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夢の後に  作者: 中島 遼
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居酒屋2

 二階は小規模の宴会に使うのか、十畳ぐらいの部屋に横長の机が二つ置かれている。

 部屋の隅には座布団が積んであったので、村山は明石に倣って自分で薄い座布団を取り、あぐらをかいた。

 漆喰の割れた壁など全体的に古びた感じは否めなかったが、一応清潔ではある。

「おまちどうさま」

 すぐに親父が瓶ビールとコップ、そして小皿と数種の惣菜を持って上がってきた。

「二階は運ぶのが面倒くさいんだけどねえ」

「どうせ暇なんだろう? いい運動になる」

「他人事だと思って勝手なことを」

 ぶつぶつ言いながら親父は階下に降りていく。

 明石はビールを自分のコップにだけ注ぐと、それをぐいっと飲んだ。

 仕方なく村山も、自分の横にあった瓶ビールを自分のコップに注ぐ。

「いただきます」

 腹が減っていたので、ビールを飲むや否や、彼は蛸と小芋の煮物を皿に取った。

 こんな場末の小汚い居酒屋にしては意外にうまい。

 葱と貝のぬたとイワシの山椒煮でビールが空いた頃、再び親父が何皿かの料理を持って上がってきた。

 注文なしのお任せらしい。

「わかってると思うけど、ビールは勝手にやってくれよ、持って上がるの重いから」

 明石は頷くと、空になった瓶を二本相手に渡し、部屋の端にある冷蔵庫からビールを二本取りだして栓を抜いた。

「だし巻きはまだか?」

「揚げ物の後だよ」

 親父が去ると、再びシンとする。

 明石が一言も喋らないので、村山もただひたすら食って飲む。

(……何か変)

 誘ったくせにこれは一体どういうことだろう。

 それとも誘ったつもりはなく、店の前に突っ立っていて邪魔だから退かせようとしただけなのか?

 これで食い物が不味ければ席を立つところだ。

(……まあ、いい)

 煌びやかに飾り立てたり、盛りつけたりはしていないが、家庭料理としては満点だと思う。

 腹一杯になったら、適当に挨拶して家に帰ろう……

「……お前」

 と、唐突に明石がこちらを見たので、村山は背筋を伸ばした。

「はい」

「俺は酒にする。ビールが飲みたければ冷蔵庫から勝手にだせ」

「…………はあ」

「嫌なのか?」

 何だかよくわからないが、そろそろ酒の頃合いではあった。

「あ、じゃあ俺も日本酒を」

 明石は立ち上がり、棚に並べてあった日本酒から適当な一升瓶を取り、こちらに持ってきた。

 そしてテーブルに並べてある未使用コップを二つ取った。

「……常連なんですか?」

 明石は頷いた。

「俺、来ても良かったんですか?」

 言うと彼はじろりとこちらを睨む。

「お前を止める権利も義務もない」

「そりゃそうですけど」

 今度も彼は自分の分だけ注いだので、村山は再び自分の分をコップについだ。

「佐々木先生とは喋るのに、俺とはあまり口を利かないんですね」

 明石は酒を飲んだ。

「あれは佐々木が一方的に喋ってるだけだ」

「そんな風には見えないんですけど」

「何なら今からお前も喋ってみろ。適当に相づちを打ってやるから」

「はあ」

 そう言われても何を話していいのかわからず、彼も一口酒を飲んだ。

「……これ、高いんじゃないです?」

 かなり旨い酒だったので、村山はラベルを見る。

「知らん」

「勝手に飲んでいいんですか?」

「飾っておくもんでもないだろ」

 村山が言葉を返そうとしたとき、天ぷらの盛り合わせとだし巻きが来た。

 親父が何も言わないところを見ると自分で酒を開けるのは問題ない行動のようだ。

「俺はもう打ち止めだ。後は酒だけでいい」

 明石に頷き、親父はこちらを見た。

「お客さんはどうします? 良かったら生鯖あるけど」

 明石は眉根を寄せる。

「やめとけ。こんな店でそんなもの食ったら腹をこわす」

「何を言うんだ、新鮮だよ、新鮮。まったくひどいね、魚好きの先生が来る日だからわざわざ懇意の鮨屋に頼んで分けてもらったってのに」

 明石は渋い顔をして酒を飲んだ。

「新鮮だったらなお悪い。三日前、救急で複数のアニサキスに胃壁噛まれてのたうち回ってる患者を診たが、酷いもんだった」

 村山も経験があるが、胃アニサキス症は内視鏡を突っ込むのを躊躇するほど激しい症状だ。

「寄生虫が怖いんなら、酢でしめたのもあるけど」

「……奴は胃酸でも死なん」

 村山は亭主が気の毒になった。

「あの、俺、それ頂きます」

「お客さん、こんな人の知り合いだと思えないぐらいいい人だね」

 親父は嬉しそうに去っていった。

「いいのか、噛まれても?」

 アニサキスは線虫で、胃に噛みついてぶらぶらしているのを内視鏡で見ながら鉗子でつまんで取る。

 腸に入った場合は時として穿孔を開けることもあるので結構怖い。

 だが、つまりはそれぐらい大きいものなので、目視で確認可能とも言える。

「そういえば前に、あれは噛まれて痛いんじゃないって話もありましたよね。薬だけで治るとか」

 明石は肩をすくめる。

「俺は嫌だ。仮にそうだとしても、あんなものが腹の中でうごうごしていて平静ではいられん」

 言いながら、明石はだし巻きの器を自分の前に持っていき、そのまま小皿に取らずに食べ始めた。

 どうやら村山には渡さないつもりらしい。

 そうして再び沈黙が訪れる。それは親父が鯖の刺身とサービスのシンコの南蛮漬けをテーブルに置いていき、その後明石がぼそりと呟くまで続いた。


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