138 ボキャブラリー
「——にしても、ずいぶんとまあ大冒険をしたことじゃァねェか。『63番ルート』の再攻略に、『女神ヴィリエの海底神殿』突破ときたもんだ。いっしょに行ったってェストームゲートの連中も成長したンだな」
一通り僕らの話を聞いたモラは唸るように言った。
ヴィンデルマイア公国で僕らが泊まっている宿は、高くもなく安くもなくという場所だ。
「ねえ、モラ。こう?」
「違わあ。エリーゼ、お前ェさんはもちっと魔法の才があるんじゃねェかと思ってたが……てんでダメだなァ」
「もったいぶらないで教えてよ!」
「もったいぶってるわけじゃねェよ。もっと体内を流れる魔力に集中しろィ。そっからだ」
エリーゼが両手を突き出してぷるぷるしている。
憑魔の練習……らしい。モラが使えたことでモラからやり方を教わろうとエリーゼは考えたのだ。
でもうまくいってない。
「……モラ様、わたくしもやりたいのですが」
「言ったろ? お前ェさんはオートマトンだからできねェッてよ」
「不公平ですわ」
「……俺っちからすりゃ、お前ェさんの化けモンみてェな身体能力のほうがよほど不公平だと思うが」
「むぅ……」
可愛らしくふくれたリンゴはエリーゼの横で同じように両手を突きだしている。できないと言われても挑戦はしたいらしい。
僕?
体内の魔力量が全然足りないって言われた。いいんだよ……人には向き不向きがあるんだから……。
「モラ。そう言えばさっき、帰りがけに……管理者の人になにか言ってなかった?」
小さく耳打ちするようになにかを言ったように見えたんだけど。
「あァ。ちっとばかしキナくさくなってきやがったからよォ、釘を刺しといたんだわ」
「釘を刺した? なんて?」
「俺っちたちのことを公爵に言うんじゃァねェぞ、ってな。もしも余計なこと抜かした日にゃァ俺っちが本気で暴れっからな……俺っちがどんだけ強ェかはノーランドに聞け、ってよォ」
「…………」
怖!
「なにそれ、マフィア?」
「おィ、ご挨拶だな。お前ェだってわかってンだろ? ノーランドがやむにやまれぬ……なんらかの理由であそこで戦ってるってェことはよ」
「…………」
「なァ、ノロット。お前ェ、ほんとに大丈夫か?」
「……大丈夫だよ」
「止めるつもりはねェか? 神の試練を突破した英雄、だなんてお前ェにゃ似合わねェよ」
「!」
むっとしてモラを見ると——モラは心底心配しているような顔をしていた。
……ずるいよ、やっぱりモラはずるい。
ふだんは軽いこと言うくせに、こういうときは真剣になるんだから。
「なァ、ノロット。15年も孤児やってたお前ェがいざ親に会うなんてェのは、心で簡単に割り切れることじゃねェ。ましてや探し求めていたワケでもねェ。15歳でなんでもかでも受け止めなきゃいけねェッてこたァねェよ」
「……16」
「をん?」
「16歳だよ。モラがいない間に誕生日過ぎたから」
「おッ、そうだったのかィ。あのノロット坊やがもう16かよ」
今度はおどけたように子ども扱いしてくる。
そんなに——そんなにも僕は、ノーランドを、父を前に動揺していたんだろうか。
……自分じゃわからない。
ま、でも宿まで逃げるように走ってきた時点で動揺してるよな……。
父に会う、ということの“言い訳”はいくつもあった。
女神ヴィリエに言われていたから。それが神の試練だから。父に会いに行くわけじゃないから。
でも……母がいると聞いて。
母に会いに行くのは——もしも会いに行くのなら、それは僕が母に「会いたい」と思って行動することになる。
そんなのできない。
僕にはちゃんと母親がいる。みんなの母親であるマーサおばさんが。
それに……弟。
僕は孤児だったのに、弟は……母といっしょに暮らしていた? あるいは父とも?
