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魔女語り  作者: 灰撒しずる
Ⅱ エンドリカの息子
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13/29

 館に身を置くだけで王命も来ない平穏な一日の平穏は、夕方までしか保たれなかった。

 近侍が慌ただしく執務室を訪れ、牧場の維持費についての計算をしていた俺は、その面倒な事柄を手元に置いたまま顔を上げた。この男とは十年もの付き合いになるが、これほど狼狽した姿は初めて見るものだった。そんなことに気取られていた為か、俺は彼が発した言葉を、一度拾い損ねた。

「……なに?」

 ペンを置いて聞き返す。近侍は白い顔で、改めて息を吸い、俺の為にゆっくりと言葉を繰り返した。イムイが――

「イムイ様が、亡くなられたと」

「どういうことだ」

 立ち上がり、上着を手に取る。足早に寄ってくる近侍が広げたところに腕を通したが、その後どうするとは思いつかなかった。自分でボタンを留め、意識を整理する時間を稼ぐ。

 イムイが死んだ? あの男が、死んだ?

「谷に落ちたと聞いています」

 初めに思いついたのは叛乱だったが、報告がそれを否定した。事故、ということになるのだろうか。あの男が? らしくもない死に方ではないか。

 近侍の声はいつもの落ち着きを取り戻し始めていた。俺も落ち着かねばなるまい。熱い茶が欲しいが、それを申しつけるには人が足りない。とりあえず部屋を出るべきだと思った。こうして彼が報せに来たということは、イルールから誰かが来ているはずだ。その者に聞いたほうが話も確かだろう。

「処刑場か」

「は。恐らくは、その、処刑をした後だと……」

 俺が足を前に出すと察して扉を開けに動いた男は、口も休めなかった。

 処刑と聞いて眉が寄った。昨日訪れたとき、王命による処刑はすべて終わっていたはずだ。十日間で三人。総勢にして、三百十九人。その書状を取って此処に戻った。まだ机の上に置かれている。

 追加は無い。あったとして、その後イムイには会っていない。知らせてなどいない。

「処刑をした?」

「牢に繋いでいた者をすべて出して、処したそうです」

 聞き返すと、近侍はおぞましいことを言った。

 イムイが王に命じられても居ないのに殺したというのは、俺が知る限り初めてのことだった。忠臣を自称する彼は今まで、あくまで王命の下に処刑を行っていた。自らが気に食わないと下働きを都に突き返すことはあっても、牢の者たちで少々遊ぶことはあっても、自らの気分で率先して剣を手にすることはなかった。だと言うのに。

 牢に十人は繋いでいると、奴が言ったのはいつのことだっただろうか。そのぐらいは殺したのだろう。たった一日で。それだけ殺して、その上自分も死ぬなどと。一体どういうことだ。

「イルールからの使者は?」

「待たせてあります」

「そのまま待たせる。一晩だ。支度をしておけ」

「イルールに行かれないのですか?」

「谷に落ちたのなら、まず生きてはいまい。……王への報せも留めておけ、黙っていても明日には勅使が来る。無駄に人を使わんでいい」

 深い深いあの谷に落ちて助かったという者の話は聞いたことがない。処刑でもその為に落とすのだ。確認の必要はないだろう。そして、夜に馬を走らせても、待っていても、大した差にはならない。連絡が錯綜するよりはいいだろう。

 イルールからの使者は何処に待たせているか問う為に振り向くと、近侍は何か口ごもっていた。

「言え」

 促すと、彼が口元を隠したので不吉なことを言おうとしているのだと分かった。己の発言が魔のものを引き寄せることを懸念したのだ。俺はいくらか気構えした。

「……自ら身を投げられたようだと」

 掌中でくぐもる声。言ってすぐに、よく出来た近侍は前に立って使者の待つ部屋へと俺を導いた。

「馬鹿な」

 身投げをした? 何故。とうとう仕事が嫌になったとでも? 父への反発、反抗? あのイムイが? 今更?

