13 緊迫の会談
「誰に聞いたのじゃ? お喋りな侍女か? 心配性の爺か? それとも……?」
ピュオル公オリエルは声だけで周囲を圧倒させた。息子はその胸の中でヒッと悲鳴を上げ、能面のジュスですら頬に汗を浮かべている。
「ガルヴェイン、すまぬの。子供の浅知恵じゃ。悪く思わんでくれ」
「御意のままに」
無機質で事務的な答えに、彼が納得していないことは誰の目にも明らかだったが、オリエルは満足そうに頷いた。
「ほれ、お前はどうすればいいか分かるじゃろ?」
泣きじゃくるクローバーを諭し、半ば強引に頭を下げさせた。小さく「ごめんなさい」と鼻声が聞こえる。そしてぐずぐずと鼻を垂らしたままのクローバーをジュスに押し付けた。
「3人とも去りなされ。わらわと従者殿とで、大事な話があるゆえ」
きた。自然と背筋が伸びた。部屋を出ていくガルヴェインが心配そうに視線を送ってきたが、努めて明るく微笑んだ。
オリエルは王様椅子に悠然と腰かけ、私も促した。近寄るだけで重圧感がある。
「何もそこまで怯えなくとも、取って食いはせぬよ、従者殿」
くすくすと口元を揺らしながら、オリエルは落ち着き払った様子でコップに水を汲んだ。差し出されたコップを受け取って、手のひらが汗で濡れていることに気付いた。気圧されている。
「あれは上の姉妹と年が離れた末っ子での、つい甘やかしてしまった。許してたもれ」
「いいえ、私こそご子息に手を上げてしまい、失礼致しました」
「よい。そなたがしなければわらわが頬を張っておったわ」
ほほほ、と無邪気な子供のように笑った。
オリエルも迫力のある美人だった。同じ年頃で言えばでカドナ夫人も綺麗な人だったが、カドナ夫人が高貴な薔薇なら、オリエルは咲き誇るダリアだ。目を見張る美しさ、有無を言わせない圧倒的な存在感。膝を折らなければいけないような重圧を与える。個性的な古めかしい話し方でさえ、オリエルという存在を彩るツールの一つにしか感じられなかった。
このまま彼女に主導権を握られるわけにはいかない。私から何か話題を振らなければ。
「面会の機会を与えてくださり、ありがとうございます。ですが、何故会おうとお思いに?」
「一言で申せば、興味があった、からかな? アークレイムの坊やが黒の竜の従者がいる、などと幻想じみたことを申してきたからの、何事かと気になったわけじゃ」
アークを坊や扱いか。領主というより女傑と称した方がお似合いかもしれない。
「それで、従者殿はなにゆえ小娘を王に推すか?」
颯爽と主導権を奪われてしまった。しかもあっさり本題に。表情をこわばらせた私を、正直者じゃの、と楽しそうに茶化してきた。
「こう見えてわらわは忙しい身での。単刀直入に言わせてもらう。いくら陛下の血を引いていると言えど、それだけに過ぎぬ。政治のイロハも知らぬ、後ろ盾もない小娘より、優秀で支持者の多いレギアスが王位に就いた方が国としては安泰ではないのか?」
レギアス、に聞き覚えがなく、一瞬怪訝な顔を浮かべてしまったのがまずかった。目聡いオリエルはそこを見逃さなかった。
「ほう、敵の名も知らぬか。いささか勉強不足ではないかな、従者殿?」
流れでいけば宰相の名前以外何者でもないのに、何故反応してしまったのか。数秒前の自分を罵ったがもう遅い。気まずさから、コップの中で揺れる水に視線を落としてしまったのも決定的だった。オリエルの紫水晶の瞳が厳しく煌めいた。
「アークレイムとガルヴェインのことじゃ、さぞレギアスを悪く言っておろう。それを真に受けたか? レギアスの本分を知りもせず小娘に加担するとは、随分と偏ったお方じゃの?」
確かにオリエルの言う通りだった。
最初は宰相の人となりを気にしたはずだ。本当は宰相こそが良い人で、アークたちが私を―――黒の竜の従者が持つ影響力を利用して国を乗っ取ろうと考えているのでは、と疑ったはずだ。
その疑問を振り払ったのは何だった?
どうしてアークたちを信じようと思った?
