12 ニオイを知ろう
モラが教えてくれたことは大きなヒントになった。
僕は、翌日から読み方を変えた。モラは魔法について重点的に調べている。それはモラが今持っている最大の武器が「魔法の知識」だからだ。きらめく才能と言ってもいいよね。
じゃあ、僕はどうするか?
決まってる――ニオイだ。
冒険者とともに「黄金の煉獄門」に持ち込まれた紙。
まあ……血痕には鼻を近づけたりしなかったけど……うん。
わずかに「冒険のニオイ」は残っている。“異質なニオイ”を僕は探した。
僕らが公文書館に通うようになってから1週間が経過した。
「重要」と思われる記述は書き写していたし、モラはリンゴに頼んで魔法紋様を模写していたので、僕らが抱えるメモもだいぶ増えた。1冊分の本くらいはあるよ、これ。
このころには僕は、異質なニオイに気づいていた。
「ほう……“香”かァ?」
公文書館にほど近い飲食店にいた。
僕らは店の一番奥、裏口にも近いテーブルに陣取っていた。裏口なんかの逃走経路もバッチリ確保できている。
「うん。なんの材料だか想像もつかないけど」
僕の目の前にあるのは大皿に載った山羊肉のサンドイッチだった。香辛料をやたらめったらまぶして山羊肉独特の臭みを消している。それをトマトとタマネギにあわせて、特製ソースが絡んでいる。外側は大きな黒パンだ。パンに切れ目が入っていてそこに具材は詰まっている。
めっちゃ食べ応えある。
「もぐ、もぐ……あんまり僕、詳しくないんだよ。お香なんて」
「俺っちも香はイマイチだァな」
モラは僕らがテーブルに置いた荷物の死角にいる。今日も今日とて果物を食べている。
しょりしょり。
「わたくしも、どうやらお香には詳しくないように思いますわ」
リンゴは優雅にティーカップを口に運んでいた。
ストームゲートで一般的に飲まれているハーブティーだ。女はハーブティー、男はごりごりに濃いコーヒー、というのがこの町のスタンダードらしい。まあ、濃いコーヒーとは言ってもそこに山羊のミルクをぶち込むんだけど。
僕が嗅いだ“香らしき”ニオイは、血のついてる日記なんかによく残っていた。
最初は血が乾いたらそんなニオイになるのかなと思ったけど、他の本からもわずかに同じニオイがしたから、血じゃないと思ったわけで。
「多分だけど……血がべっとりついてるのはあまり冒険者に閲覧されなかったのかな。手に取られなければそれだけニオイが他のものと混じるし……あむっ」
僕はサンドイッチにかぶりつく。
山羊肉、噛みきれないんだよね。ずるりと肉が出てきて口の周りをソースまみれにしながら口の中に肉を“ずぞぞぞ”と吸い込む。
「もうちょっとキレイに食えねェのか」
「もぐ、だって、もぐもぐ、食べづらいん」
「口ン中にモノ突っ込んだまましゃべるんじゃねェや」
じゃあ言葉をかけないでよ。まったく。
こんなふうにして僕らは資料調査を進めていた。
朝から公文書館に行き、お昼はサンドイッチを食べる。
夜は、その日調べたことをお互いに話すんだ。かいつまんでね。他人に話すことで自分の中でも知識がクリアになっていくし、知識と知識をあわせることで新しい情報が生まれることがある。
瞬く間に次の1週間も過ぎていった。
調査は順調だった――このときまでは。
僕らはお昼を食べていた飲食店で、「トウミツ」という名前を耳にしたのだ。
「聞いた?」
小声でささやくと、モラとリンゴもうなずいた。
その言葉を口にしたのは身なりのいい商人らしき2人組。
なにを話しているかはよく聞こえない——だけど僕らがじっと耳を澄ましていると、「トウミツ」と「ノロット」という2つの名前を、確かに同じ人物が口にした。
商人たちは店を出て行った。追うべきか迷ったけど、そのふたりがトウミツさんのところに行ったら元も子もないので止めておいた。
「……どういうことだろう?」
トウミツさんと僕の名前が結びつくことはあり得ない。
トウミツさんを訪れた僕が「ノロット」だと気がついたとか? いやー、ないでしょう。タレイドさんが秘密を漏らすとは思えないし(思いたくないし)、僕は冒険者だとは名乗らなかったのでトウミツさんが冒険者協会へ問い合わせる可能性はほとんどないはずだ。単なる偶然?
