156 エピローグ……にはさせてくれない
「ご主人様、紅茶を煎れました」
「ありがとう。そこに置いておいてくれる?」
にこにこしながらリンゴが紅茶の入ったカップを置く。僕はとっくに、その紅茶の香りがすばらしいことに気づいていた。鼻の良さだけが僕の取り柄みたいなもんだからね。
「進捗はいかがですか?」
「んー……まあ、まあかな?」
「ご主人様ならすぐにも新しい発見をされますわ」
「そう簡単にはいかないよ」
「でもご主人様ならきっとできます。わたくしにはわかりますわ」
今日のリンゴはやたらご機嫌だ。
それはそうかもしれない。モラはふらりとどこかへ出かけてしまい、エリーゼは買い物をするからと——なんでも女性に必要な買い物なので男である僕にはついてきて欲しくないんだとか——出かけてしまった。
僕のそばにいるのがリンゴだけ、っていうのは最近じゃなかったことだ。
だからなにくれとなく世話を焼いてくれる。や、いつも世話を焼いてくれるんだけど、今日はずっとにこにこしている。無表情が貼り付いているリンゴにしては珍しい。そんなにうれしいのか。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
逆に、仏頂面の面々がいる。
僕らをちらちら見ている——冒険者の皆さん。
いくらここが広いとはいっても、メイド(姿のオートマトン)に紅茶を煎れさせているのなんて僕くらいのものだ。
そう、ここは広い。
グレイトフォール冒険者協会の資料室。
なんだかんだ、僕は「青海溝」の「63番ルート」踏破に当たってはここに来ることがなかったんだよね。ゲオルグからは地図が提供されてしまったし。資料の確認は一応してたんだけど、資料室まで来ることはなくて、協会の人にお願いして最低限必要な資料を見繕ってもらったんだ。
冒険者の皆さんは不愉快そうな顔をしているものの僕に話しかけてくることも因縁をつけてくることもない。絶対にない。タレイドさんが禁止令を出したからね……「冒険者ノロットの調査の邪魔をした者はこの町からたたき出す」って。
あのおじさんに権力を持たせると怖いんだな。僕は助かっちゃってるけど。
「今はなんの本を読まれているのですか?」
「ん……これはグレイトフォール近海にある小島についてだね」
僕が資料を調べている目的はふたつある。
ひとつは、遺跡の調査だ。と言っても青海溝じゃない。青海溝自体が神の試練の一部であるとわかった以上、「女神ヴィリエの海底神殿」を突破した僕らが調べなくちゃいけないものはない。と思う。
だからここの近海に広がる遺跡だ。
結構な数の小島があるようで、小さな遺跡も発見されている。未踏破らしい。冒険者たちは「青海溝」に来るからだろうね。
漁師に頼んで船に乗せてもらえば渡ることもできるだろう。
もうひとつの目的は……暇つぶしだ。
実は僕ら、グレイトフォールから出られないでいる。
タレイドさんが発表した神の試練に関するニュースは、電撃のように世界に走った。
結果、各地で冒険者が神の試練に挑戦しているらしい。まあ、これは予想通りだよね。
僕らの予想としてはグレイトフォールが多少空くんじゃないかって思ってたんだ。だって神の試練が他にもあるならここに来る必要はないだろ? そうしたら悠々とグレイトフォールを離れようと思ってた。グレイトフォールに残ってタレイドさんと僕らが親しい様子が見られれば、神の試練の場所と、僕らのことを結びつけて考える人も出てくるかもしれないから。
