13 間の悪いニセモノ
なんだ。なんなんだ。
どうして僕のニセモノなんかが現れたんだ!?
でも――不思議だ。なんだろう。なにか……あの人、見たことがあるような気がするんだ。
「げっ」
突然現れたノロット(偽)は、職員たちの制止を無視して2階へと続く階段へ向かった。
「こっち来たよ!」
「シャクだが逃げるしかあるめェ」
僕らは書棚の並ぶ資料室へと逃げた。2階にはこの資料室しかないので他に逃げ道はない。大急ぎでテーブルに戻って、今日の分の書き写しを集める。
部屋の入口から声が聞こえてきた。
「2階すべてが『黄金の煉獄門』に関する文献だっていうのはほんとうだったみたいだね! すごいよトウミツ。この量!」
トウミツさんの返事は聞こえなかったけれど、雰囲気的に2階にいっしょに上がってきたみたいだ。
「ん……あの大きなテーブルには資料が出しっぱなしだな。他にも冒険者が来ているのかい?」
ぎくっ。
そのときには僕らは書棚のひとつ、その裏側に逃げ込んでいた。
最悪だ。この2階は出入り口が1つだけ。窓もあるにはある。僕の目の前にもあるんだ。けれども、“あるだけ”なんだ。
窓の先にはなにもない。
ここ、1階ずつが高く造られているから実際には3階くらいの高さがある。
つかめるような手すりもない、つるつるの壁。
窓から出たら、3階から飛び降りるみたいなものなんだ。
「うん! せっかくだ、同じ『煉獄門』への挑戦者同士、挨拶を交わしたいな!」
うおおお、ノロット(偽)が余計なこと言い出した。
「なんのために……?」
怪訝なトウミツさんの声。
「それはもちろん。お互いの健闘を祈るのサ」
「無駄でしょう。あなたが『煉獄門』をクリアするんだから」
「ふむむ。まあ、一理あるね!」
よかった。トウミツさんにしてはナイスプレーだ。あとはタイミングを計って、入口に人がいなくなったときに走れば――。
と、入口から職員が駈け込んでくる。
「今日いらしている方々は、あなたと違って冒険者協会の専務理事の名代として来られているんです。ずっと正当な権利をお持ちなんですよ!」
「そうか! ならばやはり会ってみないことにはな! それほどの人物なら会う価値もあるだろう」
はい余計なこと言ったー。
なんでそんなアピールしたんだよ!?
「僕の勘だと――その書棚あたりにいそうだな!」
びしっ、と指差した方角はどんぴしゃ、僕らが隠れている場所だった。
近づいてくる足音。
どうする、どうする、どうする――。
「……ノロットさん、そんなことより早く『黄金の煉獄門』に行く準備をしてください」
押し殺したような声は、トウミツさんが発したものだった。
「わしはあなたに投資したんですよ。それがどういう意味なのか、わかるでしょうが」
「……ええ、もちろん理解していますよ?」
立ち止まったノロット(偽)は、あと2歩で僕らの書棚に届くところだった。
「トウミツさんが、喉から手が出るほど魔法宝石を欲しがっていることはわかっていますよ?」
「“質のいい”魔法宝石だけです。あれほどの代物は、『煉獄門』くらいにしかないとわしは踏んでいる」
「やれやれ、すごい入れ込みようですね! でもまあ、遺跡挑戦へのパトロンはあなただ。あなたの意向も大事にしなければね」
と、ノロット(偽)は向こうへと歩いていく――ほっ、と僕が胸をなで下ろしたときだった。
「でもやっぱり確認してからサ!」
トトトトト、と後ろ歩き(やたら早い)でまたこっちに来て書棚からひょっこり顔を出した。
僕らと、ノロット(偽)の視線が交差する。
「あ~~~~やっぱりこんなところにいた!」
ノロット(偽)は僕のことを知らない。だからトウミツさんにだけ顔を見られなければ大丈夫なはずだ。
でも、僕の予想はあっさりと裏切られた。
「トウミツさん! いましたよここに――“あなたのオートマトンが”」
どうして? どうやって? なんで? なぜ? なにが? 誰だ、こいつは――様々な疑問が頭を駈け巡る。だけれどわかっていたことはあった。ここに留まることは愚策中の愚策ということだ。
誰よりも早く反応したのはリンゴだった。
「失礼します、ご主人様――」
瞬間、僕の身体はリンゴの手で持ち上げられる。彼女は走り出す。まっしぐらに、窓に向かって。
ドンッ、と踏み込む。身体がふわりと浮く。僕らは窓から飛び出し、往来へ真っ逆さま。
「あ、あああ、あああああああああああああ」
喉から僕のものじゃないみたいな声が漏れた。
