1-5.二つの神話
宿に着いた二人は、言葉少なに夕食を取ると、その場は解散となった。
余談だが、ジョヤがどちらの部屋で寝るかで揉めた時だけ、お互い言葉が増えた。
結局、トリ・トレの部屋でジョヤは一夜を明かした。
朝食を済ませた後、三人は再び、ヴァルシュの部屋に居た。座り位置は昨日と同じ。
今日のジョヤは、白い袖の膨らんだシャツの上に、ワインレッドのジャンパースカートを合わせている。胸元に同色のリボンが飾られており、腰の編上げは、彼女の細い腰を強調している。所々にあしらわれたレースが、その雰囲気によく合っていた。
「嬢ちゃんに今から言う事は、他人に絶対に話さないでほしい」
頭のいいこの子なら、危険性と、有益性を理解するだろう。それでも、きちんと説明した上で連れていくと決めたのは、一種の意地だった。グラッパ・トレもそれを知っているから、許可を出したのだろう。今頃、長老連中の集中砲火を浴びているに違いない。それでめげるアイツではないが。
「嬢ちゃんに対する予言が下っている。嬢ちゃんが神で、魔花と魔獣を統べる神になる、と」
無表情でヴァルシュを見つめるジョヤの瞳からは、考えは読み取れない。
「私は、神ではありません。それは魔花と魔獣に神の様に影響を与える存在だという比喩表現でいいでしょうか?」
「今のところ概ねそれでいい」
神という言葉について話したことはなかったが、食事の時に、神に祈る言葉や仕草を見て理解したのだろうか?……もう、ここまで来たら神でもなんでもいいんじゃないか?とヴァルシュは、投げやりな考えが頭によぎった。
一方、神ではないと言い切るジョヤに、トリ・トレは複雑な表情を浮かべる。目の前の存在と、神に対するギャップに色々葛藤があるのだろう。
「ここからは、一般的な話になるから誰かに話しても構わない。嬢ちゃんは予言の内容と、予言があったことを秘密にしてくれればいい」
言葉を区切り、ジョヤが頷くのを確認する。
「まず、トリ・トレはハンターであると同時に、魔獣使いだ。トリ・トレ悪いが、魔獣使いと、里、魔獣使いの信仰する神について話して欲しい」
「わかったわ」
こういう話は、専門家に任せたほうがいいだろうと、チェンジする。まだ表情は固いが、ジョヤの顔をみて少し落ち着いたのだろう、トリ・トレは心持ち表情を緩めて喋り出す。
「まず、私達、魔獣使いは決して魔獣を使役したりする存在じゃない。魔獣に拘束力は持つけれど、パートナーだと私は思っているし、そう教わるわ」
トリ・トレは、腰に下げた鞄から、大切そうに、表面がツルリとした胡桃の様な実を取り出す。
「これは、魔実と言って魔獣を収める実。魔獣使いはこれに、魔獣を収めたり、出したりできるの。そして、魔実に収められた魔獣は、一定期間一緒に過ごすと魔実と共に消える。還るって言っているわ。魔獣使いは、魔獣を還す事が使命だとされている。魔実に収められる魔獣の数は少ないから、全ての魔獣を還すことはできないけど」
そう言うと、丁寧に鞄に魔実をしまう。
「次に、里についてなんだけど……。ちょっとややこしくて、魔獣使いというのが本来の名称なの。魔獣使いという集団だって思ってくれればいいわ。魔獣使いは魔獣使いからしか産まれない。だから集まって暮らしているの。里全てが家族の様なもの、だから苗字がない。私の『トレ』というのは、『トレ』という流派のお勉強をしましたって意味になるのよ」
一旦そこでトリ・トレは言葉を区切り、表情を固くする。
「里の偉人がジョヤちゃんに、里に来て欲しいって言っているの。理由は次に話す神話が原因だと思う。魔獣使いに伝わっているお話をするわね。
むかしは、今よりも魔力が強い人が多くいました。
その人々は更に力を求めやってはいけないことをしまいた。
神はそれを見て、傲慢な人々に罪を与えることにしました。
その結果大厄災が起こり、人々は魔力を失い、罪として魔獣が生まれるようになりました。