水から視線を上げる。どうか、私の黒の瞳に迷いが浮いていませんように―――
「私が目覚めたのは、ガルヴェインの屋敷でした」
オリエルから、意地の悪い微笑が消える。隙の見せられない真剣勝負だが、不思議と恐怖はなかった。言うべきことは分かっている。鼓動は早いが緊張のせいではない。確信から来る興奮だ。頭はひどく冷静で澄み切っていた。そう、サラフィナに人工呼吸をした、あの時のように。
「私は、黒の竜から明確な指示をもらって来たわけではありません。宰相が王になるのが必定なら、私は彼の元に飛ばされたはずです。いえ、放っておいても今のままでいけば宰相が王になるでしょうから、そもそも私が降りる必要はなかった。私は産み出され、アークレイムとガルヴェインに出会い、サラフィナと出会いました。宰相よりも前に。それこそが答えです」
彼らを信じよう、と自分の心に誓ったはずだ。アークが言った『思うがまま』とはきっとそういう意味だ。
「……黒の竜からの指示がなかったというのに、そなたがそこまで言い切る根拠は?」
「野生の勘……でしょうか」
「野生の勘、とな」
「元は私、竜の鱗ですから」
我ながらうまく“なりきった”と思う。とどめににっこりと微笑むと、オリエルは軽快に笑い出した。
重圧で押しつぶされそうだった空気が、オリエルが喉を鳴らすたびに穏やかなものに変わっていくのを感じる。
「しかしの、従者殿。あの小娘が未熟ということに変わりはないぞ?」
「子供だから当たり前ですよ。正しく学ばせ、導いてあげればいいじゃないですか。実はピュオル公をお訪ねした理由は、サラフィナを指導していただきたかったからです」
「わらわが?」
頷くと、オリエルは黙って考え込んでしまった。視線は私に添えたまま、油断なく見据えてくる。対して、私の心は不思議なほどに凪いでいた。圧倒されていた鋭い紫の眼光も、今や胸の海が際限なく吸収していくようだった。
どれくらい見つめ合っていたのか、ふと扉を叩く音がした。それを合図に、オリエルが目を閉じ、立ち上がった。
「すまぬな、従者殿。次の予定の刻限じゃ。答えはしばし保留しても良いか?」
「もちろん、すぐにいただけると思っていません。後日出直します」
「それには及ばぬ。明日には結論を出すゆえ、この城に留まると良い。城内は好きに出歩いて構わぬ。必要であれば町へ案内人をつけよう」
町の探索はともかく、泊めてもらえるのはありがたい。素直にお礼を言ってお言葉に甘えることにした。
「従者殿、また夜に話がしたい。そなたとの会話は面白い」
「―――喜んで」
ご遠慮したい、と出かかった本音を作り笑いで覆い隠した。
オリエルが退室すると同時に、力が抜けて椅子にへたり込んだ。どっと全身から汗が噴き出す。一気に10年くらい老け込んだ気分だ。
嫌われてはいないと思いたい。私の言葉が間違っていないと信じたい。
とにかく今は、ガルヴェインに事の顛末を報告したい気持ちでいっぱいだった。コップの水を一気に飲み干す。すっかりぬるくなっていた水が喉を鈍く潤した。
一度深くため息をつき、ガルヴェインを探そうと立ち上がった時、合わせるかのようにドアがノックされた。
「は、はい」
入ってきたのは、今まさに探しに行こうとしていた人だった。
「ガルヴェイン……」
顔を見た途端気が緩んだ。フラフラと近寄る私を、がっしりとした両手が支えた。あまりに頼り甲斐のある力強さに感極まって泣きそうになるのは抑えたが、一世一代の大ボラを思い出し、今頃になって足が震えてきた。
「どうだった?」
「わ、分からない……嫌われてはいないと思うけど……うまくいったかどうか……」
一言一句ゆっくりと伝えた。ガルヴェインの眉間に皺が寄ったが、怒ってはいないようだった。
「充分だ」
「ほ、本当に……?」
「今まで面会すら叶わなかった人相手に、殿下の後見人を願い出たようなものだ。これ以上の成果はあるまい」
ガルヴェインの褒め言葉は私に安堵と勇気を与えた。夜もまた会談が催されるが、何とかなりそうな予感すらあった。ようやく私は笑顔になれたのだが、逆にガルヴェインの表情は険しくなった。
「……公との面会を剣呑にした要因は私にもある。すまない」
「何のこと?」
「子供が目の前で殴られていたら、大抵の親は気を悪くするだろう」
正直、今まで忘れていた。申し訳ないがクローバーのことを思い出すほどの余裕なんてなかった。
「大丈夫だと思いますよ。ピュオル公もあまり気にされている様子は見受けられなかったし」
「そうか……」
ようやく足の震えも収まり、ガルヴェインから体を離した。いけない、つい彼の胸に飛び込む癖がつきつつある。しっかりしなくては。甘えられる立場ではないのだ。
甘え癖を追い出すついでに、夜からの会談に向けて気合を入れ直す為に自分の頬を軽く叩いていたら、ガルヴェインはまだ穏やかならない雰囲気をまとっていることに気がついた。
「何か心配事でも?」
「……聞かないのか?」
「何を?」
本当にピンと来なくてきょとんと聞き返してしまった。彼が絶句していた隙に言いたいことに思い当たった。
「誰だって言いたくない過去くらいあると思いますけど……聞いてほしい?」
「いや」
彼が愚痴りたいというならお付き合いするつもりだったが、そんな素振りは微塵も感じられなかった。悪態とはいえ、人に反逆者呼ばわりされるほどの過去だ。無理に聞き出す必要のある楽しい話でもあるまいし、本当に彼が反逆者だなんて思いにくいし、気にしないことにしていた。
ありがとう、という小さな呟きは聞こえないふりをした。
ご覧くださりありがとうございます。
前の話を読み直して気がつきました。
すっかり忘れていましたが、応接室に通されたときにフードは取っていますよ、という微妙にどうでもいい情報を追記しようかどうしようか迷って放置。
完結したときにでも書き直す機会があれば追加します。