Report.007:一人暮らし
裕理亜の乗るエレベーターが、自室のワンルームがある十四階で止まった。
「えっと、カードキーは、っと……」
ジーパンのポケットから部屋のカードキーを取り出すと、エレベーターから降り、自室のドアの前へ向かう。
そして、カードキーを手に持ったまま、ドアノブをひねった。
ガチャリ
手がドアノブに触れると同時にロックの外れる音がして、ドアはすんなりと裕理亜を受け入れる。
「ただいまー、おかえりー」
ボソリとひとりで呟きながら、裕理亜は部屋へと入っていった。
そして、慣れた風でパチンと指を鳴らすと、光球が裕理亜の頭の上にポカリと浮かび上がる。裕理亜が身につけた魔法のひとつで、部屋の明かりに使っている。
もう、ここに住み始めて三ヶ月。時が経つのも早いものだ。
ここは三二階建ての単身者向けタワー型ワンルームマンション。裕理亜が通っている大学へは徒歩で十五分と、かなりの近場である。
勿論、家賃もそれなりにするのだが、物件を探す際、両親より「家賃は大目に見るから出来る限りセキュリティのしっかりしたところにしなさい」との厳命が降っていたため、その旨を不動産屋に伝えると、ここの物件を紹介されたのだ。
最初はもっと高級な場所を指定されたのだが、物件探しを一緒に手伝ってくれた恵良が小一時間説得をしてくれた結果、比較的希望に沿ったここに入ることが出来た。
その時、恵良は「ここはウチに任せといてジブンはちょっと遊んでき」と裕理亜を外へ追い出したため、不動産屋とどのようなやり取りがあったのかは、裕理亜は知らない。
ただ、その事を両親に告げると、「今度帰ってこられるときは一緒に遊びに連れて来なさい」との返答があった。白エルフと灰エルフが交流することは滅多に無いため、このような好印象が両親から聞けたということは、裕理亜自身驚きであった。恐らく大人には分かる丁々発止のやり取りがあったのだろう事は、想像に難くない。
なので、恵良には本当に感謝しているのだ。普通はここまでのことはしてくれないだろう。裕理亜の何がそんなに気に入ったのかは分からないが、その好意を有り難く受け取っておくことにしている。
部屋の中は、普通の小さなワンルームマンションだ。玄関を入ったすぐ右手にミニキッチンと電子レンジに冷蔵庫、洗濯機。左手にはユニットバスとトイレ。そのすぐ先にはまたドアがあり、そこをくぐると八畳ほどの部屋がある。
他の階の間取りだとユニットバスとトイレが一緒になっているところもあるが、この件については裕理亜が固辞したため、セパレートタイプの物件になっている。
「はぁ……絶対女子大生の食事じゃないよね、これ……」
裕理亜は、途中の牛丼店で買ってきたテイクアウトの弁当を電子レンジの上に置くと、冷蔵庫を開けてみた。中には、玉子が五個とまとめ買いしたキャベツのサラダが三皿、入っている。それ以外は、調味料やビールの缶がまばらに入っているだけで、かなりの空きスペースが目立つ。
一人暮らしを始めた最初の頃は自炊も試みてみたのだが、色々と調理器具が必要な上に、ミニキッチンでは大した料理ができない。それに、ここから大学へ通う道にはコンビニや牛丼店が立っており、そこを利用することを考えると、そもそも自炊するメリットが見当たらなかった。
そんなわけで、案外値のはるサラダは、少し遠出をして材料を纏め買い。火を使わないので、ミニキッチンでも簡単に作れるため、紙の皿に五食くらい纏めて作っているのだ。
それ以外は、牛丼店のテイクアウト弁当が意外にボリュームがあって、しかも安い。ここへ玉子をプラスして栄養価を整えようという算段である。
しかし、流石に毎日これでは飽きるため、外食やコンビニの弁当などを挟んで、ローテーションを回している。
それに、意外だったのが酒類の販売だ。白エルフの村では酒は二十歳を超えなくては購入できなかったのが、帝国では十八歳と、年齢が下げられていた。これは、白エルフが自治領であることが原因なのだが、その事実は帝都に出てきてから知った。
そのため、好奇心も手伝って、時折ビール等の酒類をコンビニ等で買ってきて嗜んだりしている。アルコールは案外美味しい、というのが、裕理亜の感想だ。
ただ、困ったことと言えるのかどうかは分からないが、どうもアルコールには強いらしい。ビール一、二缶程度ではほとんど酔えないということが、呑み始めてみて気がついた。おかげで酒量がかさむというのが個人的な見解だが、これ自体もアルコールに弱い人からは、羨ましがられる体質のようだ。
「さてさて、今日の収穫を楽しもうかな」
裕理亜は弁当を電子レンジに入れて温めのボタンを押すと、後はレンジに任せて先に部屋に入った。
