128 故郷(前)
グレイトフォールを出て、そろそろ1カ月になろうとしていた。
無事に僕は成人した。
これでもうお酒も飲めるし……あとなんかあったっけ? ないかな? 国によっては兵役義務とかあるけど。
あれ、そう考えると成人ってそんないいものでもないのか?
「成人祝い」と称して夜中にエリーゼとリンゴがすり寄ってきたときには、懐にパチンコを隠し持っていてよかったと心底思ったけどね。
ていうかこのふたり、思考パターンが同じなんだよ。仲良しかな?
「そろそろだね」
「あれがご主人様の故郷……」
「故郷ってわけじゃないけど。まあ、モラと会うまで過ごしてた場所ではある」
乗合馬車がそろそろ到着しようとしていたのは、ムクドリ共和国の首都だ。
なだらかな起伏のある土の露出した大地。
ムクドリ共和国らしい建築様式である尖塔が目立つ。
このあたりは町と町の間にもあまりモンスターが出現しないのでのんびりしたものだ。街道沿いでは牛が放牧されている。
「懐かしいわあ〜。そうそう、ムクドリ共和国ってこういう感じだったわー」
「そう言えば……エリーゼってなんでムクドリにいたの? 僕が遺跡を踏破したときにはいたよね?」
「……見合い」
一転してムスッとした表情で答える元貴族令嬢。
「でも、あのときは見合いでも失敗して不愉快なことこの上なかったけど——ムクドリには来てよかったわ」
「そうなの?」
「だってぇ……」
狭い乗合馬車。
僕の隣に座ったエリーゼが僕にもたれかかるようにする。
「ノロットに出会えたんだも——痛ぁっ!?」
言い終わらないうちにリンゴがエリーゼに目つぶしをくれていた。
「なにするのよ! ――女神ヴィリエよ、この者に恵みの力をもたらしたまえ——」
エリーゼがささっと治癒魔法を詠唱して目を治療している。その間、左手の甲の紋様が光って見えるんだよね。これって確か、「女神ヴィリエの海底神殿」を踏破したときにもらったものだったはず。
「エリーゼ、その紋様って治癒魔法の効果だっけ?」
「え? あー、うーん……そうね、治癒魔法の効果が上がってるみたい……」
「なんで残念そうなの」
「……だって、あたしの力じゃないみたいじゃん」
「ああ、ズルしてるみたいな?」
エリーゼって、実は結構上昇志向あるんだよね。
とはいえ治癒魔法の効果上昇はうれしい。
最奥に宝物とかがあったわけじゃないけど、これはこれで収穫だ。
ま、どれくらい効果が上昇しているかはわからないんだけどね。だって、検証するために生傷を作るのなんてイヤじゃないか……。
ちなみに、勇者オライエのやっていた憑魔はいまだにできないらしい。
都市内部は石畳が整えられているけれど、大地は平らではなく、ところどころに石段や坂が多いのが首都の特徴だった。
白の漆喰と防腐処置のために黒く塗られた木造建築。
それに尖塔。
これもまた特徴的な町並みを作っている。
「……ここが、その孤児院でしょうか?」
「うん。8歳までいたんだ。9歳になる直前にレストランに引き取られて、雑用係として働き始めた」
「そのレストランは——」
「……あまりいい思い出はないから」
「そうでしたか。失礼いたしました」
僕らがいるのは主要大通りから外れた一角、貧民街の一歩手前くらいの場所。
平屋の建物は広いけれども建て付けが悪い。隣には墓地が広がっていて、この墓地の管理をすることである程度の金銭を得ている——孤児院だ。
ムクドリ共和国では女神ヴィリエを信仰するヴィリエ教も強いけれど、土着の精霊信仰もあり、また近隣にある白き山に住まうという神を信仰する白山信仰も強い。
だから国教を持たず、孤児院は福祉政策の一環として行われている——そのせいで予算はカツカツのはずだ。
宗教に結びついていないから寄付も少ないから。
「……こんにちは」
戸を開けて中に入る。
入ってすぐは受け付け。と言っても小さいデスクがあるきりで、廊下の奥から子どもたちの遊ぶきゃあきゃあいう声が聞こえてくる。
懐かしさが込み上げてくる……んだけど、誰もいない。
「すみません……すみませーん!」
声を張り上げる——と、奥から若い男性が出てきた。
「これはお客さんとは……ええと、なにかご用ですか?」
僕の記憶では、正面玄関から孤児院にやってくるのは役人か里親希望者だけだ。
明らかに僕らはそのどちらでもない。
でもって僕も、この人を見たことがない。
「あ、ええと、その……施設長のマーサおばさんはいませんか?」
「……あの、どちら様ですか? 先にどのようなご用件か聞いても?」
「僕、昔ここにいたんです。たまたま通りがかったので……」
「ああ!」
その言葉で疑問が解けたのか、彼は施設の奥へと引っ込んで声を上げる。
「おばさーん! 卒業生が来たよ!」
なかなか気さくな人っぽい。っていうか、マーサおばさんの家族かなにかかな?
