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魔女語り  作者: 灰撒しずる
Ⅲ アルニは死んだ
19/29

 ――花の飾り頭につけて、参ります。今日は新しい星の輝く日。皆が見ているその中を、古い家から新しい家、笑いながら参ります……

 声が響くほどに、辺りは明るくなる。それは本当に奇跡のようだった。

 若い、少女の歌声が響く。唄は何でもよいのだとアルニは笑って言った。捧げ物として気持ちが篭もっていればそれで良いのだと。その時アルニが唄ったのは、嫁ぎの祝い唄だった。

 叩きつける雨音にも負けない見事な唄が地に天に響く。ただそれだけで、土砂降りが疎らな雨に変わる。代わりに、厚い雲に切れ間が生じて光が注いだ。一帯が明るくなり、水滴が失せるのにそう時間はかからなかった。見上げれば黒雲は解れて薄くなり、彼方へと去っている。

 広がる蒼天は大きな水たまりに映り、上にも下にも見えた。乾いた風が吹き抜けた。

「この力は、あの方がくださったのです」

 名残の水滴を落とす屋根の下、唄を終えたアルニはぽつりと言った。小さな体に羽織った衣の端が少しだけ濡れている。

「あの方?」

 隣に腰掛けたアルニラットが聞き返すと、彼女は遠く空に投じていた視線を近くに戻した。黄金、光を含んだ無二の目がアルニラットを捉える。アルニラットはどきりとした。巫女は彼女とも大差ない若い娘の姿をしていたが、人に恐ろしさを感じさせる何かも、そのうちに秘めていた。小娘などではない、何かとても大きなものと話しているような、そんな気分にさせるのだ。

 それを肯定するようなことを、アルニは言っていた。アルニラットはある書の中身を思い出していた。

 ――異形の妻になった女が、人を惑わし喰らうとする報告書だ。

 アルニラットの考えを察しながらも、アルニは口籠ることはなかった。

「私が天にお願いしている時、来てくださったの。綺麗な金色で……きっとお日様の化身だなって、思いました」

 秘密を打ち明けるにしても軽い調子で、靴を履き、トンと地面に降り立つ。濡れたところと乾いたところの境界を爪先が撫でた。アルニラットはほうと、秘めていた息を吐いた。

「……貴女はやはり、魔女なのですね」

 魔の者は、人里から女を攫って嫁にする。そうする者の中でも特に長などは大変な力を持っていて、女を己の妻とする代わりに優れた力を授けると、シーマでは古くから言い伝えられていた。そのように人では無い通力を得た女は長くを生き、人に害をなすとされ恐れられた。それを魔女と云う。

 巫女アルニと魔女の違いがあるとすれば、ただ一点。人に害をなすのではなく、人を救ったことだった。シーマの王もそれをよく分かっていたのだろう。だからこそアルニを巫女として認め、国のものとして抱えこむ必要があった。魔女と区別し、庇護し、見張る為に。

「そうです。私は、あの方と祝言を挙げたのです」

 アルニはまったく否定しなかった。それどころか生娘のようにはにかんで告げるので、アルニラットは自分が深刻な話ではなく、ただ下らない色恋の話をしているのではないかと錯覚した。

 宮で侍女たちが隅でひそひそと語らっているそれのようだと、彼女は思った。結局、目の前の巫女も、巫女だ、魔女だと言うが、話してみれば何の変哲もない娘にしか見えないのだった。特異な力を除いては。

 そのことに彼女は安堵していた。目の前の娘は魔女だが、魔女ではない。

「姫さま、私が恐ろしいですか?」

 屋根から落ちる水滴を小さな手で掴んだアルニは首を傾げ、州候の娘に問う。陽の光を受けた目が宝玉に似て美しかった。アルニラットの髪を飾る細工よりも上質で、よく磨いた金のようだった。

 いいえ、とアルニラットは決心して首を振った。魔女のことを武官の調査報告で詳しく知っていた彼女には、巫女の候補として名乗り出る前からその予感があった。それでも巫女に会い、その力を譲り受けたいと考えていた。

「いいえ。何も変わらないのだと、思っていたところ。貴女こそ、怖くはなかったの」

 晴れ渡る美しい青空、州民の笑顔の為。――では、なく。

「お会いしたら分かると思います。あの方は山で人を食う虎や猿などとは違うのです。とっても、優しいお方」

 目の前で語るあどけない姿のアルニのように、永遠、老いずにいる身が欲しかった。アルニラットの考えは初めからそこにあった。

 アルニラットには物心ついた頃から、自身が人より美しい、特別な存在であるとの自負があった。その意識は歳を重ねるごとに大きくなり――同じように美しかった母が老いていく姿を見るごとに、重いものとなった。彼女はいつしか自分の美貌が衰えることが許せなくなっていた。その母が病で醜くやつれて死んだときなど、母の死が悲しくて泣くのか、自分の行く末が悲しくて泣くのか、分からなくなったほどだった。

