131 創世神話
シャルロットさんに手伝ってもらえたのは、大助かりだった。
ほんとこの人、この図書館にあるあらゆる書籍の書架を記憶しているんじゃないの? っていうくらい完璧な知識を兼ね備えていて、欲しい本がすぐに届いた。
ちなみに、蔵書数は驚くなかれ、140万冊だ。
「ここにある本を全部読んだんですか?」
「まさか。人生が100回あったとしても不可能です」
「100回あれば全部読めそうな……」
「いいえ。私が読むよりも早く、本が増えていきますから。すべてを読み終えることは不可能ですね」
ああ、なるほど……。
世の中はそんなにも本が増えてるんだな。
最近は印刷技術も進んでいるから、本が増える速度はますます加速する。
「まずはこれくらいでよろしいでしょうか?」
特別な閲覧室に通してもらって、僕らは本と格闘することになった。
「創世神話」に関係している書物は、1,000冊ほどらしい。
中でも個人による突飛な意見をのぞいた、代表的な書物を100冊ほど見繕ってもらった。
「……珍しいですね、創世神話をお調べになるとは」
「やっぱりそうですか? ふつう、冒険者は遺跡を調べますもんね」
図書館には多くの冒険者がいるようだったけど、彼らはこれから探索しようとしている遺跡についての文献を集めているのだ。
「うーん……大体、同じことばかり書いてあるな」
資料を読み始めてから2時間。もう飽き飽きしてきた。
シャルロットさんには席を外してもらっている。手伝ってくれているのに悪い気もしたけど、シャルロットさんが近くにいると神の試練についての話ができないんだから仕方ない。
ちなみに言うとエリーゼは本に突っ伏して寝ている。
さて、創世神話についての内容だけど——大まかに言うとこんな感じだ。
・混沌の魔王が生まれた
・世界の秩序を構成する6柱の神が混沌の魔王と戦った
・神のうち女神ヴィリエ、魔神ルシア、光神ロノア、邪神アノロの4柱は確定で、本によっては残り2柱が違う
・魔王を倒すと、世界には様々な命が芽生えた
・その後、意識を持った人々は神への感謝を示すために祀るようになった
問題は勇者オライエと聖者フォルリアードが出てこないところだ。
でもオライエはヴィンデルマイア公国で祀られているし、フォルリアードは「聖者の道」という宗教によって祀られている。
「不思議なのは、一見バラバラに見える6人が、こと神の試練という遺跡においてはひとくくりにされてるってことなんだよな……しかも『女神ヴィリエの海底神殿』を見る限り、神の試練のひとくくりは間違ってないふうに感じる」
僕がつぶやくと、リンゴが、
「そうですね。この6人が登場する創世神話はありません」
「そもそも6人がサラマド村の住人だっていう表記もないしね。サラマド、という単語もどこにも出てこない」
「どうして分かれて伝わったのでしょうか?」
「推測しかできないけど、この創世神話は……実際に起きたことをベースにした物語ってことなんだろうね」
ヴィリエが僕らに話したことが真実だとすれば、だけど。
「で、あまりにも古いから伝承は間違った形で伝わった……」
その推測は、シャルロットさんに話を聞いたところ、ある程度正しいという裏付けができた。
1000年ほど前に起きた世界大戦で、貴重な文献が焼失したのだという。創世神話は特に狙われた。戦争を起こした国々は大義があることを示すために創世神話をねつ造したからだ。
それから、シャルロットさんに聞いて「サラマド」について調べようとした。
だけどこれは雲をつかむような話だった。
存在しているかどうかわからない、マイナーな地名を見つけようというのだから……とにかく膨大な地理書に当たっていくしかない、というわけで。
地道な作業は夕方まで続いた——けど、得られたものはなにもなかった。
しかも僕らが調べられた範囲はほんのわずかだった。
「うーむ、この徒労感」
図書館を出ると夕焼けが町に朱色の光を投げかけていた。
正門へと向かう石畳が濡れたように照らされている。
「あ、ノロット様」
僕の冒険者認定証をゲートでチェックした兵士だ。
図書館前の大通りに、黒い馬車が停まっている。塗りの見事さや磨かれた飾りを見る限り上等な代物だった。
馬車の脇にいた男は兵士の言葉に顔を上げる。
……なんだか、とってもイヤな予感がしました。
「あたし、先に帰るから」
エリーゼが僕にささやくと、僕からさりげなく離れていく。
僕と同じイヤな予感を感じ取ったようで……。
「申し訳ありません……領主様がどうしてもノロット様を歓待したいと……」
兵士が駈けてきて先に小声で教えてくれた。
だからイヤだったのに。
「お前が冒険者ノロットか」
馬車の横にいた男がやってきた。口調は横柄だった。
「領主イーノ=バント様がお前に会いたいとおっしゃっている。名誉に思うがいい。さあ、馬車に乗れ」
使用人だろうか?
