103 セルメンディーナの話 後篇
「プライアさんは……どの扉を選んだんですか?」
セルメンディーナの話が佳境に入ってきた。彼女は目を閉じて、一言一句間違わないように慎重に口を開く。
「『豊穣の女神に殉ずる』……です」
その、扉を選んだのだという。
——この扉を開けましょう。私の魔法は豊穣の女神であるヴィリエ神の力を存分に活用させていただいています。であれば、この扉こそが私に……私たちにふさわしいと、そう思いませんか
「みな、なるほどとうなずきました。治癒術師として他に並ぶ者のいないプライア様。そのプライア様にふさわしいのは『知識に挑む』という知恵比べや、『覚悟を示す』といった戦いを連想させるものではありません」
「扉は簡単に開いたんですか?」
「……ノロットさん、さすがです。なにか仕掛けがあるとお考えでしたか」
「おそらく冒険者認定証がカギになる……のではないかと」
「そのとおりです。プライア様がダイヤモンドグレードの冒険者認定証をかざすと、光を放った扉は——消え去り。私たちは見知らぬ場所にいました」
「転移魔法?」
「というよりも、最初からその場にいたかのような……不思議な感覚でした。そこは——」
延々と続く、長い通路だったらしい。
神殿のように巨大な柱が立っており、真っ直ぐに伸びている。
空は明るく、青色の光が注いでいる。
「外に出ていた、ってことですか?」
「わかりません。確かめる術はありませんでしたから。……私たちは前へと進みました。後退することはできませんでした。背後は壁でしたので」
「どんな試練が待っていたんですか」
「…………」
セルメンディーナは言い淀んだ。
ここに来て言葉が途切れたことに、聞き耳を立てている全員が息を呑む。
「……まず、ロンの腕が裂けました」
は? という疑問符が僕の頭を埋め尽くす。
「文字通り、腕が真っ二つに裂け、大量の血が噴き出しました。なんの前触れもなく突然に。パニックに陥る中、プライア様が治癒魔法を詠唱しました。かなり高度な術式です。ロンの腕はかろうじて元に戻り、死を免れました」
しん……と静まり返る。列車の進む振動音だけが響いている。
唐突に襲った不幸。それを回避したプライアのとんでもない魔法。
僕はプライアの魔法を知っているけれど、やっぱり驚くよ。裂けた腕を元に戻すなんて。
「ロンがどうしてそのような事態に陥ったのか説明できません。攻撃してきた者もなければ仕掛けもありませんでした。たださすがなのはプライア様だけは落ち着いて対処なさったことでしょう」
「……ほんとうに、そうなのかな」
「なにがですか。ノロット様」
僕は疑問を感じる。
いきなり腕が裂ける。ふつうなら驚く。たとえ治癒魔法が使えたとしても驚くんじゃないだろうか。現にセルメンディーナだって驚いたわけだし。
なのにプライアは治癒魔法をすぐに詠唱した……。
扉を開けたのはプライアの冒険者認定証……。
ひょっとしたら……仮定に過ぎないけど、プライアはなんらかの「声」を聞いたんじゃないだろうか。僕らが「女神ヴィリエの海底神殿」の入口で聞いたような声を。
温かい声。母を思い起こす声。ニャアさんが涙をこぼしてたっけ。
「あ、すみません、たいしたことじゃないです。話の腰を折ってしまってすみません。——それで、先に進めたんですか?」
「はい。それ以外道はありませんでした。……背後には壁がありましたからね」
「ん、少し進んだらロンさんがケガをしたのではないでしたっけ」
「歩いたぶん、壁が迫っていました」
うわ……えげつない。追われている気にさせられるヤツだ……しかも進んでいる感じもない……。
「その道の終点は見えていたんですか?」
「いいえ……明るかったのに先はまったく見えませんでした。霧のようなもので霞んでいて」
思っていた以上にきつそうだ。
「撤退できないんですよね?」
「はい。歩みを止めることはできますが。……プライア様は迷ったようでしたが、進むことを決断されました。立ち止まっていても仕方ありませんから」
「……しばらく進むと、他の誰かの、身体が裂けた?」
「そのとおりです」
阿鼻叫喚だ。
プライアの魔力にも限界がある。
そして、
「プライア様の魔力は、私の足が裂けたときに、切れました」
「セルメンディーナさんの——傷は……」
「プライア様は癒すことができませんでした。私は笑って『たいしたことがないので進みましょう』と言ったつもりでしたが、どうもうまく言えず、余計に心配そうな顔をなさって……」
当たり前だ。足が裂けてるのに「たいしたことない」なんて言われてハイそうですかなんてなるわけないよ! っていうかそんなこと言おうとしただけすごいよ!!