ただ予想とは逆のことが起きたんだ。
「ここ……広いけど、人も多いよね」
「多いですわ」
資料室は多くの冒険者で賑わっていた。
「まさかグレイトフォールにやってくる冒険者が増えるだなんて……」
「ご主人様は減ると予想されてたんですよね?」
「うん。でも事実は逆。増えた。考えてみれば当たり前だったんだよな……安くないお金を使ってグレイトフォールにやってきてるわけじゃない、冒険者は。それなのにめぼしい成果も上げずに他の神の試練に移動するわけがない」
「それは理解できますが、ならば現状維持がせいぜいではありませんか? グレイトフォールに冒険者が増えるというのはどうしてでしょう?」
「他の神の試練の場所だろうね」
神の試練の中でも、街中にあって行きやすいのは「勇者オライエの石碑」だけだ。他はかなりの辺境に位置しているか、おいそれとは入れない場所にある。
で、「勇者オライエの石碑」は適性を認められるかどうかの場所でしかない。遺跡だけど求めていたのとは違う、みたいな? だから冒険者にとっては旨みが少ないんだよね……名声を得られるというのはあると思うんだけど。
その中で「女神ヴィリエの海底神殿」は違う。遺跡のすぐそばに遺跡攻略をサポートできる都市がある。遺跡から産出するアイテムを売ることができる。少しずつ自分の実力を試しながら難易度を上げていける。さすが、冒険者育成遺跡。
タレイドさんが発表してから2週間が経とうとしている。この手の情報は、どこをどうやってなのか僕には全然わからないけど、冒険者たちの間に広がり——結果として「やっぱグレイトフォールが最高じゃん」みたいになってるらしい。
「今、船に乗ると目立つよねえ……」
「目立つでしょうね」
グレイトフォールから離れる冒険者はゼロ。
そんななか、僕らが出て行ったら目立ちまくる。
今回の件についてはなるべく目立たないようにしてるからね、だからちょっと我慢してグレイトフォールで時間を過ごしているってわけ。
ちなみに発表を受けた、神の試練が位置している地域の反応は様々だった。
「勇者オライエの石碑」があるヴィンデルマイア公国は黙秘。
「光神ロノアの極限回廊」があるルーガ皇国は「存在は確認できていないが、冒険者の来訪を歓迎する」というコメントを発表。冒険者協会本部があるのもルーガ皇国だからかもしれない。
「邪神アノロの隘路」がある、エリーゼの出身地でもあるロンバルク伯爵領は完全に無視。ていうか、クーデター騒ぎでそれどころじゃないって感じ。
「聖者フォルリアードの祭壇」があるマヤ王国はルーガ皇国に近い。冒険者大歓迎。どんどんお金を落としていってね。ただし命の保証はしません——という雰囲気。タレイドさんが極秘で仕入れた情報によると、神の試練を仕切っている実力者が政権内にいて、そいつの対抗馬がこれを機に政争を仕掛けようとしているとかなんとか。きな臭い。
「魔神ルシアの研究室」がある魔法都市サルメントリアのジェノヴァ大学は全面否定。こんな発表をした冒険者協会を非難するという声明を出した。元々冒険者協会と魔法都市は犬猿の仲だったみたいだ。
こう考えると、いかにグレイトフォールが恵まれてるかわかるだろ?
