154 宵の口に
グレイトフォールの宿泊施設は冒険者たちでぱんぱんだった。それでも冒険者協会はなにかあったときのためにいくつか客室を押さえてあるということで、僕らはそこに厄介になった。
タレイドさんは「あとは任せなさい」と言ってた。
新聞社には連絡してくれるという。明日の正午、神の試練の所在地は世界に向けて公開される。
「ふう……」
ひとつ、重荷が下りた思いだった。
僕はホテルの屋上にひとりやってきていた。
グレイトフォールの町並みは他の都市とはまったく違う。
僕が目にしているのは、林立する高層ホテルたちだ。
このホテルの正面は広場になっているから、見晴らしがいい。
どこも満室で、室内からは明かりが漏れている。
もちろん、宿を確保したまま遺跡に出かけている冒険者たちも多いし、この時間――夜の8時だと外で食事をしている人も多いだろう。明かりが点っている部屋は半分ほどだ。
地上階の飲食店は絶賛営業中で、酔客の大きな声が響いている。
吹き抜けていく風が気持ちいい。
海に囲まれたグレイトフォール。一年を通じて暑すぎず寒くない気候だ。
まあ、潮風だからちょっとべたつくのが難点だけどね。
「――こんなところにいたのかィ」
やってきたのはモラだった。
マントを脱いで、身軽な部屋着になってる。うっすらと化粧をしているのと耳にピアスがなければ一瞬男の人に見えるかも。ショートカットだし、すらっとしてるしね。
「うん。ここにいると気持ちいいし」
「まァな」
モラは僕の横に並んだ。手すりに両手を載せるとギィと音が鳴る。
僕らはしばらく並んで広場を眺めていた。
「……なァ、ノロット」
広場を見つめながらモラが言った。
「俺っちは……アラゾアの命を奪った」
淡々としているけど、どこか罪の告白にも似た響きがあった。
「……だけど俺っちはそれを後悔しちゃァねェ」
「うん、わかってる」
「お前ェは聞かねェンだな。アラゾアと俺っちがどういう話をして、ああなったのか」
潮風が吹いて、モラの前髪を揺らす。
その横顔が絵になる。金色のカエルだったころは、こんな人がモラだったなんて思いもしなかったな。
「言ったろ。僕はモラにすまないことをした。僕はついていくべきだった。それなのについていかなかった。そんな僕がモラの決断に口を挟むことなんてできないよ」
「――ノロット」
そのときになってようやくモラが僕を見た。
「お前ェは、成長したなァ……」
「え……どうして?」
「自分で考えて答えを出せるようになった。それァ一人前の男にしかできねェことだ。この短い間に、お前ェは化けた」
「そ、そうかな……ま、結構大変なことばかりだったし」
「違ェねェ」
くっくっく、とモラが笑う。心底楽しそうに。
「なァ、ノロット……これァ別にお前ェが聞く必要のねェことだ。だけど聞いてくんねェか。ただ俺っちが話してェだけ、俺っちが話して楽になりてェだけ……アラゾアの最期のことだ」
話す必要のないことを話してくれる。
話すことでモラが楽になろうとしている。
それは――きっと、信頼の証。
「聞くよ、なんでも。気の済むまで話して」
話題は重たい内容に決まってるけれど、モラの信頼を感じて心が温かくなるのを感じた。
「アラゾアはバカな女だった。自分の欲望に一途で、俺っちみてェな女に惚れた」
懐かしそうな、それでいて悲しそうな声でモラは話し始めた。
「モラとアラゾアってどこで出会ったの?」
「をん? そうだな――あれァ氷に閉ざされた町、ブリザードピークにある大きな酒場だった」
長い冬のある日、一日中日の光が射さない日。
人々は酒場に集まる。バカ騒ぎをする。深い議論を交わす。歌を歌う。
「アラゾアはすでに魔女となっていた。だが身分を偽ってブリザードピークに潜り込んでたンだ。それに俺っちは気づいた。とはいえ魔女狩りが趣味ってわけでもねェ俺っちは、放っといたンだ。アイツァ歌が上手くて、荒くれ者の客どもに大人気だったしよ。それなのにアラゾアのほうから俺っちに目を留めた」
――あなた、私が何者かわかってるのね。でも話さない。どうして? それをネタに私を脅す気?
