祈り
車の中で、萌は震えていた。
頭が真っ白で何も考えられない。
村山が死にかけていることは萌でもわかった。
唯一の救いは、夕貴がずっと村山の手を握っていること。
夕貴なら、村山の心肺の代わりにきっとなってくれているだろうから。
(神様、お願い……)
車は速度制限などないかのように走って病院に着く。
何も言わずに後藤が村山を担ぎ、救急入り口の方に走った。
その後を瀬尾が暁の手を引いてついていく。
「圭ちゃんも診てもらった方がいいと思うよ」
意識はあるようだったが、ほとんど動けなくなっている高津に肩を貸そうとすると彼は微かに顔を歪めた。
「……俺は、大丈夫」
「ほんとに?」
絞り出すような声のくせに。
「みどりんに二連発撃ったあとの萌と一緒だ。しばらくすれば戻る」
「……でも」
「俺はここに……夕貴といるよ」
思わず萌は唇を噛む。
怖くて病院に入りたくないのは萌も同じだったからだ。
そっと手を伸ばすと、夕貴が滑るように萌の元に収まった。
その身体を大事に抱き留め、萌は再び祈る。
(……助けて)
神さまなど信じてはなかったが、それでも萌は祈った。
(……リソカリトの神さま、姫、お願い)
長い時間? それとも実際にはさほどでもなかったのかもしれないが、やがて後藤が一人で戻ってきた。
「瀬尾さんに、君らのことを頼まれたんだ」
何も言わずに顔を見ると、彼は頷いた。
「病院に来るかい? その場合ならおうちへの連絡は彼女がする。それとも家に一度帰るか?」
「……村山さんは?」
「集中治療室に入った」
「集中……治療」
次の台詞には激しい恐怖が伴った。
「……一度、家に帰って大丈夫な程度の具合なの?」
「それはわからん。彼の奥さんが真っ青な顔をして看護婦とエレベーターに乗ったところは見たが」
「詩織さん、来たんだ」
萌はわずかに目を伏せた。
村山をこちらに引き留められるのが萌ではなく彼女だということはちゃんと理解している。
「ああ、それで暁が取り乱して」
「え?」
「奥さんにさ、僕のせいでおじさんが悪いやくざに掴まって、僕だけ逃げたんだ、ごめんなさいって」
「……言っちゃったんだ」
萌のアイデアは実のところ、後で辻褄が合わなくなること間違いないからと後藤の駄目出しが出ていた。
「看護婦が、後でね、坊やとか言って引きはがしたが、あれは噂になるな、多分」
萌は青い顔で目を閉じたままの高津を見やった。
「で、どうする? 病院に戻るか?」
そして決意する。
「家に帰る。そして体力つける」
高津がびくりとしたように震え、そして必死で目を開けた。
「でも、萌、もし……」
だが、彼もまたその次の言葉を出すことはなかった。
「ここに居たってしょうがないし、何の役にも立たないのなら、あたしは寝る」
後藤は頷く。
「その方がいいかもしれない。話が警察ざたになったときに、君たちが関与していることが公にならないようにしないとな」
「え?」
「村山先生や暁君を発見したのが高津君ということがばれたら、いずれ高津君が何だか怪しいということになる」
「まさか」
言いながらも萌は心の内に頷く。
後藤も高津がテレポテーションできるとは知らないので、今回の現象をうまく説明はできないだろう。
だが、だからこそ怪しんでもいる。
「……少なくとも、その話を聞いたのがリソカリトならどこかおかしいとわかるし、あるいはリソカリトでなくとも細川に銃器を渡した黒幕は、その辺りも承知している可能性が高い」
愕然とした萌が硬直すると、後藤はドアを閉めて運転席に回った。
「じゃ、順番に家に回ろう。どっちの家からでもいいけど、道案内は頼むな」
エンジンがかかり、車が出発する。
「ね、さっきの話だけど、細川に銃器を渡した黒幕って?」
「あいつが殺人未遂で逮捕されかけて逃げた後、見つかりもしないで長期間潜伏していられたってこと、それから深崎をスパイに使いながら情報を収集し、暁君をさらっただけでなく、村山先生を呼び出して銃で殺そうとしたことから、他に誰かがいることは明らかだ」
「……え?」
「それって、何を意味すると思うかい?」
「リソカリト以外に、暁達を利用しようとする人がいる?」
「そう。そのために一番邪魔な男を消そうとする程度に」
萌は目を見開く。
考えてみればそうだ。
元々細川は暁と夕貴を狙っていた。
村山については暁と若干話せるということがばれてはいたが、その程度だと思われているはずだ。
「どうして、どうして村山さんが邪魔なの?」
「あの男がただのテレパスだとはもう誰も信じてない」
「どういうこと?」
「君や高津君の誘拐をどうしてか阻止し、子供二人の危機に登場して二人を守り抜いた後、しばらくの間彼らをどこかに隠した。そしてその間に我々を寝返らせ、そしてどういう方法でか細川を罠にかけ、警察に突き出そうとした男だよ」
村山の賢さは隠し通せなかったということか。
「少なくとも、赤尾は彼に謀られた感を一層強く持っていた」
「そうなの?」
「そりゃ、リーダー面してたのが、俺や治生がどんどん離れていくんだからな。それがあの先生のせいじゃないとしても、そういう思いを持ったとは思う」
「それが理由で村山さんを細川に売ったの?」
「いや、あいつは小心者だから、殺されたくなかったから突き出しただけだと思う。ただ……」
後藤はスピードを緩めた。
「どっち?」
「あ、まだ真っ直ぐ。ガソリンスタンドを越えたら右……で、ただ、何?」
「ただ、細川に脅されたときに、その辺りのことが頭を過ぎらなかったとも限らない」
彼の声は少し沈んだ。
「……人間の出来としては小者だったしな、あいつ」
言葉は悪いが、強い悼みの気持が萌にも伝わった。
死んだと言うことは萌の口からしか言っていないので、さほど実感はないのかもしれないが、それでも仲間が殺されたのは辛いことだろう。
車が右に曲がる。
そのまま萌は高津の家の方向に車を誘導した。
「圭ちゃん」
寝ていた彼を起こし、家に届ける。
萌が出て行くと家人がびっくりすると思い、全ては後藤に任せて車の中で小さくなった。
氷のように冷たい夕貴を抱きしめ、そしてもう一度萌は村山のために……いや、自分のために祈る。
夕貴がぎゅっと萌にしがみつくのを感じ、萌は呟く。
「どうする、夕貴、病院に戻る? それとも私と一緒にうちに来る?」
夕貴がゆっくりと顔を上げて萌を見る。
「村山さんの側にいたいなら、戻ったらいいと思うよ。でも……」
唇が震える。
「一緒に祈るなら、一緒にいよ?」
夕貴はうなずいた。




