139 平常運転の朝
「ん……」
眠りから覚めたとき、室内に満ちている光で朝になっていることを僕は知った。
そうか、昨日はそのまま疲れて眠っちゃったのか……。
「……ん?」
横向きになっている僕。目と鼻の先で寝息を立てている——銀髪の美女。
「うおあ!?」
顔が近い! 近すぎる! 跳ね起きたよ。勢いでベッドから落ちそうになったところを、両手で支えられた。
「り、リンゴ……?」
「…………」
え、なに? リンゴの目にうっすらと涙が浮かんでるんだけど?
「……ご主人様」
「は、はい」
「モラ様がご主人様の添い寝をしてしまったせいでわたくしはご主人様に近づくことができませんでした……」
泣いた理由それ? どうでもいい、心底どうでもいい!
「くあー……ずいぶん早起きだな、ノロットォ」
「なにのんびり言ってんの!? なんで僕の寝てるところにモラが! っていうか服! なにそれ、薄着にもほどが——」
上は袖のない薄手のシャツ。下は——ショーツ一枚……。
「み、見てない、見てないから! 早く着替えて!」
「なァに今さら照れてンだ。お前ェは俺っちの裸見たろォが」
「あれは不可抗力でしょ!? 一線超えたみたいな言い方止めてよ!」
「今まではずっと素っ裸だったんだぜ?」
「カエルが服着てたら逆に怖いわ!」
「おィおィ、ずぅっといっしょに寝てたじゃねェか、お前ェの枕元で。どうもひとりだと眠りづらくてよォ……寝不足が続いてたンだが、お前ェの横だとこれがびっくり、ぐっすりだ」
こっちがびっくりだよ。心臓止まるかと思った。
「今後ともよろしく頼むぜィ」
「やだよ!」
「お前ェがイヤがったところで寝たあとに入れァ問題ねェな」
「リンゴ、お願い、どうにかして」
「……ご主人様、モラ様に関してはわたくしはなにもできないのです……」
なにその無駄な縛り!
「……いっそのこと、わたくしがご主人様を奪う——はっ、そうですわ、それが名案!」
「しまった!! こっちに振ったのは間違いだった!」
「ノロットはまァだリンゴのことをわかってねェなァ……奪われるぞ?」
「ひぇっ!?」
な、なにを!? 聞きたくない!
「おはよ。みんな朝からなに騒いで——」
隣室からやってきたエリーゼが、凍りつく。
リンゴに背後から抱き留められている僕。
ベッドの上には半裸のモラ。
「……エリーゼさん?」
エリーゼが、無言で隣室に消えると、
「エリーゼさん!?」
大剣を担いで現れた!
「なにあたしをのけ者にして楽しそうなことしてんのよおおおおおおお!!」
「怒るポイントそこ!?」
「事後なのね!? 事後なんでしょ!? うふふふふふふ……当事者が全員この世からいなくなったら起きた事実はなかったことになるわよね?」
「目がマジだ! だ、誰か、誰かぁぁぁああ!!」
こんなふうに、朝から僕らは大騒ぎして——宿の人に怒られた。
ほんとごめんなさい。
「この宿に冒険者ノロットが泊まっていると聞いた。ほんとうだな?」
「こ、これは隊長殿。朝早くからどうなさいましたか」
「いいからノロットを出せ。お前たちに迷惑がかかるようなことはない。——この人数を見てどうこうしようとはヤツも思わないだろう。もちろん、お前もな?」
「は、はい、そ、それはもう……」
しばらくして、宿は兵士に囲まれていた。
正規の訓練がなされた公爵軍だ。
その数、1分隊30人ほど。
管理者が公爵家に伝えてしまったのは間違いないだろう。
しかもこの態度。この人数。友好的な使者であるわけがない。言うことを聞かなければ力尽くで……という感じか。
「女神ヴィリエの海底神殿」を突破した僕を手元に置いておきたい、という気持ちなのかもしれない。
「おォ、おォ、せっかく警告したのによォ……」
モラがその様子を眺めながら言った。