――バァカ。俺っちがそんな無粋な真似するワケねェだろォが。お前ェは趣味じゃねェ。それだけのことよ。
――ふーん……私が本気になったらあなたなんて私の虜になっちゃうのに。
――ならねェ。試してみろィ。
――そうやって私の気を引こうというのね。
――カーッ。自意識過剰な女はいちばんきれェだ。
「結局べろべろに酔ったアラゾアは俺っちに魅了を仕掛けたが、俺っちには効かなかった。詠唱したマジもんの魅了だったがそれもダメ」
「それってモラが女だから?」
「それもある。だけどな、俺っちは魔剣士だ。でもってかなり変わった魔法を使える――剣を召喚できるのァお前ェも知ってるだろ」
「うん。空中から剣を引き抜いてるヤツでしょ? 魅了となにか関係があるの?」
「あれを使えるようになるのァ魔法への抵抗力が高くなきゃならねェ。じゃねェと剣を召喚するときにあっちの世界に引きずり込まれるからなァ」
「そ、そんなに厄介な魔法だったんだ……」
結構簡単そうに使ってたのに。
「でもそれで魔法への抵抗値……魔法が効きにくくなるっていうならいいとこずくめだね」
「それがそう、うまいことばかりじゃァねェ。魔法への抵抗っつっても、なまなかなもんじゃァダメだ。それこそでたらめに抵抗を高める必要がある――アラゾアの魅了がまったく効かねェほどにな。そのために俺っちはあるものを犠牲にした」
モラは自分の手を見た。
ほっそりとした白い手だった。
「病気への抵抗力だ」
「……病気、って伝染病とか?」
「もっとだ。ただの風邪でも俺っちには致命傷になる。死ぬ可能性がある」
「ええええ!? だ、大丈夫なの? そんなんですごく寒いところとか行ったんでしょ?」
「あァ。ある意味賭けでもあったンだが、俺っちの身体はどこまで耐えられるか試したくてな」
「そ、そういうことか。で、賭けには勝ったんだね」
「いんや、負けた」
「……え?」
「アラゾアと呑んだ翌日に風邪を引いてよォ。さすがにあんときは死ぬかと思ったぜ……ま、それを看病してくれたのもアラゾアだったってェワケだ」
自分の魅了が効かなかったモラに興味を示したアラゾアはモラの看病を買って出た。
そこで初めてモラが女性だと気づき、さらにはモラに惚れたらしい。
「回復した俺っちは、ブリザードピークを離れた。あちこちの魔物を討伐したりな、懸賞金の掛かった禁術遣いをとっ捕まえたりな、各地をふらふらしていた。するとどこからともなくアラゾアが現れるンだ。さすがの俺っちもこれには参ったな。だがアラゾアは俺っちが造りたがった『翡翠回廊』の建造を手伝ってくれた。そこだけァ感謝してる」
「えっと……あれって確か12年かかったんだっけ」
「そォだ。12年だ。その間、会うたびに言い寄られるのァなかなかしんどかったぜ……」
「……いっそ、好意を受け入れたらよかったんじゃ」
「バカ言うんじゃねェや。俺っちァノーマルなんだ」
「モラってどんな男の人が好きなの?」
「――へ!?」
「そう言えばそういう話って聞いたことなかったからさ」
「……アラゾアがつきまとってたせいで、俺っちの周りに来た男はみィんなアラゾアに目が行ってたよ……」
うお……なんだその残念な過去は。
「あれ? モラって『翡翠回廊』を造るのに12年って言ったよね?」
「アァ」
「アラゾアと会ってから12年ってことだよね?」
「まァな」
「それでその、今の身体って――何歳のころから冒険してたの!?」
「をん? ちょうどお前ェが旅に出た、その2年前だな」
「ええええ!? 13歳!? そんなに若いころから!?」
「お前ェくれェの年のころにゃァもう名の知れた魔剣士だったってェ寸法よ」
マジか。いろいろマジか。
ていうかアラゾアもそんな若かったころの――14とか15? そんな年齢の少女に恋をしたってことか。
いやいや待て待て。そんな年齢の子が酒場に行ってるとかどんなだよ。
「とはいえ俺っちも、15のころには今くれェの身長はあったからな」
「うぐっ」
突き刺さる現実!
