150 邪神アノロの隘路 最奥
巨竜を倒した僕らが進んでいった先にあったのは、崖にくりぬかれた小さな入口だった。
長い階段を伝って降りていくと——切られた石材で補強された部屋へとたどり着く。
殺風景な場所には、そこに似つかわしくないテーブルとイスが置かれてあった。
傾きそうな丸テーブル。6脚のイス。
見覚えがあった——女神ヴィリエの海底神殿にあったものと同じだ。
「——そう、殺気をみなぎらせないでおくれよ。結局のところうまくいったじゃあないか」
丸テーブルの周りに集まった僕らが聞いたのは、ひとりの女性の声だった。
誰だ——と思ったとき、すでにその人物はイスに腰掛けていた。
黒い髪はウェーブがかかっていて、ふわりと広がっている。病的なまでに白い肌。そしてこちらを見透かすような青い目が薄い眉の下にある。
枯れ木のような細腕がまとっているのは黒のドレスだ。貴族が舞踏会で着るようなものではなくて、身体にまとわりつきそうなゆったりとしているけれども滑らかなもの。
「やはりここまで来たのじゃ! のう、アノロ様。こやつらは来ると言ったろ?」
「ニルハ!?」
黒髪の女性の横に座っていたのはニルハだ。
にこにこと楽しそうにしている。
「アノロってことは、やっぱりあなたは邪神アノロ——」
と僕が言いかけたときだった。
びゅうっ、と音が鳴った。モラがアノロに詰め寄るや、右の拳を彼女の頬に振り抜いた。
「!」
だけどその拳は当たらなかった。
アノロはそこで平然と座っていた。目を、僕に向けたままで。
「アノロはあたしのことだけど。邪神って呼ばれるのは正直好きではないね」
まるでモラの攻撃なんてなかったかのように。
モラの拳は確かに当たったと僕も思った。でも、当たっていない。モラが困惑した顔をしているけど、僕やリンゴにエリーゼも、きっと同じ顔をしている。
「アノロ様に攻撃しても無駄じゃよ。ニルハもよくわからないけどな、なんらかの魔法でかわしているとしかいいようがないのじゃ」
「な、なんらかの魔法、って……」
「座ったら? 贅を極めた、とは言いがたいけど一応ここにはイスがあるのよ」
アノロは残りの4脚を指した。
僕が最初に座ると、エリーゼとリンゴが、最後にモラが渋々と座った。
アノロの仕掛けてきた試練は確かに趣味が悪かったけど、僕らがここで攻撃的になっても得られるものは少ない。
「このイス、ヴィリエさんのところにあったのと同じですね」
「!」
そのとき初めて、アノロの表情に変化があった。
驚き、だ。
「……そう、アンタたちはあの女のところへはもう回ったってワケね。でもおかしいわね。順番でいったらあの女はあとよ」
「そのようですね。順番が実際どうなってるかは僕らは知りませんけど」
「よく知らないってどういうことよ」
「そのままの意味です。誰も神の試練について教えてくれませんでしたし」
「…………」
アノロは足を組むと、額に指先を当てて小さく唸った。
「これは……想定していた以上に事態は深刻ね。だから言ったのよ、冒険者との面会の時間制限をするだとか、試練を分けたりだとか、そんなことをする必要はないって。それをあのバカどもが……」
「アノロ様、話の趣旨がずれていますのじゃ」
「ああ、ああ、そうだった。ともかく、アンタたちと話していられる時間は……そうね、がんばって引き延ばしてみるけど30分が限度ね。これはあたしたちの精神を引き留める魔法のせいで——開発したのはルシアっていう魔法オタクなんだけど——もしそれ以上が必要だったら6つの試練を全部クリアして。ああ、ヴィリエのところはクリアしたんだっけ? あとは?」
「あ、え、えーと、『勇者オライエの石碑』も突破したようです」
「そう。『脳天気バカの石碑』ね」
なんかもういろんな情報が降ってきて頭の整理がつかない。神の試練に関わると必ずこうなる気がする。
「じゃあ、あたしからいろいろ話す? なにか聞きたいことはある?」
「質問形式でもいいですか?」
「いいわ。どうぞ」
気がつくとテーブルの上に砂時計が置かれてあった。あったっけ、こんなの……両手で持たなきゃいけないくらい大きいのに。
上に30という数字が書かれてある。30分を計るものみたいだ。うわ、焦るよ、こういうの。
「神の試練ってなんなんですか?」
「強い冒険者を育成するためのもの」
「でも……試練はサラマド村出身のアノロさんたちが作った6つなんですよね? 僕らが知ってる神の試練は7つあるんですが」