 否、そんな性質ではない。単に、急に死にたくなった――イムイならば有り得ないことではあるまい。こちらのほうがらしい気さえする。あれはいつもそのようにわけの分からない振舞いをしていた。言い渡されても居ない処刑を敢行したのは。道連れか。それとも己の死を前にして、単純に殺したくなった。血を見たくなったのか。最期だから。

 それもあり得ることと思えた。今までは無かったが、イムイの性状を考えればしっくりとくる。自死。他者を巻き込んでの。たしかにそれが、一番馴染みはするかも知れん。殺されるような人間味を持ち合わせてはいない、白子の癖に病もほとんどしたことがない男。自ら命を絶つという狂態は、その終いには似合いかもしれない。

 足早に行く近侍の後を大股に追いかける。少し前に絨毯を敷きなおした通路を、蹴るようにして歩いた。

 いざ死んだと聞いてもまるで実感が湧かない。死体が目の前にない為だろうが――目の前にあったとして、実感するものだろうか。あいつはよく死体のような顔をして、血の臭いを漂わせていたというのに。

 思えば、近しい者――と言うのさえ落ち着かないが――が死んだときどう振る舞うべきなのか、教えられたことはなかった。初めてのことだった。殺したのではなく、死んで、それを知らされたのは。生まれたときに母は既に亡く、父は今に至るまで健在だ。他に縁者はない。

 ともかく話を聞き、勅使を迎える支度をせねばなるまい。他は俺のすることではない。

 王は、父はこれからどうするのだろうか。


 鳴り響く嘶きと蹄の音。武具を身に着けて急き立てる。吐息の重なる冷えこみ、初雪のちらつく曇天の下を急ぎ進むと、林の先で煙がもうもうと上がっているのが見えた。

「殺せ!」

 戦斧(ソタギルヴェス)で示し、馬の速度を落とさずに咆える。

「捕らえずともよいのですか!」

「捕らえて吐かせるほどのこともない! 皆殺しだ!」

 騒々しい蹄の音に負けじと尋ねる近侍の言葉に、更なる大声で返す。近侍は納得したようだった。皆が従って武器を構えた。誰も緊張などしていなかった。村人の叛乱など、千人居たとして、十人の騎士に劣る。

 イルールで叛乱が起こりイムイの部下だった者たちが二人殺されたとの報せが届いたのは、勅使が到着してすぐのことだった。イルールやコグフに置かれている戦力は多くない。早く済ませるには自らも行くべきだと知れていた。青白い顔でへたり込む勅使の相手を他の者に押しつけ、すぐに武具を整えた。

 イムイの死を告げると、勅使はこの上なく絶望的な顔をしていた。一人の刑吏が死んだ程度のことがどうして男たちにそんな顔をさせたのか、それもまた王の考えの為なのか、問おうとしたことは、全て後回しになった。

 それにしても、早まったことだ。頭を失った内にということだろうが、この地の頭はあいつではない。その仕事ゆえに大きく見えていたかも知れないが――

 出迎えの若者たちの頭を打ち砕き、大路に駆け込む。出くわした四人目は既に怯えた顔だった。

「お前たちは賊なのだ。守るべき民ではなくなった。ならば、仕方なかろう?」

 蹴り飛ばし、防具のない胸を割り開く。何も難しいことなどなかった。七つの時、城の金細工を盗みながらそれを認めず言い訳を続けた愚かな乳母を殺したのと大差はない。訓練を受けていない民衆など、草を払い刈るようなものだ。

 どうどうと蹄音。悲鳴、斧の唸り、逃げ惑う賊の足音、追いかけて叩き潰す。

「ゆるして――」

「何故だ?」

 懇願にはおかしくなるばかりだ。何故。神が選んだ王の権威に逆らった愚か者は、お前たちであるのに。それが許されることだと思うのか?

 民は王に従うものだ。従う民は庇護するものだが、逆らう賊は殺すものだ。明快に、そういうものだ。如何な暴政の下にあっても、民は王の下でなければ生きられぬのだから。

 イルールの者たちはもう気づいただろう。自分たちが恐れていた男が――イムイが、自分たちを治めていたわけではないと。頭は落ちてなどいない。あるとすれば、この王代候の爪先を少し欠けさせたに過ぎない。たったそれだけのことを好機と見たのがどれほど愚かなことか、彼らは今、身を持って体験しているのだ。

 遇う者すべて殺して村長役の家の戸を蹴り破ると、中では何故だか、股から血を流した女を斧で殺している最中だった。家の中は血の臭いと熱気に満ちていた。心がすっと凪いだ。落ち着いた。

