119 神の試練 - 女神ヴィリエの海底神殿(7)
勇者オライエ――その名ははるか昔より伝わっている。
悪魔による地上界への大進行。これを食い止めた人物だとか。
ただその存在を証明するようなものは現存しておらず、名前と伝説だけが現代にも残っている。
――魔の国の住人が、天の加護を受けし我らが大地を侵略した。
――我らと魔の国の住人との戦いは600日続いた。
――我らは倒れ、傷つき、息絶え、大地には絶望が満ちた。
――しかし天より遣われし勇者オライエが魔の国の住人を討った。
――大地には光が戻り、影は去った。
こんな感じの内容だ。
でも神の試練として「勇者オライエの石碑」というものがある“らしい”となっているのに、実際には誰も見たことがない。
唯一、勇者オライエを祀っているヴィンデルマイア公国――西方の、とても小さな国――がこの言い伝えを残しているけれど、そこには「石碑」なんてものはなく、公国も存在を否定している。
それが、僕の知っている「勇者オライエ」に関する知識のすべて。
おそらくほとんどの冒険者も僕と同じ程度しか知らないだろう。
「タラクトさんっ……!?」
一撃で消えたタラクトさんを見て僕らは思わず足を止める。
「――戦闘に挑む以上、負けることも常に頭のどこかに置いておかなければいけないよ」
「!?」
僕の目の前に現れたオライエが剣を振りかぶっている。
早い。
瞬間移動したのかと思えるほどに。
剣の刀身は白く輝いていて、どんな刃なのかまったく見えない。
「――ッ」
僕は横っ飛びに飛ぶ。床が割れる。振り下ろされた剣からほとばしる波動が僕の身体にまとわりつく――。
「命じる。爆炎弾丸よ、起動せよ」
まずい、と感じた。僕は足下に魔法弾丸を撃ち込む。
爆風とともに波動も吹っ飛ぶ。ただ、もちろん僕自身も煽られて10メートルくらい転がった。
「いいセンスだ」
笑うオライエの表情はさわやかだ。
やっぱり、なにかあの剣には秘密が――あるよな。あるに決まってるよな。あんな剣、見たことないもの。
「てめええっ、タラクトを!!」
ゼルズさんが横薙ぎに振るう大剣を、オライエは剣で受け止める。鈍くて重い金属音。
あのゼルズさんの、鉄塊みたいな剣を片手で受け止めた……。
「……ここだ!」
その隙に忍び寄ったラクサさんが死角からダガーの一撃を放つ。
剣は使えない。
刃が当たる――。
「!」
またも、金属音。
オライエは――左手でつまんだ。
ダガーを、ちょんとつまんだんだ。
でもそれで金属音が鳴るって変じゃないか?
「この程度じゃ、合格点はあげられない」
フッ、と姿が消える。
さらに追撃をしようとしていたエリーゼの背後に立つオライエ。
「後ろ!! エリーゼ!!」
「――わかってるって!」
くるりと反転したエリーゼの剣がオライエの首に迫る。
すごい。
エリーゼはオライエの動きが見えていたんだろうか。
でもオライエもよく見ている。
上半身を反ることで剣をかわしていく。
ッキィン。
ん、また金属音?
剣は当たらなかったのに?
「な、なんで……」
かわされたことに、なのか、エリーゼが驚愕の表情を浮かべる。
「いい剣だね。腕もいい。魔法による強化を十分に活かしている――剣先から真空状態が生まれ、さらに切れ味が増している」
「だったらどうして斬れてないの!?」
「どうしてだろうねえ」
言いながら、飛来したクロスボウの矢をつまんで受け止めるオライエ。
むちゃくちゃだ。
悪魔と対峙したときのような絶望感や恐怖感はない。
むしろ、その辺にいる冒険者と変わらない。
にもかかわらず――強さが桁違い。
本物なの?
勇者オライエが……生きていた?
