三
「……エンレイ王ウクナトクの命により、浄化の剣を取るものである。罪深き者、皆膝をつき頭を垂れて応じよ。その目は永劫閉ざされる。怠惰、強欲、叛逆、好色――諸々の罪科にて煤けた魂を……」
イムイが静々と刑吏の言葉を諳んじていた。血の染みを隠した黒衣は風を受けて、彼の体を倍は大きく見せていた。衣服と対照的な白銀の髪は散らばるように靡いている。暑いほどに照る日の光の下で、それは正直、様になっていた。美しいのとは違う。神々しい、もしくは、禍々しい。人では無いような立ち姿。人を裁く者としては相応しい一種の威容を、確かにイムイは持っているのだ。その性質とは裏腹に。
処刑場に集まった誰もが、そんな刑吏の男や、引き出された罪人を見ていた。
崖の上の処刑場、植物どころか目立つ石ころさえない、奇妙に整えられた灰土の祭壇。巨石を切り出した壇の上に連れてこられた者は、今日は二人だった。まだ若い男と女が一人ずつ。罪状は窃盗と罪人の隠匿だそうだ。本当のところは知れたものではない。イムイがそう言っただけだった。何にしても斬首は重い罰だった。イムイが形式を踏んでいる間、着の身着のままで捕らえられていたのだろう、薄汚れた二人は身じろぎもせずに堪えていた。
諦め、受け入れ、覚悟したのではない。俺にはそう見えた。二人は恐れ、……まだ期待している。イムイはそれを、よく知っているに違いない。
「それでは、これより執り行う。会する一同、神と霊魂に祈りを」
風が止み、言葉が終わり、陰になっていたイムイの左側から、浄化の剣と呼ばれる処刑剣が現れた。鞘には収まっていない。切っ先のない、板切れのような形をした刃が眩く光っている。伸ばしきった腕より長い刃は重いはずだが、まったく手慣れた様子で左手に持つイムイは悠然と笑んでいた。
最初は男のほうだった。剣を引きずったイムイは自分と大して体格の変わりない男の横に並ぶ。剣を持つ男と、縛られ、目隠しをされた男。どちらがこの場の強者なのかは瞭然だった。
イムイが、男の耳元に何かを囁いた。途端に男の絶叫が響き渡って谷に木霊した。頭巾を被った見物人の肩が揺れ強張るのが視界の端に見えた。狂ったように暴れ始めた男をイムイの部下が取り押さえる。イムイはすぐにそれを除けた。縛られた手足で立ち上がろうと、逃げようとする男に、また何か言った。
また大きな声ではなかったが、口元が見えたので察しがついた。「暴れると上手く落ちんぞ」と言ったのだ。その前に暴れるようなことを言ったのはどの口か。
イムイは祈りを――「慈悲を」と――呟き、息を吸い剣を振り上げた。その動きだけは戯れや楽しみのない、刑吏の一撃だった。皆が息を呑んだ。俺さえ、思わず息を呑んでいた。灰土と褪せた緑の風景を切り裂く閃光の軌跡。断罪と浄化の瞬間。悲鳴が尾を引き風の中に失せる。束の間、急激な静寂が処刑場を御した。
見事だった。のたうっている男の首でも、彼は寸分違わずに斬り落とす。そう、一度も仕損じたことがない。才能と言ってもいい。剣の試合で俺に負けるイムイという男は、ただの剣よりも処刑剣の扱いに長けていた。
重い一振りが首にぶつかるのは殴打にも似ていた。処刑剣は実った何かを捥ぎ取るようにして、鈍い音を立てて男の頭を壇上へと転がした。血が吹き出し、処刑場とイムイの服を汚す。転がった頭ではまだ物言いたげに口が動き、体のほうも痙攣を続けていた。イムイは上がる息を整えながら残る女を一瞥した。瞬きをして、剣を握る己が手に視線を落とした後にもう一度、今度はしっかりと顔まで女に据えた。そのまま歩み寄る。靴音は聞こえなかった。
目を隠されているにも関わらず、女はイムイのその視線を感じ取ったようだった。体の震えが一段と大きくなった。
「一同。神と霊魂に祈りを」
イムイはいくらか大きな声で繰り返して、女を押さえていた部下を下がらせ血濡れる剣を振るった。「慈悲を」。細い首は先よりも簡単に体と切り離された。吹き出る血が一段と鮮やかに見えた。縄で屈められている体から、瓶を傾けるように血は流れ続けた。酒を体に注ぎ込まれた心地がする。芯が温まっている。太陽が眩しい。
