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夢の後に  作者: 中島 遼
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居酒屋4

「どうして?」

「遊ぶ金が貯まったらやめるつもりでここに来た。いい頃合いだろ」

「困ります、そんなの」

 明石は苦笑した。

「何でお前が困る?」

「……それは」

 次の言葉を発するのは村山の主義に反した。だが、どうしても明石を引き留めねばならないという思いが口を動かす。

「一定レベルの技術が維持できないからです」

「お前が仲良し子良ししたがってる三人がいるだろうが」

「……わかって言ってるんでしょ?」

 睨み付けると明石は目を細めた。

「お前がいる」

 苦々しくて村山は呟く。

「俺がいたところで、どうしようもないじゃないですか」

 相手は瞬時、片眉を上げた。

「だから俺はお前が嫌いなんだ」

 どうしてか明石は村山のコップに酒を注いだ。

「卑屈で、弱気で、人の顔色ばかり窺って、最悪なことに信念どころかやる気すらない」

 瞠目した村山に向かって明石は顔をしかめる。

「だから余計に腹が立つ。それほどの力が宿っているのがお前みたいなろくでなしで、俺みたいに真面目に努力をしている人間じゃないってことにな」

 言葉もなく相手を見つめた村山に、明石が顎でコップを指し示したので仕方なく飲む。

 だが、味もなにもわからない。

「……お前、以前、胆摘のことをあの程度の手術と言ったな?」

「あ、いえ、俺がやってる健康で無自覚な患者さんの胆摘に限るというのが前提で……」

「それでも、俺は毎回不安でいっぱいだ」

 村山は驚いた。

 明石ほど堂々と、きっちり綿密にそして誠実に手術を行う医師は少ない。

「昨日手術した患者にはあった胆嚢管が、今日の患者の同じ場所に見あたらない。昨日手術した患者にこれだけメスを入れたら臓器を傷つけるんじゃないかというぐらいの深さで切っても、今日の患者はまだ脂肪しか見えない。人それぞれ血管の走行も太さも違う、縫合時の脆さも違う。血小板の数だって違う」

「そんな研修医みたいなことを今更……」

 彼は村山をにらむ。

「お前は人ならばやりかねない誤謬からは自由だ。つまり、直感で決めない。与えられた情報、それと過去の情報を機械のように怜悧につきあわせ、答えをはじく」

 少しどきりとして村山は明石から微かに目をそらす。

「先生もそうでしょう? 先生がためらっているのを見たことがありません」

「ひたすら数をこなしたからに過ぎない。自分が実際にやってもいない手術は、どんなに他人の手術を見ていようが俺にとっては初めての経験だ」

「……俺だってそうです」

「どうだか」

 しばらく沈黙が続いたが、意外にも最初にそれを破ったのは明石だった。

「……今から言うことに、正直に答えろ」

 彼は一口酒を飲んだ。

「部長や医長に対して卑屈なのは何故だ?」

 村山は顔を上げる。

「それを言えば、病院に残っていただけますか?」

「期間についての考慮はする」

 彼は覚悟を決めた。

「彼らの機嫌を損ねたら、うちの外科は終わりだからです」

「切り取って他にすげ替えればいいだろうが」

 村山にそんな力はなかったが、一応一般論を口にする。

「こんな田舎に来てくれる外科医なんていません」

「循環器は盛況だろ?」

 彼の病院では、心臓外科だけは内科と同じ新館に医局がある。そして、そこの求人倍率は内科には劣るにしても外科ではダントツだ。

「うちは昔から心臓で有名だし、勉強になるからだと思うので……」

「消化器もそうなるようにすればいい」

「今すぐは無理です」

「医者が数合わせな病院など、患者にとっては迷惑なだけだ」

「……ないよりはずっとましだと思います。この三町には他に急性期の高度医療できるところはないんですから」

「脳外と循環、それに産科があれば大抵大丈夫だろう」

 確かに心筋梗塞、脳卒中などに比べると、消化器系の癌などは他院に廻す時間的余裕が微妙にある。

「しかし虫垂炎アッペなどは緊急性を要する場合が……」

「年間何例あると思っている? 緊急性を要しないものも含めて外科的に治療するのは一外の手術の一割程度だ。交通事故や一般負傷だって東京に比べたら相当少ない」

 都心の病院と比較されても……と思わないでもなかったが、明石の出身も勤務病院も全てそっち方面だったので仕方がないと思い直す。

「では先生はそれらを放っておけと?」

「俺は人員の現状維持が必要かどうかについて議論している。交通事故や汎発性腹膜炎パンペリが心配なら、ERに特化するという選択肢だってあり得るんだ」

「しかし、それは経営的にどうかと」

「医者が数合わせなのは、結局金のためなのか?」

 村山が黙ると明石はさらに言葉を継いだ。

「じゃあ、次の質問だ。院長に対して卑屈なのは何故だ?」

「え?」

「この間の委員会の査問は別として、普段のお前らは主人と奴隷にしか見えないんだが」

 胃の少し下辺りがきゅっと痛んだ。

「事実、そうだからです」

「……親子だろ?」

 村山はコップに残った酒を飲み干した。

「俺は生まれてこの方、あの人に息子としては扱われてません」

 そんなことをこんな場で言ってはいけないという気持と、このところのもやもやした気分をどうにかしたいという気持が拮抗した。

「……俺はずっと」

 そして誘惑に負ける。

「どうにかして親父に認めてもらおうと努力して、機嫌をそこねないようにしていました、そう、先生の言うとおり卑屈になってまで。だけどこの間、不意にどうでもよくなったんです。この歳になって、親に愛されようと努力するのも馬鹿みたいだし、疲れたから」

「お前は思春期の中学生か?」

 明石は心底驚いたような顔でこちらを見る。

「少なくとも三十男の言葉には思えん」

「……ほっといてください」

「まさかと思うが、それだけのために平身低頭してたのか?」

「それ以外に俺が親父に気を遣う理由なんてないでしょう?」

 どうしてこんなことを明石なんぞに喋っているのだろうと心の隅で思う。

 だが、村山は答えを知っていた。

(……正彦に)

 大阪にいる彼の親友に明石は雰囲気が似ている。

 そして、彼の親友は父に似ていた……

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