 ああなんて愚かしい。国に叛き賊に身を落とし――獣にでもなったか。

 こちらを見て怯んだ男たちを蹴り倒し、股を踏み潰して頭や胸を刺し、砕く。狭い中で五人と数は多かったが、皆歳をとっていたので大して苦労はしなかった。血の臭いが濃い。鼻が麻痺している。

 既に息絶えていた女の瞼を閉じ、腹が潰され凹んだ裸体を隠すように外套をかけてやる。この女はイムイの館に居た者だっただろうか? 下働きは入れ替わりが激しかった為に判断はできない。

 外に出る頃には、騒ぎはほとんど治まっていた。部下たちがほとんどやってくれたようだ。

 ……あいつが死んだことでこんな面倒が起こるとは。死んでも傍迷惑な奴だ。それもこれで最後なのだろうが――やはり死んだという実感が湧かない。館のあの部屋に行けば、いつもの薄笑いで迎えてくるのではないかと思えた。

 見渡した村、イルールは息絶える間近の病人のようになっていた。もう死ぬしかない、そういった体だ。至る所で煙が上がっている。

 静かになりつつある中、響く風に誘われるようにして荒れた村の中を南西へと突き進んだ。賊にも、部下にも、イムイの部下にも、誰にも会わないまま開けた場所に出る。見慣れた処刑場もまた、見慣れぬ姿に変貌していた。

 そこにも人気はない。破壊の痕だけがあり、風が常のように喚いて白雪を捩り舞わせていた。何か火が焚かれていたようで、主を欠いた処刑場は赤黒く煤けている。それももう冷えて、落ちた雪はなかなか解けない。そのまま積もるかもしれない。

 薄く白くなりはじめた壇上に残る何かの焼け跡。上に何か異質な物を見つけ、目を凝らした。

「……――」

 それは蒼い肉色をしていた。馬を下りて駆け寄ると人の形をしていることが分かった。小さい、人形のようなもの。……いや、違う。

 叛乱鎮定でも落ち着いていた心臓が跳ねた。慌てて手袋を剥いだ。

 生まれて間もない、血濡れて臍の緒もついた赤子だった。蒼い顔をしているが、素手で口元に触れると弱い呼気があるように感じられた。まだ、まだ生きている。こんな場所で、こんな日に。

 赤子は、転がされている、捨てられていると言うこともできたが、安置されたという言葉が正しいように思えた。気遣って密やかに置かれたような、そんな気がした。何より、そうされるに能うものに見えた。

 手を擦り合わせてその体を包み込む。まだ乾かず柔な肌が冷たい。ああ、と声が聞こえた。赤子ではなく自分の、嗚咽のような。

 どうして此処に居るのかは分からん。燃え殻から湧いたわけではあるまい。天から降ってきたわけでも、火から生まれたわけでも。きっと産んだ誰かか、何かが置いていったのだ。けれど神が齎したには違いない。ああ。

 神授王!

 たちどころに理解した。この赤子こそは王。神に印を授けられた、紛うことなき国の主。十と幾年かの未来、それとももっと先か。この子は土地を分かち民を連れ、国を建てるだろう。これは新たな王、エンレイではない、新しい国の王になれる子供だ。

 エンレイは、王は許さないだろう。町一つ分でも己が国から身を分かち、別の国となることを、けっして許さないだろう。もう一国建つなら戦になるに違いない。どちらかが絶えるまで続く戦だ。

 今、俺のすることは、二つに一つだ。生かすか殺すか。早々にこの王を抹殺しエンレイを救うか、それとも。今一つの国の出生が、そしてエンレイの運命が俺の手に載せられている。この微かな息が続くか絶えるかで決まるのだ。なんということ。

 視界が曇った。震える己の息が広がったのだ。俺は王にはなれないに違いないが、またとない権利を今、手にしている。

 俺は、王を選ぶのだ。俺はこの子供を――

「寒そうだわ、何か着せてあげないと」

 女の声が聞こえたと思えば生白い爪先が目に入る。顔を上げると、前にはいつの間にか女が座っていた。焼け跡に座り込んでこちらを見つめている。白く、癖の強い長い髪が広がっていた。細身に薄着で、胸元も露わ。女だが、まるでイムイのようだ――否、