頭が真下になったと思った。でも気づけば空が見えていた。次は地面。次は空。リンゴが体勢を立て直す。ドシンッ、という着地の衝撃は僕の身体にも伝わってきた。首ががくんと前のめりになる。舌でも出ていたら噛みきっていた。
「!」
その瞬間、僕の頭の中にひらめきが走った。
わかった――。
“あのノロット”が何者なのか。
「なっ、まさか、こんなところに!?」
窓からトウミツさんが顔を出す。
着地の衝撃でリンゴの帽子が取れていた。
彼女の長く美しい髪が風になびく。
目が合った。トウミツさんと。ばっちりと。
バレた――僕とリンゴが行動をともにしていることも、僕らが「黄金の煉獄門」を目指していることも。
「ご主人様、これからどうなさいます?」
「わかんないよ! とりあえず走って!」
「かしこまりましたわ」
僕らは走り出した。僕ら、っていうか僕は首根っこをつかまれていて、まるで猫が運ばれるみたいにリンゴにぶら下がって移動していた。
リンゴが走ると速い。あっという間にトウミツさんたちから距離を空けたと思う。でも、立ち止まることはできない。
現れた僕のニセモノ、トウミツさんがノロット(偽)を支援していること、ノロット(偽)がリンゴを一目でオートマトンだと見抜き僕らのことがトウミツさんにバレたこと――いろんなことが短時間に起きすぎだよ! 頭がフットーしそうだよぉっ!
「おい、ノロット」
のそりとマントからモラが出てきた。
「あのニセモン、お前ェさん心当たりねェか?」
「……実は、それなんだけど」
僕はリンゴに抱えられたまま考える。
たぶん、あの人だ。
それならつじつまが合う。
「昏骸旅団だ」
少し前、僕が「魔剣士モラの翡翠回廊」を踏破したあとのこと。
僕が翡翠回廊で大量の財宝を見つけたというウワサが広まった結果、多くの盗賊団や権力者に狙われることになった。
昏骸旅団もそのひとつだ。
招かれざる客として不意に僕の前に現れた。
――見ぃつけた。
深夜。ホテルの部屋の窓から侵入してきたその姿――今思い返しても、ぞくりとする。
「あんなヤツいたかァ?」
「たぶん男装してる。僕が姿を消したことでしばらくは時間稼ぎできたけど、見つかっちゃったよ……」
「でもどうしてアイツらがノロットを名乗るんでェ」
「僕がストームゲートにいるなら、名前を隠して『黄金の煉獄門』に挑んでるはずだろ? だから名前を名乗っても僕が間違いを指摘することはない。むしろ、僕のほうから『ニセモノはどんなヤツだ?』って近づいてくる可能性がある」
「なァるほど。しかもお前ェの名前を騙りゃァ、冒険者協会のバックアップも得られるし、情報も集めやすい。一石二鳥ってわけだ」
「リンゴを一目でオートマトンだって見抜いたのもそうだよ」
なんらかのツテで昏骸旅団はトウミツさんと接点を持った。
話を聞いた旅団は、トウミツさんに宝石を売ったのが僕だと気づいたんだ。だからさっき、僕と一緒にいたリンゴがオートマトンだとわかった――大体、ムクドリ共和国を出国するとき、僕はひとりきりだったからね(モラはいたけど)。連れがいたらそれはオートマトンってことになる。
「その昏骸旅団は何人くらいの構成員がいるのですか?」
リンゴにたずねられ、
「……わからない。僕につきまとうのは3人かな。背後にもっといるんだろうけど」
「あァー、あいつかァ。確かに男の格好をしたらあんなふうになるかもしれねェな。にしてもノロット、お前ェよくわかったな」
「狙われてるの僕だからね! そりゃ気をつけもするよ! ――ところで、どうしよう。どこに逃げたらいい?」
「行くなら冒険者協会だァな」
「どうしてさ!? 僕らが冒険者協会とつながってることもバレたじゃん!」
「それァそうだが、逆な面でメリットもある。ひとつはタレイドのオッサンは俺っちたちを裏切ってねェ。だからあすこに行きゃァ手を貸してくれる。それに、オッサンもバカじゃァねェ。ノロットのニセモンが現れた以上、なんらかの手を打ってる可能性がある」
「手を打つ……?」
「俺っちたちが公文書館にいることァオッサンも知ってる。だから早晩、俺っちたちとニセモンが接触することも知れたこと。オッサンはおそらく使いを公文書館に送ったはずだ。ニセモンたちのほうが早く来たというだけでな」
ふむふむ。
「俺っちたちは資料に当たれなくて途方に暮れる。そうなったとき誰を頼る? 決まってらァ、オッサンよ」
「タレイドさんは僕らが来ることを知ってる。受け入れる準備もしているってこと?」
このモラの勘は、当たった。
冒険者協会に着くなりタレイドさんの部屋に通され、僕らの宿がどこなのか聞いた。
「そこなら安全だ。今夜、そっちへ行くから、それまでじっとしているように」
