三
パンを九枚、半熟の目玉焼きを二つ。ちょっと硬くて臭い牛の肉は三切れ貰って、スープはおかわりして一杯とちょっと。サラダとワカモレ、湯通し、芋虫は適量……だろうか。どれだけ食べたかちょっと分からない。食べたー。ここ一年で一番食べたわ。宴会かってぐらい食べた。むしろ宴会だったのかも。汗もかいたし、明日は風呂場を借りよう。
おじさんはあたしより食べて、料理を終えて遅れて食べ始めた女将さんもかなり食べた。テーブルを埋めていた料理はきれいに片づいて、食事場は広々して見えた。
女将さんは洗い物をしに外に行く前に、腹ごなしの濃いめの薬草茶を出してくれた。おじさんはまだ酒をちびちびとやってる。
お互いの出身地や家族、仕事についてなんかをぽつぽつ話していたけど、話はふと戻ってきた。おじさんが体を揺らして思い出したように言った。
「それで、さっきのアガーヴェってのは? 折角だから教えてくれよ、専門家だろお」
酔っ払いだけどまだ大丈夫そうだ。よしきたと、あたしはまた鞄を漁って古いほうの手帳を開く。吊るされたランプは少し暗くなってたけど、これを読むのに難はない。というか、まあ、覚えてるし。
「――アガーヴェはこの国の、英雄的な魔女です。学校でも教えるくらいの有名人。皆、十歳になる頃には知っています」
「英雄。魔女が英雄になるのか」
「アガーヴェはただの魔女ではなく、戦士でもあったんです。しかも他の兵を率いる将軍」
「女将軍かい」
「ええ、だから、女将アガーヴェと呼ばれています」
一応参照するのは、手帳に書いた、あたしの町での定型。学校で教えていたやつ。他にも色々と細部が違うのがあるけど、女将アガーヴェの伝説の基本形は、こうだ。
六百年ほど前の話。まだこの国の名前がスノイラ・カルネカルではなく、スノナ・カルネカルと言った頃。南西に座す黄金の央国イーズーナが、スノナの西にある豊かな森を求めてスノナ王に使者を送った。使者は王にこう言ったそうだ。
「一月の猶予をやろう。森を渡すか、戦うか選べ。一月後には森に兵を送る」
……と。見返りは何も告げない、一方的な要求を突きつけた、ほとんど宣戦布告だった。
元々国境での諍いは多かったけど、とうとうしっかり、自分たちのものにしたくなったらしい。――この豊かな森が、ここ、今はセタエンナヤと呼ばれる森林地帯だ。
王はイーズーナからの使者が来た時、とても困った。イーズーナは戦の強い国で、兵の数もスノナの三倍は居た。正直戦をして勝ち目はない。けれど森を明け渡すのは惜しい。どうにか話し合いで治めることはできないかと悩んだ。でも、相手は聞く耳は持ちそうにない。
王と大臣たちの話し合いは大荒れして、普段は仲の良い人たちまで言い争うようになった。片方は「戦では多くの者が死ぬから、悔しいが森を渡すべきだ」と言い、片方は「イーズーナの奴らは節度を知らないから、森一つで済むわけがないので戦うべきだ」という。王は困り果て、熱を出して寝込んでしまうほどだった。
イーズーナと聞いておじさんが顔をくしゃっとした。イーズーナ――現在のノナは戦で興り戦ばかりしてきた血気盛んで狡猾な国で、周辺国からの心象はすこぶる悪い。
「戦と言えば央国だな。俺も後の奴らに賛成だ。奴らは卑怯だから。……しぃかし、いつの世も王様は大変だねぇ」
ダナもノナと戦ったことがあるはずだ。だからだろう、声は軽蔑を含んでいた。
「そうですね。豪華に暮らしてるんだーって思うけど、こういうとこ見るとね」
話を続ける。
そうするうちに半月も経ってしまった。まだ返答を決めかねている王に、皆がああだこうだと言っているところ、門を叩く音がした。王はまた使者が来たのかと慄いたが、門番が言うには、女が一人で立っているとのことだった。
女はどこかの集落の者のような貧相な見た目だったが、ただの人間ではないような迫力も持っていて、自ら「魔女だ」と名乗った。そして「王に会いたい」と言った。
王は周りがとやかく言うのが本当につらかったから、暫くそれを聞かなくて済むだけでもいいと思って、魔女を自分の前に呼ぶことにした。
そうして王の御前に立った魔女は若く、とても健康そうで、きれいな赤い肌をしていた。宝石のように輝く翠の目を持っていた。王も一目で、彼女が薬を煎じたり、天の動きに伺いを立てたりする巫女とは違うということに気づいた。魔女ははっきりとした声で、王に戦をするのかしないのかを問うた。王が答えに困っていると、問いを変えた。
「森を手放したいか」「いや」
「戦うのが怖いか」「そうだ」
「何故怖い」「敵は強く多い。勝ち目がない」
「負けたくないんだな」「勿論だ」
「勝てるならやるか」「勿論だとも! あの美しい森をどうしてあのような敬意のない者たちに触れさせようか」
