予兆2
「で、何があったかなんですけど」
高津は今までのいきさつを、リソカリト的なことを除いてざっくりと話した。
「警察も頑張って捜索してるみたいだし、この小さい町で指名手配なんかされたら顔をさらして歩けないから大丈夫とは思うんですが……」
黙りこくった瀬尾に高津は前から思っていたことを言ってみる。
「……あの、差し出がましいかもしれないんだけど、この家って、周りに家がないからちょっと不安なんです。だから、できれば民家の密集したところかマンションに一時的にでも引っ越しした方が良くないですか?」
瀬尾が夕貴のために人気の少ない場所を選んで住居にしていることは何となくわかる。
だが、耳の手術を受けたということは、ある程度その辺りのリスクについては覚悟を決めたということだとも思う。だから……
「あ、村山さんだ」
携帯が鳴ったので、高津は一応瀬尾に軽く合図してからメールを見る。
中身は簡素だが要点ずばりだ。
……本当に助かる。事情の説明と家の話をよろしく……
彼と高津の間でほぼ意志が百パーセント疏通していることが確認できてほっとする。
「え、何て、何て!」
暁が高津の腕に取りついたので、メールを見せてやると暁は夕貴を見る。
すると夕貴は嬉しそうに頷いた。
「暁」
それは前から気になっていたことだ。
「手話か、口に出して言うかしないと駄目だよ」
「え?」
「そうでないと、夕貴が可哀想だ。来年から小学校に入って、お友達から喋りかけてもらえなくなったらどうするつもり?」
暁は少し頬を膨らませた。
「圭兄ちゃん、お母さんみたいな事、言うんだね」
どういう風に瀬尾が説明しているのかはわからないが、暁はそれを不満に思っているようだった。
「せっかくできることなのに、やらないのはもったいないよ」
瀬尾が困ったような顔をした。
「夕貴が特別だって、みんなが思わないようにして欲しいの。わかるわね?」
「お母さんや圭兄ちゃんは別に大丈夫だろ?」
「ついつい、他の人の前でやっちゃったら駄目でしょう?」
「僕はちゃんと区別できるもん」
こういうとき、村山ならちゃんと理屈から説明してやれるんだろうなとふと思う。
習慣付けしていないと、ふとした弾みでやっちゃう事例とか、メカニズムとか……
(……でも、俺は村山さんじゃない)
高津がうまく説明できるとしたら、むしろ暁の内面やこだわりの解明だ。
そちらに特化するなら説得できるかもしれない。
「どうだろう、今日みたいにみんなで話をしているときに、心で会話する必要、ほんとにあるの?」
「え?」
「周りから見ると、二人だけが特別だってお前がみんなに自慢したいだけに見えるよ。だからちょっとむかつく」
少しいじわるかもしれないと思ったが、今日ここできっちりと釘を刺してやるのも彼の務めだ。
「別に、そんなんじゃないよ」
「じゃあ、他の人の前でやったら駄目なことを、ことさらここでやるのは何故?」
「だって、みんなは大丈夫だって安心だし、夕貴も音が聞こえてるだけで別に聞き取れてる訳じゃないから、手術してからはとっても疲れてるんだ。だから……」
「他の手術した子はみんなやってる事じゃないの? 逆にそんなことをしたら他の子がどんどん聞き取れるようになっていくのに、いつまでも夕貴だけが聞き取れない子になっちゃうよ?」
夕貴がそっと高津に手を伸ばした。
その意味は理解したが、あえて彼は夕貴にも首を横に振った。
「暁はね、夕貴が一人で何でもできるようになるのが嫌なだけなんだ」
暁が目を見張ってこちらを見る。
「まあ、兄貴ってのはそういうもんだってわかるけど、それは夕貴のためにならない。だって暁に独り占めされると夕貴には友達ができなくなるからね」
「夕貴は僕がいたら友達できなくても平気って言ってるよ」
「友達が何か知らないから夕貴はそう言ってるだけだ」
高津は夕貴の方を見た。
「萌や村山さんは夕貴の友達だけど、暁がいたら二人なんていなくってもいい?」
困った顔をした夕貴の前で、暁が慌てたように首を振った。
「圭兄ちゃんたちは特別な友達だから、普通の友達と一緒にはできないよ」
「違うね」
高津は暁の頭を軽く叩く。
「普通の友達はいつか特別な友達に変身するんだ。だから夕貴はこれからいっぱい特別な友達を作る。その邪魔をしちゃいけない」
泣きそうな顔で、暁は口をひき結んで高津を見る。
頷くことはなかったが、高津の言う意味を暁は理解できるはずだった。
「ごめんなさいね、高津君」
心底済まなそうに瀬尾が頭を下げる。
「そういうことは、私が言わないと駄目なのに……」
高津は首を振る。
「友達にだって、そう言うことをいう役目があると思います」
「ありがとう……」
と、突然、暁が立ち上がって二階に上がっていった。
慌てて立ち上がろうとした瀬尾と夕貴を制し、高津は追いかけて一人で子供部屋に入る。
(……泣くとこ、見られたくないんだろうけど)
男の小さなプライドより、もっと大切なものがある。
「入ってこないでよ」
鼻水をすすりながら、暁が背中を向けた。
「……大事なこと、まだ言ってなかったから」
後ろ手にドアを閉め、高津はその場に留まる。
「夕貴の友達のことだったら、ちゃんとわかったよ」
再び暁は鼻をすすった。
「夕貴にはたいした友達なんてできっこないって事も知ってるけど」
「え?」
「みんな、耳が聞こえないって馬鹿にするし、嫌な男子だったらそれを理由に蹴ったり、女子だったら物を隠したり、無視したりするし」
「まさか」
「学童で去年そんなことあったって聞いた」
学童というのは働く親のために低学年の子供を預かる学校内施設だ。
「だからね、夕貴が来年傷つくのわかってるから、友達できるなんて言わない方がいいと思うよ。楽しみにしたら可哀想だし」
高津は肩をすくめる。
「ほんとにそんな低俗な奴らばかりなの?」
「……テーゾクって何?」
「ろくでなしとか下らない奴とか言う意味だよ。クラスに一人ぐらいはそういうのがいることはあるだろうけど、三十人とか四十人とか全部が全部、そんなじゃないだろ?」
「そりゃ、まあ」
「夕貴は可愛いし良い子だし、友達が一杯できると思うよ。特に女子には女子の友達って、やっぱり必要なんじゃない?」
「そうかな」
「男は乱暴な奴いるけど、女子は優しいからきっと大丈夫だって」
「あのね、知らないの? 女子のいじめって本当に怖いんだよ?」
高津は思わず笑った。
「何だ、お前、いじめられてんの?」
「僕はいじめられてないけど、カズ君は六人に囲まれて泣かされた」
「……夕貴はお前が思ってるより強いし、仮にそんなろくでなししかいないんだったら、そうなってから考えたらいいじゃないか」
高津は本題に入ることにした。