「ふゥむ……考えてもわかンねェことを考えても、しようがあるめェ。今まで以上に気を配るこった」
それもそうだよね。今まで通り資料調査を進めるしかない。
でも――僕らは翌日に知ることになる。
トウミツさんと「ノロット」の“関係”を。
それは昼下がり。ランチを食べた後で眠くなってくる時間帯だ。
テーブルに大量の文書を防壁のように積み重ねていた。手にした文書に集中できず、僕はうつらうつらしていた。
「おィ、ノロット。起きろィ!」
「――ハッ。い、いやね、ちゃんとやってる、やってるんだよ? でも一瞬意識が飛んじゃってさ」
「居眠りを責めてるわけじゃねェや。ヨダレも拭け」
「ふぇっ」
僕が口元をぬぐおうとすると、横からサッとハンカチが出てきてぬぐわれた。リンゴだ。
「あっ、ありがとうリンゴ」
「ご、ご主人様のヨダレ……」
ふひゅひゅひゅと笑うリンゴの口からヨダレがつつーと垂れている。
「いや、そのハンカチちゃんとしまってね? 後で洗ってね?」
「もちろんでございます……もちろんでございます……」
じぃっとハンカチを見ている。
「そこに顔を埋めたいとか考えてないよね?」
「そのような恐れ多い!」
ぶんぶんとリンゴは首を横に振った。
「わたくしは最後の一滴まで飲み干したいだけですわ」
「余計悪いから! ちょっと貸してそれ! 僕が洗って返す!」
「イヤでございます! 洗濯はメイドの務めです!」
「そんな責任感要らない――」
「おィ、茶番はその辺にしとけ。――“聞こえ”ねェか」
「え?」
モラに言われて耳を澄ませる。と――大声でやりとりしているのが聞こえてくる。
――困ります。
――なにをバカな。
そんな感じの声――押し問答みたいな。
僕らは声の聞こえてくる、1階へと続く階段に向かう。
階段は吹き抜けになっている。階段を降りるとすぐエントランスだ。
そこにいたのは――10人ほど。
公文書館の職員が3人、手前で食い止めるような格好。
入ってきたグループの中に僕は見知った顔があってぎくりとする。
「それはおかしな話じゃないか? 君たちの仕事は公文書の管理だろう。なんのための管理だね? 必要なときに読ませるためだ。必要なときとはいつか? 今だよ、今! わしらに開示したまえ」
げっ。
トウミツさんじゃん!「今だよ、今」じゃないよ。なに熱弁を振るってるんだよ。
僕らはあわてて身をかがめる。
「なんでトウミツさんが……」
「ンなこと知るかィ」
手すりの隙間からエントランスを見下ろす。トウミツさんは使用人も連れてきていた。彼は油断なく周囲に視線を走らせている。
怖っ。見つかったらヤバイよね、絶対。
「ハハン!」
すると、中央にいた人物が甲高い声を上げた。
「君たちの手をわずらわせることはないから心配しなくていいんだよ! 場所さえ教えてくれれば良さそうなものを僕らが運び出すからサ!」
金色の髪をなでつけ、後ろ髪は襟にかかるほどだ。この地方の服でないことがすぐにわかる。青色のシルクのシャツを着て胸元は純白のスカーフ。ぴっちりと脚に張りつくようなズボンに、ブーツはシルバーで装飾されていてじゃらじゃらしている。
うーむ。
なんていうか……“チャラい”。
顔つきもチャラい。
細い眉の下にはぱちりとしたブルーアイ。薄い唇はずっと片方だけ吊り上がっていて、生まれたときから笑ってたみたいになっている。耳にはサファイアの3連ピアスだ。
「聞いたかね? こうおっしゃってくださっているだろう」
トウミツさんが言うと、職員が難色を示す。
「しかし、文書の持ち出しは厳禁です。それに閲覧権限もお持ちではありません。せめて冒険者協会の紹介状をお持ちいただかないと」
「ああ、冒険者協会なんてダメ、ダメ。あいつらはまーったくわかってない。こちらが名乗ったら『“あり得ない”』の一点張りだから」
「ではあり得ないのでしょう。こちらとしても文書の公開はあり得ません」
「なにを言う! 君たちだって『黄金の煉獄門』踏破は悲願ではないか」
ぎくり。
まさかとは思ってたけど、トウミツさんたちの狙いは文書――2階にある「黄金の煉獄門」に関する文書ってこと?
「光栄に思いたまえ!」
チャラ男が声を張り上げた。
「268年間踏破されなかった『黄金の煉獄門』踏破という偉業に君たち職員も関与できるんだからサ! さあ、さっさと道をあけたまえ! この大冒険家にして『魔剣士モラの翡翠回廊』を踏破したノロットが――この僕が、通るんだよ!」
……え?
僕が横を見ると、モラとリンゴも僕を見ていた。
そりゃあ驚くよ。
大冒険家にして「魔剣士モラの翡翠回廊」を踏破したノロットが、公文書館に現れたのだ。あの大冒険家が。誰も踏破できなかった翡翠回廊を踏破したあのノロットが。
マジかー。




