10 曲者
沈着冷静を心掛けているはずのアークレイム・カドナは、奇妙な格好で呑気に挨拶を送ってきた少女と、したり顔で少女と仲良く手など繋いでいる黒髪の女と、その後ろで申し訳なく畏まりながらもどこか投げやりな従兄を見て、全員殴り飛ばしてやろうかと戦慄いた拳を収めるのに必死だったという。
アークの城は、おとぎ話に出てくるような絢爛豪華な城ではなく、要塞に近かった。そもそも無骨な石造りで、高い城壁を構え城下町ごと囲い、背面は崖とうっそうとした森を有している。
後で聞いたが、バシュフミナ領はシルダーク王国の北方に位置し、その北側には強大な国力を持つ帝国が陣取っているのだという。一応は帝国と同盟関係にあるものの、いざ戦となればたちまち最前線の出来上がり、だそうだ。
「だからこそ無双が領内にいるんだけどね。ウチへの配属は、有り体に言えば左遷コースだ」
領主様は盛大なため息をつきながら説明してくれた。だからこそ宰相の隙をつけるのだ、とも。
城に到着した私たちはバラバラになり、私は奥の方の部屋へと連れて行かれた。外観は要塞だったが中は品の良い空間が広がっていて、その部屋も例外ではない。机とクローゼットとベッドしかない簡素な部屋だが、家具は繊細で慎ましやかなアンティーク調だし、ベッドに至ってはお姫様のような天蓋がある。物置やら野宿やらを強制されていた身としては、天国にも思える対応だった。
部屋に通されるなりひとまず湯浴みへと放り込まれた。城には多くの侍女がいるらしく、私には2名の侍女がつけられた。若く、純朴そうな子と、年かさの穏やかそうな女性だ。一応お断りしたが頑として聞き入れず、二人ががりで丁寧に身体を洗われた。入浴後は、ふんわりとした緑色の絹のドレスを着せてくれた。髪を結ってもらう間、「本当に黒なんですね」と若い侍女が好奇心に目を輝かせていた。
身支度が終わると、若い侍女に他の部屋へと案内された。道中幾人かの召使いとすれ違ったが、皆視線は結い上げられた黒髪だった。感嘆のため息を漏らす者、不審な目を向ける者様々だ。
連れて行かれた部屋はアークの執務室だったらしい。重厚な机の前に険しい表情で主が座っている。その横には影の如く仕える騎士が、これまた輪をかけて不機嫌そうに立っていた。今度はどんなお怒りが待っているのか。死刑執行を待つ囚人の気分だ。
人払いをし、気配が完全に消えたのを見計らって、アークは静かに口を開いた。
「さてマナミ。思っていた以上に状況は良い」
「……え? いいの?」
勝手な行動を怒られると思っていたので、拍子抜けしてしまった。
「庭で会うより命を救う出会いの方が運命的だろう? 現に殿下は随分と君に心を許しているご様子。喜ばしい限りだ」
じゃあ何でそんなしかめ面なんだ、と文句の一つも言いたくなる。
「生き返らせた、と聞いたが、どうやったんだ?」
「ああ……あれは前に講習を受けたことがあって……」
覚えている限りの心肺蘇生法を説明した。
「あちらの世界の住人は皆出来ることなのか?」
「どうだろう? 出来る人もいますけど、大抵は『知っているけど詳しいやり方は分からない』程度だと思います。私はたまたまやり方を覚えていただけで」
「……たまたま、ね……」
アークは背もたれに身を投げ出した。ぎしり、と椅子が軋む。そして窓の外へと視線を投げた。ぼんやりと景色を眺めるアークにつられて私も窓を見る。外は怖いくらいの快晴。遠くに爽やかな緑と色取り取りの花壇が広がっていた。アークのご母堂ご自慢の庭園だろうか。
「マナミ……君が何者であれ、黒髪である以上黒の竜の従者として利用しようとしていた」
アークがぽつり、と口を開いた。庭園から視線を戻し、正面を向くと、飄々とした薄い笑みのアークと目が合う。脇のガルヴェインも警戒してアークを見つめていた。
「正直、俺は黒の竜の従者が本当に国を救ってくれるとは思っていない」
「ええ、まあ、それは私もそうですけど……」