二人の問答はそんなものだった。王の答えに、魔女は満足したようだった。魔女は笑って、アガーヴェと名前を名乗り、王に「自分が力を貸して差し上げる」と言った。
つまり、戦をしようと提案したのだ。まだ悩んだ王に、魔女は続けた。
「イーズーナの奴らは既に森の近くに兵を潜ませている。まだ一月経っていないのに」と。これには王も驚いた。約束が違うと。イーズーナはどうしても戦をする気だったのだ。
さすが央国、とおじさんが呟いて酒を飲んだ。あたしはちょっと笑っておいた。
それで王は兵を掻き集めた。
魔女は手始めに、イーズーナの兵が潜む場所を王に教えた。「前に見たのは西の端だが、今はもう岩場の辺りに居る、十日後には大池の近くの洞窟にでも居るだろうさ」と、百デラ以上も離れた場所でも何の偵察もなしに。大臣の中には出任せではないかと言う者も居たが、王はもう魔女を信じていた。この時の王は、人を見る目がある王だった。
王は兵を出し、魔女の言うとおり夜になってから、十日後に居ると言われた洞窟を偵察させた。すると燈火が見えた。次には黄金の甲冑が。本当にイーズーナの兵が居たのだった。兵たちは驚き恐れ、あらかじめ魔女に言われていたとおり、離れたところにいくつかあった風穴を塞いで、入り口のところで毒の煙を焚いてやった。
勿論、そこに居た奴らは全滅した。一人も生きてイーズーナには帰らなかった。死体だけが国境に並べられた。
これをスノナの返答とみて、イーズーナは更に兵を送り込むことを決めた。
こうして結局、一月経たずに戦は始まってしまったが、王はもう戸惑ってはいなかった。とても強い協力者を得たので、やる気になったのだ。奪われ亡ぼされるのは業腹、央国に抗ってやろうと。魔女の力を見ていたので、もう他の者たちも反対しなかった。
「私に見通せないものはない」――と、アガーヴェは言った。
「どうして我らに力を貸すのだ」と王が問うと、「あそこは私の森でもある」と彼女は答えた。王は納得して、魔女アガーヴェに千人の兵を託すことにした。つまり、アガーヴェを一軍を率いる将軍にした。アガーヴェは魔女将と呼ばれ、千人の戦士は魔女軍と呼ばれたそうだ。敵にも、味方にも。
魔女軍は目玉を旗印にして、戦地の森へと進んだ。旗色は翠だった。彼らは意気軒昂、歌いながら進んだ。
「成程、それがその、女将軍の特別な力なんだな?」
「そうです。アガーヴェは隠れたもの、隠されたもの、そして隠れるものを見通す力を持っていたんです」
あたしは開いた手帳をおじさんに見せた。目玉十字。魔女軍の旗印だ。真正面を睨む目玉の左右上下、目頭と目尻を二つずつ置いて、どこでも見えていると示したのが十字に見えるからそう呼ばれる。
今でも、何か物を失くしてしまって探すときには、これを護符にするといいと言われている。効果のほどは――まあまあ、かな。
「なんでもお見通し、か、怖いねぇ」
「敵なら。味方にすると心強いけど」
おじさんは瓶に残っていた酒をぐーっと煽って、ぐにゃりと頬杖をつく。あたしも乾いた喉をお茶で濡らした。
「俺なら、味方でもちょっと怖いなぁ。まあでも、戦争だからな」
アガーヴェは戦いの最中でも恐ろしく、強かった。
アガーヴェ自身も鎧を身に着け、杖を手に持って戦士たちと一緒にイーズーナの兵に向かって行った。その猛々しさと言ったら、まるで獣のようだったという。
戦場は森の中。アガーヴェにとっては家の中のようによく知った場所だ。
アガーヴェは魔女の力で敵の動きをすべて掴んでいた。だから千人の兵士たちを無駄なく動かすことができた。罠を張るのもそれはそれは上手かった。敵は突撃なんかする前に、仕掛けられた罠や伏兵の手にかかって死んでいった。偵察に来た奴は逆に後ろをつけられて、スノナの兵を見つける前に首を斬られてしまった。
勿論、魔女軍は、逆に敵の罠や伏兵には一切かかることがなかった。その戦いの様はイーズーナの猛者たちを震え上がらせたという。
暗がりから狙い撃つ、毒を塗った投げ槍や吹き矢の恐ろしさは凄まじい。奇襲夜襲はお手の物。相手からは一度も成功しない。他の一団を狙おうとしても、動きに気づけばすぐに魔女軍はやってくる。魔物に喧嘩を売ってしまったのだと彼らは泣きながらイーズーナ王に呼びかけたが、イーズーナの王はまだ戦を続けることにした。どうしても、森が欲しかったし、大陸一の軍を持つ国として負けるわけにはいかなかった。
怯えるイーズーナの兵とは違い、魔女軍は野営でも潜んでいたりはしなかった。魔女が敵をすべて見ているのだから見張りなんて要らなかった。自分たちのところに向かってきたのなら、百デラ離れていようが気づくのだから。