部屋は、奥に机と椅子があり、机の上にはノートパソコンが電源コードに繋がったまま机に置いてある。その手前には少し大きめの本棚があるが、その中にはあまり本は並んでおらず、参考書などが十冊ほど並べてあるだけだ。
それ以外の家具といえば、パイプ式の折りたたみベッドがある程度で、正直、年頃の女の子の部屋からすれば、あまりにも飾り気がない。一応あると言えば姿見くらいだが、これも近くのホームセンターで買ってきた実用第一主義、といった風である。
服飾などはどこに仕舞っているかといえば、ドアの真横にあるクローゼットに纏めて収納している。箪笥も小さなものをその中に押し込んでいるため、部屋からは目立たない。
どこをどう見ても、性別を感じさせないような、素っ気ない部屋だと言わざるを得ないだろう。
ただ、これも今に始まったことではなく、実家の自室もあまり色気のない部屋だったため、裕理亜の好みである。
先ほどの「裕理亜の収穫」とは、片手に持っているコンビニの袋の中身だ。その中には、数冊の漫画雑誌や単行本が入っている。コンビニに入った際、偶然漫画雑誌を立ち読みし、その魅力に取り憑かれてしまった。それ以来、お金があれば、コンビニで色んな漫画雑誌を購入している。
漫画を読みながら牛丼弁当を食べ、ビールを飲む。これが、最近の裕理亜の趣味である。
数日前に恵良と一緒に食事をした際、その事を言うと「オッサンがかった趣味やなー」と笑われてしまったのだが、楽しいのだから仕方がない。
裕理亜は部屋の隅に袋を置くと、おもむろに衣服を脱いだ。
「痛っ!」
その時、上着のセーターが耳にぶら下がっている大粒のピアスに引っかかり、思わず声を上げてしまう。
「うーん、未だ慣れないなぁ」
襟首をゆっくり引き延ばすと、慎重に上着の首を通す。そして、ブラジャーも外すと、パンツのみの状態から、Tシャツと短パンを身につけた。これが、裕理亜の部屋着である。
実家ではパジャマかジャージだったのだが、一人暮らしになって更にラフになってしまった。
因みに、恵良から手渡された宝石のピアスだが、就寝時以外はなるべく身に着けているようにしている。使い方は帝都へ向かう列車内で一通りマスターし、今では初歩的な魔法ならば使いこなせるようになったのだが、如何せんこれが無くては相変わらず一切の魔力が得られず、不便で仕方がないのだ。
マスターしていく上で気がついた事がある。それは、この宝石がとんでもない量の魔力を蓄えることが出来る性質を持っているという点だ。まだ裕理亜はその術を身に付けていないが、満タンまで蓄えた魔力を一度に開放すれば、ビルのひとつくらい瓦礫に出来るほどであるというから、驚きである。
しかも、更に驚きなのが、恵良は毎回、それだけの魔力をこの宝石に蓄えてくれるというところだ。
恵良はかなりの魔法の使い手だというのが、裕理亜の感想である。
裕理亜とて伊達に魔学を志しているわけではない。理論上は理解しているつもりであったが、いざそのようなことが出来る人を目の前にすると、やはり驚きを禁じ得ない。
恵良とは、あれから数日に一度のペースで、夕食を伴にしている。
聞いてみれば、恵良は社会人大学生だとのことだ。朝起きて出社、昼から大学に通い、夕方には会社に戻って、夜中まで仕事をする生活をしているという。
職務の内容については、守秘義務があるためあまり口外出来ないとの話だが、多国籍複合企業である陣羽織重工業の事務員をしていると話していた。職場は割と社会人大学生に協力的で、両立は大変だが何とかこなしていると、笑っていたのが印象的だ。
また、路上で魔力を売っている人がいるが、それらは違法行為であり、反社会的勢力につながっている可能性が高いため、絶対に付き合わないようにとも、釘を差された。裕理亜は自分で魔力を調達できないため、そのような人と付き合う可能性を考慮にいれての言い付けだ。
魔力は電力と違い、様々な応用が効く代わりに、その取り扱いには細心の注意を払う必要がある。そのため、魔力の使用は法律で厳しく規制されている。規制されれば違法に使いたがる人間も出てくるという訳で、その様なサービスも横行しているとも、注意された。
「でも、これくらいはいいよね」
裕理亜は部屋の天井で煌々と光る光球に目をやった。電灯代わりの魔法である。恵良から貰った魔力であるという点は恐縮なのだが、電気代が浮くということは、一人暮らしの裕理亜にとって非常に重要な事だ。
無論、その費用を現在の趣味に回せるという点が、非常に大きいということは、言うまでもない。