「ところがどうだ。君がガルの部屋に現れたその日、偶然にも俺はガルの屋敷に泊まっていて、偶然にも殿下が同じ森の同じルートを辿り、偶然にも賊に襲われ川に溺れ、偶然にも君は蘇生法を知っていた。……偶然がここまで重なると、もはや運命としか言いようがない」
運命、という言葉が重くのしかかる。実は私もそれを少し感じていた。習ったとはいえ心肺蘇生がうまくいったのも出来過ぎた話だし、何より一目でサラフィナに深い好意を持ってしまったことが気になっていた。抗えない『何か』がある。
「俺も信じてみるとするよ、黒の竜の従者様が起こす奇跡を」
「あ、あまりプレッシャーかけないでください……」
アークは軽快に笑った。裏表のない素直な笑みに、ほっと安堵の息が漏れた。彼の無邪気な笑顔を見たのは初めてだった。
「さて、では今後の動きについて説明しよう」
またも長い会議が始まった。
会議の内容をかいつまんで説明するとこうだ。
殿下はしばらくアークの城に滞在する。庭の観賞と銘打った作法レッスンの為だ。邪魔者がいない隙に、宮廷では宰相が自身の味方を増やさんと画策するだろうから、こちらも味方を増やそう、とのことだった。
味方候補のその人は、シルダーク王国の西部に位置するピュオルという領土の主で、王の古くからの親しい友人であり、名門の貴族であり、多くの有力者とも太いパイプを持つ権力者であり、大変な偏屈者……なのだそうだ。ぜひとも仲間に引き入れたいのはアークも宰相も同じことで、双方今まで何度も接触を試みたものの、「抗争に巻き込まれたくない」との一言で聞く耳を持たないそうだ。無理に押し通すなど出来ない。下手をすれば国王や国中の貴族を敵に回しかねないのだ……
「曲者ですねえ……」
「そう。重要だが危険な人物でもある。迂闊に接見も申し込めない。が、黒の竜の従者様なら可能と見ている」
嫌な予感に頬が引きつる。
「俺はここを離れられないから、お前たちが行ってきてくれ」
快晴にも負けない爽やかな笑顔で言われた。語尾に星でも飛んでいそうな軽いノリだ。
「無理で無謀な駆け引きを押し付けないでください」
「言っただろう、マナミ。俺は勝てない戦はしない。お前ならば大丈夫」
何を根拠に自信満々なんだこの人は。アークも同席して舌戦を繰り広げてくれるならまだしも、交渉なんてしたこともない私が、その偏屈者をどう攻略できると言うのだろうか。
「ただし、お忍びではない。殿下と出会いを果たした以上、お前の存在を大々的に吹聴する。数日後には陛下や宰相の耳にも届くはずだ。これまで以上に危険な旅になるだろうから、ガルは一層警戒してくれ」
「承知」
「ち、ちょっと待って」
「何だ、従者様? 国一番の騎士の護衛では不満かな?」
「そこは頼りにしてます。そうじゃなくて、具体的に私はどう説得すればいいんですか?」
アークはとても面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした。ガルヴェインが突然咳払いをしたが、喉の調子でも悪いのだろうか。
「何も」
「何もって」
「お前も言っていただろう、偏屈で曲者なんだ。小細工は通用しない。お前が思うがままに行動すればいい」
無慈悲にも丸投げされてしまった。対策も立てられないほどピュオル公とやらが変わり者なのか、私を随分と買ってくれているのかは分からない。恐らく前者だと思うが。
「ただし、一人で出歩くなよ。お前はどこに行っても注目を浴びるし、黒の竜の従者を好意的にとらえる人ばかりではないんだ」
「分かっていますよ。私だって土地勘のない所をうろつくなんて出来ません」
森での出来事を思い出してか、ガルヴェインが軽く睨んでいたが、気づかないふりをした。今後気を付けよう。
「あ、でも……女性が嫌いなガルヴェインが私と二人旅なんて大丈夫なんですか?」