毎夜、彼らは楽しく気持ちよく過ごした。時に歌い踊り、偶にはお酒を飲んで、魔草を使って。夜の間は戦と言うよりも祭のようだったという。
一月が過ぎた頃には、戦に送られた戦士たちは皆魔女軍みたいなものになっていた。皆そのほうが安全だって知っていたから。離れてもよく連絡を取り合って敵を挟撃したりしていた。それでもまだイーズーナが兵を送ってくるのを止めなかったので、アガーヴェは極めつけを提案した。
アガーヴェは兵たちと協力して、敵を沼に追いやって、火を点けた。
その沼は燃える沼で、一度火を点けるとなかなか消えない。そんなところに敵を放り込んで、火を放った。苦しいけど死にづらい、凄まじく容赦のないやり方だった。
そこで悶え苦しんで死んだ兵の悲鳴は奥で控えてた奴らにも届いた。だから、そう、奴らは怯んだんだろう。それもアガーヴェたちの計画だった。
怯えた戦士なんて怖くない。アガーヴェにとっても、兵にとっても。後はまた一方的に戦は進んだらしい。蝶を大岩で叩き潰すようなものだ。
敵は皆、イーズーナへと逃げ帰った。多くの目が見ているのだと、兵たちはイーズーナの王に訴えた。今も見られている――逃れられないと喚いて、帰っても視線を感じて、恐ろしさのあまり自分で身を投げる者も居たらしい。さすがにイーズーナ王も諦めざるを得なかった。
半年の戦はそうして終わった。スノナ・カルネカルは勝利した。圧勝、大勝だった。そういうわけで、魔女アガーヴェは英雄として、今の世に至るまで語り継がれることになった。
その後も戦や問題事があるとアガーヴェはやってきて王に助力したが、老いた王が死ぬ前日に挨拶しに現れたのを最後に、ぱったりと姿を消してしまった。
アガーヴェは常に初めて訪れたときと変わらない若い姿だったという。
「暦が変わっているので不確かではあるんですが、この歴史的大勝利は大体今ぐらいの時期にあったことだとされていて、記念日は今日。それであたしは決心してここに来てるわけで……」
話し終えると、ううん、とおじさんは呻いて答えた。話している途中からだったが、姿勢が崩れて、頬杖つくと言うよりテーブルに突っ伏する形になってる。
「きっとノナじゃ魔王かなんかになってるな。目が百もある、化け物だ」
聞いてた? って訊こうとしたら、ちゃんと聞いてたらしい。意外だ。眠そうに欠伸して鼻の下を擦る。持っていた瓶が手を離れてゴトンと音を立てた。
「……おじさん大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、こんぐらい、水みたいなぁもんさー」
「いや、部屋行ったほうがいいですよ。お茶飲む?」
見た感じ、あまり大丈夫そうにではない。酔っ払いの介抱なんてしたことないから分かんないけど、こういう時はどうするんだっけ。
カチャカチャと音が聞こえて顔を上げると、勢いよく外に続く扉が開く。皿を抱えた女将さんが戻ってきた。おじさんを見て溜息を吐いて顔を顰めてる。
「あーも、おっちゃん、潰れるほど飲んだらアカンて。馬鹿やな。一本飲んだんやから、十コールよ!」
食器を入れた籠を床に置いて、おじさんの腕を引っ張り上げる。瓶がテーブルの上を転がったので、あたしは慌てて手を伸ばした。
へらへらしているおじさんを叱る女将さんは、お母さんか奥さんみたいだ。
「勘弁してくれよ母ちゃん……んんー? あれぇ、小銭ないなあ、どこに入れたーかなあ。鍵もないぞ」
「もお。ここに三枚ぐらい入っとるんやない? ほらあった。貰うで。ええな?」
対照的におじさんは楽しそう。誤魔化そうと……してるわけじゃないんだろうけど。はぐらかすようなおじさんの言葉に、女将さんはまた溜息吐いておじさんのポケットに手を入れた。三枚、本当にあった黄銀貨を出して一枚を落として戻す。たしかに十コール。
「おお、ほんとにあった。すごいなぁ、魔女かい?」
下らない冗談を言う人を立たせながら、女将さんが手にした二枚をこっちに見せて、ね、と言う。数秒経って、あたしに確認させたのだと気づいて頷く。よし、と女将さんも頷いて、貨幣を自分のポケットにしまった。
「あっあの、手伝います?」
「いーやだいじょぶ」
いくらなんでも成人男性は重いだろう、と思ったが、女将さんはひょいとおじさんに肩を貸して引きずり、歩いていってしまう。部屋に連れて行く気だろう。階段を昇っていく音がした。
手にした瓶をテーブルに置きなおして、持ったままだった手帳を見る。目玉十字が見返してくる。大分暗くなってることに気づいた。ランプの火が小さくなってる。油が切れそうなんだ。
……疲れたし、あたしも部屋に行くかな。明日から調査だし今日はもう寝ておこう。