因みに、この様な私的な範囲での魔法の使用は、特別な事項を除いて規制はされていない。裕理亜の使っている魔法も、公共の場では使えないが、自室で使う分には全く問題ないことは、ウェブ上の省庁のサイトでちゃんと調べ済みである。
ウェブといえば、で思い出した。いつもウェブでニュースを確認しているのだが、今日は忙しくて見る暇がなかったのだ。
「えっと、LANケーブルを刺して、と……」
このマンションはウェブ接続サービスとしてマンション内LANを提供しているので、ウェブに繋ぐときは、自分のパソコンにLANケーブルを刺して接続している。
常にパソコンに接続していても問題は無いのだが、大学の知り合いが「マンション内LANの常時接続はセキュリテイ上お薦めできない」と言われたため、利用するときは毎回接続することにしているのだ。
LANケーブルを接続してパソコンを立ち上げる。
そして、待つこと数分。OSが起動し、スタートアップに登録されたメールソフトが自動で起動し、大量の受信メールを知らせてきた。
大体の受信メールはスパムメールである。どこからメールアドレスが漏れたのかは分からないが、いつの間にか、不要なメールが大量に送りつけられてくるようになってしまっていた。
「またスパムがいっぱいかぁ……ん? あれ?」
大量のスパムメールを流し見しながらチェックしていくうちに、明らかに異なる文面のメールの存在に気がついた。メールの件名は無く、文面はこうだ。
「Ella wird, den Prasidenten zu Julia vorstellen」
たった一文。ひと目で分かる通り、これは帝国語ではない。このような文面は、スパムメールで来た記憶が無いため、目に止まったのだ。
そもそも、スパムメールの大半は広告だ。意味の通じないメールを送ってくるわけがない。
「うーん、何だろう……?」
実は、裕理亜は他言語に詳しくはない。興味のある論文を読むため、頑張って翻訳サイトを駆使することは多々ある。しかし、帝国語以外は両親に習った記憶もなく、学校でも教えていないので、自信のない我流のみだ。
国語を教えていた学校の先生は、この帝国の教育制度について、「同化政策も同然だ」と言ってあまり良い顔をしなかったが、しかしお上に楯突くわけにもいかなかったのだろう、他言語が授業で取り上げられることはなかった。
色々と可能性を考えてみる。このメールアドレスを教えた相手といえば、真っ先に思い浮かぶのが恵良。次いで、大学。後は実家くらいだろうか。
スパムメールが届きだしたのは、それからずっと後のことだから、どこからか漏れてしまっている可能性も、否定出来ない。
文面からするとエルフの間で使われている言語のように思える。「Ella」は「恵良」で、「Julia」は「裕理亜」と読んで間違いないだろう。とすれば、恵良からのメールの可能性が高い。断定できないのは、このメールの発信元が消去され、追跡できないようになっていたからだ。
後は、翻訳サイトで頑張ってみる方が、簡単かもしれない。
『恵良は裕理亜に社長を紹介する』
そのままの文面を翻訳サイトにかけると、こう答えてくれた。この一文だけのメールだ。
このままでは意味が通じないが、よくよく考えてみると、恵良と裕理亜、接点は恵良の会社ではなく大学だ。そして、この大学の学長もエルフだという話を覚えている。文面がエルフの言語だということも勘案すると、ここは「社長」ではなく「学長」と訳する方が自然なのかもしれない。
「恵良が私を学長に会わせたい……? そうなのかな?」
結局、自分で判断できるところとしては、この程度になってしまう。
確かめる方法は簡単で、直接恵良に聞けば良いのだが、時間はもう十二時を回っている。今連絡を取るのは非常識と言わざるを得ない。
「ま、明日でいいか……取り敢えず、ご飯食べよ」
幸い、恵良のスマホのメールアドレスや電話番号は、既に交換済みだ。連絡は明日でも問題なく取れるだろう。
裕理亜は牛丼弁当を電子レンジに入れていたのを思い出すと、そそくさと遅い夕食の準備に取り掛かった。
そして、裕理亜が眠りについていた真昼に、突然の電話で叩き起こされることになるのである。
お待たせしました。裕理亜の一人暮らしのお話となります。
意図的に改行&空行を増やしてみましたが、どうですかね? この方が良いですかね? 先達の作品を拝見しまして、書き方を変えてみてます。ちょっと悩み中。
それで現在ですが、プロットを練り直していまして、それで公開が遅れちゃいました。次話は次の土曜日までに何とかあげますので、どうかお待ちくださいませー。
なかなか物語が進まないので……この後どーしよーかなー……うーん……。