白い毛の先を紅く染めたイムイは深呼吸をして剣を壇上に寝かせ、微笑み、落ちた首を抱え上げた。胴も掴み、まだ血が零れているのも構わず引きずっていく。部下は誰も手伝わない。目指すのは、巨人が住むという谷だ。
見物に背を向けたイムイは、まず女の首を放り投げた。追わせるように体のほうも投げ込む。ドオンと不気味な音が、微かに大気を震わせた。その頃既にイムイは振り向いて、もう一人、放置され硬くなり始めていた男の死体を取りに戻っていた。首を抱え、体を引きずる。
男の首と体も、同じく谷の底へと消えた。それで刑吏の仕事は終わりだった。わざわざ血の痕を踏んで歩くイムイの横に部下が並ぶ。彼は自らの手で重い剣を持って、住処へと爪先を向けた。
終わりを告げる言葉がなくとも終りであると、集まった誰もが知っていた。ばらばらと見物人が引き上げ始める。中には泣いている者も居た。処されたどちらかの、もしくは両方の知り合いなのだろう。蒼い顔をしている者も、赤い顔をしている者も居た。笑っている者だけは居なかった。
「んんっ」
近くで声が上がり、反射的に顔がそちらへと向いた。娘が男に口と腕を押さえられている。娘はもがいているが、どうも襲われているわけではなさそうだと知れた。人が減り、イムイの姿が屋内に消えた頃、俺はそちらに歩み寄った。
「人殺しを罵って――何が悪いんだっ」
男の手が緩んだところで息を吸い、娘が咆えた。何人かがびくりと肩を震わせたのが見えた。男がまた慌てて娘の口を塞いで宥め窘める。どうも兄妹に見えたが、おい、やめろ、と言うだけで、けして名前は呼ばない。
此処の者は、それを切片に役人に探されることを恐れているのだ。名前を呼ばなかったところで、見た目が知れていれば何も変わらんのだが。
「牢に入れられるので済めばいいが、知っているか? あの館の中は、あの男の国のようなものだ。あの男が何をしようが咎めはない」
あいつは王では無いのに。
口を開くと、二人は揃って目を丸くしてこちらを見た。彼らに俺はどう映っているのだろうか。公務ではない今日は彼らとも大差のない頭巾を被っているが、体格は違う。食事が違うのだ。俺や俺の部下は、山で仕事をする者よりも上等な体を持っている。そして懐には短剣を隠してある。
今此処で彼らを殺すことも簡単だった。物言いたい娘の口を横に裂いて開けやすくしてやるぐらいは。
「あれは血を好む。よく知っているだろう。特に女の血は好きだ。お前は生き血を啜られるかも知れんぞ。俺は勧められんな。――見逃してやるから早く帰れ」
「王代候……」
どこでか、こちらが何者か気づいたらしい兄のほうが蒼褪めた。妹の手を取り、引きずるように駆けだす。追う気はしなかった。人殺しを罵って何が悪い。真っ当な感情だ。相手が刑吏とはいえ、こんな、理由もはっきりとしない場では、至極真っ当と思えた。国の為に殺すならば、ともかく。
「人殺し……人殺しいっ……アンタが頭を捨てろ! こんな国潰れっちまえ!」
キンと鳴る女の声が響いた。兄が妹を殴った。泣き喚きながら二人は去る。他の者もとうに引き上げていて、辺りには血の残り香が漂うばかりだった。
噴き出した血を亡骸で塗り広げられて凄惨な図柄となっている祭壇は、そのうち、イムイの部下が洗いに来るだろう。死体は谷底に放ったきりだが、祭壇と浄化の剣はよく手入れされる。死体には次が無いが、二つには次があるからだろうか。
――あるのだろう。恐らくは。
処刑場の谷は、今日もこうこうと風を喚かせていた。深く、広い谷。向こう側は別の国だ。そのうち、エンレイを厭って渡る者が居るのではないかとさえ思えた。対岸が異国の地である為に橋など架かるわけもなく、渡るなど、とてつもなく無謀なことではあるが……渡ることが出来たならばエンレイよりは良いかも知れない。言葉も通じぬ異国でも、心の通じぬ王の国よりは。
王に命じられての処刑は三百では終わらなかった。今日で、三百七人になった。雪が溶けようと日の長い時期になろうと、この地には活気がなかった。きっと延々こうなのだろう。