もしもほんとうにあきらめてしまったというのなら、ひとつ頼まれてはくれないか?」
「頼み、ですか?」
「ああ。ちゃんと報酬も払う。これは神の試練について知っている君に頼みたいことなのだ」
そうしてリーゼンバッハは僕に、ある頼み事をした。
「うぇぇ……なにこれ」
僕がげんなりした顔をすると、テーブルの向かいに座っているモラは満面の笑みを浮かべた。
「面白ェ店を見つけたっつったろォ? これがそれよ」
店は素敵だった。内装も落ち着いていて、テーブルのキャンドルも雰囲気がある。
ただまあ気になるのがお客さんが亜人ばかりだってことなんだけど、それは、この料理が出てきて僕は察した。
皿に盛られた、こんがりと揚がった——足が六本の生き物。
虫、である。
「コイツの殻をバキバキと剥いて食うとうめェンだ」
「ごめん、全然無理だから」
「ちょっと試してみな」
「いやほんと無理」
「モラ、頭おかしいんじゃないの?」
僕とエリーゼが白い目を向けているけど、モラは平気そうな顔で虫を食べている。
美女と虫。
絵に……ならない!
「モラさあ、カエルだったときのこと引きずりすぎでしょ」
「そうよ。そりゃカエルのときにはぱくぱく虫を食べてたんでしょうけど」
「おィ、勘違いするんじゃねェや。俺っちはカエルだったころァ虫なんざ食わなかったぜ。果物専門よ」
「じゃあなんで今になって虫を食べるんだよ……」
「人間に戻ったら、『そういや食ってみるか』って思ってよォ」
やっぱりどうかしてる。
僕とエリーゼは肉料理と魚料理を別々に頼んで食べることにした。リンゴは優雅にお茶を飲んでいる。
「それで——リーゼンバッハって人に会ったんだよね、ノロット。頼み事って結局なんだったの?」
「うん。混沌の魔王に関することかもしれないから調べて欲しいって。場所が場所で時間がかかるからリーゼンバッハさんは行くのに躊躇してるみたいで。行ってなにもなかったら、ねえ?」
「ふーん。その場所って?」
「……ブリザードピーク」
僕が言うと、虫の殻を剥くモラの手がぴたりと止まった。
そう——モラに話を聞いた、モラとアラゾアの出会った町。
極北の町だ。
ここからは片道で1カ月ほどかかる。
「……そこになにがあると、リーゼンバッハってェ野郎は言ってンだィ」
「なんでも、大気の機運を計測してる団体? みたいなのがあって——」
「『統一世界未来予知機構』、とリーゼンバッハは申していました」
リンゴが捕捉する。
「聞いたことがあるな……」
「え、モラ知ってるの?」
「小耳に挟んだ程度だ。風変わりな団体だが予知はそこそこ当たるッてよォ。——それで、そいつらがなんだってンだ」
「うん。極北で気運が乱れてるって。大災害の前兆かもしれないって説明してる」
「……その発表があったのはいつだ」
「発表があった時期? 聞かなかったな……重要なの、それが?」
「…………」
「モラ? なにか心当たりがあるの?」
「……いや、今のところはまだなにも言えねェ。とりあえずそこに行く気なんだな?」
「うん、依頼として受けちゃったし、前金ももらっちゃったから。ひょっとして断ったほうがよかった?」
「いんや。お前ェが決めたことだ。構わねェよ」
モラは虫を食べ始めた。
それから僕らは別の話をしていたけど、モラはひとり違うことを考えているみたいに黙っていた。
たぶんアラゾアのことか、アラゾアと出会った当時のことを思い出しているんだろうと僕は思った。




