⑦レオルドルート_接触
朝のやわらかな日差しが、窓から差しこみ、
長いダイニングテーブルの上をすーっとなぞっていく。
磨かれた銀食器と、真っ白なシルクのテーブルクロスが光を返して、きらきらと眩しい。
食器同士が触れ合うこともなく、ぴたりと並べられたカトラリーは、まるで展示品のようだった。
「おはよう、レオ」
ダイニングに入ってきたレオに、私はいつもより少しだけ明るい声で挨拶する。
レオは扉の前でぴたりと止まり、ほんの一瞬だけ目を丸くした。
すぐに表情を引き締め、いつもの無表情に戻ると、小さな声で、
「おはようございます、姉上……」
とだけ言い、私の向かい側の席に静かに腰を下ろした。
この普段用のテーブルは、最大三〜四十人は座れるほど大きい。
日常では端に数人分だけ食器を並べて座るのが普通だけれど――
それでも、向かいに座るレオとの距離はかなり遠い。
テーブルの中央には、等間隔に花瓶が置かれ、季節の花がささやかに彩りを添えている。
そのせいで、広い部屋と大きすぎるテーブルが、かえって私たちの距離を強調しているようにも感じられた。
この場にいるのは、私とレオ、そして使用人たちだけ。
ヴァルデン家では、父も母もいつも忙しい。
とくに母は仕事の関係で長く家を空けることも多く、「家族そろっての食事」は意外なほど少ない。
今週末に皆で夕食がとれそうだ、というだけで、前もって執事から連絡が入るくらいだ。
それも、週に二、三度あればいいほう。
とくに朝食に関しては、ここ数年、家族そろって席についた記憶はほとんどない。
お互いの予定を考えれば、「全員そろって朝食を」という考え自体が、非現実的だった。
少し時間を合わせれば、誰かと一緒に食べること自体は不可能ではない。
けれど私は、昔から朝が得意ではない。
目は覚めていても頭が働かないし、家の中とはいえ伯爵家の娘としてある程度きちんとした身支度が必要だから、どうしても用意に時間がかかる。
そんな事情もあって、私はいつも自室で朝食をとっていた。
侍女に髪を簡単にまとめてもらいながら、書類を読みつつ軽くパンを口に運ぶ――そんな味気ないけれど効率重視の朝が、いつもの形だった。
だから、今日こうしてレオと一緒に朝食をとるのは、正直かなり「手間のかかる予定」だ。
いつもより早く起き、湯に浸かり、
侍女たちに髪を整えてもらい、化粧を施し、ドレスに着替える。
そこまでして、ようやく今ここに座っている。
それでも朝を選んだのは、何より「時間の読みやすさ」のためだ。
訓練や勉強、面会などで埋まる昼以降と違い、朝食の時間だけは、お互いに日課として必ず訪れる。
――場は整った。
次にどう話しかけようかと考えていたところで、ちょうど料理が運ばれてきた。
白いクロスの上に、銀の蓋つきの皿が静かに置かれる。
一呼吸おいてから、侍女が同時に蓋を持ち上げた。
立ちのぼる湯気とともに、香ばしい肉料理の匂いがふわりと広がる。
「あら、レオ。朝からずいぶん肉が多いメニューね」
私はナイフを持ちながら、軽い口調で声をかける。
「朝は栄養を吸収しやすいから、そのあとの動きを考えると、穀物や果物も増やした方がいいと思うけれど?」
レオは食事に目を向けながら淡々と答えた。
「この後、訓練が続きますので……」
相変わらず抑えた声色で、向かいの私とは目を合わせないまま、皿に視線を落とす。
「朝のうちに肉を入れておいたほうが、その後の持ちがいいんです」
そう簡潔に説明すると、すぐに黙々と食事を続けた。
