⑥レオルドルート_計画
『なによあれーーー!!!』
大魔法の訓練を終えて部屋に戻り、しばらく経ったころ。
外はすっかり夜で、窓の外には濃い紺色の闇が沈んでいた。
静かな空気を破るように、頭の中でリカがいきなり叫ぶ。
私は控えていた使用人たちに「もう下がっていいわ」と軽く告げ、
一礼して出ていく背中を見送る。重い扉が閉まり、部屋に私ひとりだけになったところで、ようやくリカと向き合った。
「全然話しかけてこないから、干からびちゃったのかと思ったわ。
あれは土属性の最強魔法よ。見るのは初めてだったんじゃないかしら?」
からかうようにそう言いながら、小さな水球を魔法で作ってみせる。
すると即座に、噛みつくような声が飛んできた。
『私はマティルダに魔力を供給してないから、魔法を撃っても干からびないから!!』
『魔法の中身も気になったけど、今はそこじゃないの!』
そこで一度言葉を切り、トーンが少し低くなる。
『弟くんへのあの態度、何なの? 仲良くなる気、なくない??』
私は肩をすくめ、机の上の指先を組み替える。
「あれは、ただ“大魔法”を見せてあげただけよ。
人の魔法を見るのも立派な勉強だもの。
魔力の流れや変換の手際は、実際に“見て”盗むものだわ」
椅子の背にもたれ、肘掛けを指でとんとんと叩きながら続ける。
「それに、大魔法を人前で使うなんて、そうそうないのよ。
腕の立つ魔術師ほど、切り札みたいな術は滅多に見せない。――今日は、かなり“サービス”したほうだと思うけれど?」
『そういう話をしてるんじゃないの!!』
リカが、机を叩きそうな勢いで叫ぶ。
『魔法自体は本当にすごかったよ!? 私も見てて感動したし!』
そこまではあっさり認めたあと、きっぱり声色を変える。
『問題は、その“あと”!』
一拍おいて、さらに強めに続けた。
『弟くんへのフォローゼロ! 労いゼロ! 一緒に何かしよって提案もゼロ!!』
私は少しだけ眉を寄せる。
「でも、“大魔法”を見せただけでも、十分な刺激にはなったはずよ。
あれを見て、自分との実力差を感じたでしょうし、それが成長のきっかけになるわ」
『はぁ? 真面目に言ってる??』
さっきまでの騒がしさとは違う、冷めた鋭さが混じる。
『魔法がすごいのは分かった。でもさ――
弟くんの“顔”、ちゃんと見てた?』
(私と視覚情報を共有しているのに、良くそれをいえるわね)
そう喉まで出かかった言葉を飲み込み、訓練場でのレオの様子を改めて思い返す。
汗で少し乱れた前髪。
きちんと手入れされた訓練着。
姿勢は真っ直ぐで、礼儀も崩さない。
――けれど、私が大魔法を撃つと言った瞬間。
ほんのわずかに視線を揺らし、すぐに感情を消したような目をしていた。
(……たしかに、“目で見て覚える”のは、私も得意じゃなかったわね)
「そうね。じゃあ明日は、私がレオに“直接”魔法を教えてあげようかしら」
言った、その瞬間。
『なーーーんにも分かってない!! しばらく接触禁止!!』
「意味が分からないわ。弟と“もっと接して”って言い出したのは、あなたでしょう?」
思わず声が少しだけ硬くなる。
それでも、リカの方はさらにヒートアップしていた。
『弟にマウント取って何が楽しいの、このすかぽんたん!!』
『少しは、弟くんの気持ちも考えなさい!』
「すか……?」
聞き慣れない罵倒に、思わず笑いそうになるが、
リカの声音には冗談だけではない“本気の怒り”が混じっていた。
(マウント、ね。“自分が上だって見せつける態度や行動”のことだったわね)
私は背もたれから身を起こし、机から視線を外して問いかける。
「……具体的に、どのあたりが“マウント”なのかしら」
できるだけ落ち着いた声で聞くと、リカは大きく息を吸い込んで――
『まずね!』
と、指をぴしっと立てるような勢いでまくしたて始めた。
『弟くん、明らかに“緊張してた”し、“疲れてた”よね!?』
『そこに突然、完璧なお姉ちゃん登場。超絶大魔法ドカーン! 兵士たち大歓声! 「どう? これが大魔法よ」って、どや顔!』
(どや顔、というのは、たしか「どう、すごいでしょ」と誇らしげに見せつける表情だったかしら)
「そんな顔はしてないつもりよ」
『態度と空気が完全にそれだったの!!』
リカは容赦ない。
『締めのセリフも、「兵を労え」「精進しろ」「大魔法が使えるようになりなさい」でしょ?』
『それ、“優しいお姉ちゃん”じゃなくて、“圧倒的スペックを見せつけて去っていく上位互換”の嫌味なやつなんだよ!!』
言葉に詰まる。
『弟くんから見たらさ――』
リカは少しだけ声を落とした。
『「姉上はすごい。自分はまだ全然足りない。期待には応えなきゃいけない。だけど怖い。距離はある」
そんな気持ちでぐるぐるしてるの、見てて分かるんだよ』
『“すごいところを見せる”ことがだけが悪いわけじゃない。
そのあとに“同じ目線の一言”とか、“ほんの少しのねぎらい”とかが一つもないのは、相当重症よ』
リカの怒りは、感情的というより、どこか“レオ側”に立ったものに聞こえた。
そこから先、リカの説明はかなり長くなったが、かいつまんでまとめると――
●レオは、次期領主の責務を背負っている。