 美しい身を、美しいままに。奇跡の力ならば、できるだろう。そのついでに巫女の務めでもすればよいのだ。

 にこりとしたアルニラットに、アルニも笑った。無垢に、清らかに。彼女は何も疑っていない。

「きっと、神様です」

 その笑顔こそ太陽のようだった。


「私は幸せでした。だから姫さま、貴女も幸せになってくださいね」

「ええ、大丈夫よ。心配しないで」

「姫さま、私、貴女のことが大好きです。だから差し上げるのです……」

 アルニラットの目論見は成功した。アルニはアルニラットを巫女の後継として認め、その力を譲り渡す為に死の間際彼女の手を取った。小さな手があまりに強い力で握りしめてくるので、アルニラットは巫女も死ぬのが恐ろしいのだとばかり思っていた。

 だが、アルニは柔らかく微笑んでいた。本当に幸せそうに。

「……死ぬのが嬉しいの?」

 思わずアルニラットは尋ねていた。とんでもないことを言ったかとはっとしたが、その考えに反し、アルニはこくりと頷いた。満面の笑みを広げて弱い息を吐く口を動かす。

「だって、あの方のところに行けるから」

 ……りん、……りん。

 死者を無事に送る為の浄化の鈴が、誰かの手で鳴らされている。その中でアルニが言う。香の煙が満ちた空気を震わせ――金の瞳はすっと、御簾の外、朝陽の注ぐ方を見た。御簾が幾重にも下ろされているにもかかわらず、巫女の寝所は驚くほどに明るく感じられた。目が眩むばかりに。その中で二人は二人きりだった。

「まぶしい」

 愛おしそうに、ゆっくりとアルニは口にした。

 アルニラットの手を握る右手が急に温度を失っていく。アルニラットは食い入るようにアルニを見つめていた。目を逸らすことができなかった。今手を離さなければ巫女に――魔女になるのかと頭の隅で考えながら。

「迎えに来てくださったみたい」

 甘やかな声。それが最後だ。途絶えて少しして、アルニラットは握った手からすっと自分が生まれ変わるのを感じた。逃れようもない一瞬の出来事だった。

 アルニラットの手の中で、柔らかな手の感触が急に固く毛羽立った。見れば人の物ではなくなっている。アルニラットは声も出ないほど驚いて、手を離して後ずさった。

「虫、なの――」

 少し経ってやっと出た彼女の声は、誰にも聞こえないほど小さく、弱いものだった。

 巫女が伏せていた寝台には、人ほどもの大きさのある巨大な甲虫が載っていた。アルニの目のように黄金色をした丸い体は酒造りの桶よりも大きく、所々に黒い斑点がある。

 尋常ではない大きさと宝物のような色を考えなければ、それは天道虫に違いなかった。巫女の小さな体は、大きな化け物の死骸に転じていたのだ。

 粟立つ己の肌を押さえたアルニラットは、この骸をすぐに燃やさねばなるまいと考えた。それも人目につかないうちに。巫女がこのように化け物になったのでは、何か言う者が出てくるに違いない。知られてしまう前に始末をしなければ。

 ――私は彼女の力を受け継いだ。……私も化け物になってしまったのかしら?

 もしかすれば取り返しのつかない失敗をしたのかもしれないと、アルニラットは蒼くなりながらも竦む足を叱咤して外へと向かった。兎にも角にも、事の次第を集まっている者たちに告げる必要があった。二代目の巫女として。

「まあ、アルニラット様、」

 寝所の外に出るや否や、駆け寄ってきた侍女が声を上げた。慌てて取り出された鏡がアルニラットを映す。正確には、目を。

 そこには陽の光を透かし輝く黄金色の瞳があった。先程まで伏せる巫女の眼窩の中に見ていた物が今自分に納まったのだと、アルニラットはすぐに悟った。

 あの天道虫の色だわ、とも、彼女は思ったのだが――同時に諸々の心配事は消し飛んでいた。

 ――なんて美しい。

 鏡に映ったアルニラットは、元とは比較にならないほど美しくなっていた。形が変わったわけではない。ただ、魅力がすべてから溢れているのだ。何者をも魅了するほどの美しさが女の体に宿っている。瞳に色を見せる奇跡の力がそうしているに違いなかった。

 ――力は確かに継いだ。何を病むことがあるのだろう。私は失敗などしていなかった!

 アルニラットの頬に血の気が戻っていく。安心と共に、彼女の胸の内には笑いたくなるような気持ちが、力が漲ってきた。

「無事に巫女のお役目を譲り受けた証です。……巫女殿は最後に、このまま家を燃やしてほしいと仰っておりました。そのとおりに致しましょう」

「承知致しました」

 冷静さを取り戻したアルニラットは、誰にも見られずにアルニの遺体を葬る為に嘘を口にした。静かな声に、惚けていた侍女は目を瞬いて応じる。

 足取りも軽く、アルニラットは最後の御簾を除け、建物の外へと出た。陽の光は弱まったようで、目を射るほどの力を持ってはいなかった。

 新たな巫女の目とは、対照的に。

「州候シントゥトの子、アルニラットでございます。たった今、アルニから巫女を継ぎました」

 アルニラットは集った州民たちに告げた。誰もの顔が皆、何かが乗り移ったかのように自分に見惚れるようであるのを見て、アルニラットは心底、満足した。

 ――アルニ、私は貴女のお陰で、とても幸せよ。

 胸に呟き、彼女は巫女としての一歩目を踏み出した。

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