ずいぶん余裕があるのは——僕らがすでにもう宿を後にしているからだ。
早朝に怒られたときに料金精算を終わらせておいたんだよね。
それから、かなり遠くから多くの人間——重装備の人間がやってくるニオイがした。宿が風下にあったからはっきりわかったよ。
で、僕らは裏口からこっそり出たというわけ。
「うわー。ほんっとに貴族のおもちゃになってるのね、神の試練が」
「同じ貴族でしょう。あなたがなんとかしなさい」
「ワケわかんないこと言わないでよ。あたしはとっくに貴族止めてるでしょ」
「ああ……そうでしたね、失礼しました。あなたはとっくに女をやめている、と……」
「……クソオートマトン、今なんつった?」
「そういうところですよ、女をやめているというのは」
平常運転のエリーゼとリンゴを完璧に無視して、モラが、
「ノロット、朝飯をどっかで買っておけ。乗合馬車ンとこで合流しよォや」
「んー。乗合馬車にもすぐ手配がかかるかもだから、かなり急いで行くつもりだけど——モラはどこかに用事?」
「ちィッとばかし公爵家を燃やしてくる」
「そっか。わかっ——は!?」
「くく、俺っちの警告を無視しやがった野郎はよォ——」
「ちょちょちょ待ってモラ! 止めてマジで!」
「モラ様。お付き合いいたします」
「それはいいわね。あたしも行こうかしら?」
もうやだこの3人。
「待って、お願いだから、これ以上は騒ぎを大きくしないで!」
「だがよォ、ノロット。これァ、お前ェがナメられたってことなんだぜ? 悔しくねェのか。見返してやりたくねェのか」
「そりゃ……腹は立つよ。なんの関係もない人に僕の前途をめちゃくちゃにされそうになったんだから。でもそんなの、いちいち相手にしてたらきりがない。全力で僕の前に立ちふさがって、僕の行く手を邪魔するヤツなら排除する。だけどこの程度のちょっかいなら無視して行くよ」
「——へェ」
モラが、感心したように声を漏らした。
「お前ェも言うようになったじゃねェか」
「の、ノロットがおとなの意見を……まさか昨晩、おとなの階段を登ったとかそういうことじゃないわよね!?」
「……この女、せっかくのご主人様のいいセリフを台無しに……」
僕らは宿から離れた。
朝早くからやっていた屋台を見つけて、サンドイッチやパン、水を買い込んで乗合馬車の停留所に向かう。
運悪く——昨日から不運ばかりな気がしたけど、朝一番の乗合馬車はちょうどさっき出て行ったところだった。
宿に来ていた軍は30人程度。停留所はいくつかあるから、すぐにここに来ることはないだろう。でも、次の馬車まで1時間……ちょっと危険だろうか。
「——歩いていくかァ」
あっけらかんとモラが言った。
「歩いて!? あ、まあ……隣町までなら馬車で半日。歩いても2日ってところか」
「乗合馬車の運賃を浮かすために歩くヤツも多いぜ? 交通機関を使わねェほうが足はつきにくい」
「オッケー。そうしよう」
今は一刻も早くこの町を出たほうがいい。
それに、歩いて旅をする——というのもいいよね。遺跡の中を何日も歩いたりするのに、僕は都市間の移動は馬車やら船やら汽車やらだった。歩くの、初めてかも。
次の目的地だってはっきり決めたわけじゃないし。
僕らは行商人に混じって町の出口から外へと出た。出口には門番が身分確認をしていたけど、身分証代わりである冒険者認定証のチェックは——なんと、モラが認定証を持っていたのでそれを出した。
どうもアラゾアを追跡するときに持っていたほうが便利だと気づいて、作ったらしい。
僕らは新入りグレード冒険者モラの付き添いという形で、町の外へ出たのだ。出る人間についてはほんとチェックが甘い。
徒歩での移動を選択したのは偶然だった。
そして、僕らは新たな出会いをすることになる。