と言ったのだ。
今夜やってくると言ったタレイドさんは、来なかった。僕らは遅くまで起きていたけれどもついに眠ってしまった。
結局タレイドさんがやってきたのは翌日の夕方だ。
「遅くなったな」
宿の食堂は人目に付くので僕らの部屋に集まっていた。
「で、トウミツが想像以上に厄介だったってェことかィ?」
「さすが魔剣士モラ……そのとおりだ」
「アイツァそんなに権力を持ってンのかィ」
「そうだな――オアシスの権利の準長老の地位にある。
ストームゲートはオアシスがあるからこそ成立している都市だ。
オアシスの水がどこから来ているのかはまだはっきりしていないんだけど、水を取り過ぎると水位が減ることは事実みたい。
つまり、供給量が決まってるんだ。
この都市にとってオアシスは――水は、ほんとうに重要なものだ。ホテルにお風呂があるのなんて、トップクラスだけだしね。
で、オアシスの権利ははっきりしているらしい。4人の「長老」――と呼ばれる4家が最高権力者であり、オアシスに関する最高権限を保持している。
次に16家の「準長老」があり、トウミツさんはそこに入っているのだとか。
実質ストームゲートの命綱を握る20人の中にトウミツさんがいるというわけ。そりゃまあ……権力者だよねえ……。
「そんな相手ににらまれたものだから大変だったよ」
言葉とは裏腹に、タレイドさんは楽しそうだった。
あの後、トウミツさんは手下を連れて冒険者協会へ押しかけてきたらしい。ノロット(偽)はいなかったそうだけど、昏骸旅団は別で動いて僕を探している可能性が高い。
トウミツさんは、タレイドさんが僕に専務理事の権限を与えたことを冒険者たちがいる前で非難したらしい。盗人に権限を与えたと言ってね。
――盗人だと知っていて権限を与えたのではないですかな? 冒険者協会の理事が、盗人とつながりがある。これは由々しき事態ですなあ。
トウミツさんこそノロットのニセモノに騙されているんだ――とは思ったものの、僕らが口止めをしていたからタレイドさんは反論ができない。防戦一方になった。
いやほんとなんかもうスイマセン。
ちなみに、僕が改めて本物のノロットだと名乗りを上げることも考えたけど、止めた。理由はいくつかあるんだけど……僕が本物だと証明することは人前に出るってことだろ? そうなるとトウミツさんも出てきてリンゴを要求する。本来リンゴはトウミツさんのものかもしれないけれど、リンゴ本人が強烈に嫌がっている。リンゴを手に入れた経緯を調べればホコリが出てくるかもしれない。ただ調査には時間がかかるからその間にどうこうされないとも限らない。
なにせ向こうは権力者だから。
もうひとつの理由は、昏骸旅団だ。
旅団は僕のニセモノを名乗っている。トウミツさんと行動をともにしている以上、旅団は突飛な行動ができなくなる。つまり「ノロット」であるがゆえに「行動を制限される」こともありそう、ということだね。
とどのつまりは、まあ、事ここに至ると今さら名乗りを上げてもメリットがないよね、ってわけ。
さて防戦一方だったタレイドさんに加勢してくれたのは誰あろう、冒険者たちだった。
――タレイドさんがそんなことするわけねえだろ。
――てめえのほうがうさんくせえんだよ、金満野郎が。
――こいつ知ってるぞ。人形を買いあさり、欲しい人形があればどんな手でも使う変態野郎だ。
酔った冒険者の集団ほど恐ろしいものはない。一歩間違えればただのごろつきだし。
ともあれそれでトウミツさんは退散したけど、それで終わるわけはない。なにせ「欲しい人形があればどんな手でも使う」と冒険者に知られているとおり、リンゴのことを忘れてくれるはずもないのだ。
並の変態じゃない。
ド変態だから。
彼は冒険者協会を所管する自治政府へとコンタクトを取った。自治であろうとなんであろうと「政府」と名前がついているところには必ず腐ったヤツがいる。トウミツさんは腐ったヤツを知っていて、金を積んでそいつを動かした。
タレイドさんが「砂漠の星屑」へ来る準備をしていると、腐った役人がやってきた。そうしてタレイドさんに「窃盗の嫌疑がある」と言ったのだ。
自治政府のある本庁舎へ連行されたタレイドさんは明け方まで取り調べを受けた。午前に解放されたものの尾行がついているのは間違いないわけで。だから酒場に行って大酒を飲んだそうだ。そうして酔ったフリをしてトイレへ向かい、裏口から脱出した。
ちなみにその酒場はタレイドさんの行きつけであり、強い酒を頼んでも薄めて出してくれるんだそうである。大人の世界だ……!
