11 文字の海へようこそ
公文書館は2階建ての建物で、かなり広かった。どれくらい広いって言えばわかるかなあ? 建物の外周を僕が走ったら、たぶん本気を出しても5分はかかると思う。
入口の上部には「ストームゲート公文書館」の文字と、書物を開く人や議論する人たちの様子が壁面に彫り込まれている。なかなか凝っている。
さあ、資料漬けの日々が始まるぞ。
資料に当たるにはいくつかの方法がある。
片っ端から「それっぽい」本を調べるのがまずひとつ。でもこの方法は、「それっぽい」を判断するのが難しい。ある程度、様々な書籍を読み込んできた人にしかできない技だ。
たとえば、不動産屋が「地上げ」をするとしよう。安い金で住居や土地を買いたたいて、一度更地にして、デカイ建物――しゃれおつな集合住宅なんかを建てようと計画しているとする。
……いきなりなんのたとえ話だ、って? まぁまぁ、これが冒険に関係してくるんだよ。
さて「地上げ」だ。関連している法律や過去の事例を調べに公文書館へ来たとして、その人が「遺跡発掘」についての書籍を調べるだろうか? 調べないよね? でも場合によっては調べたほうがいい場合があるんだ――たとえば、このストームゲートなんかはね。
ストームゲートには遺跡群がある。この都市部にも過去の遺跡が残っていたりする。ほとんどは調査済み――というかお宝もなにもなくて埋められたんだけど、ごく稀に価値のある石版が出る。こうなると、その石版周辺も探せ、ってことになるよね。
つまり、「地上げ」をしようとしたときに、住民がもし仮に、
「ここには貴重な遺跡が埋まっていた場所だ」
と主張したらどうなるか? 少なくとも、地上げが順調にいかないことは間違いない。愚鈍な住民には小金をつかませ叩きだし、都市に似合いのアパートメントを造ろう——なんていう計画は1年以上延期することになる。
「つまり『地上げ』をするなら『遺跡発掘』――遺跡群の分布についても調べる必要があるってこと」
……といった内容をリンゴに説明したんだ。
すごい。両手を胸の前で組んで、めっちゃ目をきらきらさせてこっち見てる。
尊敬のまなざしってやつだ。
感動するにしてもしすぎだよね、これ?
絶対「ご主人様割り増し」で2,000%増くらいになってるよね?
「え、えーと……では僕らのケースに戻るけど」
「はいっ」
「僕らは『黄金の煉獄門』についても知識が足りないし、『ジ=ル=ゾーイ』についてもほとんどわかっていない。そういうときに手当たり次第、文献に当たるのは危険なんだ」
「ふむふむ」
「じゃあどうするか? 簡単。人を頼ればいい」
「人、とは……」
「ここは公文書館だから。頼る人はひとりだよ」
僕らは公文書館の“係員”にお願いして、「黄金の煉獄門」についての文献をありったけピックアップしてもらった。
「こちらですね」
係員が案内してくれたのは、2階だ。
ずらりと書棚が等間隔に並んでいる。見事だ。見方によれば整列したお墓みたいに見えないこともないけどそれはさておき――壮観。とにかくすごい量の書棚。中にはすかすかの書棚もあったけれど、たいていは束になった紙や雑な装丁の本、美麗な本など雑多に詰め込まれている。
「どの書棚ですか?」
「ええ、ですからこちらです」
「? あの、書棚の位置を教えて欲しいんですよ」
「はい。こちらです」
僕は、ようやく理解した。
「2階の本、“全部ですか”?」
係員は、当然でしょうとばかりにうなずいて去っていった。
「ひぇぇ……」
壮観だ、とか言ってる場合じゃなかったよ。あと「人を頼ればいい(ドヤァ)」とかリンゴに言っていた自分を殴りたくなる。
「ご主人様、あっという間に資料の山までたどりつきましたわ! さすがですわ!」
このオートマトン、手を変え品を変え褒めてくる。
感心する。僕もそのポジティブさを見習おう。
やった! これでしばらく(向こう1年くらい)読む本には困らないね!