と思っていると、「誰だい、卒業生なんてのは」という声。
「ああ、おばさんの声だ……」
「今の声の人? ノロットの、お母さん代わりなのかな?」
「うん。食事中に鬼ごっこ始めて叱られたこととか、おねしょしたシーツをいっしょに洗ったこととか、一気に思い出した」
なんか急に恥ずかしくなってきたぞ。
どたどたどた、という相変わらず大きな足音だな……とそれすら懐かしい。
「ったく、この忙しいときに——」
出てきたマーサおばさんは、僕の記憶と違わず——いや、さすがに少し老けたかな。
どっしりとした体格だけど、無駄に太るほど食べることはこの孤児院じゃできない。とにかく子どもたちの生活を維持するのに追われていたから家事のしやすい格好。服だけ見たらリンゴにちょっと近い。
しわが増えたなあ。でも、怒ると怖いのに褒めてくれるときには柔らかくなる鳶色の瞳は変わらない。
「マーサおばさん、お久しぶり——」
言いかけた僕におばさんは、
「……この」
震えながら言った。
「大馬鹿者おおおおおおお!!」
…………え?
お、大馬鹿者!?
怒られるようなこと、したっけ!?
全然わからないでいると、マーサおばさんが怒るときの目になった。
ひえええ!?
「なーにが卒業生よ! ノロット! あんた勝手にレストラン辞めて! あんたが冒険者になろうとなるまいと知ったことじゃあないけど、あれからレストランの店長が押しかけてきて『いなくなって店の損害だ』って大騒ぎになったんだよ!」
「え——」
僕は記憶をひっくり返す。
モラと出会って僕は冒険に出ることを決意した。
レストランにいるのがイヤでイヤでしょうがなかったからだ。
働いていてもお給金すらほとんどもらったことがなかった。
でもお金を要求しなかったし、ただ「行かせてください」とお願いした。そしたら、ぶん殴られたんだっけ。
で、「二度とそんなバカなことは口にするな」と言われた。
だからさすがに頭に来て、僕は一筆、「今までお世話になりました」とだけ残して下宿を出たんだ。
それが——この孤児院に迷惑をかけてた……?
「あ、あの、それは……」
言葉が詰まる。そんなこと考えたこともなかった。僕の行動がマーサおばさんの迷惑になっていただなんて。
どうしよう。
なんて言って謝ったら。
「——おばさん、その辺にしときなよ」
と、そこへさっきの男性が出てきた。
「あなたがノロットくんでしたか。初めまして。私はマーサおばさんの……年は離れてるんですけど一応つながりで言うと従兄弟なんです。まあ年齢差があるからおばさんって呼んでますけどね」
「あ、はい、あの……僕、迷惑をかけていたみたいで……」
「あははは。気にしないでください。こんなふうに言ってますけど、おばさんはあの店長が乗り込んで大騒ぎしたあとに——くくっ、こう言ったんですよ」
——あたしの知ってるノロットは、礼儀も果たさずにこっそり出て行くような真似はしない。おおかたあんたのほうが、ノロットに礼儀を欠いたんだろう。そうじゃなきゃあたしの知らないノロットだ。どっちにしたってあたしにゃ関係ない。さっさと帰れ。
「マーサおばさん……」
知らなかった。
そんなふうに僕のことを思ってくれてたなんて。
「ごめんなさい、おばさん……僕、お金を稼げなくてこの孤児院に来ることもできなかった。せめて来るときは寄付できるようにならなきゃって思ってたから……」
するとおばさんは、はぁーっ、と深くため息をついた。
「……バカだね、こんな孤児院にいたことはさっさと忘れるんだよ。あんたにはあんたの新しい人生があるんだろ?」
ああ……思い出す。
こういう人だ。
手ひどい言葉を口にしたのは、この孤児院への未練を断ち切らせるため。
親に捨てられた過去を振り返らないようにさせるため。
「それでも……僕に、温かいご飯と寝るためのベッドを用意してくれたのは、マーサおばさんです。おばさんが忘れても、僕は一生忘れません」
「まったくもう!」
おばさんはくるりと背中を見せて、
「子どもたちと遊んでいきな。こんなところに来たってことは、多少はヒマなんだろ」
そう言うと「忙しい忙しい」と言いながら奥へと去って行った。
すると男性が、
「珍しい。おばさんが照れ隠ししてますよ!」
ニヤニヤしながら言った。