魔獣は罪の証、悔い改めるまで救いは訪れません。
これが魔獣使いに伝わる神話。だから魔獣使いは魔獣に許しを請い、還すことを繰り返す。そしてもう一つ、魔獣使い以外の人に伝わっている神話がある、こっちはヴァルシュがお願い」
ヴァルシュは、ゆっくりと話しだす。
「魔獣使い以外の人間は、こっちの神話が伝わっている。
むかしは、今よりも魔力が強い人が多くいた。
その人々は更に力を求めやってはいけないことをした。
神はそれを見て、傲慢な人々に罪を与えることにした。
その結果大厄災が起こり、人々は魔力を失った。
そしてそれを忘れないように、傲慢な心を魔獣として生み出した。
傲慢な心の表れである魔獣を従わせ、打ち勝った時こそ、救いが訪れる。
……前半部分は一緒だが、魔獣に対する考え方が根本から違う。もし、本当に全ての魔獣を従わす力があるのであれば、里に行けば、救いを求められるだろう。が、その他の国であれば、魔獣を従わせ、良いように使われるだろう。その分待遇は格別だろうがな」
ジョヤは、静かに二人の話を聞いている。そんなジョヤに、トリ・トレが一瞬、逡巡するかの様な表情を浮かべ告げる。
「私は、ジョヤちゃんに、里に、神なんかに、関わって欲しくない」
「トリ・トレ」
ヴァルシュは、思わず声を掛ける。けれど、それに首を振ってトリ・トレは、静かに言葉を紡ぐ。
「お願い、ちゃんと話させて、ヴァルシュ。あのね……ジョヤちゃん。里は皆家族だって言ったけど、やっぱり実の両親はちょっと特別なの。私の両親は、何匹も魔獣を還した、強い、自慢の魔獣使いだった。でも、仕事中、魔獣に殺された。罪の証だから、それを皆しょうがないっていうの、あんまりじゃない? いつになったら私達は許されるの? 脈絡もなく、はい許しますって言うのだったら、どうして私のお父さんとお母さんが死ぬ前に許してくれなかったの? って思ってしまう。それなら、もういっそ、一生救われなくていい」
泣き叫ぶ時期をとうに過ぎたその感情は、その分、ギュッと押し込められ、深く静かだった。ジョヤの胸のに、痛みに似たものが走る。それがなんだか分からないまま、ジョヤは考えていた。人にとって最善の方法を。
ジョヤは、ゆっくり、まっすぐにトリ・トレを見つめる。その銀色の髪に窓から差し込んだ光があたり、キラキラと光る。
「トリ・トレさん、ジョヤは、里にいきます。人にとってそれが一番最善であると思われます」
トリ・トレは、そう……と言って、穏やかな、でも、諦めたそんな表情を浮かべる。
そんなトリ・トレに、ジョヤは言葉を続ける。
「でも、ジョヤは神ではありません。ジョヤはジョヤでしかありません。もし、魔獣がジョヤの命令を聞くのであれば、森の中で魔獣が襲ってくることはなかったはずです」
「じゃあ、どうして……?」
「確認の為です。予言は間違いかもしれません。その神話が誤りかもしれません。真実であれば、何でトリ・トレさんのご両親が亡くならないといけなかったのか、理由を確認できるかもしれません。ここにいても、それは分からないと考えます」
「そんなの、今更知ったって、戻ってこないじゃない……」
「戻ってこなくても、ジョヤが予言通りの存在なら、その神様に会えるかもしれません。会えたら、トリ・トレさんの代わりに怒ってあげる事ができます」
ジョヤにとって、トリ・トレも人だ。全ての人に最善の結果を。それが『除夜の鐘』の出した結論だった。
意外とこの中で一番冷静だったのは嬢ちゃんなのかもしれないなと、ヴァルシュはそれを眺た。
そして、こうも思う。トリ・トレも、里に連れて行くのが一番いいと分かっていたのだろう。けれど、それが両親に対する裏切りになるのではないか? と恐れていただけなのかもしれない、とも。
静かに、ありがとう、という、トリ・トレの背中をそっと撫でるジョヤは、心なしか優しい表情を浮かべていた。