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夢の後に  作者: 中島 遼
19/61

噂話4

 遠藤はショートカットで体育会系な感じの三年目の女性だ。

「佐々木先生、ピッチは?」

「あ、そう言えばマナーにしたままだった」

「紀田さんから伝言です、内視鏡、患者さんがお待ちですよ」

「あ、いけね」

 慌てたように立ち上がって佐々木が出て行くのを見ながら村山はほっとする。

(……助かった)

 自分から言いだしたこととは言え、この収拾をどうやってつけようかと思っていたところだったのだ。

「今泉先生に頼まれたカルテなんですけど、どこに置いておきましょうか?」

「あ、もらっとくよ」

 分厚い束を預かり、今泉の机まで運ぶ。

 と、

「先生」

 振り向くと、遠藤がにっこりと笑ってポケットからチョコレートの入った袋を出した。村山の好きなリンドールの赤だ。

「どうぞ」

「え、いいの? ありがとう!」

 すると更に彼女は笑った。

「村山先生って、チョコレート出されるとすごく嬉しそうな顔をするって本当だったんだ」

「え?」

「それが面白いって、結構評判ですよ」

 そう言えば最近、誰彼なしにチョコレートをくれるような気がしていたが、そういうことだったのか。

「ごめん、次から気をつけるよ」

 遠藤は首をかしげた。

「どうして謝るんです?」

「だって、なんかさもしい感じがするから」

「何度も言うが、俺はお前のそういう卑屈なところが大っ嫌いだ」

「えっ!」

 跳び上がるほど驚くと、遠藤はチョコレートをもう一個机に置いた。

「……って、有名ですよ、明石先生に怒鳴られてた話。確かに私から見ても、村山先生は何だか優しすぎます」

「あ、ああ」

 何故か冷や汗がでる。

「でも、先生たちって仲悪いってずっと思ってたけど、本当は仲良しなんでしょ?」

「……別に良くも悪くもないけど」

「前は何だかぴりぴり感が伝わってきたけど、最近は二人して和んでません?」

「……そうかな」

「でも、不思議なことに、仲良しって具体例については外科より他科のナースの方が詳しいんですよね」

 何と言っていいのかわからなくて、チョコレートを開けて口に入れる。

「ね、いじわる言われながら耳引っ張られた先生が、悲鳴をあげながら勘弁してくださいって明石先生に哀願したって本当ですか?」

「っ!」

 せっかくのチョコレートが塊のまま、喉の奥に落ちていった。

「……それって誰から聞いた?」

「伝搬経路から推測すると、ソースは精神科です」

 村山がびくりと眉を上げると、遠藤は笑った。

「あ、やっぱりあそこが発信源なんですね」

 村山はインスタントコーヒーを入れるためにポットの側まで歩く。

「全部嘘だから。信じないでくれよ」

「もう手遅れです」

 遠藤はにんまりと笑った。

「先生って嘘つけない人でしょ」

 彼が自分のタンブラーにコーヒーと湯を入れた時、資料を抱えた明石が部屋に入ってきた。

 再び遠藤が明石に袋を差し出す。

「明石先生、お一つどうです?」

 すると明石は不機嫌そうな顔で首を振った。

「俺は甘いものは食わん」

「……ほんと、先生は愛想なしですよね」

 言いながら彼女は村山に手を振る。

「じゃ、お忙しいとこ、失礼しました!」

「あ、ちょっと待って」

 お返しに机からキャンディを出して放り投げると、彼女はとても嬉しそうな顔で受け取った。

「ありがとうございますっ! いただきますっ!」

 カンロ飴が好きなようで良かったと思う。

(……ふう)

 遠藤が出て行ったので、ようやく彼は椅子に座って事務作業に取りかかった。

 明石もどっかりと椅子に座る。

「佐々木は?」

「内視鏡の当番です」

「ああ」

 彼もまたカルテをせわしなげにめくった。

 その顔は心なしかほっとしたように見える。

 村山はコーヒーを一口飲み、そしてスピーディに日付から主診断までを打ち込む。

(合併症はなし、主な検査は、……え?)

 と、その時村山ははたと気づいた。

 今の明石の表情、それが示すこととは、

(……ひょっとして)

 聞いてみたいと思ったが、怖い顔で仕事をしている明石を見て村山は我慢した。

 とりあえず彼は目前のパソコンに集中する。

(……あ)

 数分すると明石が立ち上がってインスタントコーヒーを入れに行ったので、村山はそれを機に顔を上げる。

「済みません、一つ質問していいですか?」

 明石は何も言わずに頷きながら席に戻る。

「先生は佐々木先生と話をしてるときに俺が来たら、いつも出て行きますよね」

「何だ、知ってたのか」

 知ってたも何も、看護師の間で噂になるほど有名な話だ。

「何故なんです?」

 彼はじろりと村山を睨む。

「……奴の話は無意味な上に散漫で、俺の集中を乱す。しかも制止の言葉が通じない」

(……やっぱり)

 思わず笑いが表情に出てしまったのか、明石が怪訝な顔をした。

「どうした?」

「いえ」

 あんなに重かったものが、びっくりするほど軽くなったことに驚きを感じる。

「あの、先に言っておきますが、俺が先生を偉そうで鼻持ちならないって言ったってこと、そのうち噂で耳にすると思いますよ」

「……なんだそれは」

「言葉通りです」

 明石は肩をすくめながら、再び腰掛けた。

「……村山は人に媚びすぎていかん、と俺が言ったこともそうなるだろうな」

 村山は術式を入力する。

(内鼠径輪縫縮術……と)

「変ですね、それって、四月の終わり頃に耳にしましたよ」

「四月末? 外科の人間からか?」

「他科のナースです。人に媚びばかり売ってるいけ好かない男だと先生が言いふらしてるって聞きましたけど」

 明石はカルテに何かを書き込みながら眉間にしわを寄せた。

「インフルエンザより凄いな。潜伏期間もない」

「しかも強毒性に変異してますね」

「……それを言うなら強毒型だろう。一部の指摘だったのが全身の否定にまでなっている」

 明石が再び顔をしかめたとき、彼のピッチが鳴った。

「……はい、明石ですが」

 じっと内容に耳を澄ませていた彼は、最後にわかったと言って電話を切った。

「五分後に急性腹症の患者がやってくる。どうやら……」

「俺は駄目です、このあとすぐに肝生検があるんで」

「……誰もまだ何も言っていない」

「いってらっしゃい、気をつけて」

 ディスプレイに目をやったまま村山が手を小さく挙げると、明石は彼の頭を平手で一発はたいてから出て行った。


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