(……本当に、生活そのものを“訓練の燃料”として扱っているのね)
「今日はどの訓練? 剣? それとも魔力制御?」
レオはナイフとフォークを動かしたまま、答える。
「基礎魔力の鍛錬です。
魔法自体は、上級まで出せるようになりましたし、威力も問題ないと言われますが……
実戦では、うまく扱えていませんので」
表情はほとんど変わらない。
けれど、その言葉の端には、少しだけ悔しさがにじんでいるように聞こえた。
(やっぱり、そうなっているのね)
レオは――魔法を使った模擬戦では、弱い方だ。
「才能がない」という意味ではない。
むしろ魔力量だけを見れば、魔術師の中でもかなり上位に入る。
それなのに「弱い」と感じてしまうのは、
彼が魔法の本質を少し誤解しているからだろう。
世間ではどうしても、「どれだけ強い魔法を撃てるか」が重視されがちだ。
どんな大きさの火球が出せるか、どれほど分厚い氷壁を作れるか――
派手で高位の魔法ほど称賛され、わかりやすい武勲として語られる。
とくに貴族社会では、「誰がどんな強い魔法を習得したか」という話題が、社交の場でよく飛び交う。
でも、実際の戦闘で必要なのは、必ずしも「威力の高さ」ではない。
魔獣相手なら、よほどの上位種でない限り、中級程度の魔法で十分倒せる。
要は、早く弱点を突き、動きを止めて、確実に仕留めればいい。
そのために必要なのは、「過剰な破壊力」ではなく――
・状況に応じて適切な魔法を選べること
・狙った場所に正確に当てられる制御力
・それを何度も繰り出せる手数
といった部分だ。
対人戦ともなれば、その重要度はさらに上がる。
相手が魔法について何も知らないなら、初級魔法ひとつでも命を奪うには十分だ。
火花ひとつ、風刃ひとつで、人間の身体は簡単に傷つく。
けれど、相手も魔法を知っている場合――
魔法は「対処される前提」で考えなければならない。
こちらの魔法を、相手がどう防ぎ、どう避けてくるのか。
こちらの属性やクセを、どれだけ早く見抜かれるのか。
魔法戦は、「どう対処させるか」「その先をどう潰すか」の読み合いだ。
そうなると、真正面からの一撃の大きさよりも、
駆け引きや緻密さ、手札の多さの方が、ずっと重要になってくる。
――にもかかわらず。
レオは、ひたすら「威力」にこだわっている、と何人もの教師から報告を受けている。
魔力の込め方ばかりに意識が向かい、
基本的な制御や応用の練習には、いまひとつ身が入っていない、と。
(これは、私がうまく導いてあげる必要があるわね)
そう考え、ため息をつき、口を開こうとした瞬間。
『ストーーーーップ!!』
頭の中で、リカが大声を上げた。
『今、絶対なんか余計なこと言おうとしたでしょ!』
唐突な制止に少し驚きながらも、私は表情を崩さないよう気をつけつつ、言葉を選ぶ。
「基礎魔力の鍛錬は大事よ。
魔法は、対人戦だと“技量と手数”がものを言うわ」
「変な癖がつく前に、しっかりした土台を作っておきなさい。
――よければ、私が少し教えてあげましょうか?」
できるだけさりげない調子で続けると、そこでようやくレオが顔を上げた。
淡い蒼の瞳が、一瞬だけ私を捕らえる。
けれど、すぐに視線は少し横へ逸れた。
「……姉上が、ですか?」
かすかな声。
「ええ。私、一応、土属性魔法においては王様から名誉勲章もいただいているのよ?
そんな私から教わるのだから、きっと良い成果が出るはずだわ」
『ピピーッ!! ストーーーーップ!!』
頭の中で、リカが再び笛を吹くような勢いで叫ぶ。
『だからその言い方がマズいの!!