わからない。ここは「女神ヴィリエ」の神殿のはずなのに、どうしてオライエが……。
「……集中しろッ、リーダー!」
「!」
ラクサさんの叱責で我に返る。
「タラクトは転移させられただけだ! 死んだとは決まってない!」
「は、はいっ」
そうだ、僕がしなければいけないのは――倒すこと。
目の前の相手が勇者なのかはわからないけど、倒すしかない。
「うおおおおお!」
「せええいっ!」
ゼルズさんとエリーゼがオライエに向かう。
「いや、いや、言ったでしょ? 転移させただけだよ? 死なないよ?」
剣をかわしたりいなしたりしながらオライエが言う。
「信用できません……ねっ!」
僕もパチンコの弾丸を飛ばすけど、紙一重のところでオライエはかわす。
「え、ええ? ここのところ数回飛ばしてるけど、知ってるよね?」
「だから信用できないんですよ。間違えて海に転移させたりしているじゃないですか」
「――――なんだって?」
オライエの姿がかき消えた。
「ノロット後ろ!」
「そんなことは、ないはずだ」
僕の背後からオライエの声がして、僕も振り返る。
驚いた顔をしている。困惑している、という感じだろうか。
「……そんなことが、起きてるんですよ。僕らがウソを吐いたってしょうがないでしょ」
「でも……うぅん……」
「地殻変動が起きたことを知っていますか」
「えっ?」
「海底炭鉱のルートも、そのせいで狂いが出ているみたいです。だから転移先の座標がずれてるんじゃないか、って」
「…………」
みるみるオライエの表情が険しくなる。
すると彼は上空を見上げて――叫んだ。
「――ルシア!! 今すぐ転移魔法を調べろ! 才ある冒険者の命を奪うことになってたら、いかに君とて僕は許さないからな!!」
唖然とするのは、今度は僕らのほうだった。
ルシア――この流れで行くと、魔神ルシア? モラとか魔法使いたちがよく詠唱で口にする、あの名前? 言語にもある「古代ルシア語」とも言われるあのルシア?
それにもうひとつ――。
この戦いは、というより、この試練全体が……監視されている?
誰に?
……神に?
「すまなかったな、僕が最初に斬った相手は……」
「タラクトさんですか」
「そうか、タラクトというのか。彼は…………転移されている。海底炭鉱の入口にいるようだ」
「…………」
え?
「ちょ、ちょっと待ってください。わかるんですか? タラクトさんがどこにいるのか?」
「調べさせた。きょろきょろしたあとに首をかしげているそうだ。そして、近くにいた冒険者に話しかけているという。そしてあっという間に溶け込んだ」
もうね。タラクトさんがそういうふうにやっている姿が目に浮かぶ。
「……タラクトらしい」
「あいつならやってそうだなあ」
「マジタラクト」
ストームゲート組も納得のタラクトさん。
「『豊穣の女神に殉ずる』の扉に進んだ者たちは……2人を転移させ……1人はわからないが、もう1人は…………猫の亜人か? 試練の間にいるようだね」
ニャアさんのことか。
「転移先不明の1人が、海に転移したという人間か」
「エルフです」
「ほう」
「無事に……いや、無事じゃなかったですけど、保護されてます」
「……そうか」
よかった。冒険者組合に探索依頼をかけたのが無駄になっちゃうけど、それでも全員無事なほうがマシだ。
プライアは慎重に進んでるってことなのかな。どんな話し合いをしたのかはわからないけど。
「他に数回転移させた男は、今も試練の間にいる」
ゲオルグのことだろう。
「転移させたのは以上だ。すべての転移魔法を確認させるよ。よい情報をもたらしてくれたね、ありがとう」
「感謝の代わりに、ここを合格にしてくれませんか?」
「面白い冗談だ。そうすると苦労するのは君たちのほうだよ?」
……ん? どういうこと?
ここを合格すると……苦労する?
考えられるのは――僕みたいに、実力もないのに踏破したという実績ができてしまうってことかな?
「さて――今話したぶんの時間は巻き戻して、最初からやり直しと行こう……まあ、面倒だしオマケしてキリよく」
『残り時間、180分』
「後顧の憂いはない。全力でかかってきなさい」
勇者オライエは不敵に笑う。