「7つ目のものはあたしたちが昔、師匠にやらされた試験みたいなものよ。ちなみに他のものとは比べものにならないくらいしんどい」
聞きたくなかった。もっとしんどいとか。
「残りの試練は——『光神ロノアの極限回廊』はルガントにあると聞きましたが、『聖者フォルリアードの祭壇』、『魔神ルシアの研究室』はどこにありますか?」
「ああ、それは」
あっさりと——ほんとうにあっさりと、アノロはその2つの試練の場所を教えてくれた。
今までずっと見つかっていなかった神の試練の場所がこんなに簡単にわかっていいのかと思うほどに、あっさりと。
「ちなみにロノアのところは正面入口から見て真南に進みなさい。そこに小さい……ほんとうに小さい紋章が地面に埋め込まれているの。魔力を探知できれば発見できるはずよ。その前でこう唱えなさい『闇よ散れ、光よ来たれ』。これでクリアよ」
「え!?」
「ロノアの試練なんてどんなバカでも時間をかければクリアできる温いところなんだからさっさとクリアしたほうがいい。というより、神の試練なんてバカバカしい。師匠があたしたちにやらせた試験を自分たちでも作りたいとかオライエが言い出したからこんなことになっただけだし、大体ヴィリエのところなんてなによ? オライエにルシアにロノアに、あいつらこぞって手を出して、肝心のヴィリエは試練作りになんにも関わってない。なーんにも」
「アノロ様、また話がずれてますのじゃ……」
「あー、そうだったわ。あと他に聞きたいことは?」
なんかすごい人だな、この人。さばさばしてるのに恨みっぽい。
なんていうか今に伝わる「創世神話」なんて呼ばれているものが、純粋に人間が作りだした過去の歴史なんだと今さらながらに思わされる。
「この神の試練について外では話せないんですが、この縛りみたいなものを解く方法はないんですか?」
「……ないわ。師匠の試験をクリアしたら大丈夫だと思うけど」
「そうなんですか?」
「確証はない。でも、師匠の試験がどこにあったのか、あたしたちはもう覚えてないのよ」
「え?」
「それってつまり、神の試練——とアンタたちが呼んでるこの試練を、外で話せないという縛りに若干似てる気がするじゃないか」
「外で話せない、ということについて知ってはいたんですね」
「ええ……ここに来た男が話してたからね」
ノーランドのことが、僕の脳裏をよぎった。
「ノーランドって人よね。その人はどんなふうにここを——」
「エリーゼ、止めて。時間は限られてるし、話の内容は絞らないと」
「でもノロットのお父さんでしょ?」
「関係ない」
「それでも!」
僕とエリーゼが言い合っていると、
「あー、ひとりで来たヤツだろ? そう、そう。アンタの父親か。似てるかな? まあ、いいか。どのみちひとりじゃやってけないだろうからこの先の見込みもないだろうし、ここをさっさとクリアさせて次に行かせたよ。どうせヴィリエのところで詰まる」
「あ……3人以上でないと入れないってことですか」
「うん」
そうか。
確かに……アノロたちだって6人1組だ。1人ではやれることが限られている。
「で? お前ェさんがあんな趣味の悪りィ試練を作った理由をそろそろ聞かしてもらおうじゃねェか」
そこでモラが口を挟んだ。
質問にはすぐに答えてきたアノロが——むしろ余計なことまで付け加えて回答していたアノロが、言い淀んだ。
ためらったというより、どう話すべきか迷っているみたいだった。
「……100パーセント完全に、信用できる仲間は存在しない」
そうして口にした言葉は、苦痛に満ちたものだった。
「あたしたちはガキのころからいっしょだった。だから師匠の試験もクリアできた。あたしたちは混沌の魔王を前にしても負ける気がしなかった。実際勝ったしね? でも、おかしくなったのはそのときからだ……そいつが裏切るとは思ってもみなかった」
そいつ? 裏切る?
アノロはなんの話をしているんだ?
「……裏切りの理由は知らない。でも裏切りは事実だ。あたしをのぞく5人の中に……裏切り者がいる。そいつが誰なのか、あたしは最後まで発見できなかった」
「裏切りとは穏やかじゃァねェが、一体全体なにをしたっていうんでェ」
ぎぃ、とアノロが身体をもたせたイスが軋む。
「欠片を、持ち帰ったんだ。混沌の魔王の欠片を」
「——おィ、それァ」
「わかるだろう? いつの日か目覚めさせるためだよ、混沌の魔王を」




