1-3.かつて居た場所
約束した時間より少し遅れて食堂に現れたジョヤは、なんというか、可愛かった。
元々端正な顔だが、森の中で汚れが付き、髪も絡まっていた。
それが、汚れを拭き取られ、髪も編み上げられている。
薄い桃色を基調とした、花柄のワンピースはジョヤの華奢な肩や腰を強調している。
「ごめんね、少し手間取っちゃって、ジョヤちゃんここ座って。この服ね、宿の女将さんに貰っちゃった」
そう言うトリ・トレは、どうだ!と言わんばかりに顔をニヤつかせながら、ヴァルシュの隣に座る、ふりをして、ヴァルシュの耳に口を寄る。
「下着はピンクのひらひら買っちゃった」
ごほっ、ヴァルシュは飲んでいたコーヒーを気管に詰まらせた。何事かと真面目に聞いていただけ質が悪い。
「ヴァルシュ……大丈夫か? ふぐっ」
「いいから座ってろ」
顔を覗き込んでくるジョヤに、森で倒れていた時の姿を想像してしまい、トリ・トレを喜ばすだけだとは知っていながら、ジョヤの顔を押しやる。
「あー面白い、マスター今日のオススメ3つ。代金はヴァルシュにつけておいて~。ジョヤちゃん大丈夫、ヴァルシュはジョヤちゃんが可愛いから見惚れただけなのよ」
「ヴァルシュ、見惚れたか?」
ヴァルシュは、ここで何を言っても墓穴を掘るだけだろうと、あえて無視を決め込む。
「あ、ジョヤちゃん、年上の人の名前の後にはさんをつけるといいわよ? 例えば、ヴァルシュさん」
「ヴァルシュさん? これでいいか? トリ・トレさん」
「きゃっ、もう可愛い~。じゃあ、次はいいか? じゃなくて、いいですか? に変えてみようか」
「これでいいですか? トリ・トレさん」
「じゃあ次は……」
盛り上がるその様子を眺めることしかできないヴァルシュは、トリ・トレの目的に何となく想像がつきながらも、これが子離れを味わう親の心境かと物悲しいものを感じていた。けれど、結局どうすることもできなく、女将が食事を持ってくるまでトリ・トレによる丁寧語講座は続くのであった。
「この子、本当に昨日まで共通語喋れなかったの? ジョヤちゃん、この魚はこうやって骨を取ると簡単よ?」
ジョヤが初めて食べる魚に、悪戦苦闘しているのを助けながら、トリ・トレはヴァルシュに確認する。
トリ・トレは、ヴァルシュから頭がいいと聞いて、半信半疑で、いくつか言葉を教えて見たところ、学習スピードが想像以上に早い事に興味を持ち、また、母性本能を妙にくすぐるジョヤの可愛さから積極的に世話を焼いていた。
「ああ、聞いたこともない言語を喋っていた。トリ・トレ、この後用事があるか? 嬢ちゃんの事で、助けて欲しい事があるんだが」
ジョヤちゃんのことならと、トリ・トレは、にべもなく頷く。
食事を終えた後、場所をヴァルシュの部屋へ移す。
寝台にジョヤと、トリ・トレが座り、ヴァルシュは部屋に備え付けられている椅子に腰掛ける。
「重ね重ね済まないな、嬢ちゃんは言葉があんまり得意じゃないから、ここに来る前の事を確認するのを手伝って欲しい。嬢ちゃん、嬢ちゃんがシエトの森に来る前はドームにいたんだよな?」
「はい、ドームにいました」
「はいはーい、質問、ドームってどんな所なのかな? 見た目とか、場所とか」
「すみません、その質問には答えられません」
トリ・トレが手を上げて質問するが、予想しない回答が返ってきた。
「秘密ってこと?」
「違います、記憶がありません」
「記憶喪失ってこと?」
「記憶喪失とは記憶がないという意味でしょうか?」
「そうよジョヤちゃん、やっぱ頭いいわね」
「ありがとうございます」
素直なその姿に、トリ・トレは思わず頭を撫でてしまう。
「記憶喪失。ほとんど、その通りです。正しい言葉ではありませんが、そういった記憶はいつも、外にある、記憶を保存する場所に覚えていました。けれど、その記憶する場所が古くなって壊れたため、記憶を覚えることも、取り出すこともできなくなりました」