「私の意識はもうろうとなり……血を流しすぎたせいか、あるいは他の理由かわかりませんが、気を失いました。というより、死んだのだと思います」
「……え?」
「ですが、次に気づいたときには漁船の上でした。身体中が冷え切っていて、あと少しで死ぬところだったと漁師に言われました」
「え? え?」
「そこからグレイトフォールに戻され、病床でなんとかプライア様に連絡を取っていましたが、やがて連絡は途切れました」
わからないことばかりが出てきた。
「あ、あの、セルメンディーナさんは重傷を負ったんですよね?」
「はい」
「気づいたら海の上だった?」
「漁船の上です。比喩的には海の上と言えますが」
「漁師が海を漂っているセルメンディーナさんを発見したらしいと新聞には」
「であればそうなのでしょう。記憶がありませんから」
「僕らは、セルメンディーナさんが遺跡のトラップに引っかかったと聞いたんですが……」
「そのような話はしていません」
「ノロットさん」
そこへ口を挟んできたのはミートンだ。
「罠師としての意見、言わせてもらってもいいかな?」
「もちろんです。是非お願いします」
「ありがとう。——遺跡のトラップという言い方をしたのは、冒険者協会なんだよ。彼らも当然『63番ルート』にトラップなんてないことは承知している」
「でも、僕だけじゃなくて新聞にも……」
「ノロットさんを騙そうとしたんだ」
「僕を?」
「セルメンディーナ様が……神の試練に足を踏み入れていたのは協会職員しか知らなかった。ノロットさんが『63番ルート』の罠にかかったんだろうと証言すれば、ノロットさんは『63番ルート』についてなにも知らない大嘘つきということになる。そうなればヨソ者であるノロットさんはプライア様を置き去りにした戦犯として認定剥奪もでき、丸く収まる」
「え……全然丸く収まらないけど……」
「やっぱりあのブタは殺すべきでした」
「同感ね」
リンゴさん、エリーゼさん、物騒なことは言わないでほんと。タラクトさんも「しょうがないなあ」みたいに苦笑して受け入れないで。異常な発言ですよこれ。
「その後、冒険者協会は神の試練を発表する手はずだったんだよ。だから、『遺跡のトラップ』という言い方は、『63番ルート』という言葉をノロットさんから引き出し、ハメるためだったってこと」
「なるほど……」
「そうだったのか……」
僕だけじゃなくてペパロニも腕を組んで唸っている。そんな彼にミートンは軽蔑の視線をくれるけど、またこっちを見る。
「さて、話を戻そう。セルメンディーナ様は、トラップにかかった。これは間違いない」
「私はどんなトラップにかかったのですか? トラップが発動するようなものは……傷を負ったという点ではそうかもしれませんが、そうではないのですよね?」
「そ、それはですね……」
セルメンディーナ本人がたずねるとミートンの声がうわずる。うれしそうだ。やっぱり美人に話しかけられるとうれしいんだろうね。ぼさぼさの髪で目元は見えないけど表情がわかる不思議。
「……今の時点では幻覚の一種だと推測されますね。傷を負った、という幻覚です。セルメンディーナ様だけでなく、皆さんが」
「だから私の傷が、治癒魔法をかけていないのに治っていたということですか?」
「むしろ最初から傷なんて負わなかった、と考えるのが妥当でしょう」
「しかしあの痛みは幻覚などではありませんでした……それにどうして私は海上に?」
「その点についてですが……おそらくプライア様も私と同じ判断をなさったように感じます」
「どういうことです?」
「病院で治癒を受けてからもセルメンディーナ様はプライア様と連絡を取っていましたね。どのような方法ですか?」
「…………」
すこし迷ったようだったけど、セルメンディーナはポケットから小さなブローチを取り出した。
真ん中にオレンジ色の宝石がはまっている。
「魔力を込めて叩くのです。すると、対になる宝石が光ります。間隔を置いて1回ずつであれば『問題なし』、2回叩いて間隔を置くと『危険あり』、他にも細かい内容を決めていますが、多少の意思疎通が可能です」
「ほうほう、そんなものが……セルメンディーナ様は、『問題なし』と送った。違いますか?」
「詳細は言えませんが、ほとんどそのようなものです」
「やはり……」
「その推測の内容を教えてください。プライア様が判断したという内容を」
セルメンディーナがミートンを急かす。僕も急かしたいところだ。ミートンのドヤ顔がちょっと腹立つ。さっさと話して欲しい。ほら、ペパロニが歯ぎしりしてるよ。君の後ろで。
「プライア様の前から、セルメンディーナ様は消えたのでしょう。絶命した、と思われるタイミングで。そんなセルメンディーナ様から、時間を置いたとはいえ『問題なし』の連絡がある。そうなればプライア様はどう考えますか?」
「…………」
考え込むセルメンディーナ。
そうか——そういうことか。
僕はもどかしくて口を挟んでしまう。
「まず、こう考えるんじゃないかな?『死んだ肉体は強制的に転移させられる』。でも、1日か2日時間を置いて、生きているという連絡があった。次に考えるのは、『ここでの傷は幻覚ではないのか?』」
「正解。さすがノロットさん。もちろんそれはセルメンディーナ様が、ある程度正確に、自身の状況をプライア様に伝えたという前提の元だけど」
「……そうなれば、プライア様は」
セルメンディーナの表情は、晴れない。
「先に進んだ、と私は思います。彼らは、死なないとわかれば、痛いことくらいは我慢します。どんどん行こうと言うメンバーばかりのはずです」
「……ええ、そうだったのだろうと思われます」
ミートンのドヤ顔が消える。途端に歯切れが悪くなる。
僕も、ミートンも、セルメンディーナも言葉をなくした。
降り立った沈黙に苛立った声を発したのは、ペパロニだ。
「それで、プライア様はどうなったんだ? 今の話じゃ全然わからねえ」
ソイがため息をつく。
「バカね……結論は知れてるじゃない。セルメンディーナ様以外のメンバーは見つかっていないのよ。これがどういうことかわからないの? 神の試練の途中で倒れたメンバーは、どこかに転移させられた。その場所は……海とは限らない。どこかの遺跡の奥かもしれないし、岩の中かもしれない」
それは正しい推測だろうと僕は思った。
裏付けは、海底炭鉱に起きたという地殻変動だ。
そのせいで地中は大きく形を変えているはずだ。転移魔法の転移先が、本来安全な場所に設定してあったとしても、地殻変動で変わった可能性がある。
そして、プライアの連絡は途絶えている。
プライアは連絡できない状況にある——。
海中列車が停車したとき、僕らは葬式のように重苦しい空気に包まれていた。