森の強行軍は文字通り強行過ぎて他者を案ずる余裕なんてなかったが、今回は急ぐ旅でもなさそうだ。長く一緒にいても大丈夫だろうか。彼の女嫌いがどの程度のものかは分からないが、話すのも嫌なら距離を取ろうと慮っての発言だったが、当のガルヴェインは意外そうに目を丸め、隣のアークはいたずらっ子のようにニヤニヤと口元を緩めていた。
「……余計な心配は無用だ。仕事に私情を挟むつもりはない」
言うなり、失礼する、と退室してしまった。扉が閉まるのを待ち、こらえきれない様子でアークが吹き出した。
「気にしなくていい。照れてるだけだ」
「な、何で照れるんですか」
「案じてもらえるなんて思ってなかったんだよ。俺だって意外だった」
「だって、嫌いなものと長時間一緒にいるのは苦痛でしょう?」
笑い過ぎたのか、アークの目尻に涙すら浮かんでいる。手でこすりながらだんだんといつもの飄々とした顔つきに戻っていった。
「本当に嫌いだったら手の届く位置にすら近寄らせないさ」
ふと、森で頭から抱え込まれた情景を思い出した。暖かな胸の感触が蘇ってきそうだったので、慌てて脳裏から消し去った。
「女嫌いというか、女で懲りているんだ。打算も私欲もないお前なら大丈夫だろう」
アークの言わんとしていることは、大方予想はつく。美形で、騎士様で、無双と謳われるほどの人で、アークと母方の従兄弟同士というなら彼の母親も侯爵家出身というわけで、家柄だって申し分ないだろう。例えるなら、年収1000万のエリートに群がる女性たちに悩まされてきたようなものだ。想像に難くない。
「天下の無双殿に護衛をしてもらえるなんてラッキー、というのは私欲?」
領主様は今度は遠慮せず高らかに笑った。
部屋へ戻ろうと歩いていると、私が出るのを待っていたのか、ガルヴェインがいた。出発が3日後だと告げると、そうか、と気のない返事だった。
「……どうかした?」
何も答えず、私を部屋まで促した。仕方なく一歩離れて従った。召使いたちが遠巻きに私たちを好奇の目で見ている。ガルヴェインが女性といるのが意外なのか、その相手が黒の竜の従者なのが意外なのか。どちらもかもしれない。
「アークが、他人に信頼を寄せるのは珍しいことだ」
ぼつり、と小さく呟いたので、聞き逃しそうになった。注意を召使いからガルヴェインに向ける。
「基本的にあいつは何でも一人で出来てしまうから、他人を頼る必要がない。そのあいつが、君には心を開いている」
「そ、そうですか? あんまりそう見えませんけど……」
無理難題を押し付けての放置プレイだ。親しい人にする行為とは思えない。ガルヴェインは軽く苦笑し、それがあいつなんだ、と肩をすくませた。
「……アークを助けてやってくれ」
「私に出来る限りは。でも私じゃ迷惑しかかけないと思いますよ」
「少なくとも、今後は動くなと言われたら勝手に動き回らないでいただきたいものだ」
「す、すみません……」
森での行動をまだ根にお持ちらしい。結果的にサラフィナが助かったから良かったではないか。
話をしているうちに私にあてがわれた部屋まで来てしまった。最初の頃に比べると、彼と一緒にいることに抵抗がなくなっていた。恐怖はもはやない。不機嫌そうに睨まれることはあるが、そこに敵意を感じなくなっていたからだろう。
「では失礼する」
「ガルヴェイン」
呼び止められ、意外そうに振り向いた。深い意味はなく、聞きたいことがあった。
「あなたは、どうなんですか? 私のこと、黒の竜の従者だって信じています?」
あのアークが信じるというなら、ガルヴェインはどうなんだろう、と。軽い疑問だった。私自身、未だに自分が『そう』なのかは分からない。それが不安だったのかもしれない。慎重で警戒心の強い彼の信頼を得ることで、心の支えになるような気がしたのだ。
ガルヴェインは2秒ほど無言で私を見つめ、不意にふっと表情を和らげた。
「私は既に、君に誓いを立てている」
その笑みがあまりにも柔らかく、見つめてくる深緑の瞳があまりにも穏やかだったので、私の意識はそこにすべて奪われ、彼の言葉の意味を掘り下げることをすっかり失念していた。
毎回毎回ご覧くださり、本当にありがとうございます。