「記憶をどっか別の場所に置いておいて、自由に取り出しできたんだけど、その場所が壊れて、記憶を失ったってことか? しかし、その説明だと覚えることはできたんじゃないのか?」
「記憶の保存には約束があります。その約束は、ドームや幾つかの記憶は必ずその場所に保存しなければならないというもので覚えることもできませんでした」
ヴァルシュは自分なりに解釈してみるが、連れてきたトリ・トレに至っては、考えることを放棄したようでヴァルシュの話しを聞いてる。使えない……。と、ヴァルシュは、トリ・トレから引き継ぎ、質問を重ねる。
「全ての記憶が、そうなのか?」
「全てではありませんが、ほとんどの記憶が失われています」
この時、トリ・トレは、ありえないと思い、何か、理由があって嘘をついているのだろうか? と疑った。けれど、この場で問いただすのは得策ではないと、言葉を飲み込む。
一方のヴァルシュも、記憶操作系の魔法でも使ったのだろうか? と考えるが、検討がつかず、一先ず保留とすることにした。
記憶喪失か……。いきなり壁にぶちあたる。手を顎に当て、しばらく考えこむとヴァルシュは、質問を変える。
「では、覚えている事を教えて欲しい」
「質問が広すぎて、答えが難しいです。ジョヤ自身と、ドームに関する記憶について、という事でいいでしょうか?」
「ああ、それでいい」
しばらくジョヤは、作業領域にあるデータをピックアップし、解り易いように組み立てていく。
「まず、ドームについてです。どんな場所なのかという事については記憶がないと答えましたが、役割については説明できそうです。ドームは外と内を切り離して、内側に住む人々を、外に存在する悪いものから守る役割があります」
「嬢ちゃんが住んでいたところは、外に悪いものが存在していたのか?」
「その通りです。外の悪いものは人間を殺すので、悪いものが入ってこないように区切る必要がありました」
「悪いものって、魔獣のこと?」
ようやく、トリ・トレが得意分野だと思考の海から復活する。
「違います、それに当たると人は焼けただれ死にます」
「毒の様なものか、続けてくれ」
が、あえなく撃沈され、再びヴァルシュに主導権が移る。
「そして、そのように暮らしていた人も全て亡くなり、ドームはその役割を終えました」
「ちょっとまってくれ、嬢ちゃんはドームにいたんだよな? 人が全て亡くなったのだとしたら、嬢ちゃんあんたは一体何なんだ?」
矛盾する話に思わず待ったをかける。
「その当時の『除夜の鐘』は、ドームを管理する仕組みでした。人ではないと定義されていますが、人だと言う人もいました」
ジョヤは、最後に見た動画に出てくるタカシナを思い浮かべる。彼も亡くなった人に含まれている事に、この村を見た時に感じた、息苦しさに似た感覚を覚える。
「そこを詳しく教えて欲しい」
予想しない展開に戸惑いながらも、ヴァルシュは話を振る。
ジョヤは、108つの胎児の脳で出来たシステムであること、人を管理する役割のこと、役目を終えて停止した事、気がついたらシエトの森にいた事を伝える。
「……壮大過ぎるな」
「だめ、私もう死ぬ」
想像をはるかに上回る世界観に、二人の脳みそが湯気を立てる。
トリ・トレは、他人の寝台であるにも関わらず、そこに身を投げ出している。
「お疲れの所すみません。最後にですが、ヴァルシュさんや、トリ・トレさんはジョヤを元の場所に戻そうとしてくれてる、もしくは元の場所について知ろうとしていると感じていますが、恐らくそれは難しいと思います」
最後の気力を振り絞って二人は耳を傾ける。
「理由は、ジョヤがかつて居た場所と、この場所はとても遠く離れた場所にあるからです。かつての場所では、間違いなく人は全て死んでいます。ドームの中も外も全てです」