142 ニルハ(2)
この日、夕方にたどり着いた町。宿の一室に僕らは集まっていた。
「あのニルハとかいう子どものことだがよォ、ロンバルク領に行ってもいィんじゃねェか?」
ニルハは今、お風呂に行っている。
そうモラが切り出すと、
「ちょ、ちょっとモラ、なんでよ? なんでモラはあの子の肩を持つの?」
「俺っちは……というか、ノロットも肩を持ちたがってるようだがなァ」
「え、僕?」
見透かしたようにモラが笑う。
うっ、そう言われると……まあ、実はそうなんだよな。
「ノロット?」
「……僕自身が孤児だというのもあるんだけど、ちょっと見過ごせないというか……」
「あ——」
エリーゼも僕の境遇を思い出したみたいだ。
「でも、このままでいいとは思ってないよ? あの子はあの子でちゃんと生きていかなきゃいけない。親族か頼れる人に預けるのがいいんだろうけど——」
「お前ェはそれが『遺跡』なんだと思ってるってェことだろ? つまりニルハが言ってるのァ『遺跡』の場所じゃァなく家族の場所なんだと」
そういうこと。
僕らが冒険者だから「遺跡の場所を教える」と言えば無条件で連れて行ってくれるんじゃないかと彼女は考えた。
で、連れて行く先は遺跡じゃない。そこは家族、あるいは頼れる人の家……と。
着ている服の布地はしっかりしたものなので、富裕層かもしれない。ひょっとしたら誘拐とかされて、盗賊から逃げ出したところを僕らに遭遇したのかも。
——というようなことをエリーゼとリンゴにも言った。
「さすがノロット様。筋が通っていますね。……でも誘拐した子どもを取り戻すようなふうには、あの盗賊たちは見えませんでしたが……」
「ま、その辺の細かいところはわからないけどね」
「ねー。それならちゃんと『家族に送るから場所を言え』ってあたしたちがあの子に言ったらいいんじゃないの?」
「や、それがそうもいかないんだよ。たぶんニルハの本命はロンバルク領。で、エリーゼに拒否されてる。そこへ僕らが『家族に送るから場所を言え』と言っても言わないでしょ」
僕らが「送る」と言ったとしたら、それはただの善意。
その善意は「拒否」しているロンバルク領の「拒否」を覆すほどじゃないはず——とニルハは考えるよな。
「くくっ」
「……なにモラ。悪役みたいな笑い方して」
「あ、悪役ゥ? お前ェも言うようになったな、マジでよォ……」
やれやれとため息をつくモラ。
「ま、いいや。そんでよ、エリーゼ。お前ェさんはニルハが行きたいと言うのがロンバルク領だったとして、いいのかィ?」
「…………」
悩むように腕を組んだエリーゼは、
「……まあ、いいわよ。家族に会わせるためなら……しょうがないし」
ちらりと僕を見た。
どういう意味だろうか。孤児の僕に配慮してくれたのか。あるいは僕が……母や弟に会いたがっていないことを気にしているのか。
「よし。そんなら行こうぜ、ロンバルク領に」
モラはひとつ手を叩いた。
「そォだ。俺っちの推測は話してなかったなァ、ノロット」
「ん? ニルハの身の上のこと?」
「おォよ。残念ながらノロット、お前ェの推測は……間違ってるぜ」
「……えっ!?」
そんな、ここまで話させておいて?
「どうしてだよ。っていうかモラはどう考えてるわけ?」
にたりとモラは笑った。
「大前提がある。あの子ども——ニルハは、亜人じゃねェよ。精霊だ」
ロンバルク領に行ってもいい。
そうニルハに告げると彼女はすさまじく喜んだ。
「うむうむー! 殊勝な心がけじゃぞ! では早速参ろうのーっ」
喜んでいる姿は年齢相応というか、まあ、ふつうの子どもにしか見えないんだよな。
僕にはやっぱり、ニルハは「家に帰りたがっている少女」じゃないかと思える。
でも——モラは精霊だと言った。
——精霊は長い年月を経て人や動物の形を取る。そうなれァ寿命が尽きる寸前よ。ニルハが精霊だとして、寿命が間近だってンなら、最後に思い残すことがねェよう、やりてェことをやらしてやってもいいかもな。
ま、精霊については俺っちもそこまで詳しくはねェんだが——と付け加えつつもモラは言った。
もし仮に、ニルハが長い人生——霊生? の最後にやりたいことがあって、その手伝いをできるんならやってもいいのかな……と、僕はそんなふうに思った。
僕らには、当面やれるべきこともないしね。
それにほんとうに長寿の精霊なら未発見の遺跡だって知ってるかもしれないし。
サラマド村についての知識だって、人の身でない精霊ならどこかで聞きかじったとしても、まあ、あり得るんじゃないかなと。
「ちょい? どうしたのじゃ、ノロット」
「え——あ、うん、ちょっと考え事」
「止せ止せ。ノロットに考え事など似合わぬぞ。今朝食べたチーズの味でも思い浮かべてぼーっとしていたのかと思ったわ。そんなマヌケ面ではな」
「…………」
なんか僕の扱いひどくないか?