「薄めたとは言っても酒は酒だ。多少酒臭いが我慢してくれよ」
うん。酒臭いよ。僕の鼻がじんじんする。
「あたぼうよ。俺っちたちのためにすまねェなァ」
「ほんとに。タレイドさんにまでそんな迷惑がかかるなんて……」
「なにを言う。君たちは『黄金の煉獄門』を踏破できる可能性を持つ冒険者だ。私はその冒険者を支援する協会の人間だよ。政府ににらまれようと知ったことか」
か、カッコイイ! たまに鋭くてあとは鈍いおじさんかと思っててすみません!
そこへ、リンゴがお茶を煎れて差し出した。
「ああ、ありがとう。喉が渇いていた――」
リンゴの顔を見てぽかんと口が開く。
「あ、う、あ――これはあの、君たちの用心棒かね……?」
「ええ。ほんとうは女性なんです」
よかった。目玉は飛び出さなかった。
オートマトンだって言ったら飛び出す可能性があるので僕は自重した。
トウミツさんと僕らの間に因縁があることはタレイドさんは理解してくれたようだけれど、詳細まで話すのはまた今度にしたほうがよさそうだ。
「そうか、う、うむ……」
ずずとお茶をすすってまたタレイドさんは目を瞠る。
おいしかったんだろう。ほんとうにこの人はよく驚いてるよな。
確かにリンゴの煎れる紅茶はおいしい。
「で、お話なんですけど」
「ああ、そ、そうだな。しかし美味いなこのお茶は……さて、君たちはこれからどうするつもりだ?」
「考えたんですが……」
昨晩、僕とモラで話し合ったんだ。
「予定は早まってしまいましたが、『黄金の煉獄門』に向かいたいと思います。文献の読み込みは全体の3割程度しか終わっていませんが、この1週間ほどは新たな発見もなかったので、残りの7割を読んでもそう大きな発見はないだろうと考えています」
「なるほど。悪くない考察だと思う。……だが残りの文献を読みたくないわけではあるまい」
「もちろんですよ。資料はあるだけあったほうがいいですから」
「では、ひとり紹介したい男がいる。彼は、公文書館にある『黄金の煉獄門』に関する文献をすべて読み、重要な記述を抜粋し、独自の解釈をつけている。まあ、専門家というか、研究者というか、そんな人物だ」
「…………」
そんな人がいるなら僕らが公文書館に行く前に紹介してくれよ! と言いたいのは山々だったけど呑み込んだ。
「そんな人がいるなら公文書館に行く前に紹介してくれよという顔をしているな」
言葉を呑み込んだら顔に出てたみたい。
「彼は……気むずかしいんだよ。『煉獄門』についての知識がない人間にはなにも話さない。君たちにも予備知識を持っておいて欲しかったんだ」
なるほど。
「『黄金の煉獄門』へ向かうのを急ぐにしても1日くらいは猶予があるだろう? 彼に会っておいて損はない」
「おォ。こっちも願ったり叶ったりだぜ。あとな、オッサンよ、前に頼んでいた――」
「皆まで言うな。わかっている。他のパーティーメンバーだろう?」
タレイドさんは難しい顔をした。
「……アテはあるんだ。あと1日待って欲しい。明日の夜には決めて、紹介する手はずを整える」
こうして僕たちの予定は一気に前倒しされることになった。