今の完全に“すごいでしょアピール”だったからね!? レオくん相手にそれは地雷!』
レオは、手に持っていたナイフとフォークを一度皿に置き、
空いた指先で、ゆっくりとその柄の部分をなぞった。
落ち着いているようでいて、どこか迷っているような仕草。
レオがストレスを感じた時、よく見せる癖でもある。
「……姉上のご実績については、よく存じ上げております。ですが……」
そこで言葉を切り、ちらりと私を見る。
『あれ、“断りたいけど断れないときの顔”だよ……』
リカの声に、私はようやく自分の言い方のまずさに思い当たる。
(……これは、たしかにそうかもしれないわね)
少し間を置きながら、どうやって話を収めるかを考える。
(たしか、今日の午後一番には――)
昨日見た予定表を思い出す。
父の面会スケジュール、母の社交……その端に、小さく書かれていた一文。
(“婚約候補”の令嬢との会食、だったわね)
この予定と、私の提案をわざと重ねる形にすれば、
レオにとっても断りやすいはずだ。
こちらから提案を引っ込める選択もある。
けれど、何の落ち度もない状況で自分から引くのは、相手への過剰な譲歩――
つまり、「不必要にへりくだる」ことになってしまう。
たとえ家族であっても、立場上それはあまり良い手ではない。
(だから――私は“正しく”提案する。
そのうえで断るかどうかは、レオ自身に選ばせる)
そう決めて、私は穏やかに口を開いた。
「訓練の件だけれど――今日の午後一番ではどうかしら?」
レオの方を見ながら、ナイフとフォークを皿の端に揃える。
「姉上……その時間帯は、婚約者候補であるサスペンハート家の令嬢との会食が入っています」
少し間をおいて返ってきたレオの声は、いつもよりはっきりしていた。
その端正な顔には、ごくわずかな緊張と――それを上回る安堵が浮かんでいた。
今朝の彼の表情の中では、それが一番「嬉しそう」であるかのように
こちらとしては、あくまで「断らせるつもり」での提案だった。
紅茶をひと口飲みながら、自然な流れで言葉を交わし、予定があるからと断られる。
ただそれだけのはずだったのに――
(……そう、ね)
ぼんやりと分かっていた事実を、改めて言葉として突きつけられたような感覚。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
それが何に対する感情なのか、うまく言葉にできない。
落胆とも、呆れとも、孤独とも違う、やっかいで扱いにくい何か。
(最初から“断られるように”仕向けたのは、この私なのに)
自分で自分に苦笑したくなる。
「そう。それは残念ね」
紅茶のカップをそっとソーサーに戻し、できるだけ平坦な声で告げる。
「じゃあ、訓練はまた別の機会にしましょう」
「令嬢との会食があるのなら、午前の訓練はほどほどにしておきなさい。
疲れた顔で行くのは失礼よ。それと――その髪型、今の流行とは少し違うわね」
レオの前髪から頬へと流れるラインに、さりげなく視線を向ける。
きちんと整えられてはいるけれど、今の若い貴族たちの間で流行している、軽やかなスタイルとは少し違う。
真面目で実直そうには見えるが、どこか地味で固い印象が残る。
「あとで、手の器用な小姓をつけるから、少し整えてもらいなさい。服装も含めて、第一印象は大事よ。
ヴァルデン家の名を背負って会うのだから、なおさらね」
「……承知しました、姉上」
レオはわずかに姿勢を正し、礼儀正しく返事をする。
(――ああ、そう。これが今の、私たちの距離なのね)
私はナイフとフォークを置く。
皿にはまだだいぶ料理が残っていたけれど、これ以上は喉を通らない気がした。
「ごちそうさま。私はこの辺で十分だわ。部屋に戻るわね」
できるだけ事務的な声で告げ、椅子を引いて立ち上がる。
椅子がきしむ音と、ドレスの布ずれの音が、やけに大きく響いたように感じられた。
「それじゃあ、良い一日を。午後の会食、失礼のないようにね」
「はい。姉上も――」
レオが何か言いかけたけれど、私は軽く会釈することで、その続きをやんわりと断った。
これ以上ここにいたら、余計な一言を口にしてしまいそうだった。
「――失礼するわ」
形式通りの挨拶だけして、食堂を後にする。
石造りの廊下に自分の足音が重ねられるたび、
さっきの会話が頭の中で何度も再生されて、胸の奥がじわじわと重くなっていく。
(……今は、これでいい。今の状態で無理に踏み込んだって、たぶんもっと拗れるだけ)
そう自分に言い聞かせるしかない。
理屈としては、間違っていないはずなのに。
喉の奥に貼りついたような苦さは、どうしても消えてくれなかった。
『マティルダ……なんか元気ないけど、大丈夫?』
まだ少し薄暗く、人の行き来も少ない朝の廊下に、
リカの声だけが、妙にはっきりと響いて聞こえた。




