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来訪者


その日は、やけに慌ただしかった。


まだ太陽が昇り切らない早朝、少女は眠気眼を擦りながらふらふらと覚束ない足取りで屋敷のホールに向かっていた。最年少の女中にとって、早起きはまだ慣れないのである。


次から次へと出てくるあくびを噛み殺すと桃色の目尻に涙が溜まる。

少女、アンは下したてのブラウスの袖で涙を拭うと、廊下から望む風景を眺めた。そして、深呼吸。これが日課になって久しい。


外付けの廊下は少し寒いのが難点だが、見下ろせば村全体を一望できる。広大なランバン邸の中でもここは特にアンのお気に入りの場所だ。


ミンネルは世界で最も美しい村だ、とアンは自負している。

彼女の目には、木々や湖を覆う薄い霧が朝日を反射して、村全体が白く輝いて見えた。それに、村人たちはまだ誰も働き始めていない。

アンはうれしくなって、駆け足でホールへと急いだ。







ところが、アンが大ホールに辿り着くと、もうすでに女中全員が揃っていた。神妙な面持ちで何やら話し込んでいる。

遅刻したわけでもないのに、アンはなんだかばつが悪い気持ちになって、ホールの隅っこから様子をうかがった。


大勢の女中たちに囲まれている女中長マダム・モローは、ようやく参じた小さな女中に気が付くと声を張り上げた。


「さぁて、今日は忙しいですよ!

昨日も言った通り、ジラルド氏が正午にお見えになりますからね。お屋敷でお昼を召し上がってから、ミンネルの湖のほとりでスケッチをお書きになるそうよ。

ご予定の詳細は、ご到着さなってから旦那様とお決めになるでしょうけれど、お食事とお部屋の用意は万全にしなくてはいけませんからね。心して動くように。」


マダムはそう言うと、きびきびと女中たちに指示を与えた。流石、長年屋敷の召使いたちを束ねているだけあって、指示が的確で無駄がない。アンには、そんなマダムがとても楽しそうに見えた。

なにしろ旦那様もジュリアン坊ちゃまも気性がのんびりしてお優しいから、今日の様なたまの来客時にしか彼女の腕の見せどころがないのである。



アンは指示に耳を傾けつつ、ジラルド氏の記憶を探った。


旦那様と親交がある名高い画家さんである。彼は度々ミンネルを訪れては風景画を描き、アカデミーに出展している。此処の自然豊かな風景がお気に召したらしい。


彼の絵の特徴は、水のせせらぎや小鳥のさえずりが聞こえてくるような優美でさわやかな画風であるが、彼自身の気性はとても情熱的で若々しく、非常に野心的である。時代の風雲児とは得てしてそういった気性なのかもしれない。


ジラルド氏の経歴としては、数年前に≪ゴンドラから望む虹≫で一躍脚光を浴びたのだが...


そこまで考えるとアンは首をかしげた。

そういえば最近めっきり彼の噂を聞かなくなった。


(調子が悪いのかしら? )


片田舎の女中にはアカデミーとジラルド氏の複雑な事情など知る由もない。

わかることと言えば、ジラルド氏がもう何年もビロードを新調していないことだとか、靴がとてもすり減っていることくらいである。



「アンッ! 」


ぼんやりしているアンをマダムが叱咤した。

いや、口調は厳しくともその眼差しからは愛情が滲み出ている。アンによく似た若草色の瞳が少女を見下ろした。



「坊っちゃまが朝食をお召し上がりになったら、すぐに馬術のお稽古があります。あなたは坊っちゃまの馬具を用意なさい。

お稽古が終わったら、すぐに坊っちゃまの身なりを整えて“若旦那様”としてジラルド氏をお迎えしなくてはなりません。


あなたの責任はとっても重大ですよ!心得るように!」



「はい、マダム!」


アンは背筋をぴんと伸ばして返事をした。それを見た他の女中たちは少女の微笑ましい行動に思わず頬を緩めた。






          †          †          †




屋敷がそびえ立つ丘の麓では、村の女たちが染め物をしていた。

この時期に咲く青い花弁の染め物が、ミンネルの特産品のひとつであった。



「喜びにあふれた顔を見せるわ


   日向よりも日陰を愛すわ


     それもみな あなたを思ってのことよ....」



若い女たちは、水瓶の上で歌を口ずさみながらそのリズムにあわせて足踏みをしている。健康的なふくらはぎが、青く染まった色水の上で白魚のようにいくつも跳ねた。


年寄りやや子供たちは、地べたに座って花を分解していた。広げた麻の上に、染料になる花弁と、いらない雌しべや雄しべなどがバラバラに山積みになっている。仄かに甘い香りが漂う。





「 蔓のツルが木の枝を


   抱きしめるより


       もっと強く・・・・・・・、 

                  

              ・・・・・・・・・・・・・・・・、」



ふと、歌が途切れた。

女たちの注意が他所よそに移ったからだ。



彼女らのいる水場の脇の小道を、一人の青年が歩いていた。大きな荷物を抱えている。

女たちが各々腰を折って挨拶すると、男は軽い会釈を返して再び歩みを進めた。




「今のお方は、きっとジラルド氏だわ」


小さくなってゆく男の背中を見送りながら、彼が小脇に抱えている画材に気が付いた女が呟いた。



主人公の登場は次回です。

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