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夢の後に  作者: 中島 遼
30/61

篠田5

 篠田は再び笑う。

「あとは、血が嫌い?」

「はい」

「いいじゃないか、血を見るのが大好きな男が外科医だったら問題だ」

 そうなのだろうか。

「ま」

 篠田は肩をすくめ、そして村山を見据える。

「いずれにせよ、君は間違ってる」

「……と言うと?」

「君には選択肢など最初から存在はしないんだ」

「きっちゃん、ちょっと……」

 詩織の非難を彼は無視した。

「確かに君の資質では経営的な成功はあまり期待できないかもしれないが、それでもいい医師にはなれる。そして病院の理念を追求することができる」

 苦い表情で篠田はビールを飲んだ。

「志村は金儲けは得意かもしれないが、患者は見ていない。いい医師になることも、理念を追求することもできない」

「俺はどっちも無理です」

「そんなことはない。みんな知ってる。君が何故、時間ばかり食う面倒くさい患者に一所懸命説明しているのか。文句一つ言わずに他人の患者の管理までこなしているのか、夜中に呼び出されたとき、何故、病院まで走ってくるのか。」

 村山は瞠目した。

「それをポーズだとか、良い子ぶってるとか言う奴もいる。そうまでして院長の椅子が欲しいのかと言う奴もいる」

 彼はさらに驚いた。

「……そんなことまで言われてるんですか?」

「悪い噂を流さないと、自分たちの立場が悪くなるからさ」

 村山は気分が悪くなってきた。

「……もう、いいです。やめてください」

「そうはいかない。君に戦線を離脱されると我々は困る」

「って言われても……」

「うちが三代続いてるのは、誠実に人の命を守ろうとする病院だからだ。君の祖父も俺の祖父も君の父もそうだ」

 篠田はぐいっとビールを飲み干す。

「研究費を必要以上に払って外科の酷い連中を受け入れ取り巻きを増やしたり、関連業者から金をもらうような奴らをのさばらしてはいけない」

「きっちゃんっ!」

 村山が口を開くよりも先に、詩織が相手を強く制した。

「証拠もないこと言っちゃだめ」

「……しかし、お前だって」

 詩織は更に首を横に振る。

「私は涼ちゃんがしたいようにしてくれたらそれでいい」

「詩織」

「それに私たちにとって、お義兄さんは真緒ちゃんのお父さんで澄恵ちゃんの夫なのよ」

 篠田は眉を狭めて詩織をしばし見つめる。

 そして静かに頷いた。

「済まない、言い過ぎた」

 詩織は複雑な表情で村山を見る。

「きっちゃんは昔から正義感が強くて真面目なの。だけどそのせいで時々頭が固くなっちゃって……」

「桐原系にしては馬鹿だとは思うよ」

「誰もそんなこと言ってないから」

 胸中にうずまく不安なものを無理に呑み込み、村山は無理に笑みを浮かべた。

 そして、篠田に酌をするついでに、あまり減っていない自分のジョッキにもビールを注ぐ。

「……で、最初の話に戻るが」

 微かに身じろぎをすると、篠田は枝豆をむき始めた。

「そういう訳で浮気はやばい。評価報告書にマイナス点が加算される」

「だから何もしていませんって」

 篠田は微笑んだ。

「俺が知ってるだけでも、五件はあるのに?」

 村山は驚いた。

「一つは知ってますけど」

「どれだ? 清楚な大人美女か女子高生か、薬剤部の美和ちゃんか。」

「ね、涼ちゃん、女子高生って萌ちゃんのことでしょ?」

「うん、多分」

 詩織が助け船をだしてくれたが、村山はそれより前者が気になった。

「あの、清楚な大人美女ってだれです?」

「さあ、俺は見た訳じゃないんでね。駐車場で親しげに話をしていたって、一時期噂になったことがある」

「ああ」

 村山は詩織を見る。

「多分瀬尾さんだ。夕貴の耳の件と、引っ越しの件で相談を受けたことがあったから」

 瀬尾と詩織は面識がないが、暁と夕貴は随分前に家に連れてきたことがあるので知っている。

「へえ、暁君たちのお母さんって美人なの」

「夕貴を大きくして、ぐいっときつい顔にした感じかな」

「……それはかなり綺麗な方ね」

 篠田はにやにやと笑った。

「他は聞かないのか? 美和ちゃんとか、えっちゃんとか」

「充分です」

 困った顔をした彼を篠田はつくづくと眺める。

「いや、でも、確かにこうやって間近で見ると、ナース達が騒ぐのもわかるね」

「勘弁してください」

 顔の話は彼の嫌いな話題の上位に入った。

 ただでさえこんなに精神が不安定な折には避けたい話題だ。

「兄貴も言ってた。結婚式でびっくりしたって。君が亡くなったお母さんにあまりに似てるから……」

「きっちゃん」

 と、詩織が突然、話に割り込んできた。

「遠慮なく、どんどん食べてね。でないと私が全部食べちゃうよ」

「ありがとう。充分頂いている」

 篠田は頷き、海老の鮨を取った。

「話を戻すけど、兄貴と俺は小さいときに君のお母さんに数回会ったことがある」

 村山は唾を飲み込んだ。

「本当に綺麗な人だった」

 心のどこかがざわめき、波のように後から後から心を揺らす。


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