予兆1
形としては、夢の続きの続編となります。
よろしくお願いします。
テレビのニュースを見て高津は息を呑んだ。
「……細川が、逃げた?」
報道によると、村山がどんな手を使ってか手配をした警察官は、確かに彼を現行犯逮捕した。
たまたま近所に用事があって橋の上を通行していた男性(33)は、投げつけられた刃が腕に当たって軽い怪我をしたが命に別状はなかった。
(これ以上ないほどのエンディングのはずだったのに)
なのに細川は消えた。
彼を取り押さえ、手錠をかけようとした警官が、細川が近距離から投げつけた刃物で顔を怪我してひるんだ隙に逃げたのはわかる。
だが、あの界隈は確かに複雑な道になっているとはいえ、他にも何人かいた警察官に追われて逃げおおせるなんて不思議だ。
(……見失った、って言ってもな)
村山にメールをしようと携帯に手を伸ばし、そして高津はそれを引っ込める。
今きっと彼は、自分が細川とは赤の他人であることを演じようとしているはずで、そうしたら彼のメールは邪魔なだけだ。
だが、
(……機を見て逃げた細川はまだ捕まっていない)
本当にどうやって彼は警察官を撒いたのだろう。
(……他にも能力者がいたのか?)
犯人である細川は顔写真入りで指名手配されているが、高津の恐怖は消えない。
(……撮ったビデオ、公開してなくて良かった)
そんなことをしたら逆恨みで彼ら六人も襲われかねなかった。
今頃みんな、同じように思っていることだろう。
(でも、一番リスクが高いのは村山さんだな)
今回の件ではめられたとわかった細川は、あの粘度の高い性格からすると村山を執拗に狙うだろう。
高津はぶるりと身体を震わせる。
なりふり構わず頸部を狙われたら、いかな村山でも防ぎきれない。
(……冬ならマフラーとかもありだけど)
高津は乾いた喉に茶を流し込んだ。
(……あと、不安なのは暁と夕貴、だ)
二人は来週戻ることになっていた。
人質としても子供は価値があった。目をつけられたらどうしようと再び震える。
(……村山さんのことだから、ちゃんと連絡はつけるだろうけど、でも)
しばらくして暁から、家に戻ってきたと連絡のあった翌日の放課後、高津は部活をさぼって瀬尾家に向かうことにした。
(……村山さんだって忙しいだろうし、今は変な動きをしたくはないだろうから)
最近休みが多いので、次の試合のスタメンはちょっと無理かもしれないと思いつつも背に腹は変えられないと思う。
萌のクラスを覗いてみたが、彼女はどうやら一人でさっさと帰ったらしい。
(……まあいい)
何となく今日は一人で行った方がいいような気もするし……
「圭兄ちゃんっ!」
家に着くと呼び鈴を押すまでもなく、暁が家から飛び出してきた。
「おうっ、元気だったみたいだな!」
たった一ヶ月半程度会わなかっただけなのに、何となく暁は少し大きくなったように見えた。
後から大人ものの草履を履いて出てきた夕貴もそうだ。
「夕貴、こんにちは」
ゆっくりと口を動かすと、夕貴はにっこりと笑った。
良く見ると、左の耳に黒い耳かけマイクがあり、後ろの方に配線が伸びている。
「もう、聞こえるんだ?」
「……まだ、実際に耳が聞こえるようになるって実感するまでには二ヶ月以上はかかるそうなの」
奥から出てきた瀬尾に、高津は慌てて挨拶する。
「こんにちは、今日は突然お邪魔して済みません」
「とんでもない、この子たち、ずっと高津君たちに会いたかったみたいだから、こっちこそ嬉しいわ」
彼女は高津を家の中に招き入れた。
「萌ちゃんや、村山先生は?」
「萌は今日は置いてきました。村山さんは忙しいだろうから誘っていません」
跳び上がって背中によじ上ろうとする暁の頭を抑えつけながら高津は靴を脱いで家に上がった。
「お医者さまだから仕方ないですものね」
そう言った瀬尾の表情を見て、高津は微かに不安を覚えた。
かつての、まるで敵みたいに村山を睨んでいた彼女とはまるで別人に思える。
(……嫌なって言うほどでもないけど、妙な予感がする)
暁の腰をくすぐって床にひっくり返らせてから、高津は用意された座布団に座った。
「夕貴はもうリハビリみたいなことはしなくていいんですか?」
「週に一度は通わないといけないけど、こちらの言語聴覚士さんを紹介していただいたので、そんなに苦労はないわ」
(……あれ)
少し不思議に思って高津は夕貴をつくづくと見る。いつも穏やかに笑っているはずの彼女の表情が微かに固い。
「暁、高津君に甘えたいのはわかるけど、先に飲み物やおかしを運んできてからになさい」
瀬尾が言うと、暁は高津の背の上で万歳をした。
「わかった!」
暁は高津から離れると、台所の方に走っていく。
「ごめんなさい、あの子、相当嬉しいんだと思うわ。学校もしばらく休んでたし、知らない大人ばかりが周りにいたし」
「暁がいつもどおりで俺は嬉しいです。もちろん夕貴も……」
だが、見下ろしたその顔はやはり暗い。
「どうした、夕貴?」
言葉と一緒に手話も使って尋ねると、夕貴は真剣な目で高津を見上げて手を動かす。
〈……先生は大丈夫?〉
〈大丈夫って?〉
〈手は痛くない?〉
言われて初めて、高津は夕貴が村山の腕の怪我のことを知っているのに気づいた。
「大丈夫だったよ。長袖着てたし、それに腕に力を入れてたから、刃物もほとんど刺さらなかったらしい」
と、ぎょっとしたように瀬尾が高津を見た。
「村山先生が、お怪我?」
「あ、いや」
その強い眼差しに、なんとなく高津はどぎまぎした。
(……ったく、幼女や女子高生から、人妻まで)
腹が立つほど、罪作りな男だ。
「そのことで今日、様子を見に来たってのもあるんです」
夕貴に配慮して、瀬尾と話すときも手話と口の両方を使う。
「え?」
ペットボトルとコップを持ってきた暁からそれを受取り、瀬尾はオレンジジュースを注いで高津の前に置いた。
「どういうことなの?」
「……以前、この家を襲った男たちがいましたよね」
暁が自分の分のジュースを受取りながら頷いた。
「覚えてるよ、怖かったもん」
「その黒幕がこいつなんです」
持ってきていた新聞を鞄から出し、そこに載った顔写真を指で差すと、瀬尾は目を見開いた。
「まさか、この通りがかりの男性って」
「三十三歳のお医者さんです」
「……そんなことになってるなんて」
瀬尾は真っ青だ。
「先生からいただいたメールに、雨戸も全部閉めておくようにってあったのはそのせい?」
「村山さんは今回のこと、まだ説明してなかったんですね」
瀬尾は微かに頷く。
「戻って来次第、説明したいことがあるっておっしゃって、とりあえず戸締まりだけはしつこく念押しがあって」
「じゃ、ちょっとメール一本打っとこう」
高津は彼が今、瀬尾家にいる旨だけを村山にメールした。
携帯はつながらないのを知っていたので、病院にある彼専用端末のメアドにしておく。
(ま、緊急時なら許されるだろう)
思いつつも、なるべく私用っぽくないように取り繕ってはおく。