どうして。
そんなことができるんだ。今さら僕に言うんだ。どうして。
「——ット、ノロット!」
「え……?」
肩を揺すられて我に返った。
モラが小さく息を吐く。
「ひでェ顔色だ……やっぱしもう寝たほうがいい」
「へ、平気だよ。それに、まだ神の試練のことを話せてない。モラの意見も聞いておきたいんだ。明日にはこの町を出たいからね。長居はきっとよくない、そうだろ?」
「……ん、まァ、そいつにゃ賛成だ。公爵とやらに嗅ぎつけられると面倒なことにならァな」
「ねね、どうして面倒なことになるの? 公爵っていうかこの国は神の試練を支援してるんじゃなくて?」
「そりゃァな、エリーゼ。俺っちの推測だが……女神ヴィリエは『長い年月を経て神の試練が本来の役割を果たせてない』と考えてるわけだろ?」
「本来の役割って?」
「そりゃァ神の試練だ。冒険者の実力を試すンだよ。試した結果、どうなるかは謎だがな」
「謎かぁ」
「しようがねェだろ? 本来教ェるべき管理者とやらがスカポンタンだったんだ」
謎。
モラは神の試練の目的……冒険者の実力を試練によって試した先を、謎だと言った。
でもヒントはある。
ヴィリエに聞いた——彼女たちは6人パーティーだったこと。
でも神の試練は7つある。
おそらく、最後が「救世主の試練」だ。
救世主……世界を救う者。
世界を救えるだけの力が必要なときはどんなときだ?
——私たち6人は、運命に導かれるままに、世界を破壊しようとしていた混沌の魔王を倒しました。
ヴィリエは言った。
もしも、世界を滅ぼそうとしているような存在……“混沌の魔王に匹敵するような存在”が現れたときに“戦う者”が「救世主」と言えるんじゃないか?
神の試練は……救世主を探すための試練。
いや、あらかじめ実力のある冒険者をピックアップし、救世主にまで実力を高めさせるための訓練装置……。
「いいか? そンで、神の試練は形骸化してるってェわけよ。1000年前の大戦で多くのものが失われたが、逆に言やァそれ以降はデカイ戦争は起きちゃねェ。長い間戦争が起きないと貴族どもがなにを考えるかわかるだろォ?」
モラの問いに、エリーゼが眉をひそめた。
「……間違いなく、権勢を拡大するために他の貴族と争うわね」
「さっすがお嬢様、ご名答、ってェところか」
「からかわないで。そのための道具が神の試練ということ?」
「たぶんな。あくまでもたぶん、だぜ?」
「言われてみればしっくりくるわ。モラの言うとおりだと思う。自分の領地に神の試練がある……それだけで他の貴族にはない唯一無二の自慢物件になるもの。神の試練をダシにして派閥を強化するくらいのことをやるわ。一般人、冒険者に公開なんてしないし、する必要がない。……くっだらない。ほんと貴族ってダメね」
エリーゼも納得してくれたようだ。
「それじゃ納得してもらったところで話を戻すけど、明日、町を出るのはいいとして、どこに行くか——」
「なァ、ノロットよ。無理するこたァねェぞ」
モラがさっきと同じように心配そうに言う。
「世の中を生きていくってェのはそう難しいことじゃねェ。目の前に問題が転がってるからってまともに取り組まなきゃいけないなんてこたァねェンだ。お前ェはちっとばかし真面目に取り組みすぎる」
「……そうかな?」
「おォ、そうともよ。700年もぴょんぴょん生きてきた俺っちが言うンだ、間違ェねェ」
悠久の時をひとり飛び跳ねる金色のカエル。
想像するとちょっと笑えた。
「なんでェ、ひとりで笑いやがって……だが、お前ェは極楽トンボでケラケラ笑ってるくれェがちょうどいいんだ。難しい顔すんな」
「さっきからモラの言い方ひどくないか?」
「ご主人様、モラ様は心配なさっているんです。ですが、悲しいかな、励まし方がおわかりにならないのでしょう……」
「リンゴッ、なに言やァがる!? そ、そんなわきゃねェだろーが! 俺っちのボキャブラリーが貧困だとか言いてェのか!」
「あはははは! モラったら顔真っ赤!」
モラがリンゴに猛烈に抗議し、リンゴは厳粛な面持ちでそれを受け止め、エリーゼが大笑いしている。
そんな話を聞きながら——僕は気づけば意識を手放していた。
やっぱり疲れていたんだろう。
次に気づいたときにはベッドに寝かされていた。