「それでノロット。ロンバルク領まではどれくらいかかるのじゃ」
「順調に行けば5日かな」
「結構あるのう……」
不安げな表情を浮かべるニルハ。
あ……もしかして、寿命が尽きるってのがかなり間近なのか? 死ぬ前にロンバルク領……なすべきことがなせないのではと心配になっているのか?
どうしよう。これ以上早く行く方法は……。
「……途中にめぼしい町もなし。馬車で食う保存食が5日も続くとなると残念じゃ……」
食い物の心配かよ。心配して損した。
無駄な心配をしないで済むようにもうちょっと細かい事情を聞いてもいいし、聞いたほうがいいのかもしれないけど、ニルハの振る舞いを見る限り聞かないほうがよさそうなんだよな。
女神ヴィリエの末裔とかウソついたわけでしょ? そもそもニルハが僕らを信頼してない。質問してもまたウソを吐かれてぎくしゃくするかもしれない。それじゃあ、気分も悪くなる。
今回の人助け……精霊助けは僕の、僕らの気まぐれだ。まあ、ウソに乗せられておこう。
ごとごとと馬車に揺られている。
そろそろロンバルク領に入るかという領境付近。
「お客様方、関所での検問がありやすから、どうぞ身分証を持って下りる準備をお願いしやす」
御者が告げる。
検問?
見ると、街道を封鎖するように30人程度の兵士が展開していた。
旗印は2頭の馬に騎士という、ロンバルク伯爵の旗。
「乗合馬車だな。乗客は降りてこちらへ。荷物も確認させてもらう」
兵士に誘導されて僕らは馬車から降りた。
兵士と言ってもこれから戦争を始めるようなガチ装備じゃない。制服に、プロテクターをつけて腰に剣を吊っている程度だ。
街道にバリケードを張っている兵士数人はプレートメイルのガチ装備だけどね。
僕は他の乗客にこっそりと聞く。
「こんな検問初めてなんですけど、ロンバルク領はなにかあったんですか?」
「知らないのかい? サパー王国の王都でクーデターがあったとかで、ロンバルク伯爵も駆り出されているんだよ。主要な街道を押さえて兵士の移動を確認するための検問だろうね。ま、我々のチェックなんてのはオマケだ」
「へ、へぇ……」
「ああ、領内は平和そのものって話だからそう身構えなくても大丈夫だよ。ヤバイのは王都」
サパー連邦の中心国家であるサパー王国。ロンバルク伯爵はサパー王国の貴族だ。
クーデター、なんていう物騒な言葉にエリーゼがぴくりと反応したけど、それだけだ。彼女の中では家族とは縁を切ったことになってる。だから、それ以上の反応はないんだろう。
「次、冒険者か……ほう、ダイヤモンドグレードとは」
隊長格の人に冒険者認定証を差し出した僕。
ダイヤモンドグレードが珍しいのか、他の兵士たちも集まってきてのぞき込んでいる。「おお、ほんとにダイヤモンドが埋め込んであるぞ」「水晶じゃないのか」「バカ、こんなところでケチらないだろ」「見事なもんだ」「人は見かけによらないな」……などなど、ちょっと失礼な声も聞こえた気がする。
モラも一応認定証を出してたけど、「新入り」グレードじゃぁほぼスルーだ。「ふーん」で終わり。むっとした顔をしたモラを見て思わず笑っちゃう僕。
「あっ、ムクドリ共和国の遺跡を踏破したのは君か。ノロット、見たことがある名前だと思ったんだよなあ。確かあの遺跡は……『魔剣士モラの翡翠回廊』だったか? ん……モラ?」
「あ、こ、こっちの女性3人は僕のパーティーメンバーなので身分証はありません」
「おお、そうか」
モラ、という言葉でさっきのモラの認定証を思い出されてはかなわない。モラには今後、なるべく認定証を使わないでもらおう……特に僕とセットのときは。
「わかった。では通れ——いや、待て。そこの女」
隊長が指差したのは、
「…………」
フードを目深にかぶったエリーゼだった。