「……エンドリカか」

 女のつり目は、炎か夕陽か、濃い黄玉(トパシ)のように輝いていた。

「大きくなったね、ヘルィーク。あたしのことは覚えてないでしょうね」

 赤子を見つめていた災いの魔女は俺をその目に納め、薄い唇を歪めて笑った。掠れた声がそこから漏れる。まるでイムイの冗談のような事を言う。

「母親のような口を利くな。本当にそうだとでも言うのか」

「……いいや。おまい(、、、)たちのお母さんは、おまいたちが聞いてるとうり、城の下女。名前はワンダ。王のことはこれっぽっちも愛していなかったけど、言われるままに抱かれて子供を身籠った。それがおまいたちなの」

 細い指が白髪を梳いた。老婆ではない、俺ともさして年の変わらず見える女は、泣いた後のような荒れた声で語る。懐かしんでいるようだった。一つ言葉を区切るとするりと手を伸ばす。動けずにいる俺の首に巻かれていた襟巻を剥ぎ取って、何も構わず、俺の前――赤子の前に膝をついた。首筋から皮膚が粟立つのを感じた。

 魔女は俺が持つ、目を閉じて微かな息をするだけの小さな体に手を当て、襟巻で包んでいく。その手つきが優しげで手馴れているのが不思議だった。このまま攫って行くのだろうかと考え、手に力を入れようとしたが上手く行かなかった。俺は震えていた。寒さからではない。

 俺はこの女に怯えているのか?

「ワンダはねぇ、王のことは最後まで愛してなかったけど、おまいたちのことは愛してたの。どうか無事に、健やかにって、いっつも、祈ってた。だってのに運命って残酷で、あの子は産みにくい体だった。おまいたちを出すより先に血を流し過ぎて息も絶え絶え、とおっても痛くて苦しい。でも、そんなでも祈ってたわ。生まれてきて、死なないでって言うの。よく聞こえた。ワンダには、腹の中でおまいたちが死にそうなの分かってたの。お母さんだからね。ワンダのお願い、聞いたわ、あたし」

 手が動かない。身動きができない。エンドリカは語りながら赤子をすっかり包み込んでしまった。襟巻の余った端と端を合わせ、ゆるりと引き結ぶ。

「あたしはニズゥイの女。子供を流した代わりに真の愛を得た。売女で魔女だけど、子供をとりあげることに関しちゃ右に出る者はないわ。それがあたしの、願いだったから」

 そして身を屈め、その結び目の上に己の顔を触れさせた。途端。

「――ヘルィーク、おまいはあの夜、イムイと死にかけていた。だからあたしがとりあげたの。ワンダの腹を捌いたのは王に言われた奴だけど。あたしの大声が、死んでしまおうとしてたおまいたちの頭を揺さぶって、風が最初の息を口に捻じ込んだの。おまいたちはほんとに、魔女の施しを受けた男なのさ」

 この世の終わりのような絶叫が聞こえ、俺はとうとう身を震わせていた。赤子が泣きだしたのだ。大声で泣き喚いている。それは恐れや悲しみなどではなく、此処に居るという、生きているという咆え声のようだった。息を吹き返したのだ。

 俺はやっとのことで腕に力をこめた。抱えた赤子を覗き込むエンドリカは微笑んでいた。災いの魔女だというのに慈愛に満ちた笑みと見えた。

「ねえヘルィーク、その子、かわいいわね。おまいが育てるのかね。名前はなんにしようか。何になるのか楽しみだ」

「これは、王になる……」

 襟巻を撫でる指先の、あやすような動き。見下ろして俺は応じた。

「エンレイの次の国だ……この子供は、王になれる。神に選ばれている。お前には見えんのか、分からんのか、魔女」

 俺の手の上に国がある。

 俺はまたとない機会を手に入れたのだ。逃すものか。もう痴れた父に、エンレイ王に従わんでもいい。新たな王が居るならば戦える。エンレイに叛くことだってできる。王の下でなら、俺は。

 俺はこの子供を連れ帰る。育てて、国の頂に立つ王にする。近い将来、必ず新たな国を見る。俺は王と国を守り戦う。そうだ、俺は王にはなれんが、王の守護者にはなれるのだ。

 エンドリカが笑った。風が泣き喚いている。嵐になる。吹雪になるだろう。明日にはこの地は白く染まるだろう。

「魔女よ、我が産婆よ、――お前は国の産婆にもなる」

 陰気な冬が来る。それを乗り越えれば――幾度乗り越えれば、この子は王になるだろうか。

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