格好さえ気を遣えば酒場にも行けそうだな。僕だと……どうこうしてもダメだろうけど……ううう。
僕、これからも身長が伸びる気満々だったんだけど、
「……でもま、そうデカくねェお前ェは嫌いじゃねェけど」
このままじゃ身長止まったままなのかな――ん? モラが今なにか。
「なにか言った?」
「言ってねェよ」
手すりにほおづえを突いたモラは広場へと目を向けてフンと鼻を鳴らした。
その頬がかすかに赤いのはなんだろう。ああ、恥ずかしい過去の話だからかな。
「俺っちはアラゾアにうんざりしていたし、アラゾアを遠ざけるためにアラゾアに忘却の魔法をかけた。まァ、その報いで俺っちもカエルになったがなァ」
「ぷぷ」
「笑うンじゃねェッ」
いやさ、笑っちゃうよね。だってモラってばカエルみたいな格好で700年も過ごしてたんだよ。
「俺っちは……カエルだったから幸せだったのかもな」
「え? どうして? 性に合ってた?」
「合わねェよ。そうじゃねェ。――人間のまま700年は、過ごせねェ。カエルは冬眠もできるからよ。俺っちは実質、700年も生きてねェ。100年がせいぜいだ」
いやそれでもすごいけど、って僕なんかは思っちゃうけど。
「悲惨なのはアラゾアだ。700年だぞ。人間の身体は700年も生きられるようにできちゃァいねェ。再会したアラゾアは見た目、ふつうだったが……中身は壊れかかってた」
「……どういうこと」
「人間の身体は700年も生きられるようになっちゃねェッてことだ。エルフのように、最初から長寿である生き物と人間は違う。考えてもみろィ。邪神アノロも言ってたろォ。あの試練のシステムでは俺っちたちと話せる時間が決まってる。なぜか……と俺っちは考えたら、アラゾアのことを思い出した。何百年何千年と意識を持ったまま過ごしたら、きっとアイツらの精神もどうかしちまうってことだ」
「そこまで考えて神の試練は設計されてたってこと……?」
ゆっくりとモラはうなずいた。
「そォだ。アレを考えたルシアは……魔神と呼ばれるだけはあるってェことだ。自分が何百年も生きたことがない状態で、作り上げてる。とんでもねェ脳みそだ」
神の試練の根本にある魔法を――組合魔法含めて、ルシアが構築しているんだから確かにとんでもない気がする。
魔法のことは、100パーセントは僕には理解できないんだけど。
「ともかく……アラゾアはおかしくなってた。自分の欲望に忠実なのは変わらなかったけどな……なりふり構わなくなってたンだ。生き延びるために悪魔を召喚し、悪魔と悪魔を対立させて複数の契約を手に入れる。まともな人間じゃァできねェ。それをやってのけ、俺っちに追い詰められてなお新たな悪魔を召喚しようとしていた。特に最後の悪魔は、召喚されていたらやべェと感じるほどだった」
「そんなに……」
「だが、ほんとうの悪魔は……俺っちだ」
え?
と僕はモラの横顔を見つめていた。
「アラゾアをあんなになるまで追い込んだ原因の一部は、明らかに俺っちだ。お前ェの言ったとおり、アラゾアの好意を受け入れていれば過去は変わったンだろォ。あんときの俺っちはそこまで考えられなかった……」
「……そんなの、誰にだって思いつかないよ。モラが悪いわけじゃない」
当然だ。悪魔との契約を推し進めたのは他ならぬアラゾア自身だ。モラが責任を感じることなんてない。
「でもな……ノロット。俺っちは考えちまう。俺っちが過去を変えていればアラゾアによって何人もが死ぬこともなかった。――その過去は、この手でアラゾアを殺したとしても消えねェンだ」
手すりをつかむモラの手が、震えている。
強いと思っていたモラに、そんな一面があったなんて。
「つまンねェ話をししまったな。忘れてくれ――」
「モラ」
僕はモラの手に、自分の手を重ねた。
ちょっと驚くくらいにモラの手は冷たかった。
「話してくれてありがとう。聞けてよかった。僕にできることなんてほとんどないけど、それでもなにかすこしくらいはモラのためにしてあげられることがあると思う。……モラにとってはイヤな過去かもしれないけど、そのせいで僕はモラに会うことができた。モラ。モラが僕の未来を変えてくれたんだよ。僕はずっとモラに感謝してる。冒険の世界に連れ出してくれたことを」
毎日レストランでボロぞうきんのように働いていた僕。
その前に現れた金色のカエル。
今でもあのときのことをはっきり思い出せる。
――なァ、坊主。ちィッとばかしツラ貸してくンねェ。
それは僕を連れ出す魔法の言葉だったんだ。
「……ノロットのくせに」
ぼそっとモラは言うと僕から顔を背けた。
「ナマなこと言うンじゃねェや。俺っちがいなかったらヤバかったことだってひとつやふたつじゃねェぞ」
憎まれ口を叩いてくる。だけど、僕が載せた手を離すことはなかった。
「うん、だからこれからもよろしくね、モラ」
「……わかってらァ」
僕らはしばらくの間、そうしていた。
広場からは冒険者たちの威勢のいい声が聞こえていた。