朝は剣、昼は学問と政務や魔術、夕方は社交。余白がほとんどない生活。
●それでも、彼はそれを投げ出さず、黙々と積み重ねている。
ただ、“姉である私”と比べられることが、常にセットでついて回る。
●周囲の一部は、「姉の方が領主向きなのでは」と噂している。
その空気は、レオにとって確実に“毒”になっている。
●結果としてレオは、「感情を出すのは子ども」「中途半端な成果は恥」と思い込むようになり、
人前でほとんど感情を見せなくなっていく。
それがじわじわと、自尊心を削り続けている――
ということらしい。
『で、そういう背景がある中で、今日みたいな“大魔法ショー&上から目線アドバイス”をやっちゃうとね』
『そりゃレオルドくんは姉のことを怖がって避けちゃうよね』
リカはそう締めくくり、ようやく口を閉じた。
(……つまり、“彼女の知っている悪い未来”の一因が、私のあり方にもある、ということかしら)
恐らく、学園に入ってからのレオは、今以上に感情を出さなくなり、
「冷徹」と呼ばれるほど、自分を押し殺してしまうのだろう。
その抑え込まれた感情が、どこかで爆発する。
ルートによっては、それがそのまま悪い未来につながる――と。
私はしばし黙り、できるだけ冷静な口調で返した。
「まず前提として、レオは十分優秀よ」
「私と比べたら見劣りしてしまうところがあるかもしれないけれど、
同年代の中で考えれば、突出している方だわ」
それは、身内びいきではなく、
模擬戦の成績や試験結果、教師や教育担当者の評価を総合しても出てくる結論だ。
「しかも、あなたの“物語”の話でも、レオは“劣等感をバネに”学園でも訓練を続けていたのでしょう?」
「重圧で完全に潰れるのではなく、それを力に変えて前に進もうとしている」
そこで、一度区切る。
「だとしたら、悪いことばかりではないわ」
「劣等感や悔しさから努力するのは、そんなに珍しいことではないでしょう?
むしろ、それを原動力にできる人間は、強いわ」
「それを全部取り除いてしまって、レオの成長まで止めてしまうほうが、私は心配よ」
レオが「折れてしまう」未来は避けたい。
でも、彼自身は努力をやめていない。
(多少“嫌われ役”を買うことになっても――
その結果としてレオが強くなれるなら、姉として受け入れてもいい範囲かもしれない)
さらに、領主の話に触れる。
「それに、“家督”の話だって似たようなものよ」
「この国では、女性が正式に領主の座に就いた例はほとんどない。
あったとしても、非常時に一時的に政務を預かる程度」
「私自身、継ぐつもりはないし、父様もそう考えていない。
周りが何を言おうと、実際の線引きはそこにあるわ」
「……だからこそ、“周りの声”を過剰に気にする必要はないの。
誰が何を囁こうと、見当違いな噂話は“雑音”として流してしまえばいい」
「レオにも、そのくらいの割り切り方を教えればいいだけじゃなくて?」
そこまで言ったところで――
『やっぱりなーんにも分かってない!! はぁ……もう知らない!』
リカが、半ば悲鳴のような声を上げた。
『そういうとこなんだよ、すかぽんたん!!』
吐き捨てるように叫ぶと、リカの声は、ぷつりと途切れた。
(……エネルギー切れ、ね)
私は小さく息を吐き、ベッドの端に腰を下ろす。
さっきのやり取りを頭の中で反芻しながら、
レオとの関係を変えるための「次の一手」を考え始めた。
まず、リカから聞いた情報と、私の知っているレオの姿を照らし合わせる。
レオは昔から、おとなしくて真面目で、努力家だった。
けれど――今のように、ほとんど口を開かず、
自分のことを何も話そうとしない子ではなかった。
一日のほとんどを訓練と勉強に使う、あんな極端な生活も、幼い頃の彼にはなかった。
素直に喜んだり、負けて悔しがったり。
少なくとも、昔のレオは、もっと“普通の弟”らしかった。
私と一緒に遊ぶことも多かった。
ボードゲームで何度も挑んできて、勝てるまで絶対に諦めなかった。
(私もわざと負けるのは嫌だったけれど、最後は根負けして一度だけ勝たせてあげた覚えがある)
それが、いつからだろう。
レオが私を避けるようになり、
必要最低限の敬語だけを返すようになってしまったのは。
思春期だから、姉離れをしているのだろう――
そう軽く考えていた。
けれど、その裏に「領主の重圧」や「私への劣等感」が重なっているのなら、
今の距離感にも、一応の理由はつく。
(……さて。どう動くべきかしら)
――無理に距離を詰めすぎない。
でも、だからといって何もしないのも違う。
“突き放しすぎず、近づきすぎず”。
日常の中で、少しずつ話す回数を増やしていく。
訓練の差し入れ。
稽古終わりの、ほんの短い会話。
怪我や疲れを、それとなく気遣う一言。
リカはきっと、また何かとうるさく口を挟んでくるだろう。
それでも――
レオと向き合うべきなのは、リカでも、聖女でもなく。
この“私自身”だ。
(弟との関係くらい、未来の“物語通り”じゃなくて。
私の手で、書き換えてみせる)
心の中でそう小さく決めてから、
私は部屋のベルを鳴らし、次の準備を始めることにした。