「しっかし、すごい量だな……」
でも考えてみれば当然かもしれない。268年間、踏破されなかった遺跡。数多の冒険者たちが挑んでは負けた。
そう、“全員勝てなかった”んだ。
敗北の歴史がここに詰まっているのだ。
「……なんでェ、心が折れちまったのかと思ったら、目ェきらきらさせやがって」
モラがぴょこんと出てきた。
「やろっか、モラ。相手にとって不足なしだよ」
2階の一角にあったテーブルを占拠した。幸運なことは2階には誰も上がってこなかったことだろう。タラクトとゼルズのパーティーが失敗して、冒険者協会が公文書館への紹介について消極的になってるのか、あるいは他のパーティーが怖じ気づいたか。
僕が読めるのはヴィリエ語だけで、ここにある文書はヴィリエ語がほとんどだった。稀に古代ルシア語が混じっている。古代ルシア語は、魔法使いが詠唱の際に使うことが多く、精霊使役の効率がいい――らしい。モラが古代ルシア語が堪能なので、全部任せた。
モラはリンゴにのっかって書棚の森をさまよっている。僕はテーブルに運んできた文書の山に埋もれていた。
さて、使い物になる情報はどれくらいか――。
どんな文書があるのか、内容をちょっと紹介しよう。
――○ノ月、この地域は常に晴れている。乾燥がひどく遺跡の風化も早いという。我々は『門』へと向かった。パーティーは12名。短槍使いのビルンゴル=ドゥマ、大盾のハヤジラ、ムチ使いの……(自己紹介が続くので中略)……そして私だ。門へは乗合馬車を利用した。我々以外にも6パーティーが門に挑むという。どれもこれも冴えない連中だ。100年以上も踏破されなかったなんてウソだな。今までがたいしたことのない冒険者ばかりだったに違いない。私たちのパーティーが初踏破の歴史を刻む。
(ここでインクの色が変わる)失敗だ。やってられるか、こんなもの。ふざけやがって。
「これで終わりかよ!」
思わず突っ込んでしまった。
でもほとんどの記録が似たり寄ったりだったりする。紹介したこの文章は、“まだ読める内容”であるという事実が恐ろしい。
踏破できなかった冒険者の冒険譚は、売れるわけもないので本にはならない。本人たちもわかっているので、簡単な記録で終わっている。
日記のようなものが意外といいことに気づいた。その日に起きたことが全部記録されているわけでしょ? 遺跡の内部で起きたことも克明に記されているんだ。
でもね日記は――ちょっと問題も……ある。
考えてみればわかるけど、日記をさ、他人に見せたりする? ましてや「我の日記を公文書館に所蔵し、長きにわたって読んでいただこう!」なんて思う? 思わないよね。でも、“ここにはある”んだ。何十冊も、何百冊も。
“書き手は死んだ”んだろう。
紙面に飛び散った血痕。
ものによっては血みどろでほとんど判読不能、なんてものもある。
そういう文書を見つけるとやっぱり心に“来る”ものがある。
死は身近なんだ、って思う。怖じ気づきそうになる。
でも……僕が望んだ人生だ。
僕が恋い焦がれた生き方なんだ。
初日、僕が目を通した文書のうち、1階層を突破した記述があったのはたったの3つだった。そしてその3つとも2階層で退却を余儀なくされていた。
「つっかれた~」
背中がバッキバキに強ばっている。
夕陽が落ちると公文書館は閉館となるため、その時点で僕らは外に出た。外はもう暗い。お腹も空いた。
「その割りに、ご主人様は楽しそうですわ」
リンゴがくすりと笑う。
「うん、まあね。重要なことをやっている……っていう充実感もあるし。一歩ずつ遺跡に近づいてる手応えがあるよね」
と言うと、「ぶふっ」というカエルの笑い声がマントの中から聞こえてきた。
「なんだよ、モラ」
「アホォ、他の冒険者だってみな同じことやってんだィ。でも全員しくじった。そのこと忘れんなィ」
「うっ……」
モラの言うとおりだ。僕らがやっているのは「やって当然の下調べ」に過ぎない。その現実を直視すると途端に不安になるよな……。
「モラ様。他の方々と同じことかもしれませんが、遺跡に近づいている事実に変わりはないと思いますわ」
「をん? リンゴにしちゃァいいこと言うじゃねェか。そんならノロット、お前ェにひとついーいこと教えてやろう」
いいこと!?
「なになに?」
「“他人と同じこと”をしてちゃァ足りねェ。それはわかるな?」
もちろん。よくわかった。
「ってェことは、“違うこと”もしなきゃなんねェってこった」
「違うこと? ってなに?」
「同じ文献を読み込むでも“違うことを見る”んだ。たとえば俺ァな、魔法に関する記述はかなり注意深く読んでる。煉獄門の門柱がどんな紋様なのか、とかな。スケッチがあったからよ、リンゴに頼んで模写してもらった」
「それがなんなの?」
「仕組みがわかりゃァやれることもあるってェこった。ひとりの人間の得意な魔法のパターンってのァそう多くねェ。中にも絶対、“同じ仕掛け”がある」
「あっ――マジックトラップ! それを破れるってことか!」
「そういうこと」
「おお、モラってやっぱりすごい! 700年生きてるだけあるよ!」
年の話はすんなィ、とモラはふてくされたように言った。