有無を言わせぬ上からの物言い。
これで喜んで「行きます」って言うヤツなんているの? むしろすぐ行くってなったら下心ありそうってふつう思うよね?
「……すみませんが、体調が優れないので辞退させていただきます」
「それはよくないな。館にいる常駐の名医がいる。特別に診てもらうがいい」
館に常駐してる医者が名医なわけがない。
医者は多くの患者を診ることがそのまま経験知になるからね。
自称名医だったら、騙されてるかもよ?
「申し訳ありません。馬車にも乗れないほど体調が優れないのです」
「なに、案ずるな。この馬車は連邦内でも一、二を争うほど乗り心地がいいのだ。馬車に酔うという婦人方もこの馬車だけは酔わないと大人気なのだぞ」
「しかし万が一ということもあります」
「であればその時点で馬車を停めよう。歩いたところでそう遠くないのだ」
あきらめろよ!
ある意味すごいなこの人!
「——ご主人様」
リンゴが不快げに出てこようとしたので僕は手で彼女を押しとどめた。
強く断ることはできるけど、そのせいで注意を引きたくはない。エリーゼがいるからね、こっちには……間違いなく領主イーノとやらはエリーゼのこと知ってるでしょ。
変に敵対したら調べられそうなんだよな。
だったら、1日くらい我慢しよう。
「わかりました。そこまでおっしゃるなら今日だけはおうかがいします」
「当然だとも。さあ、馬車へ」
いちいちイラッとくるけど、我慢、我慢……。
「リンゴ、危険はないだろうからホテルに戻っていても——」
「わたくしは常にご主人様とあります」
リンゴの過保護が止まらない。
結論から言おう。もうほんと貴族ってヤダ。
まず話が長い。
しかも自分が話したいことだけ話すからまったく面白くない。
そして他人に気を遣わない。
極めつけは、「これだけ構ってやったんだからこいつも幸せだな」と勘違いする。
「もう、勘弁して……」
せめて夕飯くらい出るのかと思ったらお茶一杯だけだった。
領主は夕食を抜く健康法を実践しているとかで僕らにも食事は提供されなかった。
それで、4時間。
僕らが解放されたのは夜の10時を回っていた。
体調が悪いって言っておいたのに名医と会うことはなかった。
明日も来いと言われたけど明日には町を出ると言っておいた。ウソがバレたとしてももういいや。無礼とか知ったことか。
「そ、そんなに大変だったの?」
エリーゼがあわてている。僕、ベッドにぶっ倒れたまま動く気力もないしね。この時間だとホテルの厨房も閉まってる。明日の朝まで空腹と付き合うくらいならこのまま寝てしまおう。
「……ノロット、あたし、明日からこの町を出発するまでホテルでじっとしてるよ」
「え?」
「ノロットが領主に会ったのはあたしのことを考えてくれたからだよね? さすがにそれくらい、わかるよ。それならあたしはこのホテルにいて、他人の目に触れないようにしたほうがいい。……ほんとはノロットのこと手伝いたかったんだけど……逆に迷惑かけちゃったね」
「エリーゼ……」
僕は首だけ振り向いてエリーゼを見た。
するとそこへ、
「ほう? 図書館で眠っていた人間が『手伝いしたい』とはずいぶんな発言ですね?」
リンゴが腕組みをして言い放った。
エリーゼの目が泳ぐ。
「あ、あれはね? ほらね? あたし、興味のないことは苦手、っていうか……」
それからエリーゼがしどろもどろで言っていたけど、さすがにそこまでいじめないであげてよと僕はリンゴに目で牽制した。
人には得意不得意があるし。
今、エリーゼはいたたまれない気持ちだろうしね。
……そんなことを思いながら僕は眠りの世界に旅立った。夢の中で僕はパンを食べようとして、かぶりついた途端それが本に変わる——そんなひどい仕打ちを受けていた。