もちろん、グレイトフォールほどじゃないにしても各遺跡には冒険者が押し寄せてるらしいけど。
「ご主人様、そろそろ暗くなりますわ」
「あ、もうこんな時間か。行こうか?」
資料室の本を片づけ、僕はリンゴとともに冒険者協会を出る。
町は——すごい人いきれだ。
ますます宿は取れなくなり、冒険者協会は都市管理政府と協力して、協会の認定する民家も冒険者向けの宿として利用できる制度を導入した。冒険者は、民家とは言え協会が認定した信頼ある場所に泊まることができ、民家は、空き室を使って商売ができるし協会が選別した質の良い冒険者だけが来るから安心できる。
と言ってもグレイトフォールに民家なんてそう多くないからね。焼け石に水というところではある。
港の周辺にテント村ができているし、一番近い「青海溝」入口の——つまり海底洞窟内にも宿泊施設ができているとか聞いた。空前の冒険者需要だ。
「今夜は外で食べようって話してたんだっけ?」
「はい。モラ様が見つけたお店を予約してあります」
「なんか気になる」
「なにがです?」
「モラが見つけた、ってところがさ……だって『おもしれェ店見つけた』って言ってたんだよ。あのモラが『面白い』って。怪しくない?」
「怪しいですか?」
「怪しいよ」
「ふふ」
「いや、笑うところじゃなく。ああ、リンゴは食べないからね。食べるの僕だからね」
「いえいえ、そういうわけではありません。ご主人様の表情が日に日に柔らかくなるのを感じまして」
「……え?」
「しばらくの間、ご主人様は——言い方は悪いかもしれませんが、悲壮なものを漂わせていらっしゃいました。それが今はほとんどありません」
ああ……それはあるかも。
毎日が気楽なんだよね。
なんていうか——神の試練のことを、他人に預けられたからかもしれない。
僕らよりも優秀で野心のある冒険者が「救世主の試練」までクリアして、混沌の魔王の復活を阻止するか、倒してくれればそれでいいやーって思える。たとえばプライアとかさ。
「いろいろさ……僕にとっては無理難題だったんだよ」
「そうでしょうか」
「そりゃ僕だって冒険者に憧れたくちだから、遺跡を踏破したいって思った。そうしていくつか遺跡を踏破できたことはほんとうにうれしいし、冒険者として生きていくことにやりがいも感じる。でも……なんていうか、今までができすぎなんじゃないかって思うんだ。ここから先は、きっと僕には無理だって思う」
「わたくしはそうは思いませんわ」
「——え?」
僕は思わず歩みを止めてリンゴを見る。
「ご主人様は『今までができすぎ』とおっしゃいましたが、そんなことはありませんわ。ご主人様は努力家です。努力をした結果が今に結びついているだけです。むしろ不運ばかりだったところを見事に切り抜けたというように感じます」
夕陽を浴びたリンゴの髪は、ますます燃え上がるように赤い。
まったく、このオートマトンは、僕をおだてることがほんとうに上手だ。
「わかった、わかったよ」
「ご主人様、わたくしは本気ですわ」
「わかってる」
「わかっていませんわ」
「はは。ごめん、だいぶ話半分に受けてた。でもリンゴの気持ちはうれしいよ、ありがとう」
「……はい」
はにかむようにリンゴが笑う。
こんなに表情豊かだったっけ、と思うときがある。
リンゴも、オートマトンとして成長しているんだろうか。
「でもね……あとのことは他の冒険者に任せよう。僕はまだ冒険者になって日が浅いんだ。それこそもっと努力しなくちゃ。難しいことを考えるのはその先だよ」
これでいい。僕には僕の生き方がある。
創世神話になるような英雄譚は他の冒険者に譲る。
神の試練に連なる僕の物語はここでいったんエピローグだ。
「わかりました。微力ながらお手伝いします」
「リンゴが微力だったら僕なんて無力だよ——」
と言いかけたときだった。
「————」
「————」
人混みの中、僕を見ている視線があった。
そして僕もその人物を見返していた。
これだけの人がいても、その人に気づいた。
「——あの人物は」
リンゴも、気づいたみたいだ。
深くフードをかぶっている。
だけど身長は2メートルを優に超え、体つきは非常にいい。
でも異様なのは、そのサイズじゃない。
ちらりと見えるフードの中——そこにあったのは、人間の顔じゃない。
「……亜人」
僕の知り合いに亜人はほとんどいない。シンディくらいだ。
だけど、その人が誰なのかがわかる。
向こうも僕を“同じ”だと思っている。
こちらが動かないでいると、向こうが近づいてきた。
「……君は小さいが、なかなかに優れた冒険者だと見える」
「あなたの名前を聞きました、“彼女”から」
ああ、やはりな、と言って彼はフードを外した。
現れたのはトカゲの顔。
鱗がびっしりと身体を覆っている。
「リーゼンバッハだ。君は?」
「ノロット、です」
こんなところでばったり会うことになるとは——「邪神アノロの隘路」を突破したトカゲ系亜人、リーゼンバッハと。




